片恋パラダイス
春って意外と寒暖の差が激しいから、風邪引きやすいらしいですよ。
昨日の昼休み、私の言葉を聞いてにっこりと笑い頷いた安田先輩。半袖のTシャツを肩まで捲り『ありがと。気をつけるな』と言って、サッカーに戻って行った。
私は肌寒く感じるくらいなのに、あんな格好で大丈夫かな。風邪、引かないかな。
...引いたのは、私の方だった。
昨日の“肌寒い”は風邪による悪寒だったのかもしれないと、今になって気付く。
顔が火照っているのに、時折ぶるりと身震いする程寒気がする。
保健室の扉を開けると、渋谷先生の目が私に向けられた。まだ何も言っていないのに、私の顔を見るなり体温計と冷却シートを渡され、利用者名簿を無言で指差す。体温計を脇に挟んで名簿に名前を記入しているうちに、体温計がピピっと鳴って取り出す。すると体温を確認する前に体温計を奪い取られた。
『平熱は』
「36.5...くらい...」
『微熱やな』
こちらに向けられた体温計には37.0℃が表示されていて、頷くとベッドのカーテンをひとつ開いて渋谷先生が言った。
『あと一時間、どうする?』
「帰っても親いないから、」
『ベッド使うならここな』
「はーい...」
常習者ではないから先生は緩い。ここで休んで、下校時刻になったら帰ろう。
ベッドではなく、半分カーテンが掛かった端のソファーに腰を下ろすと、忙しそうにテーブルのプリントや冊子を纏める先生をちらりと見遣る。
そっか。今日は研修だから、渋谷先生は6時間目はいないって朝聞いた気がする。
『なんかあったら職員室な』
「はーい」
慌ただしく保健室を出る渋谷先生を見送り、ソファーに深く腰かけて頭を預ける。
目を閉じれば、こめかみ辺りにドキドキと脈動を感じる。熱があるとわかれば、やっぱりどんどん体調が悪くなってくる気がするからしょうもない。
寝るつもりはないけれど体が重くて、ソファーに沈んで行くような感覚になって目を閉じてじっとしていた。
すると突然保健室の扉が開いて、金縛りが解けたように体を起こした。
「...あ、先輩」
覗き込むように首を傾けた安田先輩がカーテンから顔を出していたからドキリとした。目を丸くした私を見て、先輩がふふ、と声を漏らして笑う。
『頭痛薬貰いに来てんけど、渋やんおらんの?』
「今日朝言ってましたよ。研修らしいです」
唇を尖らせて3度頷いた先輩が、薬が入った引き出しを開いて中を漁る。
「...大丈夫ですか?」
『熱あるんやって?』
私の質問に答えることなく、逆に質問が返ってきた。視線は引き出しの中に落ちたままで、薬の箱をひとつ持ち上げてくるくると回しパッケージを確認しながら先輩が言った。
「え、あ、はい...」
なんで知ってるんだろう、と思ったけれど、教室を出る前に友達に「熱あるかも」と言ったことを思い出して納得した。
...ってことは、先輩、私の教室に来たってこと?
『早退する?するなら送ってくで』
「あ、いえ、...微熱なんで...」
『そうなんや』
薬の箱を引き出しに戻した先輩は、ソファーの向かい側のベッドのカーテンを開けてベッドに腰掛ける。あれだけ物色していたのに、薬も飲まずに。
だから期待してしまう。
頭痛なんて口実なんじゃないかと、私の様子を見に来てくれたんじゃないかと、自惚れてしまいそう。
火照っていた顔が更に熱を集める。熱、ますます上がったかもしれない。先輩のせいで。
『一時間ここ居るんや?』
「...あ、はい、」
授業開始のチャイムが鳴った。するとベッドから立ち上がった先輩が、時計を見つめてから私に笑顔を向ける。
『じゃ、帰り送ったるな』
胸が苦しくなったのは、風邪のせいだろうか。きゅんと締め付けられた胸の甘い痛みを抑えながら、精一杯笑顔を浮かべて頷けば、先輩がまたふにゃりと笑った。
すると踵の潰れた上履きを脱いだ先輩がベッドに横になる。
もう、授業始まったのに。
仰向けになって腕を伸ばし伸びをする先輩をきょとんとして見ていたら、先輩がふっと息を零して笑った。
『先生居れへんしここでサボろ』
トクリと心臓が脈打った。
緩んでしまいそうな唇を軽く噛むと、ますます体温が上がったように熱くなる。熱のせい、とは誤魔化せない程、きっと顔が赤いはず。
先輩から目を逸らし、照れ隠しに視線を窓の外へと向けた。すぐそこの薄いピンク色の桜の花弁が風に揺れて空に溶ける。
視線を感じて先輩にちらりと目を向ければ、起き上がって優しい笑みを浮かべ私を見ていた。
『...一人にするの、心配やし?』
言った後、ふざけたように笑う先輩は、きっと私の反応を面白がっている。恥ずかしい。...けど、それでも幸せ。
擽ったい胸を鎮めるようにまた外の桜に目を向ければ、私の前に立つ先輩に気付きドキリとする。見上げれば額を先輩の掌で包み込むように冷却シートをぴたりと貼り付けられた。
『熱上がったんちゃう?顔、赤いもん』
からかわれていたって、思わせ振りな言葉や行動をされたって、こうして先輩がここにいてくれるのだから今はそれでいい。
ポンポンと頭を撫でて離れた優しい手を、いつか追い掛けて捕まえられる日が来るまで、もう少し、幸せな片恋を。
End.
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