三日目のブルー
遠くへ。遠くへ。声が届かないほど遠くへ。仮初の夢だとしても、それでも───。
「おい」
「…」
「おい。死んでんのか」
「ふぁ……」
「おぉ、無事か」
(あ〜〜…温いなぁ、落ち着くなぁ…それに固い…──固い!?)
グワッと目を見開く。影が私を覆っていた。
逆光でよく見えないが、おそらくは自分を見下ろしているだろう男がいる。
無言で見つめていると彼は膝を組み替えた。私を抱き抱えながら。
現状の姿勢に驚き、急いで起き上がろうとした体勢を止められる。逞しい腕の中に留められ困惑しかない。
「無理に動くな。まだ顔色が悪い」
「え?ぁ?」
浜に打ち上げられていたんだと教えられる。
確かに身体は濡れ、視界の端には白波を立てる青い海が見えた。
「海?何で?」
「俺が知るか。まぁ小せえ無人島だ」
「へぇ…って無人島!?」
「あぁ。数分歩けば向こう側に着く。ちなみにおれァ遭難三日目だな」
「い、至って冷静ですね…」
「海賊やってりゃこういうこともある。で、嵐も無いくせにどっから湧いて出て来た」
耳を疑う言葉に、私の身体は緊張で強張った。
(海賊!?湧いて出た!?)
縮こまる私を見つつ、男は平然と側に置いていた瓶に手をやる。
一挙手一投足、液体を嚥下する喉仏すら私は観察した。
「海賊が怖いか?」
「えっと…緊張はしてますけど、まだ分からないです。貴方が初めてお会いした生きてる海賊なので」
「はっはっは!!そうか。そいつぁどうも」
機嫌良さそうに笑う彼は。
「おれはエドワード・ニューゲート。お前は?」
「遠野波澄です。同じく遭難者?です」
「ハスミか。それだけわかりゃあ充分だ」
「え?」
「飯取るぞ。付き合え」
髭も無く、私の知っている時よりも若いが。彼は記憶と変わらず懐はデカかった。
「釣れないですね」
「あぁ」
まぁ気長に待て。
彼の言葉に頷きながら、水平線の方を見る。
木の枝と植物の弦でこしらえてくれた釣り竿を時たま動かしながら、悶々と考える。
側面の壊れた舟。中に放置しっぱなしの見覚えのある武器。右手首の赤い腕輪。
何処から来たかも曖昧にしてしまったが、彼は聞いてこない。
「…エドさん」
「何だ」
「えっと──」
何て言おう。
「引いてるぞ」
「え!?」
ぐいと引っ張られる感覚に我に返る。
肩が脱臼するかと思うくらいの力に歯を食いしばって踏ん張るが、更に竿を引かれた勢いのまま身体ごと宙に浮いた。
「わぁあああ!!」
「おっと。こりゃぁ大物だな、手ェ離すなよ」
「が ん ば るぅううううう゛う!!」
太い腕が、海に落ちる前に私の身体を捕まえる。
釣り竿を握る手を包まれ、また彼の膝の上に乗せられた。
「一気に行くぞ」
「はい!」
腹の底から叫びながら、私は釣り竿を振り上げた。
「美味いな」
「はい!」
エドワード・ニューゲートは、波澄と二人で釣り上げた魚を食べていた。
あの後、魚を釣り上げ子供の様にはしゃぐ波澄と、笑いながら喜びを分かち合った。
遭難中にも関わらず穏やかに流れる時間に苦笑する。
無防備に体を預け続けてきた彼女に、もう彼は警戒していなかった。
しかし、穏やかな時間は終わりを告げる。
「あぁ!?」
「どうし…!?」
日が沈み、月が見え始めた頃。波澄の身体が透け始めていた。
己の身体の変化に叫び声をあげた波澄は、空に透かして腕を見たり触ったりと狼狽えていたが。徐に振り返ると壊れた舟に駆けていった。
「おい!」
後を追いかける。が、その小さな背中は舟のすぐ傍らで止まった。
妙な剣も彼女の身体と同様に透けている。舟だけが、何かを誘うように完璧に直っていた。
「…よかった」
身の丈以上もある大剣を持ち上げ、ハスミは此方を見て笑う。
「狭いけど、これでエドさんは島から出ていけるよ」
「お前ぇはどうすんだ」
「たぶん……夢から覚める」
「夢だと?」
「うん。でも残念だな」
「あ"?」
「エドさんと友達になれるくらい、もっと仲良くなりたかったな」
そして瞬きの間に、完全に消えてしまった。
「────返事くらい聞いていけ。アホンダラ」
その呟きを拾うものは、もう島のどこにもいなかった。