この名の蛍石

『おまえには旅に出てもらう。砂漠の姫と、こちらが用意した写身と共に』
『迎えに来るのはその二人…?』
『違う。別の世界から来る者であるのは、確かだがな。もう二人、共に旅立たせようとした者たちがいたが、一人は魔女に先んじられた』
『魔女…?』
『強力な魔力を持つ者、次元を自由に渡る魔女』

 男の言う「二人」とはレイノと黒鋼の事である。その中でも黒鋼は、男の夢見の更に先を読んだ侑子によって、男の手が及ぶ前に日本国の夢見姫に預けられたのだ。そして、黒鋼は魔女の一手であり、ユゥイにとっても敵となるのだ。それを理解しているのかいないのか、ユゥイの表情は酷く惚けていた。今しがた自身の片割れが亡くなり、動揺してるのは確かなのだが。


『願い…』
『生き返らせたいのだろう。双子の片割れを』
『…あなたも、もう死んでしまったひとに会いたいの?』

 男の言う「片割れ」の言葉に、ユゥイはちらり、と地面に転がる自身と良く似た人間を見つめる。しかしその後に続いたユゥイの言葉に、男は思わず目を見開かせた。――まさか、こんな子どもに言われるとは思わなかった。それ程までに顔に、出やすかっただろうか。――だが、そんな考えは杞憂となって終わるのである。


『…砂漠の姫には旅立って貰わねばならん。その躯に様々な時間軸を記憶し、玖楼国に眠る遺跡を発動させる為に、――我が願いを叶える為に。おまえは写身と共に姫を守り、旅を続けろ』
『…いつまで?』
『姫が玖楼国に戻るまで。旅を続ける妨げになるものはすべて排除しろ。もしも、魔女の一手である日本国の若造が邪魔するようならそれもだ。もう一人の者は少しなら信用しても構わんが』
『殺す…の?』
『自分を選んで双子の片割れを殺したおまえが、他人を殺すのに何を躊躇する事がある』

 しかしその驚愕の表情も一瞬の事で、一度瞬きをすればそれは成りを潜めていた。それにも気付かないユゥイは、男の言葉に目を見開いている。その脳内には、数刻前に自身が下した決断の場面が映し出されていた。そんな中、ユゥイはもう二度と起きる事はない自身の片割れの亡骸に手を伸ばす。


『ファイと…一緒に行く……』
『魂のない躯は朽ちる。連れて行けば、それが早まるだけ』

 ギュ、と力を入れて抱き締めたその身体に、温もりはもう宿ってはいなかった。その事が悲しくて、虚しくて、ユゥイは寒さと喪失感で身体を震わせる。その時に吐き出した白い息だけが、少しだけ温かかった。これから彼は、次の世界で羽根を見つけ、それをファイの身体に入れなければならない。畏怖の対象とされた強大な魔力を持っている自身になら分かると、男は言う。


『落ちてくる羽根はひとつではない。そのうちのひとつは旅立つ時に持って行け。旅立ってすぐ、姫に死なれては話にならん』
『羽根…いくつ落ちてくるの……』
『そこまではまだ夢で視てはいない。すべてが夢見に現れる訳ではない。いや、クロウ・リードならばそれも可能だったかもしれんがな』
『…クロウ』
『――忘れるな、おまえは我が一手だ。願いが叶うまで』

 クロウ・リード、とある次元では酷く有名だった大魔術師だ。朗らかな笑みを携えながら、その心は誰にも読ませやしない。そんな不思議な、何処か掴めない雰囲気を持った男だった。しかし、力の使い方も分からぬ幼いユゥイには聞いた事もない名である。そんなユゥイの思考とは別に、男は「そして」と言葉を続ける。

『もうひとつの呪いが解けるまで』

 その記憶が思い出された事は、未だかつてない。




 ファイの視界には、グラ、と倒れて行く『小狼』の動きが酷くゆっくりと映り込んでいた。そんな『小狼』とその肩に乗っているモコナを受け止めているレイノの手は、酷く細く見えた。けれどそんな彼女に視線を向ける黒鋼の双眸は、紅く燃え上がっている。それに気付いた彼女は桃色の瞳を鋭くさせては『小狼』を柱に凭れさせ、黒鋼と共に立ち上がった。コツコツ、と響いた靴の音は、ファイにとって酷く恐ろしいものなのだ。そして再び、ファイの記憶が蘇る。




『他に何かして欲しい事はあるかな』

 アシュラの手によってセレス国に連れて来られたファイは水底に沈んだ片割れを見下ろしている。長くなった金髪から僅かに見える口元は痩せこけていた。けれどこの国の暖かい服を身に纏う片割れは、少しだけ眠れている様に見える。そんな中で響くアシュラの静かな声色に、ファイは蒼い瞳を少しだけ伏せた。


『…髪を切りたい。髪だけでも離れてても側にいられるように』
『では、その髪と一緒に、これを君の大事な子の側に置いてもいいかな』
『なに……?』
『フローライト。ここ、セレスではお守りになる石だ』
『蛍石…』
『君にもあげよう。石ではなく、名前を。――君は、今日からセレス国の、ファイ・フローライト、だ。その名が君を守ってくれる』
『どうして…してくれるの…そんな事……』
『…君に、お願いしたい事があるんだ。まだ先の事だけれど』

 ファイの要望を聞いたアシュラは、何処からか透明がかった宝石を取り出した。その名を、ファイの名としてくれる、と言う。「不幸の双子」としてではない、「ファイ」として、初めてその存在を認めてもらえた気がした。そして、守ってもらえる、と言うそんな感覚もファイにとっては初めての事だったのだ。そんなファイと目線を合わせ、アシュラはそっと抱き締める。「新しい日々を始めよう」と言う言葉と共に身体に染み渡る温もりは、確かに本物だった。
 その時にファイは決めたのだ。どんなに辛くても悲しくても、生きる、と。片割れを生き返らせるまで、願いを叶えるまでは死ねないのだ。この手で誰かの命を奪っても、この手が汚(けが)れた血で赤く染まっても。そう、決めたのだ。




 カッと一際大きい靴の音が響き渡ると、黒鋼は左手で拳を作る。そこからは淡い光が漏れ始め、ファイと同じ気を感じる事が出来た。そこから現れる物は黒鋼の愛刀の「蒼氷」である。それに倣う様に、レイノも手の平に集めた魔力から薙刀を形成した。桃色に淡く輝くそれは、鋭さを持ちながらも彼女の優しさが確かに感じられたのだ。そんな様子を怯えた様に蒼い双眸に映すファイの気持ちは、きっと二人には分からないのだろうけど。


 スラ、と姿を現した「蒼氷」はファイの魔力を纏っており、その先端を向けられる彼の表情は何故か、酷く怯えているようだった。もはや動かない自身の片割れを抱く腕の力は、徐々に強くなっている。ふう、と、何処からか息を吐く音が聞こえた。その直後に響いたチャ、と言う金属音はレイノの手から放たれている。それに対し、はく、と口を開いたファイはまるで、傷付けたくない、とでも言いたげに蒼い瞳を見開かせた。


「死ねない、ファイを生き返らせるまでは。この名を、命を、返すまでは」
「では、殺さなければならない、ね。彼を…彼女を」

 足首まである白いコートをたなびかせて、ファイはユラ、と立ち上がる。もちろんその腕には自身の片割れが抱(いだ)かれていた。まるで自身に言い聞かせるかの様なその言葉は、アシュラの言う静かな呪いは、ファイの心をじんわりと蝕んで行くのだ。カタカタ、と震える指先には、僅かながら淡い光が宿っている。これを今から、目の前の二人に浴びせなければいけないのだ。嫌だ嫌だと思っても、その後に続くアシュラの言葉にファイは再び囚われる事になる。

「そして、私の願いを叶えて貰わなければ」

 ――この時にきみの名を呼んでいれば、きみは手を伸ばしてくれたのだろうか。




 雲行きが怪しい。その頂点からは何かが迫り来る様な、地響きが聞こえて来る。それを睨み上げるたった一つの小さな影は自身の身長の倍以上はある魔術具を翳し、巨大な雪崩と対峙した。力を込めるとその魔術具の宝具は輝き、巨大な雪崩からその下の小さな町を守ったのだ。
 町を避けて、その巨大な雪崩は山の麓を過ぎて行く。そのお陰で現れた大きな氷柱の中には不思議な光を放つ羽根が二枚、ファイの目の前に姿を見せた。それらは氷柱をすり抜け、彼の元に落ちて来たのだ。――これがあの男が言ってた、記憶の羽根だろうか。


『言ってた通り…凄い力だ。これをファイに…』

 圧倒的な力と柔らかい雰囲気は酷く矛盾している様に感じた。そんな二枚の羽根を手に取り、ファイは暫しの間、考える。――ああ、羽根のままじゃなく、人の姿にしよう。そうすればきっと、もう一人のオレも寂しくない。もう一枚はあの男が言ってた様に、旅に出る時に持って行こう。――そこまで考えて、ファイは無意識に空を仰いだ。


『どんな人達なんだろう』

 そんな一言をひとりでにごちては、ふと思い出す。――オレには関係のない事だった。一緒に旅をしたとしても本当の目的を知っているオレは、同じじゃないから。ああ、でも、あの男が言ってた二人の内の一人はこちら側だと聞いた。もしかしたら、その一人だけは友だちになれるかもしれない、なんて。期待なんてしても仕方ないって分かっているんだけど。――そんな事を考えながら、サク、とふわふわと柔らかい雪を踏み潰す。そして、一歩町に足を踏み入れた瞬間、嬉しそうな声に巻き込まれたのだ。


『さすが最高位の魔術師、Dの称号を持つ方だ』
『…いいえ。誰にも怪我がなくて、良かった…です』

 白い息を吐き出しながらファイの周りに集まって来る人々の顔には、嬉しそうな笑顔が広がっている。それとは対照的に、ファイの顔には何も映してはいなかった。それに虚しさや寂しさを感じる事がないくらい、ファイの感覚は麻痺していたのだ。そんなファイは、すぐにその場から去ろうとする。しかし、そのファイが着ている服を掴む小さな力がそこにはあった。


『ありがとぅー。でも、笑ってくれたらもっとうれしー』
『この子ったら! 申し訳ありません!』
『いえ。――うまく笑えないんだ、慣れてなくて』
『練習すればいいよぅ。ほら、こんなかんじー』

 その力の正体は、ファイよりもずっとずっと小さな少女だった。そんな彼女と目線を合わせる為にしゃがみ込むと、その彼女はへにゃ、と笑ったのだ。その笑みは「東京」以前に見せていた彼のそれと良く似ていた。――ああ、眩しい。こんな笑顔は今の今まで見た事がなかった。すごく眩しくて、明るくて、光のようだった。オレにもいつか、出来るのかな。――そんな事を思った。




『お帰り』
『ただいま』

 ばいばい、と手を振る少女を見送ってから、ファイはルヴァル城へと帰還した。それの城門に居る、警備員らの内の一人ははあ、と寒そうに息を吐き出しては手を暖めている。そこから展開される二人の会話は何気ないもので、けれど平和を象徴している様な、そんなものだった。それに何処か心が温かくなったファイは、くす、と微かに笑みを浮かべたのだ。


『『今、笑ったんだよな!!』』
『変でしたか』
『いや! いいよ!』
『もっと笑えばいい! アシュラ王もお喜びになる!』
『…王も』

 その様子を見られていたらしいファイは、突然降り掛かって来た二つの声に柔らかい金髪を跳ねさせながらも問い掛けた。その問いに、嬉しそうに笑みを浮かべる警備員らの一人は、ファイの頭を優しく撫でてやる。その感覚は、未だ慣れない。けれど「アシュラが喜ぶ」、その言葉に頑張ってみようか、なんてらしくない事を思ったのは確かだった。
 どれだけ頑張っても届く事はないだろう巨大な城門の前に立つ。すると、それはひとりでにゆっくりと開門した。自身を受け入れてくれる様な、そんな感覚は近頃やっと慣れて来たところである。城内に入ると、アシュラが何時もの様に静かな笑みを浮かべてファイを迎え入れてくれた。


『西の谷の雪崩は君が治めてくれたようだね』
『どうして分かるんですか』
『分かるよ。それが、たとえ遠くても、他の世界でも分かるよ。君の魔法は』

 何時だってこの人はそれが当たり前だ、と言う様に静かに言葉を紡ぐ。ずっとずっと不思議だった。何故、こんなにも良くしてくれるのか。何故、こんなにも優しくしてくれるのか。そんな疑心暗鬼した心を抱(いだ)いているとそれが表に出ていたのか、アシュラはふ、と笑みを溢した。


『本当だよ、ファイ。もし君がどこの世界で迷子になっても、迎えに行ける』
『…何をすればいいんですか。オレに頼みたい事ってなんですか』

 他人(ひと)を安心させる様なアシュラの笑みは、ファイにとっても同じ様なものだった。心にふんわりとした温かさを宿してくれるそれはファイの大好きなもので、けれど、それを返せない事が何時も心苦しかった。――だからこそオレは、アシュラ王の願いを叶えたい。オレに出来る事があるなら、何でもしたかった。そんなオレの質問に、アシュラ王はなぜか笑みを失くす。


『…君は、セレスが好きかな』
『……アシュラ王?』
『この国が好きかな』
『はい、みんな優しい。それに…ここに居る事を許してくれてる』
『では、もし、何かあったらこの国の為に、君のその力を使ってくれるかな』
『…でも、もしこの国に、オレより魔力の強い人が現れたら…』
『その者を殺す呪詛が掛かっているね』

 それまでの言葉を引き継ぐかの様に放たれたアシュラの声に、ファイはビク、と身体を固くさせた。そんなファイを見兼ねたアシュラは、そっと手を翳す。すると、そこからは複雑な文様が姿を現した。それは侑子の元に来たファイが身に写していたものと同じものだ。今は彼女の元にあるため、どうなっているのかは不明だが。


『この国の人々に、害をもたらす者を滅して欲しい。たとえそれが、何者であっても』
『…王?』
『それが私の願いだ』
『…オレが、この世界でいる間でいいなら』

 たまにアシュラは、何を考えているか分からない時がある。今だってそうだ。何時もは見せもしない金色(こんじき)の瞳を露わにし、鋭い視線をファイに向けている。けれどそれは一瞬にして姿を消し、何時もの静かな笑みを浮かべるのだ。――違和感は、ある。けど、それを探る権利を、オレは持っていなかった。

『ありがとう、ファイ』

 その時のアシュラ王の声は、とても寂しそうだったのに。




「君は約束してくれたんだ。この国に、人々に、害をもたらす者は…」
「殺す」

 ファイがそう呟いたと共に、レイノは一つの魔術を発動させていた。それを同じ様に黒鋼にも写す。すると、幾分か身体が軽くなった気がする。そんな黒鋼は、ファイが文字を描くと共に刀を振り上げた。その瞬間、軽快に足を踏み出した彼女に気付いたのはアシュラだけなのだろう。そうして彼女は、そっと唇を開いた。

「もう、良いでしょう」
「茶番はいい加減にしろよ」

 ――ごめんねファイさん、まだ手は、伸ばせない。