すべてが壊れた国
レコルト国から流れる様に移動した一行は、瓦礫が集っている場所に降り立った。周りには凸凹とした岩がところどころから頭を突き出しており、それらは彼女らの良い足場となっている。しかし、それ以外には何もなかった。店も人の気配も感じる事も出来ないそこは、少し不気味である。そこで彼女らは、取り敢えず眠っているサクラを安定した場所に寝かせる事を最優先としたのだ。
「姫は…」
「寝ているだけだ」
大きめの平坦な岩に寝かせられたサクラは何時もと変わらぬ寝顔を晒しており、旅を始めた頃の意識がない状態ではなさそうだ。その事が、小狼に多大な安堵感を教えていた。レイノが軽くサクラの髪を整えてやると、サクラは僅かに眉を動かした。――ああ、大丈夫。生きてる。
「何とか逃げられたねー」
『でもファイ、魔法は使わないんじゃなかったの?』
穢れなど何も知らない様な初心な瞳で、モコナはそう問い掛けた。そんなそれの言葉により、レイノと黒鋼、そして、小狼ははっとした様に顔をファイの方に向けた。その時にふと思い出したのは、レコルト国で追い詰められた時に囁かれたファイの言葉である。確かに言われた「魔法を使わせたくない」と言う言葉には一体どんな意図が隠されているのだろうか。それを知るのは、ファイのみなのだろうが。
「んー。一応、今まで使ってた魔法とはちょっと違ったんだけどねぇ。音を使った魔法で、オレが習ったのとは別系統の魔法なんだけど」
「魔力は魔力だろ」
「かなぁ」
「…黒鋼、顔怖いよ」
「うっせ」
「すみません。おれが図書館からの脱出方法をもっと考えてれば…」
「小狼君は精一杯やったでしょー。ちゃんと記憶の羽根取って来たし」
特に後悔などはしていない表情で軽やかに口笛を吹くファイは驚く程に何時も通りで、あれだけ魔力を使う事を渋っていた以前の彼の姿は見られない。そんな彼をバッサリと斬った黒鋼は、ファイの様子に疑心暗鬼になっているようで、レイノが言った言葉はあながち間違っていないのである。一方ではすっかり落ち込んでしまっている小狼の脳裏には、一つの悩みがあった。しかし、それを黒鋼と彼女に言う事はきっとないのだろう。
『どうしたの? 小狼、ケガ痛い?』
「大丈夫だよ」
「…どいつもこいつも」
「――さてー、今度はどんなとこかなぁ」
モコナの声によって思考を途切れさせられた小狼は一瞬にして作り上げた笑顔を浮かべた。それを見た黒鋼は言葉を吐き捨て、それらの一部始終を眺めていたレイノは苦笑を溢す他、術は無いのである。話がひと段落付いたところで、ファイが瓦礫と瓦礫の間から漏れる光の柱に気付く。それを目指して瓦礫を登って行くと、壊れて崩れきった建物達が積まれている光景が一面に広がっていたのだ。
鼓動が聞こえる。心臓が高鳴る様な、一定のリズムを繰り返すそれが聞こえる。壁一面に文字が書かれた黒い部屋には、蝙蝠の紋様で顔を隠された男性が、水槽に閉じ込められていた。そして、鼓動が何回か繰り返された頃、彼の腕が僅かに動いた。次は全身と、段階を踏んで覚醒して行くのが分かる。彼の瞳が開いて行く。それは小狼と同じ、琥珀色に染まっていた。だんだんと大きくなるそれは彼を完全に覚醒させたのだ。
「…目覚めた……」
「さあ、この一手はどちらにとって有利となるかな」
目覚めた眼帯の少年の顔は小狼と瓜二つだった。そして、浮かべる少年の表情のないそれは不気味さを漂わせており、何処か近寄りがたい。そんな少年の覚醒を、侑子と飛王はきちんと感じ取っていた。泡にまみれる少年のゆく末は、きっと誰にも分からない。そんな中、飛王の目の前にある鏡には砂漠の中をゆっくりと進んで行く一行の姿が映り込んでいた。
『お姫様だっこだー』
「あぁ?」
「ずっと担いでるとサクラちゃん、頭に血が上がっちゃうよー」
「黒鋼、乱暴だからたまに頭から落としちゃってるもんね」
「ふざけんな。した事ねぇわ」
風によって巻き起こる砂ぼこりは髪に絡まり、だんだん束を太くさせている。不安定な足場によりゆっくりになる一行の一歩一歩は酷く弱々しく見えた。衝動のままに出て来たレコルト国での疲れが未だに燻っているのだろう。どれだけ先へ進んでも変わる事のない風景だが、そんな中でもレイノと黒鋼の軽快な会話にも変化は無かった。少し軽くなった気持ちを持ちながら、黒鋼は周りを見て一言呟いた。
『壊れた建物ばっかり』
「壊されたって言うか…溶かされた、ような」
「んー?」
「あ、いや、熱で溶かされたような感じがするなぁって思って…気のせい、ですかね」
「確かにー。この鉄筋とか、ね?」
吊られる様な形で一行の頭上に存在する鉄筋は腐敗だけでなく、何かによって溶けた様な壊れ方をしていた。それは、他の瓦礫や廃墟にも言える事である。取り敢えず小狼の治療が出来る場所があれば良いのだが、この調子では見つける事は難しいだろう。そんな考えが充満する中、小狼はとある瓦礫の形に疑問を持ち、そして、それに触れた。
「どしたのー?」
「この廃墟、瓦礫の角が丸いんです」
「それがどうした」
「風化、ですかね」
「けど、風化したにしても、風だけでこうなるものなのか」
ファイが小狼に対して首を傾げると同時に、黒鋼の肩から降りたモコナは小狼へと近付いた。それに対して興味も示さず、黒鋼はちらり、と視界の端に瓦礫を映す。こう言う論理的な会話は、黒鋼には向かない様だ。先の見えない結果に首を傾げていると、レイノの「痛い」と言った小さな悲鳴がやけに響いた。ヒリヒリ、と続く痛みに思わず顔を歪めると、彼女の反応と似た様なそれがモコナからも発された。思わず空を見上げると、そこからは痛々しい雨が降り注いでいた。
瓦礫達が埋もれる砂上に降り注ぐ雨は止む事を知らず、サアア、と言った細やかな音が鼓膜を震わせた。時折、それは頬や手の甲に触れ、肌を伝って砂上に滴り落ちて行く。その動きを見ていると、小狼はとある事に気付いた。先ほど雨水に触れた自身の手の甲が赤く爛れて行くのだ。ヒリヒリ、と炎症している様に痛みを感じるそれは限りなく現実である。
「焼けた!?」
『これ、お水じゃないよう』
「このまま雨に当たってるとちょっとまずいねぇ」
「あの建物はまだ倒壊してないみたいです!」
「黒たん急いでー」
「サクラちゃん溶かさないでねー」
「トロくねえよ!」
小狼の短い上着の中で隠れながら言うモコナは、先程の痛みに随分と怯えているらしい。今もなお降り注ぐ雨は酸性の性質を持っているらしく、このままそれを浴びていれば、周りの瓦礫らの様に溶けて行ってしまうだろう。少しの焦りを見せた一行は霧の中に僅かに見える建物に向かって走り出したのだ。その途中で、ファイはトレンチコートをレイノに被せ、なるべく雨に当たらない様にしてくれている。
『雨、いっぱい降って来たよー』
「良かったー。あの建物、雨宿り出来そうだよー」
時間が進むにつれて激しくなる雨足は、一行により焦りを負わせていた。そんな時に姿を現したのが、二棟の高層ビルを連ねている大きな建物だった。この近くだとここくらいしか雨宿りするところはないのだろう。彼女らがそこに入った途端、雨は唐突に激しくなり、今ではもう近くの物しか目視する事が出来ない。
「瓦礫のからくり、分かりましたね」
「もうちょっと遅れてたら穴だらけになってたねぇ」
『セーフだー』
「いや、そうでもねぇな」
酸性雨によってボロボロと崩れて行く瓦礫は何処か儚いものを感じさせる。あの雨に当たっていたら自身らもああなっていたかと思うと、少し寒気を感じるのは仕方のない事だろう。焦りが消えた雰囲気に包まれたかと思われたが、黒鋼の言葉と視線に誘導されて見たものは四肢が千切られて無惨に殺された人々の姿だった。それも数人どころではない。何十人、と言うレベルである。視界が埋まる程の残酷さと鼻腔を擽る血の臭いに、レイノは思わず口を押さえた。
「ホンモノ…だね」
「ああ……殺されてる」
「躊躇なく、ですね」
「サクラちゃん、眠っててくれて良かったよ」
「モコナ、中に入っていいから」
『サクラの羽根の気配、探さなきゃ』
「…ありがとう。羽根の気配、感じるか?」
『分からない。でも、すごく大きな力を感じる』
ある者は瓦礫の上に積まれる様に、ある者はそれに突き刺さる様に、どの人間も碌な殺され方をしていない事は一目瞭然である。身体に何本も突き刺さっている矢のおかげで出血は少ないが、これを抜いてしまえば再び血祭が開催される事だろう。こんな光景を純粋な姫君に見せる事は出来ない。しかしどうやら、この国には得体の知れない強大な力が眠っている様だ。それはレイノとモコナの勘がそう物語っていた。小狼の問い掛けに互いの目線を合わせて頷いては、レイノは一言だけ呟いた。
「…地下です」
「小狼くん、怪我大丈夫かなー」
「かなり血出してますもんね。やっぱりわたしが行けば良かったんじゃ…」
「それはだめー」
「止めとけ」
「何でですか!」
モコナと小狼が地下の探索を進めている間、それ以外のメンバーは未だに眠り続けるサクラを見守る他、する事がないのが現状だ。大量の死体らが転がる中、落ち着いて談笑する事もままならないこの状況では至極当然の事の様に思えるが。レイノの叫ぶ様な突っ込みで僅かだが、空気が和らいだと感じた。しかし、建物の中から響いたモコナの叫び声により、その変化は無意味なものとなったのだ。
「…あの人って本当、こう言う展開好きですよねぇ」
「戦闘狂だからねー」
瓦礫付近から拾った小さめの石で遊びながら建物の中へ姿を消した黒鋼を見て、レイノは思わず苦笑を浮かべた。彼のあの無類の戦い好きの性分は、もう一生直らないのだろう。もうしばらくは続くのであろうこの先の旅を考えれば、気苦労が絶えないと考えられる。ファイとの一往復のみの会話が終わり、周りは静寂で包まれた。サクラは眠っている。今しか聞く機会はない、のだろうか。そう思ったレイノが気付いた時には既に言葉を紡いでいた。
「…『魔力を使わせたくない』って、どう言う意味、ですか」
「え、――」
「言ってたでしょう? 図書館から脱出する時」
「…やっぱり、気になっちゃう?」
「貴方の顔を見る度に気になってましたよ」
レイノが言葉を紡いだ瞬間、ファイの肩がびくり、と僅かに跳ねた気がした。けれど表情は何時もと変わらぬ貼り付けた様な笑顔で、しかし、僅かな違和感を孕んでいた。――ああ、苦笑いと言うやつだろうか。――余り見ないそれは酷く彼に似合っている気がした。足元に転がる小石を外に軽く蹴る。すると、それは酸性雨によって一瞬にして崩れ散った。――ああ、呆気ない。――そんな間にも言葉を選んでいる彼は酷く頭を悩ませているようで、しかし、やはり放たれる言葉は何時もと変わらなかった。
「…力なんて、ない方が良いじゃない。その方が、きみは傷つかない」
「…それ、何回目ですか?」
「ごめんね」
「そんなに守りたいですか? わたしのこと」
「…できれば、こんな傷も作って欲しくないし、こんな光景も見せたくないって、思ってるよ」
今までで何度聞いたかも分からないその言葉はファイの言う、愛情の全てなのだ。どちらかが歩み寄ればはっきりとするこの関係は、しばらくはこのままなのだろう。その事実に思わず苛立つが、そう感じる権利は、レイノにはない。呆れた様な笑みを浮かべる彼女の頬に触れる。大事に触れるそれは先ほど、酸性雨によって焼けた箇所だ。チリ、と言ったそこの痛みは何処か複雑な自身の心の内を表しているようである。
「…わたし、そんなに弱くないですよ」
「知ってるよ」
「貴方は、自分ばっかりですね」
「…うん」
「わたしの気持ちは、無視ですか」
「…ごめんね」
「貴方はわたしを守りたいって言うくせに、わたしには貴方を守らせてはくれないんですね」
「ごめん」
淡々としたこのやり取りには、相手を思いやる気持ちが見え隠れしていた。――こんな事しか言えないんですよ。貴方を責めるようなそんな言葉しか、わたしは口にする事しか出来ない。こんな事を言いたい訳じゃなかった。守らせて、と言いたかっただけだった。ただひたすら、自分を犠牲にする事でしかわたしを守る事が出来ない貴方が嫌いだった。なのに、何で。何で涙は出てくれないのだろう。ああ、もう、意味が分からない。
「本当、ずるい人」
それでもわたしには、貴方を見捨てるなんて出来ないんですよ。
あまりに姿を見せない黒鋼とモコナ、そして、小狼を心配し出したレイノとファイは建物の中に足を踏み入れた。中に進んで行っては聞こえた衝撃音に彼女とファイは顔を見合わせ、駆け足でそれの発信源へと進んで行く。そこでは、二つの集団が武器を向け合い、殺気を絡み合わせていた。そんな様子をなるべく息を潜めて見つめていたレイノとファイだったが、どうやら意味がなかったようだ。視界に入った小狼は先程よりも傷が増えており、早く治療をしなければいけない気がする。心の中に僅かな焦りが孕んだ時、この不思議な空間には「水」と言う、たった一言が嫌に響き渡ったのだ。
「水……」
「…水が、そんなに大事、なんですか。この国では」
「どういうこと?」
「水を盗りに来たんじゃないのか?」
「その割には良くわかってないって感じだね」
「泥棒にしてはぼーっとしてるよ」
「オレ達、ここに着いたばっかりなんですよー」
「どうやって?」
「防雨服はどうした?」
「どこから来たのかな?」
『――あのね、あのね』
お互いに話が噛み合わない。一行が探しているものは水ではなく、羽根なのだ。それをこの国の人らは前者だと勘違いしている、と言う事なのだろうか。冷ややかな表情で様々な質問を投げ掛けられるが、何か大きな力がここにある以上この国を出る訳にはいかない。そう言った結論に至ったファイは、何時もの笑顔を貼り付けて会話を始めた。その次に口を開いたのはモコナなのだが、どうやらこの国にはその様な存在は認知されていないらしい。
『モコナ達、すごく遠い所から来たの。この国のこと、全然わからないの。だから泥棒さんじゃないよ』
「何!? この生き物」
『モコナはモコナ!』
「突然変異なの?」
モコナが身振り手振りで必死にこちらについてを話しているが、相手の集団はそれの存在に対して好奇心を向ける者と眉を顰める者に分かれた。そんな中で警戒心を解いていないのがレイノだった。もちろんファイや黒鋼、小狼も解いてはいないのだが。微かに見た今は居ない集団のリーダーの顔が脳裏から離れない。侑子と共に居た時、確かに目にした人物である。気になって仕方がないが、どうやらそんな事を言っている状態ではないらしい。
「それにしちゃ可愛いね」
「それに喋ってる!」
「霞月。不用意に近づくな」
「もー。那托乱暴!」
「…さて、どうするかな。遊人」
「神威は任せるっていってたけど」
興味を示した霞月と呼ばれた幼い少年は後ろに居た那托に持ち上げられ、遊人は側に居た眼鏡の少女から冷たい視線を感じていた。――ああ、怖い。――そんな遊人に対して声を掛けた人物は、桜都国で出会った草薙にそっくりな男性だった。ここの一言で一行の命がどうなるかが決められるのだ。緊迫した空間で、誰かが生唾を飲み込んだ音が響く。しかし、それが誰かなど分かる筈もない。そんな空間で次に響き渡ったのは、聞いた事がない凛とした声だった。
「神威が殺さなかったということは、その必要はないって感じたということでしょう」
その一言が、一行の生命線を蘇らせた。
「地下にあるものを守る為には、手心は一切加えないからな。神威は、ってことは、無理に始末することもねぇな」
「草薙さん」
「表の死体を無駄に増やすこともないでしょう? 颯姫ちゃん」
先ほど、暴れていた少年は神威と言うらしい。表情が変わらない端正な顔は、人に冷たい印象を与えていた。しかし、そんな彼に対して絶対的な信頼を寄せている目の前の集団はどう言った志を持っているのだろうか。僅かに口角を上げてみせた草薙は、どうやら一行を殺すつもりはないようだ。それは遊人も同じである。そんな二人に説得させられた颯姫は、溜め息を吐くしかないのだ。
「…分かりました」
「決まったな。行っていいぜ」
『この辺りの大きな力、地下からしか感じませんよ』
『ってことは、ここを調べない限り、移動出来ないねぇ』
仕方ない、と言いたげな颯姫の表情は気になるが、殺される事は無い様だ。安心したのも束の間、やはり強大な力の気配は未だ消えない。小狼に聞こえる程度の小声で結論を出したファイはレイノと再び顔を見合わせた。ちらり、と横目で黒鋼を見るが、口を挟む様子はない。その事を確認したファイは、再び笑みを浮かべた。
「あのー、色々大変な時に申し訳ないんですけどー。あ、この子小狼君って言うんですけど、このままだとちょっとつらいんで、治療っぽいことお願い出来ませんかねー」
「薬がもったいない」
「得体が知れない連中は早急にここから出したほうがいいのでは?」
「でも、泥棒でもないのに撃っちゃったしねぇ。神威が」
「治療という程のことは出来ないかもしれませんが、どうぞ」
「牙暁」
「牙暁が言うならまあ安全なんだろ」
「ありがとうー」
「――少しですけど、これで時間は稼げますね」
それぞれと視線を合わせて自己紹介をして行くファイは驚く程に何時も通りで、この空気の中でファイがやってのけた黒鋼弄りも、そして、レイノのそれも何時も通りなのである。「黒鋼だ!」と言う本人の突っ込みも無視して見せ付けた小狼の傷はボウガンの矢が突き刺さったままと言う、痛々しいそれに仕上がっていた。牙暁の一言でここに滞在する事が決まった一行は、安堵した雰囲気に包まれる。そうした雰囲気の中で囁かれたレイノの言葉は嬉しさを孕んでいた。
「はい」
その時の小狼の瞳に残る炎は、未だ純粋だったと思う。
「す…すみません」
「そう思うならやられるな」
都庁の中には大勢の人らで溢れ返っている。そうした人々の瞳には見た事のない集団である一行が映っていて、不信感や不安が露わになっていた。無意識に身を引く者や自身の身内であろう子供を守る者もいる。そんな中を黒鋼に背負われて通る傷だらけの小狼は、かなりの羞恥心を感じていた。
『他にも人、いたんだね』
「このあたりじゃ、ここしかいられないからね」
「攻めて来た奴らはどうした?」
「おっぱらったよ」
「そうか」
「怪我してない?」
「大丈夫だ」
「…信頼、されてるんですね」
「まあ、ここを守る『能力者』みたいなものだからね」
周りの子どもらに愛想良く手を振る遊人や颯姫を見て、レイノはぽそり、と呟いた。それに答えた遊人の言葉に颯姫は視線を鋭くさせるが、それで反省する遊人ではなかったようだ。何時も貼り付けた様な笑みと言い、危なげな雰囲気と言い、目の前のこの男はファイに良く似ている。ぱちり、と合った視線は酷く居心地が悪かった。草薙に案内された場所はカーテンで仕切られただけの、簡易医務室である。
案内された場所で、小狼はファイに手当てを受けていた。包帯によって締め付けられる感覚が酷く懐かしい、と思ってしまうのはおかしい事だろうか。そんな小狼の横に、レイノは腰掛ける。すると目の前には、未だ降り続く酸性雨が視界いっぱいに映った。この国では、それが降り続くようになってから15年もの歳月が経っているらしい。それにより、川や池、そして、湖など、地上にある水は飲み水としては使えない。濾過できる機材がある建物も、それによってまともに動く状態ではなくなってしまった。地面でさえ腐食させるそれにより、近辺にある地下水脈も意味をなさない。だから、この地下にある水が貴重なのだと、都庁の集団は言う。何故か、この都庁とタワーだけが生き残っているのだ。
「じゃあこの国の水は、もう、ここの下とあの人達がいるタワーっていう所の地下にしかないんだー」
「国っていっても、もうこの東京23区あたりしか人がいる所は残ってないだろ」
「まあ、言うなれば、ここは『東京』っていう国かもしれないね」
予想していたよりも酷い惨状のこの国は、今の状態の一行にとっては酷く合っていない様に思えた。何処か遠くを見る様に目を伏せた遊人は酷く儚くて、生きる事に疲れたと、そう言っている様に見える。それは、気のせいなのだろうか。レイノは立ち上がって、柱から手を差し出す。自身の指に僅かに触れた酸性雨は、肌を溶かして行った。けれど、すぐに治ってしまう傷跡は、酷く切なかった。
「…『東京』」
――この先に起こる惨状を、まだわたし達は知らないのに。
地下で揺らめく水面には、情けない顔をした神威の顔が映っている。ずっとずっと、何年もの間ここで待っているのに、自身が求めるものは一向にその手には戻らない。しかし、力のない自分には、出来る事は何もなかった。その事が辛くて、情けなくて、そんな自分が大嫌いで、つい溢してしまう本音は誰にも聞かれる事はない。
「いつまでこうしていればいいんだ……」
――そして、惨状の中に隠れる僅かな希望の存在も、わたし達は知らない。