海の愛子


ネタ帳の『海の愛子』でお試し


舳丸が海に潜ってから帰ってこない。
その知らせを聞いた水軍は、全員が船に乗り海に潜り、舳丸を探した。しかし見つからない。
誰かが言った__舳丸はもう溺れ死んでしまったのでは。
誰かが反論した__あいつはそんなへまはしない。
誰かが叫んだ__ならばなぜここまでして見つからない。
誰かが悔やんだ__死体さえ出てこないのは流されてしまったのか。
彼女はそんな水軍たちを静かに眺め、そして物音一つ立てずにその場から立ち去る。
舳丸のことで慌ただしくしている水軍たちは、所詮居候である彼女一人消えたことなど誰も気が付かなかった。

***
彼女は岩場に向かった。狭まっており、普段ならば誰も来ないような幾重にも岩に阻まれている場所。けれど彼女はまるで平地でも歩くかのように軽やかに降り立つと、海を見据え静かに言葉を紡ぐ。
「あなた方が、彼を気に入っていることは知っています」
そこには彼女以外にら誰もいないはずだった。それでも彼女は確かに"誰か"に向かって話す。
「けれど、彼には帰る場所があります。帰りを待ち心配する友が、仲間が、家族がいます。どうか、あの人たちに彼を返してあげてください」
その数秒後。今まで静かだった海が突然うねりだし、大きな波が岩場に乗り上げる。
波が引いていくと、岩場にその跡を残していく。それと同時に波の中から出てきたかのように舳丸が倒れていた。
「………」
彼女は静かに立ち上がり舳丸に近づくと、その呼吸がしっかりしていることを確かめ、腕を肩に回して持ち上げた。
身長差があり、舳丸の足を引きずりながらも、舳丸を彼の帰りを待つ人たちの元へ送り届けるために。彼女は足を進める。

***

館に舳丸を担いだ彼女が現れると一気に騒然となる。
誰かが言った__一体どこで見つけた。
彼女は言った__あちらの岩場に打ち上げられていた。
誰かが歓喜した__まだ息がある。
全員が喜び、全身がびしょ濡れで体温が低くなっていること以外はどこも異常がない舳丸を部屋に連れていく。
誰もが喜び、安堵するその光景を、彼女は静かに見つめる。
しかしその目にはわずかに羨ましそうな感情があったことなど、誰も気が付かなかった。

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