うその言葉
夜の東京は危険である。酸性雨によって崩れた足場や突然変異で現れた魔物はこの国の民たちにとっては充分脅威になりうる。そんな状況の中、寝床を貸してもらえたのはこの国に滞在する間、かなり有利に働くだろう。足場がしっかりしているシングルベッドには未だ目を覚まさないサクラ、疲れから眠ってしまったレイノとモコナ、そして、小狼が身体を預けていた。この空間で声を出しているのはファイのみで、黒鋼には会話をする気はないらしい。――すごい尽くしてるオレ馬鹿みたいなんだけど。――ちらり、と外を見れば、雨はまだ、止まない。
「小狼君、熱出るかも。オレ起きてるから、黒様、寝ててー」
そう言ったはずなんだけど、黒さまは全然答えてくれなくて、それどころか目も合わせてくれない。今までは「おう」くらいは返してくれてたんだけど、それさえないってなるとちょっと寂しいと言うか何と言うか。数瞬返事を待ってみたけれど返っては来ない返事に、オレはどうすれば良いか分からなかった。
「えーっと、何か答えてくれないと、オレ、独り言言い続けてる微妙なひとになっちゃうんだけどー」
「ならおまえも答えろよ」
「なにを?」
「あの口笛。高麗国とやらで死ぬかもしれない時でも、おまえは魔力を使わなかった。言ってたな。「元にいた国の水底で眠っている奴が目覚めたら、追いつかれるかもしれない」「だから逃げなきゃならない。色んな世界を」」
「黒りん、記憶力いいねぇ。さっすがお父さんー」
寝てるのかと思って数回手を振ってみるけど、そこから返って来たのは明らかに先程の言葉の返事ではないものだった。ああ、やっぱりそこ聞いちゃうんだ。黒さまらしいけどね。言うつもりのなかった事を責められるのはあまり好きではなくて、オレはおどけるようにぱちぱち、と手を叩いた。いつもの突っ込みがない黒りんは厳しい顔をしていて、言い逃れは出来ないんだと、そこで悟る。
「つっこんでようー。寂しいじゃないー」
「…おまえが罪人で追われてるのか、それとも別の理由があるのか、俺には関係ねぇ」
「黒様らしいねぇ」
「おまえがそう望んでるんだろ」
人間は追い詰められると良く喋る、と言うのはどうやら本当のようだ。黒さまが言う事は全部的確で、間違ってるところなんてどこにもなくて、それが余計にオレの心を締めつける。オレの武器は笑顔だから。笑っていれば敵だとは思わない。笑顔でかわしても嫌な思いをする人なんていない。そうすればほら、オレの心の内なんて誰も分からないでしょう。なのに、何で君には分かっちゃうんだろうね。小狼くんとサクラちゃんの事を気にしてる事とか、レイノちゃんを想っている事とか、ね。
「それに、前の国で使った、レイノを抑えてまで使ったあの魔力」
「言ったでしょ? オレは死ねないって。だから…」
「おまえは「自分では死ねない」だけだろう。だが、誰かのせいで死ぬなら別だ。あのまま何もしなければ俺達は捕まるか、悪くすりゃ、死んでたかもな。なのに、おまえは自分から魔力を使った。自分から関わったんだ、あいつらに」
「…オレは」
黒さま、いつ聞いてたんだか。レイノちゃんだけに聞こえるように言ったはずなんだけどね。この国に来てからあまり話してないと思っていたけれど、胸の内でこんなに思ってるなんて知らなかったなぁ。まぁ、それを避けていたのはオレ自身なんだけど。レイノちゃんには、使わせられないんだよ。魔法具を持っていないあの子に、魔力を使わせる訳にはいかないんだ。もう、誰も殺したくない。ああ、もう。
「オレが関わることで、誰も不幸にしたくない」
こんなこと、言うつもりなかったんだけどなあ。
「ちょっといいかな」
「おっと。もう寝てるか」
「大丈夫。黒様が聞きまーす」
オレの一言で進む事はもうないと思っていた黒さまとの会話は、唐突にやって来た遊人くんと草薙くんの声で一時中断だ。ほっとした気持ち、きっと黒さまは気づいてるんだろうねえ。だから今、オレの腕をこんなに強く掴んでるんだと思うし。――ああ、起きちゃったみたい。こんなところ、見られたくなかったんだけどなあ。
「話、そらせたとか思ってんじゃねぇぞ」
「いたいよーぅ」
「…言ったな。俺には関係ねぇと」
「うん、聞いたー。だから気にしないで、オレのこと…」
「おまえの過去は関係ねぇんだよ。だから」
ほら、図星。ギリギリ、と骨にまで響きそうな黒さまの腕力は相変わらず強くて、割と本気で痛い。顔を歪めながらも笑みを浮かべるオレだけれど、黒さまの言葉に、オレは目を見開いた。離された腕は少しだけ痛みが残っていて、軋んだ骨が少しずつ元に戻って行く感じがした。
「いい加減、今の自分に腹ぁ括れ」
今のオレにそんなこと出来るはずないって、君なら分かってると思うんだけどなぁ。
黒さまがいなくなった空間は、話す者がいなくなったオレがいるこの空間は静寂に包まれていて、外の闇の深さはどんどん深くなっている。それは今のオレの心情を表しているみたいで、遠くなる足音と合わせて、オレの身体は背後の柱に預けられた。ずるる、と下に降りて行くオレの身体に力はなく、もう、何も考えられなかった。自嘲的な笑みを溢して、らしくない弱音を吐くオレは、とても情けなかった。だから、見られたくなかったのに。何でこう言う時に限ってきみは優しくするのかなぁ。
「ファイ、さん…?」
「っ…レイノ、ちゃん」
「大丈夫、ですか……?」
だんだんと明るくなる視界に映ったのは、情けなく笑みを溢すファイだった。弾く様にこちらに顔を向けた彼は迷子の様な瞳をしていて、放って置けなくて、怠く重苦しい身体に鞭打って彼に近付く。そっと指先で頬を撫でると、どうやら彼は強く唇を噛み締めているようだった。その事に気付いたレイノが彼の唇をそっと指先でなぞると、彼は強く、細い彼女の腰に手を回したのだ。
「……どうしたん、ですか? ファイさ、――」
「…オレ、は、どうすれば良いんだろう」
「え、――」
「オレって、何なんだと思う……? ね、レイノちゃん…」
腰に回されたファイの腕は、少し震えている気がした。胸元にかかる彼の吐息も、僅かに漏れる我慢している様な声にも、レイノは戸惑いが孕んでいる、と感じていた。そんな中に問い掛けられた彼の言葉は彼女には絶対分からない様な事で、言葉を放つと言う行為に躊躇いが見られた。そんな彼女に思わず苦笑を漏らした彼は、彼女の首に腕を絡め、自身の胸板に彼女の顔を押し付ける。だんだん苦しくなって行く呼吸はどんどん彼女の心臓を締め付けて行き、彼女は彼の背中に腕を回した。雨はまだ、止まない。
「……そのままでいたら、良いと思いますよ」
――そんな言葉、思ってもいないくせに。
鼓動が高鳴る。度々増えて行く水槽の中の泡はそこの人物が生きている事を証明していた。泡が出ると共に消えて行く紋様は彼に自由を与えて行き、彼は目の前の蝙蝠の紋様が描かれた板に手を翳す。するとそれを中心に描かれていた文字の輪は解き放たれて行き、封印が解かれた水槽にはヒビが入って行く。突如放たれる水槽内の水は辺りに散りばめられ、そこに足を着いた彼の脳内には、何が映っているのだろうか。
「…小狼…」
人肌の様な、温かい何かに包まれる感覚が続いている。嗅ぎ慣れた様な匂いが鼻腔を擽り、それが酷く心地良い。ゆっくりと瞼を上げれば、視界には未だに暗い、どんよりとした空が広がっていた。雨は止んでいる。視線を僅かに下に向ければ、自身の身体にはファイのトレンチコートが掛けられていた。昨夜のファイとの意味深な会話の後、どうやら自分は寝てしまったらしい。温もりが恋しい、なんて気持ち悪いかな。
「おはよう。黒鋼」
「おう」
「小狼くん、まだ起きない?」
「ああ。爆睡だな」
「疲れてたのかなぁ……」
背伸びをして頭を覚醒させてからファイのトレンチコートを綺麗に畳み、古びたベッドに置く。それと同じタイミングで部屋に黒鋼が戻って来た。レイノが挨拶をすれば黒鋼は無愛想ながらにも返してくれる。昨夜の様子が嘘のようだ。小狼の隣にしゃがみ込んだ彼女は、小狼の頬を指先で押したり引っ張ったりと遊んでいる。こんな事をされても一向に起きる気配がない小狼はよほど疲れが溜まっていたのだろう。
「……おい」
「ん、何?」
「お前、昨日、――」
しばらくの間、楽しそうに小狼の頬で遊ぶレイノを見つめていた黒鋼は低い声でそんな彼女を呼び留めた。それを何の疑問も抱かずに笑みを浮かべて振り返る彼女は色んな意味で純粋で、今から聞こうとしている事に罪悪感を感じる。しかし、その問い掛けが彼女の身に降りかかる事はなかった。その理由は、寝ている筈の小狼が黒鋼の腕を掴み、黒鋼の動きを止めたからである。
「…小僧、じゃ、ねぇな。前の国で、本を手に入れた時現れた奴か」
「…どう言うこと?」
「……誰だ?」
「――ずっと待ってた…小狼」
焦点の定まらない瞳で、小狼は一言呟いた。何時もよりもワントーン低いその声は背筋をぶるり、と震わせるそれで、意図の分からぬ言葉にレイノと黒鋼は目を見開く。力が抜けた様にゆっくりと立ち上がった小狼だったが、黒鋼の腕を掴む手の力だけは一向に弱まる事を知らない。それは黒鋼が小狼の腕を掴んでも同じ事だった。そんなところに現れたのは何時もの笑顔を浮かべながら、衣服を運んで来たファイだ。
「レイノちゃんと小狼君とサクラちゃん、起きたー?」
「ファイさ、――」
「…小狼…君?」
優しげな笑みを浮かべていたファイも冷たい瞳を持った小狼を見てしまえばその笑みも消えてしまうと言う訳で、その瞬間、室内には言葉にしづらい微妙な空気が流れていた。誰も言葉を発しない。否、発したくはない。発してしまえば、現実を直面する事になる。それを別の形で実行した黒鋼は小狼の腕を掴んでいる手に力を込めた。すると、痛覚は残っていたのか、小狼は顔を歪めさせる。そのお陰で目が覚めた小狼は不意に周りを見渡した。そこには怪訝な顔付きの仲間が居たのである。しかしそれは一瞬の事で、再びファイは何時もの笑みを浮かべたのだ。
「おはよー。暗いけど朝だよー。熱は出なかったみたいだけど、どう? 具合はー」
「あ、はい。大丈夫です」
「これ、ここの人達が貸してくれたんだー。ここの国の服だねえ。でね、ここにいるつもりなら、これ被ってやって欲しいことがあるんだってー。ちょっと大変そうだから小狼君は休んでて…」
「いえ、行きます。羽根のことが何か分かるかもしれないし」
「無理しないようにっていっても聞かないよねぇ。小狼君は」
「何をすればいいんでしょうか?」
「後で説明するよ。まずはお着替えをどうぞー」
「ゆっくりで良いですからね」
ファイが見せたのは何度も使い回された様なところどころに傷があるマントとボトム、そして、黒のタートルネックである。それらを見せられた小狼はファイの言葉を遮ると、ファイに先程の衣服らをもらう事になった。そして、レイノに見送られて着替えに行く。その時の歩き方はどう見ても違和感があり、未だに傷口が痛むと言う事を証明していた。その後、小狼が居なくなった室内には再び緊張感のある空気が流れ始める。
「…あれ、小狼君…」
「じゃねぇな」
「初めてではないん、だよね?」
「ああ。前にもあった」
「本人、自覚はないみたいだね。なんだか…凍ったみたいな目だった」
確信めいた様に呟きながら、黒鋼は視線を逸らした。先程の小狼はレイノとファイにとっては初めて見る様子で、しかし、黒鋼にとってはそうではない。旅の序盤では見る事がなかったそれが最近になって頻繁に見かける事になっている。それが何を表しているのか、それが分かっている様な言葉はファイが一番近いのではないのだろうか。あまり見せる事がない怪訝な表情を浮かべていたが、後ろを振り向いたファイはあまりににこやかな笑顔を黒鋼に向けたのだ。
「怪我してるのに大丈夫かな」
「はい」
「ここに留まるなら働いてもらわないと。食料も何もかも足りているものなんてないんですから」
今日の東京の天気は生憎朝から雨である。しかも普通のそれではない、触れれば爛れるそれだ。その中をレイノとファイとモコナ、そして、小狼はモーターバイクに乗りながら移動して行く。頭にはきちんとフードが被さっていた。車とは少し違う乗り物に、ファイは酷く喜んでいた。――子どもか。
「しかし、あっちのでかいほうが来ると思ったんだがな」
「すっごい行きたそうにしてましたけどねー」
「それに、お嬢さんが来るとは思ってなかったよ」
「レイノちゃんもなかなか血の気が多いからねぇ」
「多くないです」
「えへへー。まあ、オレがお願いしたんですー。サクラちゃん、まだ目を覚まさないしオレとレイノちゃんと小狼君で行きたいですーって」
『黒鋼お留守番ー』
「「『ねー』」」
瓦礫の間をモーターバイクで移動して行く感覚は、ピッフル国でのドラゴンフライに良く似ている。雨さえなければフードを取って前方から吹く風を楽しめるのに。そんな事を思っていると、ふと遊人と目線が合う。レイノは彼の優しげで、でも、何処か射抜く様なそんな視線が苦手だった。そんな事を考えているとは露知らず、ファイは彼女に向かって、一言呟いた。今から戦場に行くと言うのに緊張感のない会話である。黒鋼が居なければこんなにも緩くなってしまうのか。その事に苦笑した彼女は、笑顔を浮かべるファイに対して目を細めて返事をしたのである。
「…あの野郎共」
危険な雨が降り注ぐ中、都庁は何かに阻まれた様にそれらを受け付けない。そんな中で待機を余儀なくされた黒鋼は退屈そうに顔を歪めていた。背後のベッドには未だに眠り続けるサクラが居る。その彼女が僅かに眉を顰めた事に気付く者は誰も居ない。殺気も物音も発さない彼女の様子には、忍である彼も気付かないのだ。だからもちろん、サクラの意識がこことは別の、水の中にある事も、不貞腐れた彼には分からないのである。
ふわりふわりと、漂っている。水中特有の煌めきが、そこにはある。規則正しい呼吸をすれば、ゴボゴボと、水面に向かって泡が巻き上がって行った。確かにここは水の中である。しかし、「水」と表現するには冷たさが足りず、また、息苦しさが足りないのだ。それの理由は分からない。そんな時に目に入ったのは、とある光だ。軽く足を動かしてそちらへ近付いてみると、そこには水底に植え付けられている繭の様な物があった。その中にはどうやら正体不明の生命体が存在するようである。
『…君は…?』
(…さくら)
『ここにいちゃ駄目だよ』
(ここは…どこ?)
『水の底』
(貴方はどうしてここにいるの?)
『眠ってるんだ』
(ここで?)
『ここで』
繭の中から響いて来た透明感のある声は悟りを開く様な、そんなそれだった。それに答えるサクラは何処か遠くを見ている様に朧気で、何時もと少し様子が違っているようだ。水中に居るにも関わらず話せていると言う事実を疑問に思う事すらないようである。そんな彼女は、ただただ目の前の繭に視線を向けていた。
『君は起きないと』
(わたし、眠ってるの?)
『そうだよ。目を覚まして』
(貴方は?)
起きる事を促されるサクラは繭から視線を逸らさずにそれに手を翳しながら問いを投げ掛けた。自分が眠っている事すら分からない。けれど、目の前の正体不明の生命体はその事を知っている。この矛盾に進言する事は、今の彼女には不可能に近かった。そんな彼女が最後に投げ掛けた問いに、目の前の生命体は無言を貫く。そして、再び言葉を紡いだのだ。
『目を覚まして。夢に囚われる前に』
(だめ。目が、開かない)
『…目を、目を覚まして』
目の前の正体不明の生命体に何を言われても、一度閉じた両目が開かれる事は無かった。それが引き金になったのか、一度も崩れた事のない繭は液状になり、サクラを取り込んで行く。まるで力に引き寄せられるように。何か強い力に、引き寄せられるように。再び呟いた「目を覚まして」と言う言葉は届かず、繭は再び元の形に戻って行ったのだ。
レイノらが出て行ってからと言うものの、都庁のとある一室でひたすらそれらを待ち続けている黒鋼は室内に僅かに響いた布擦れの音に思わず目を見開いた。それは、サクラがシーツを強く握った音である。黒鋼は、サクラがやっと起きたのだと思った。けれど、それは違ったのだ。初見だったから、確信は無かった。けれど、何処か、おかしい。
「…おい。姫! おい!!」
何度か呼び掛ける。けれど応答はない。しかし、眉を顰めた苦しげな顔は何時まで経っても安らかなそれに戻る事がなかった。さすがにおかしい。そう思った黒鋼はサクラの口元に手を翳した。そこからは人間が生きる為に必要なものが発されていなかった。温かな吐息が、ない。
「…息、してねぇぞ」
――これは、どう言う事なんだ。
『建物ないね』
「この辺りは低層建築が多かったから、もう殆ど残ってないよ」
「雨、止んで来たねー」
「注意してろ。来るぞ」
「何が、ですか?」
外に出たレイノらと都庁の集団がモーターバイクを停めたのはこの先の道路がない、目の前に砂漠が広がっている地点である。周りを見渡しても建物らしい物は見当たらない。どうやら全て酸性雨でやられてしまったらしい。遊人がそう説明した後、危険な雨が止み始める。けれどそれは戦闘合図になるようだ。その事が分からないレイノは貸してもらったボウガンに手を添えながらも眉を顰めた。
その瞬間、砂を撒き散らしながら首の長い何かがこちらに襲い掛かって来たのである。それを見た集団は、それに向かって一斉に矢を射続ける。すると、それは大きな音を響かせながら砂の上に倒れ込んだのだ。
「あれは!」
「酸性雨による突然変異種だ。毒はあるが、そこを避けりゃ食える」
『モコナ、突然変異って言われた! モコナ食べられるの!?』
「うまそうだな」
『きゃー!』
全長数メートルは優に超えるこの突然変異種は食料として持って帰る算段になっている。その為に人手が必要だったのだ。なるほど、とここでやっと納得したレイノはモーターバイクから降りて、それに近付く。近付けば近付くほど眉の形は歪んで行き、視覚的にもなかなか悪い状況だと言う事が分かるだろう。しかし何故だか胸の辺りがむかむかする。どうやらそれは悪い事の予兆だったらしい。
先ほど殺したそれを回収しようとしていた者らの背後から、別の生物が大きな口を開けて襲い掛かって来たのだ。レイノと草薙が矢を射るがそれは弾かれ、一番近くに居た那托を呑み込もうとしているのである。
「モコナ! 緋炎を!!」
『はい!』
その状況を見兼ねた小狼はモコナに刀を要求する。レコルト国とは違う状況なので、魔力が使えるモコナの口からは勢い良く刀が飛び出して来た。それを受け取った彼は那托を呑み込もうとしている突然変異種を、炎を纏った刀で一刀両断にしたのである。地響きを鳴らしながら砂を撒き散らせる残骸からは、既に生命は感じられない。
「すげぇな」
「レイノちゃん、大丈夫ー?」
「大丈夫です。弓矢って難しいですね」
『……レイノってちょっと何か抜けてるよね』
「エッ、何で?」
「ちょっと分かるかもー」
「エッ、うそ」
一瞬にして終わった戦闘を眺めていた人々は各々で息を漏らす様に呟いた。その間にファイは、草薙の隣に居るレイノに近付いて行く。そして顔を覗き見るが、彼女は何時もの軽い笑みを浮かべていた。それを見てほっと安堵の息を吐いたファイだったが、モコナの指摘に笑いながら同意したのである。――オレが心配する意味とか、いっつも分かってないと思うんだよねぇ。目を伏せてそう思えば、目の前では彼女とモコナが視線を合わせていた。どうやらアイコンタクトを交わしているようだ。その後にモコナが言った言葉は、小狼くんの身を引き締める言葉だったらしい。
『今、サクラの羽根の気配強くなった』