黒く渦巻く
合図があったかのようにタイミング良くこちらに迫って来る敵の動きは素早く、対処しきれない、と悟った小狼は、サクラの手を握り、思い切り地面を蹴った。それに続いたレイノ達だったが、その間を縫って敵は身体をくねらせて行く。周りには石の欠片が飛び散り、眼球にでも当たれば失明する勢いである。
「まあ、相手するより、逃げちゃったほうが早いよねぇ」
「これ、キリがないですもん、ねっ!」
後ろから勢い良く迫り来る敵を、ファイは被っている小さめのハットを抑えながら避けてみせた。その横に居るレイノは彼の肩を土台にし、敵に対して飛び蹴りを喰らわせていた。また、一方で黒鋼は、軽々と言った様子でくねらせては迫る敵を避けて行く。先頭で走る小狼もまた、しゃがみ込んで敵同士を激突させていた。
そうやって攻撃を躱して行くが、敵の数は一向に減らず、逆に増えて行く一方である。洞窟の壁にぶち当たりながらも攻撃を仕掛けて来る敵たちはやはり、侵入者の殲滅を第一に動いている機械で、その様子が少し、気味が悪かった。
「レイノさん! モコナ!」
『うん!サクラの羽根に近付いてるよ!』
「小狼くん! そこ、思い切り突っ込んで!」
後ろに居る敵に追い付かれない様に只ひたすらに地面を蹴って前に進んでいれば、水面の様な膜が現れる。サクラの羽根の気配は、そこからこちらに届いているようだった。レイノとモコナの声に促されてその膜を抜ければ、そこにはサクラと小狼の記憶には新しい、二つの塔の様に聳え立つ玖楼国の遺跡があった。周りは足場の悪い砂漠、真上を見上げると何時もと変わらぬ青空がそれぞれ一面に広がっている。
『玖楼国って、小狼とサクラがいた国だよね』
「ええ……」
「玖楼国に戻って来たのか?」
『モコナ、移動してないよ』
「こ、――」
「これは、『記憶』だよ」
不思議な光景に動きが止まった一行の中で、一番最初に行動したのはレイノだった。玖楼国の遺跡にそっと触れ、目を閉じる。たったそれだけの行為が酷く神聖なものの様に思えるのは、やはりレイノがずっと神殿の中で生きて来たからだろう。ふわり、と何かに包まれている様に感じるのはこの遺跡の力なのだろうか。ファイが言う様に紛い物の筈なのに、何故こんなにも、懐かしさを感じているのだろう。
「なんか言いたいことありそうな感じだねぇ。レイノちゃん、黒りんた」
「…さっきの壁といい、ちょっと魔法をかじったくらいで分かっちまうことが守りになるはずねぇだろ。仕掛けを見破るには仕掛けた以上の力が要る。それも、魔法とやらは使っちゃいねぇみてぇだしな。こいつみたいに制約がねぇ訳じゃねーだろ」
「買いかぶりすぎだよぅ」
「…嘘くせぇ」
「…んとに黒様って、いらないトコばっか見てるんだから」
少しの違和感を感じたところで元居た位置に戻ろうと踵を返したレイノの前を、サクラと小狼、モコナが通り過ぎて行く。少しずつ消えて行く二人の足跡が何故か儚く見えて、二人の微妙な距離が何処かいじらしい。そんな二人の声が聞こえにくい距離になった所だろうか、ファイは試す様な口振りでレイノと黒鋼に視線を寄越した。しかしそれは一瞬で、瞬きをした次の瞬間には何時ものふざけた薄っぺらい笑顔に変わっていたのだ。ファイのそんな表情に呆れた黒鋼は鼻を鳴らし、先に行ってしまった二人の方へ歩を進めた。
「それだけ、気にかけてるんですよ。貴方のこと」
「んー…嫌われてる、と思うんだけどねぇ」
「嫌いな人には関わらないと思いますよ、黒鋼は」
「…名前、――」
「え?」
砂漠を浮かせる風の音のみが目立つ中、レイノの溜め息がより酷く響いた様に思う。――そして、そんなわたしに苦笑いを浮かべるしか出来ないファイさんはきっと、何もかも分かってたんだと思う。それでも彼に全部を諦めるなんて事をして欲しくなくて、励ましたつもりだった。けど、彼の顔に残る違和感はわたしをひどく悲しくさせた。何も出来なくて、何も言えなくて、わたしは同情するかの様に目を細めるしか出来なかった。
「んーん、何でもないよ」
――黒くくすんだこんな気持ち、きみは知らなくて良いから。
『やっぱり、サクラの国の遺跡と一緒?』
「そうみたい。遺跡には発掘隊の人達がたくさんいて…みんな良い人ばかりだったんだけど、中でも色んな国を巡っているっていう考古学者の先生がとても優しい人だったの。遺跡に遊びに行こうとすると、いつも兄様に叱られてたんです」
「発掘途中だし、危ないからかなぁ」
「ええ。それもあったんですけど…どうしてだったんだろ」
懐かし気に遺跡に触れるサクラの横では、小狼が眉を顰めて難しい表情を浮かべていた。その間にも明かされて行く彼女の記憶は彼の中の記憶と完全に一致していて、けれど、彼女のそれの中には居ない自分と言う存在を認識する度に悲しくて寂しくて堪らなくなった。どう足掻いてもあの時間には戻れなくて、戻れたとしても何も出来ない事が分かってしまうから、こうやって耐えるしかないのだ。馬鹿みたいに記憶のある彼女を求め続けている自分に嫌悪感を抱いていると、軽く肩を叩かれた。――レイノだった。
「中、入ろっか」
――そんな一言に励まされてたなんて、貴女は知らないでしょう。
『なんか、ちょっと不思議な感じだね、この遺跡。道が広かったりせまかったり』
「サクラちゃんの記憶を基にしてるからじゃないかなあ」
『あ! このベンチみたいなの、おっきい! すごーい』
「時計かな。ちっちゃいねー」
遺跡の中は、蛇道の通路が続いており、周りは石のブロックが積まれた様な造りになっていた。そして、ある程度のところまで進めば、人が座るには大きすぎる丸太のベンチの上に時間を確認するには小さすぎる時計がちょこん、と置かれていた。余りに不自然なそれらはファイ曰く、サクラの記憶なので強く印象に残っている所が強調されている可能性がある、らしい。
モコナに促され、先へと進んだ一行が辿り着いたところは、サクラの羽根の紋様が描かれた巨大な床があるだけだった。レイノとモコナは、この床の下からサクラの羽根の波動を感じると言っている。その発言を頼りに小狼は一歩足を踏み出すが、その瞬間、何処からかの地響きが一行の身体を揺らした。すると、見る見るうちに床の中心から亀裂が入り出したのだ。
「真っ暗だねぇ」
そう呟いたのは、ファイだった。石の欠片を舞い散らせながら開けて行く床の紋様に、黒鋼と小狼はそれぞれレイノとサクラを背中にやった。モコナはファイの肩に縋り付いている。それは良いのだが、行き場をなくしたこの左手は一体何処にやれば良いのだろうか。床がなくなって巨大な空洞となったそこは何も見えず、ただただ闇の空間が続いているだけだった。サクラもこの下に何があるかは覚えていないらしい。けれど、レイノとモコナはこの下から確かにサクラの羽根の波動を感じているのだ。その言葉らを聞き届けた小狼は空洞の縁に立ってみせた。
「小狼君!」
「行きます」
「何があるか分からないのに! わたしが行く!」
「姫は待っていて下さい」
「でも!」
それに一番最初に気付いたのはやはりサクラで、彼女は引き止める様に小狼の腕を強く掴んだ。けれど、そんな事で制止してくれる彼ではないのだ。良くも悪くも純粋で、彼女だけしか見えてなくて、彼女でさえも入る隙間は無くて。彼女の「羽根」しか見えていないのだ。それは旅が始まった、侑子のミセから分かっている事である。崩れるか崩れないかの瀬戸際に、彼は立っているのだ。
「おれが行きます」
「…どうして? どうしてそんなにまでして、わたしの羽根を探してくれるの?」
小狼の返事は何となく予想はしていた。あのサクラがどれだけ懇願しても彼の決意が変わる事はないのだと、何となく皆分かっている筈だった。湖の国で言った、ファイの言葉を覚えているだろうか。「力を抜いて、ゆっくり進む」と言う、その言葉。小狼はそれを理解して実行しているのだろうが、レイノは何故か複雑な気持ちでしか見る事が出来ない。気付けば小狼は、自分の腕を強く掴むサクラの手を優しく包んでいた。
「姫をお願いします」
「小狼くん、気をつけて下さいね」
「はい」
「――レイノ」
エスコートする様に、小狼はファイにサクラを差し出した。その様子を見たレイノは思わず笑みを溢し、当たり障りのない言葉を小狼に送る。――こんな事しか言えないけれど、今のわたしには貴方に踏み込む勇気はないの。ごめんね。――そんな気持ちを知る事が出来るのは、おそらくファイだけなのだろう。その事に少し寂しさを感じたレイノは急に呼ばれた自分の名に肩を跳ねさせた。
「いろよ」
――どうしてその言葉を、君が言うの。
「小狼君! 黒鋼さん!」
「ったく、困ったお父さん達だねぇ」
「わたし…わたし、何も出来ない……」
『出来るよ。小狼と黒鋼が帰ってくるのを、待ってあげられるよ』
「…うん」
「大丈夫。何があっても、何が起こっても、小狼くんは必ずサクラちゃんの元に帰るから」
「レイノ、ちゃん…?」
闇の中へ飛び込んで行った黒鋼と小狼に思わず飛び付こうとしたサクラだったが、そんな彼女の行動はファイの意外に強い力によって止められる事となる。泣きそうな彼女を止めたもの。それは、仲間であるレイノとモコナの言葉だった。しかし、レイノの言葉は意味深な意味を孕んでいるそれで、それにも関わらずそれに気付いたのはファイだけだった。その意味が確信じみたものになるのは、もう少し後の事である。
他愛ない話で、サクラの気を紛らわす。そう言った行為を何度か繰り返した頃だろうか。唐突に鳴り響いた痛々しい警報はレイノらの鼓膜を酷く震わせた。その瞬間、周りの風景は幻影だったかの様に見る見る内に綻んで行ったのだ。一行はずっとあの洞窟の中で幻覚を見せらせていたに過ぎないのだ。この国の魔術と言うものは高度なそれである。
「小狼君!!」
「ッ、黒鋼!」
「…サクラ姫!」
視界に広がったずっと待ち望んでいた者の顔にサクラは思わず飛び付いた。今回は止める手もない。なぜなら、隣にレイノが居ないから。医務室にて、レイノと黒鋼が何か話していたのだろう事には気付いていた。しかしそれが何なのかは分からなくて、知りたいけれど知ったらもう知らなかった自分へは戻れないようで、怖かった。怖いだなんて、あの子が消える以外に思った事なんてなかったのに。そう思っている内に、サクラの羽根はサクラの体内に取り込まれていた。
『小狼、手当しなきゃ!』
「その前に早く次の世界へ移動を!」
「黒様…?」
「――何かあったの」
「…後で話す」
「図書館の人達が来る! 早く!」
『うん!』
記憶を体内に取り込んでしまった為に眠りに付いたサクラを抱き留め、その抱き留めた方の手に、小狼はモコナを乗せた。未だに鳴り響く警報は、この空間をより緊迫した空気で包み込んでいた。そんな緊迫した空間で、黒鋼はらしくもなく何かを考え込んでいるようだった。ファイのお得意の渾名にも無反応、レイノの問いでさえも一言のみで会話を終わらせている。目の前で魔法陣を出そうとするモコナだったが、その魔法陣が出ない、と言う緊急事態に追い込まれてしまった。図書館から本を盗んで逃げたり出来ないように、移動魔法に対する防除魔術が働いている、とファイは言う。
この現状に痺れを切らした黒鋼は小狼に抱き留められていたサクラを俵抱えにし、まずはここから出る事を推奨したのだ。消えかけていた魔法壁を何とか潜り抜け、図書館へと戻って来た一行の前に現れたのは、この中央図書館の正門で見かけた、獣型の守衛機能であった。
目の前にはグルルル、と低く喉を鳴らす守衛機能の内の一匹が居る。図体が大きいそれは両脇の本棚に足を掛けており、レイノらは目の前のそれを倒さないと先には進めないようだ。――暫く睨み合った頃だろうか。最前線に立つ小狼の口元からは歯を食い縛る様な力強く、そして、籠った音が聞こえる。その音が合図だったかの様に目の前のそれは、彼女らに向かって炎を吹き出したのだ。彼女はロングスカートをたなびかせては、炎とは違う温かさに包まれていた。
『小狼!』
「大丈夫だ! それより本が…!」
モコナとは別の方向に飛んで放出された炎を避けた小狼はそれとは真逆のところに位置する本棚の上に着地した。そんな彼が自身の身体よりも先に心配したのは、今もなお炎に包まれている膨大な本達だった。かなりの時間、炎と触れていた筈なのに、それらの表面に傷は一切付いていなかった。
『本は全然こげてないよ!』
「本を守る為の番犬さんだからねぇ。攻撃魔術も本には効かないようにしてあるんだよー」
(何でもありじゃん……)
「…良かった」
『小狼、ホントに本、好きなんだね!』
吼える守衛機能によって、周りにある炎はどんどん広がって行く。本の無事は大体予想していたが、実際にその様子を見てしまうと思わず笑いが込み上げる。魔術を使用する自分がして良い反応では決してないが、込み上げて来るものは仕方がないだろう。ファイの解説に安堵の息を吐いた小狼は何時も通りの筈で、しかし、黒鋼は何か言いたげな複雑な表情を浮かべている。黒鋼の脳裏には、一体何が浮かんでいるのだろうか。そんな中で加えられる炎は地獄以外の何ものでもなかった。そして叫ばれた黒鋼の言葉に、モコナは大きく口を開けたが、何時もなら現れる武器が今回は現れる事はなかった。
『駄目! 出ないー!』
「武器にも防除魔術有効かー。レイノちゃんも無理?」
「無理です」
「小僧! 足!!」
「はい!」
侑子の魔術でも無理なのだからレイノに出来る訳もないが、念の為にファイはレイノに問い掛けた。しかし、やはり、と言うべきか。幾ら掌に魔力を込めてもそこから武器が出て来る事はなかった。武器がない今、頼るべきは小狼の体術のみである。そう考えた黒鋼は再び声を荒げた。それに反応した小狼が守衛機能の片足に鋭い蹴りを入れる。するとそれはバランスを崩し、レイノらに逃げ道を作ったのだ。
守衛機能を抜いたと同時に図書館内に耳が痛くなる程の警報が鳴り響く。この中で眠ったままのサクラはどれだけ深い眠りに付いているのだろうか。ひたすら真っ直ぐに進み続けるレイノらの後ろには、別の守衛機能が追跡を始めていた。持っている杖から雷撃を繰り出したそれらは感情を持ち合わせてはいない様で、背を逸らすなどをしてそれを避ける。視界の端に微かな光が見える。外に通じている出口である。僅かな希望が見えた筈だが、そこには元々あった道は無く、荒波が立っていた。後ろからは少しずつ雷撃が近付いて来ている。――もう、逃げられない。
「飛び込むぞ」
「駄目だよ」
思い切った行動に出ようと試みた黒鋼だが、静かに帽子を取ったファイに制止の声を掛けられる。そして、流れる様な動作で荒波の中へ取ったそれを投げやった。するとそれは、波に触れた途端に蒸発したかの様に消えてなくなってしまったのだ。ファイ曰く、この現象も防除魔術と呼ばれるものらしい。そして、掠れた様な口笛を吹く。そんな時に何処からか、先ほど道を封じていた守衛機能が再び現れたのだ。それを見たレイノは、思わず詠唱を始めようとする。しかし、それもファイに止められてしまったのだ。
「だめだよ。レイノちゃん」
「けど、このままじゃ、――」
「――魔法、使わせたくないんだ」
「え…?」
「…言うこと聞いてよ、ね?」
レイノの口元を軽く覆うファイの指はとても綺麗で優しくて、しかしとても冷たかった。その冷たさが、今のこの状況により現実味を帯びさせている。そんな中で囁かれた彼の言葉は必死な様に聞こえて、そんな彼の声を聞いたのは初めてで、彼女は目を見開く事しか出来ない。――いつもの軽い笑顔とは違う、痛々しいくらいに歪められたそれはわたしの心臓を掴んでは離してくれなくて。そんな顔されたら、断るなんて、できないじゃないですか。――諦めた様子の彼女に安心したのか、彼は再び口笛を紡ぎ出す。何時もの声で言うそれじゃない、まるで風の様な旋律。それは複雑な紋様を描き出し、彼女らを包み込むドーム状の空間となった。
「モコナ、次元移動を」
『でも、魔法陣が』
「…モコナ、大丈夫だから。やってみて?」
ファイの気を感じるこの空間はファイの魔力が充満しており、おそらくレコルト国とは違う次元を作り出しているのだ。確証は無いが、確信ならある。そう感じたレイノの瞳には覇気が宿っており、モコナに次元移動を促すものとなった。勇気を振り絞って羽を広げると、何時もと同じ様に侑子の魔法陣が現れたのだ。それに安堵するモコナだが、レイノと黒鋼、そして小狼は別の事を危惧していた。今まで頑なに使おうとはしなかった魔術を、ファイは今、このタイミングで使用したのだ。こうして崩れた壁は吉と出るか凶と出るか。――それを知るのは、未来のみである。