過去と忍びと今とヒーロー
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  • 四十一話

    「は、はぁ……はっ!」

    影の中から飛び出るように出てくると、溜め込んでいた息が溢れ乱れる。一気に影を放出して目くらましし、その一瞬で影の中に潜ったことでなんとか逃げられたが、奴のプレッシャーが今頃になってのしかかっていた。
    とにかく、早く庄左ヱ門と合流して、どこか安全な場所に行かなければ。いやそれよりも庄左ヱ門はまだ無事なのか?私の事を調べたということは庄左ヱ門のことも分かっているはずだ。私との交渉が決裂した奴があの子を狙わない保証がどこにある。

    「はぁ、はぁ!…は、」

    早く動かなければいけないし、考えることも多い。なのに必死で整えようとしているが逆にどんどん乱れていく息に思考が上手くまとまらない。
    手が、身体が、震えて、動けない。

    「___由紀!?」

    闇に絡め取られようとされたその時、呼ばれると同時に腕が引っ張られ、意識が現実に戻ってきた。色が戻ってきた視界には、焦った様子で心配そうにこちらを見る焦凍。

    「大丈夫か!?」
    「………なんで、ここに」
    「帰る途中だ。そしたらお前が道の端でうずくまっているし、見たら死にそうな表情をしてたから……」

    眉を下げてこちらを見る焦凍に、荒れていた息はいつの間に正常に戻り、思考も落ち着いていた。

    「お前、大声だすのか……」
    「……今言うことか?」
    「いや……お前が声を荒らげるところ、あまり見たことがないから」

    はは、と笑う由紀の顔は俯き髪が影になってよく見えない。けれど、その笑いが張り付けたものであることで笑ってなんかいないことなんて、痛々しい声に覇気のない様子ですぐに分かった。

    「何があったんだ」
    「何も。何もないよ」
    「嘘をつけ。そんな様子で言われても信じられるはずがないだろ」
    「………」

    なんでだ。なんで隠す。いつもは見せない弱っている姿を見せてしまうくらい限界のはずなのに。なんですぐそばに居るのに俺に言わない。俺はそんなに頼りないのか。
    そんな思いが溢れだし、口から飛び出しそうになるのをぐっと堪えた。

    「何でもない。大丈夫だ。もう帰りだろ?早く帰らないと遅くなる」

    もう復活していつもの無表情に戻った由紀は、そう言ってさっさと行こうとする。
    背を向けて歩き出した由紀が、そのままどこかに行ってしまうんじゃないかと。そんなことある訳ないのに、何故だかそう思えて仕方がなかった。だから、気がついた時にはその腕を掴んで引き止めていた。

    「なんだよ」
    「何でもないはずないだろ。俺には言えないことか。そんなに俺は頼りないのか」
    「……別にそうとは言っていないでしょ。本当になんでもないことだよ」
    「あんなに死にそうな顔をしていたのに、そんなわけないだろ」
    「仮にそうであっても、お前には関係ない」

    キッパリと。縋る暇もなく拒絶されるのに、俺とあいつの距離を痛感する。名前で呼びあって、放課後寄り道するようになって。俺からだとしても一緒にいても追い返されないようになって。少しは近づいたと思っていた。それでも、触れて、捕まえられるのに。こんなにも遠い。

    「私が悩んでいようが何があろうが。それは私のことであってお前には何の関係もない」
    「関係ならある。俺はお前のクラスメイトだ」
    「たかだか同じクラスだなんて、それは他人と同じことだ」
    「……でも。それでも俺は、弱っている時くらいお前に頼ってほしいんだよ」

    由紀は見せつけるように大きくため息を吐くと、何も写していない夜のような真っ黒な目をこちらに向ける。

    「何?さっきから。お前は私のなんだというんだ」
    「俺はお前の__」

    そこで言葉が詰まる。当たり前だ。俺と由紀はただのクラスメイトでしかない。何かを言えるほど近しいわけじゃない。
    それでも、俺は掴んだこの手を手放したくなかった。分かっている。由紀は絶対に俺を見ない。今ある距離を、これ以上なくすことは絶対にない。だけど、一緒にいたいんだ。お前の近くは居心地がいいんだ。

    「お前の、友達だ」

    そうだ。別にパートナーでなくてもいい。ただ、友人としてでも、お前の一番が欲しい。お前の近くにいたい。


    「とも……だち?」

    俺の言葉に由紀は目を見開き驚いていると、しばらく固まり俯いた。

    「ふ、ふふ……」

    やはりどこか具合が悪いのかと心配したが、すぐに肩を震わせ漏れ出た笑い声で違うことがわかった。

    「ふふ……あはは。友達。そうか、友達か。ふふっアッハッハッハッハッ!」

    勢いよくあげた顔は、見たことがないほどにこやかで。その笑顔に、見惚れた。いつもの無表情でも微笑でも険しい顔でもない。声を大にして笑っている由紀は本当にただの女の子のようだった。

    「あは、ふっ。苦しい…っ」
    「………いつまで笑ってるんだ」
    「すまない………くっ」

    ついには腹を抱えてしまった由紀に対して、不機嫌な声が出たのは仕方が無い。けれど一向にやめない由紀に眉間にシワがよる。それにようやく笑うのをやめたかと思えば、吹き出した。

    「はー……死ぬかと思った」

    やっと笑いが止まり、由紀は出てきていた涙を拭いながらこちらに向き直る。
    すっきりとしていて、なんだか晴れやかな顔をしていた。

    「君は、私の友達か」
    「__ああ」
    「そうか、そうだよなぁ……彼らだけじゃないんだよな。生きていれば、関わらずにはいられないんだよな」
    「由紀?」
    「ああいや。こっちの話」

    一瞬。遠い目をして何かを呟いた由紀は。しかし聞いても何も答えてくれない。それでも、彼女はこちらを真っ直ぐに向いて俺の手をそっと握る。彼女から触れあってきたのは初めてのことで心臓が音を立てるが、そんな浮き足立つ気持ちなんて吹き飛ぶほどに添えられた彼女の手は震えている。それは本当に極わずかなものだけれど。それでもあの由紀が震えていたのだ。

    「……ごめん。でも、もしいいのなら。一緒にいてほしい」

    笑っている。けれどその笑みは弱々しかった。そして、初めての彼女からの懇願に、断る選択肢は最初からない。
    上から握られている彼女の手を握り返し、由紀がどこかに行ってしまわないように力をこめる。

    「当たり前だ」

    そう言えば、由紀は少しだけ安心したようにまた笑ってくれた。


    ***

    焦凍が友達と言ってくれた。あれだけ拒絶して遠ざけていた私を。友達と、そう言ってくれた。
    言われて、私は焦凍が既に彼らと同じ場所の一歩外まで内側に入れていたことに気がついた。それはそうだ。生きていれば、誰にも関わらないなんてことは有り得ない。そして、焦凍がいることに違和感なんてなくてましてや不快感なんてなかった。
    それに気がついてしまったら、なんだかおかしくて笑い出してしまったけど、それでも暗がりに差し込められた一筋の光のようにその事実に私は安心した。

    私は、独りではない。


    結局何も説明出来ないままについてきてもらった。一人ならまた闇に捕らわれてしまいそうで正直安心した。

    「?……先輩、どうかされましたか?」

    家に帰れば庄左ヱ門が出迎えてくれて。体調はもういいのかとかそういうことを言うより先に、まだそこにいて無事なことに安心して抱きしめてしまった。

    「うぐ……先輩苦しいです」
    「庄……庄。無事だった。よかった」

    庄左ヱ門は苦しそうに呻いてたが、すぐに何かを察したのか何も言わずに背中に手を回してされるがままにしてけれた。

    「由紀、何があったんだ」
    「…………ヴィランに狙われた」

    それでもやっぱり理由は言わなければいけない。庄左ヱ門を抱きしめながら応えると、焦凍も庄左ヱ門も息を飲んだ。

    「大丈夫なのか!?」
    「逃げてきたんだよ。だけど狙いをつけられた。庄のこともきっとバレてる。だから早く安全な場所に逃げなければ」
    「安全な場所というと?」
    「とりあえず学校だ。安全かはさておき、あそこにいるのは全員プロヒーローだし何よりも報告をしておかなければいけない」

    そう言えば、焦凍は顔を強ばらせ庄左ヱ門は神妙に頷く。早速行こうと立ち上がり、少し考えて焦凍の手を軽く握った。彼はビクッとしたが、確かに握り返してくれた。

    「悪いけど………焦凍も、一緒についてきてくれる?」
    「っ、ああ」

    了承してくれたことに安心して、軽く支度するために部屋に向かった。



    ________________

    由紀の家についていくと、黒木を見た瞬間に抱きしめた。心底安堵している様子から、やっぱり黒木より近くには近づけないことを痛感する。それでも、彼女の口から出てきた言葉に戦慄し、その意味を理解すると同時にさっきまでの由紀の様子に納得した。
    けれど、また由紀の手が俺の手を掴んだ時は信じられなくて、驚いた。それでも不安そうについてきて欲しいと言う由紀に、それを許される程度の距離にはいるのかと嬉しく思った。

    しかし、由紀がいなくなって黒木と二人きりだ。黒木とはこの間あったばかりだし、正直気まずい。

    「先輩と、随分仲が良くなりましたね」

    黒木がいきなり口を開き、反応が遅れた。下にある黒木を見下ろせば、彼はじっと由紀が去っていった方向を見ているだけでこちらを見てはいない。

    「先輩とはどのようなご関係で?」
    「由紀とは、友達だ」
    「友達、ですか」

    友達だといえば、黒木は鼻で笑う。その反応にどういうことなのかとムッとするが、なんだか黒木の方が俺より歳上のように感じてしまいすぐに改める。

    「まあ流石と言っておきます。この短期間で由紀先輩の内側に入れたのは、素直に褒めましょう。しかしそれ以上は行けないですよ」
    「…………そんなこと、知っている」

    それでも、あいつの近くにいたい。友人としてでもあいつの"一番"が手に入るのならそれでもよかった。
    黒木は何も言わない。俺の言葉に乗った感情なんて分かっているだろうに、肯定も否定もしない。

    「先輩にとって、"友"とは特別な意味を持ちます」

    唐突に言われた言葉の意味が分からなかった。いつの間にか、黒木はこちらを真っ直ぐに見つめていた。その目は静かに凪いでいて、それでいて強い意志が灯っている。時折見せる由紀と同じ目をしながら、黒木はこちらを静かに見据える。

    「あの人の信頼を裏切るような真似。しないでくださいね」

    その言葉は、まるで重しのように俺にのしかかる。特別な意味とはどういうことなのか。けれど友達だと言った時から、少しだけ由紀の雰囲気が柔らかくなり、言動が変わったのも事実。それが認められるということなのなら、俺は、それを裏切るような馬鹿な真似は、絶対にしない。

    「当たり前だ」

    黒木は興味無さそうにまた顔を前に向けたが、その寸前に見えた目は満足そうだった。

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