euphoria


フェイクキス


...仕事。ただの仕事だってば。
繰り返し自分に言い聞かせる。

目の前で繰り広げられるキスシーンは、これでもう何度目だろうか。アングルや照明にこだわって、何度も何度も繰り返されるそれを見て、こんな時だけはこの人を選んだことを後悔してしまいそうになる。

それでも目を逸らさずに見ていられるのは、何故なんだろう。不思議な気持ちだ。

『一旦休憩入れまーす!』

どうせなら今全部終わらせて欲しかった。いつまでこんな気持ちを引き摺らなければならないのかと、小さく溜息をついて顔を上げた。

章大は声が掛かってからも、明るい照明の真ん中でさっきまでキスをしていた女優さんと、まだ笑顔で今のキスシーンの話をしている。

『ほなまたあとでー!』

頭を下げてセットから出てきた章大は、私のことを見もせずに横を通り過ぎた。
けれど擦れ違った章大から、いつもの章大の香りがしたことに妙に安心感を覚えた。

本当にこのタイミングを恨む。
なんでよりによって昨日、喧嘩なんかしてしまったんだろう。いつものことだった。いつもならそんなに大きくなるような喧嘩じゃなかったのに。

あっちで椅子に座ってスタッフに笑顔を向けている章大を見ていたら、紙コップのコーヒーを啜りながら私に視線が移された。
けれどすぐに逸らされてしまった視線に、心の奥の方にチクチクと鈍い痛みを感じた。

これじゃあ駄目だ。いつも私情を挟むなと言っているのは自分なのに。
スタジオを出て楽屋に向かった。気持ちを、きっちり入れ替えなくては。

大きな鏡を前にしたら、情けない顔に嫌気がさした。深呼吸して顔をパシンと叩くと、心なしかマシになった気がする。
メイクを軽く直してグロスを手に鏡を見たら、丁度ドアが開いた。

「...あ、ごめん。...なんか、あった?」
『...別にない』

楽屋に入って来た章大は自分のバックを漁っている。
緊張、というか、気まずい空気が流れている気がして、何も言葉が出て来ない。

鏡越しに章大を盗み見れば、台本を手にして立ったまま目を通している。
メイクポーチをバッグにしまっていると、突然後ろから抱き着かれた。
昨日喧嘩になったのも『外では駄目』から始まったから、言葉に詰まった。

『...今日は言わへんの?』

返答に困って俯くと、章大の手が離れ解放された。

『...悪いの俺やん。...わかってるわ、...ごめん、』
「...私も、きつく言い過ぎたから、...ごめん、」
『...#name1#、』

外では呼ぶなと言っていた名前を、小さく呟くように呼ばれた。振り返ると抱き締められて、耳元でまた小さな声で囁く。

『...今は二人やから、許して。鍵、締めてある』

何も言えなかった。私だって仲直りしたかったし、何より、こうして欲しかった。
首筋に顔を埋めた章大が、鼻先を首筋に擦り付けるようにして更に強く抱き締める。

『...仲直りしたいなぁ思いながら、...なんで他の人と何回もキスせなあかんねん、』

同じことを考えてくれていただけで十分だと思った。
背中にゆっくりと手を回して、宥めるように抱き締めた。

『...ごめん、一回、リセットさして』

少しだけ体が離れてキスをした。一度離れて、もう一度触れる。どちらからともなく舌を絡ませた。柔らかく絡み合う舌に、鈍く痛んでいた胸が少しマシになった気がした。

離れて見つめられると、一度小さく息を吐いた章大が笑った。

『...見るな、とか言わへんで。さっきのは見て欲しくなかったけど、...今度はちゃんと仕事して来るから、見てて』

複雑だけれど、仕事だ。私情に捕われ過ぎていたさっきとは違う。だから大丈夫。


『ありがとうございましたー!』

チェックが終わってOKが出ると、監督やスタッフに頭を下げた章大が、私に笑顔を向けて楽屋へと戻った。

楽屋から出て駐車場に向かう二人きりのエレベーターの中で、章大が小さな声で言った。

『...昨日の分も、シよ。帰るまで我慢するし』

ちらりと私を見たから、わかったと頷いた。
エレベーターから降りて地下の駐車場を妙に足早に歩くから、後ろをついて行く。

ドアを開けると後ろに乗り込んだ章大が、急に私の手を引いて車内に引き摺り込んだ。倒れ込むようにして章大にぶつかると、そのまま抱き締められて倒したシートに押し付けられた。

「...ちょ、ちょっと!」
『大丈夫。カメラあっちやし』
「.............、」
『...ほんまはめっちゃ触りたい。今触りたい』
「...うん、」
『......おっぱいだけ、触らして、?』
「...だ、ダメ!」
『...............。』
「......キスなら、許す、」
『...ほんなら、舌入れへん』
「...もうそれ、信じないよ」

ふふっと笑った章大があまりにも幸せそうで、絡んだ舌に私自身も幸せを噛み締めた。キスの途中、胸に這わされた手に、やっぱりと心の中で呟く。

それでも、十分に心は満たされていた。結局今日もまた、彼を甘やかしてしまったけれど。



End.

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