『幸福というものは、
一人では決して味わえないものです。』

-アレクセイ・アルブーゾフ-
(ロシアの戯曲家 / 1908〜1986)




自身の人生において後悔はなかったかと聞かれれば私は「なかった」と即答する。
苦も多くあったが、それ以上に得るモノの方が多くあったからだ。
ただ、一つだけ後悔があったとすれば…
彼女を泣かせてしまった事だろうか。

彼女は所謂ハニートラップとして敵対組織から送り込まれた人物だった。
そういう手には慣れていた私はすぐに看破できたが、彼女はそれでも何度も私の前に現れた。
姿を変え、アプローチ法を替え、次はどうやって現れるのかとワクワクしたものだ。

何度失敗をしようと苛立ちや悔しさを飲み込み、私の前では決して素の顔を見せようとはしなかった。
彼女の頑固なまでのプロ意識を私は存外に気に入っていた。
そんな彼女が初めて素を見せたのはその時が初めてだった。
初めて見せる彼女の様子に私は驚き、嬉しく感じた。

そして、ようやく私は気づいたのだ。
私くらいの年齢からすれば子供のようなものだと言える彼女の事を少なからず大事に思っていたという事に。

ハニートラップに引っかかったつもりはなかったのだが、思わず身を挺して彼女を守ろうとするくらいには気持ちを寄せてしまっていたらしい。

いつの間にか芽吹いていた感情に思わず笑った。
彼女は器用にも涙を零しながら私を罵り、小さく何かを呟いた後唇を重ねてきた。

幸せとはこういう事なのかもしれない。
今まで交わしてきたどの口付けよりも甘く感じて、目を閉じて味わう。
ああ、本当に後悔のない人生だった。

これまでの人生を噛み締めながら、最初で最後になる貴重な『彼女』を心に焼付けて私はそのまま生涯を閉じた。








もし…もしも、願いが叶うならば…次は平和な暮らしを送ってみたい。
そして、彼女のような魅力的な人と家庭を持てたりしたら最高だ。







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