euphoria


One more love




...やばい。やばいやばい。
...生理が来ない。
ひと月前くらいから体調が優れない日が多かったけれど、ここんとこ本当に胃がやられてる。

正直気にしていなかった。全然気にしてなくて、村上くんのマネージャーの村岡さんと話している時にポロッと言ったら
『...それ、妊娠じゃないですか?』
と言われたから、急に怖くなってきた。...怖いなんて、言ったらダメだけど。

『私の友達は、着床出血が生理だと思ってて妊娠に気付かなかったらしいですよー』

...着床出血って、なに。
習った。習った記憶はあるけど、そんなに詳しくはわからない。
自宅に帰って慌ててネットで調べてみた。

...生理前位の時期の、少なめの出血。
......先月の生理は、そう言えば少なめだったかも。いや、でもそんなわけない。だってずっとつけてたし。
...あ、でも、最初から最後までずっとは、...つけてなかったかも。
し、しかも、...あの時、地方のホテルで章大が突然部屋に入って来た時は...つけてなかった。あれは確か...2ヶ月半くらい前。てことは...。

がちゃりとドアが開く音がして慌てて携帯の画面を消した。携帯はテーブルに置いて玄関へ向かうと『お邪魔しまーす!』と言って章大が靴を脱いで私に抱き着いた。

『...痩せた?』
「...そうかな、...わかんない、」
『調子悪そうやもんな。ちゃんと食うてんの?』
「うん、...まぁまぁ、」
『まぁまぁじゃあかんよぉ...。明日...は無理やな、...明後日!飯行こ!』
「...うん、」

章大は敏感だから気が抜けない。
私の体調が悪い時に、いつも最初に気付くのは章大だ。
ひと月前に気づいた時も、一緒に病院に行くと何度も何度も言うから、さすがにそれはまずいと断って駐車場の車の中で待たせたくらいだ。
暫くプライベートでは会えていなかったから、痩せたことにも気付かれてはいなかったのに。

『病院行った?そろそろ行かなあかんのちゃう?』
「...うん、」
『...一緒に、』
「大丈夫!一人で行ける!」
『...心配やんか、』
「...大丈夫、」

ソファーの隣に座っていた章大が、腰に腕を回して引き寄せキスをした。触れては離れて、角度を変えて何度も重なる唇が、この時ばかりは何もかも忘れさせてくれる。

『...今日は、いける?』
「...ん、大丈夫」

ゆっくりと押し倒されて素肌の上を章大の手が這う。
いちいち体調を気遣ってくれる章大のこんなところが大好きだ。...けれど、もし本当に妊娠していたら。...気付かれるわけには、いかない。

隣で眠る章大の寝顔を見ていたら、何だかソワソワして眠れない。こんな状況でも、もしかしたら私の中に小さな命が居るのかもしれないと思うと、愛しさが込み上げた。好きな人の子だ。嬉しくない筈がない。...けど。

『寝られへん?』

驚いてまた隣に目を向ければ、章大が私を見ていた。私の方に体を向けた章大の手が布団の中で動いて、体を這って私の手に重ねられた。

『胃が痛いん?腹?』
「...胃、かな、」
『ここら辺?』

お腹から胸の下までを行き来する手があまりにも優しくて章大を見ると、目は閉じられていた。

『...赤ちゃん、居ったりして』

瞼は閉じたままふふっと笑った章大を見ながら、早くなる鼓動に気付かれないように願った。
すぐに手が止まって寝息が聞こえてきたからほっとした。

どうしよう。
妊娠してたら、どうしよう。




今日は昼に取材があるだけ。
一度事務所に行くから、一旦章大を帰らせた。
昼前に迎えに行くと、何だかご機嫌な様子で車に乗り込んで来た。

「どうしたの?」
『別にー』
「...ふーん」
『今日体調良さそうやな』
「うん、」

ルームミラーでちらりと見ても、鼻歌を歌いながら携帯を弄っている。

『俺今日な、終ったら大倉と亮と飯行くから、夜行くー』
「...うん」
『すぐ終わるよなぁ?ランチ行きたいねん』
「多分終わる。...だからご機嫌なの?」
『んなわけないやろ!』
「OLみたいだね...」
『んふふ』

...楽しそうだ。
私はなんだか落ち着かない。章大を見ていると、本当に落ち着かない。

フラッシュを浴びている章大を見ながら、こっそり病院に行く決意を固めた。
どうしようもなく胸が痛い。罪悪感はどうしたって拭えない。けれどやっぱり、どう考えたってまずい。章大はアイドルだ。


二時間もしないうちに仕事をこなして、章大たちはテンションを上げて楽屋を出て行った。

『#name2#さん、ご飯行きません?』

村岡さんに声を掛けられて頷いた。何度も断っていたし、今日ならまだ食べられそうだ。病院にはその後に行けばいい。
二人で事務所に寄って、置いてあった自分の車で村岡さんに案内された店に向かった。

『あ、今日誘われたんですよ。大倉くんに』

ちょっとびっくりした。
何となく緊張してしまった。いつもと変わらないけど、私の心に余裕がない。

『あ、来たー。お疲れ様でーす』

手を挙げて挨拶した大倉くんは、まだ昼過ぎなのに酔っている。
目が合った章大は驚いた顔で私を見ていた。多分、私が来るとは思っていなかった、って感じ。

注文を終えてトイレに立つと、トイレから出たところに章大が立っていた。
どうしたの?と言う前に腕を掴まれて店の外へ出る。



『何してんねん!』
「...だって知らなかったんだもん」

眉を下げた章大が困惑を浮かべて小声で言った。

『ちゃうわ。みんな煙草吸うてんねんで?』
「...え?」
『赤ちゃん居ったらどうすんねんて』

心配そうに私を見る章大から目を逸らした。言葉が出なかった。
昨日ベッドの中で章大が言った言葉は、冗談だと思っていた。すぐに眠りに就いたし、覚えていないと思っていたのに。

『先病院行こ』

言い聞かせるように私の顔を覗き込んで言った章大は、優しい顔で私に視線を合わせた。

「...なんでそんな、笑ってられるの」
『嬉しいやんか!俺の子やもん』
「......わかんないよ、」
『......どういうこと?』

休みなく働けるくらい仕事が増えて露出も増えているこの時期に、どう考えたって大打撃。

「............、」
『...俺の子やろ?』
「............、」
『...何黙ってるん?...他の奴に抱かれたいうこと、?』

そんなわけないじゃない。
そうじゃない。どうしていいのかわからないってだけ。
...でも、そう思われた方がいいのかもしれない。私達の事は私達二人しか知らないし、私と章大が言わなければ、誰にも知られることはない。
やっぱり殺すことなんてできない。それなら、...一人で。

『...なんか言えや』
「...ごめん、」

俯いて足元を見つめた。章大の顔なんて見ていられない。

暫く沈黙が続いた後、小さな舌打ちが聞こえて章大が背を向けた。店の方に戻った章大に一度も目を向けられないまま、ただ立ち尽くした。

すぐに足音が聞こえて顔を上げた瞬間に手を掴まれた。引っ張られるように歩きながら前を歩く章大の背中を見ていると、前を向いたまま章大が言った。

『車やろ?どこ?』
「...手、離して、」
『言うたら離す』
「...あっち、」

少し先に私の車を見つけて手が離れた。章大が店から持ってきた私のバッグを漁ってキーを取り出すと、運転席に乗り込んだから助手席に回る。

心臓がすごい早さで脈打っている。
緊張してドアを開ける手が震えていた。

「...お酒、」
『飲んでへん。行くつもりやったし』
「...そっか、」

会話が途切れてエンジンがかけられた。無言のまま車が走り出して信号で停車すると、章大が私を見ている気がしたから息を呑む。
すぐに車が動き出して視線が外されたから、小さく息を吐き出した。

『...なぁ、#name1#』

さっきよりも優しい声色で呼ばれてちらりと目を動かす。顔は見ていないけれど、多分前を向いたままだ。

『俺な、もう心の準備してもうたんやんか』
「...どういう意味」
『昨日の夜赤ちゃん居ったりしてー、て言うたやん?そしたら夢見てん』
「...............、」
『めっちゃ嬉しくてな、パパになる準備、もうしてもうたからさぁ、...俺の子でええんちゃう?』

泣いてしまいそうで窓の外に目を向けた。
...何を言わせてるんだろう。どんな気持ちで言ったんだろう。裏切られたかもしれないと思っているのに、どんな気持ちで私にそんな優しい言葉を掛けられるんだろう。

『...今泣くなや。ちゃんとわかってから、嬉し泣きしたらな』
「......章大の子だよ、当たり前じゃない、...」

ふふっ、と笑った章大の手が伸びてきて、私の頭をくしゃくしゃと撫でた。

『せやろ?ほぼ毎日一緒に居るし、それはないやろー、て思てたけど、もしかしてメンバー!...とかちょっとだけ考えてもうた...』

バッグに入っていたタオルを顔に押し当てたまま、ごめんね、と言ったら、何も言わずにまた頭を撫でられた。多分、私の不安や戸惑いは全部伝わっていたと思う。

『行って来て。ほんまは一緒に行きたいけど、我慢して待っとく』

車が止まって顔を上げると、家の近所の婦人科だった。
章大がいってらっしゃいと手を振って私を見送るから、病院のドアの前でもう一度振り返って小さく手を振った。


病院のドアを開けてすぐ目に入った自分の車の中には、章大の姿がなかった。辺りを見回すと、少し離れたところでしゃがんで煙草をくわえている章大を見つけた。
近付くと私に気付いた章大が、携帯灰皿に煙草を押し付けて揉み消し立ち上がった。

何も言わずに口を開けたまま答えを待っている様子の章大に頭を下げた。

「...ごめん、妊娠、してなかった...」

少し間があってから『...そっかぁ、』と章大が言ったからゆっくり顔を上げた。苦笑い、というよりは残念そうに笑った章大が、私の手を引いて車へと戻った。

「...ごめん、ね、」
『ううん。ちょっと気が早かったなぁ』

不思議だ。堕胎まで考えてしまったのに、今こんなに残念で悲しい気持ちになるのは、何故だろう。

「...色々、ごめんなさい、」
『ほんまやで!もうやめてや!』
「...うん」
『...ほら、これからさ、ちょっとずつオープンにしてったらええんちゃう?メンバーとかにはさ』
「...無理でしょ、」
『けど、いつでも結婚出来るようにさぁ』

本当にできた男だと思う。
だから好きなんだ。
もし関係がバレても、いくら反対されても、章大を離してやらないと今は本気で思う。

『もう暫く、準備期間やな』

頭に添えられた手に撫でられながら、キスをした。




『......イカイヨウ?』
「胃潰瘍」
『...イカイヨウ...って、なんやったっけ...』
「胃に潰瘍ができるの」
『いやいや、説明なってへんわ。そのままやんけ』
「...ストレス的な?」

まだ誰も来ていない二人きりの楽屋で、別の病院での受診の報告をしていた。
それを聞いて溜息をついた章大が、ソファーに力なく座り込んだ。

『...癌とかやなくて、まぁよかったんちゃう、』
「ちょっと、...ひどくない?胃潰瘍だって立派な病気!」

入って来た渋谷くんがバッグを置きながら私達を見て、小さな声で挨拶をした。

『胃潰瘍なんや、#name2#ちゃん』
「そうでーす」
『妊娠してるんちゃうんか。残念やったなぁ』
「...その言い方、バカにしてる?」

笑っている渋谷くんを睨むように見て言ったけれど、私大丈夫?ちょっと動揺しちゃってるんだけど...!

『...まぁ、ほんまにそうなった時は、応援したるわ。....ヤス』

章大の肩に手を置いてドアを開けた渋谷くんが、振り返ってニヤリと笑って楽屋から出て行った。
目を見開いたまま二人で目を合わせた後『渋やぁーん!』と大声で呼びながら章大が慌てて楽屋を飛び出した。


End.

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