euphoria


bog off!!


一番先頭を歩く章ちゃんに、一番後ろから恨めしげに視線を送る。
左には男の子、右には女の子。不機嫌な私のことなんてお構いなしで笑っている章ちゃんを見ていたら、苦しくて堪らなくてその横顔から視線を逸らした。

向こうには海。章ちゃんの好みの街並。
当たり前に見慣れない風景。
これからも見慣れることはない風景。
明日から、章ちゃんだけの“日常”になっていく風景。
それが悲しくて寂しくて俯いた。アルコールが入って昂った感情のせいでますます苛立ち、泣いてしまいそうで唇を噛む。

いざ来てみれば、電車で一時間なんて意外にあっという間だった。
...でも、来なければよかった。こんな風景、知らないままでよかった。知らなければ、きっとこんなに痛くならなかったのに。

別れの駅までの道程を、隣に並んで歩くことすら出来ない。駅に着いてしまえば章ちゃんに見送られてみんなと一緒に電車に乗って、もう抱き合うことも、キスをすることも、暫くは出来ないのに。

“...だって、夕方まで居られるって、”
“みんな来てくれる言うてんねんから断られへんやろ”

あの時の章ちゃんの呆れたような顔を思い浮かべたら、いよいよ涙が零れた。

私の気持ちなんか知らないくせに。
一人残される私のことなんか、どうでもいいくせに。
...嘘。本当はそうじゃないことはわかってる。今まで何度も確認してきたんだから。転学したいと告げられた時も、章ちゃんが合格した時も、何かある度ちゃんと二人で気持ちを確認してきたのに、すぐにこんな風に卑屈になって拗ねて、自分に嫌気がさす。

涙を拭って顔を上げれば、みんなの背中は少し先にあった。一人だけ違う感情を持った私は、あの中できっと笑顔を作ることが出来ない。そう思うと、どうしてもみんなに追い付けずにいた。

俯いて、右の角を曲がった。さっきから向こう側に見えていた防波堤の方に向かって歩き出す。夜の冷たい潮風に小さく身震いしながらも、スヌードを口元まで上げて海を目指した。

...心配するかな。怒られるかな。
別にいいや、呆れられたって。どうせ明日から会えないんだし。...もう、充分呆れさせちゃったし。

防波堤に突き当たり海を眺めた。一面 真っ黒な泥のような水面に吸い込まれてしまいそうな気がして後ろを振り返ると、さっき抜け出してきた街の灯りに少しだけ安堵する。その灯りもアルコールの影響でふわふわと揺れて見えて、自分が思ったよりも酔っていたことに気づく。

...そっか。ちょっと飲みすぎたから、酔ってるからこんなにイライラするんだ。

自分に言い聞かせるように防波堤に背を預けてしゃがみ込み俯くと、ポケットで携帯が継続的に震える。それを確認することもないまま溜息を吐くと、ここに来る前のことを思い出してまた涙が滲んだ。



昨夜、思い出がたくさん詰まったアパートを引き払い、ボストンバッグひとつを持ってうちに来た章ちゃんは、いつもと変わらない様子だった。

隣に座って映画を観て、キスをしてそのままソファーでセックスをして、少しだけお酒を飲んで、明日もまだ変わらずここに居てくれるみたいに、普通に会話した。明日の話なんか一つもせずに、ただただいつも通りに。
それを幸せだと思う余裕さえないくらい、泣き出しそうな雨雲で私の心は覆い尽くされていた。

タイムリミットは16時。16時に駅まで見送って、お別れ。それまでは二人でくっついていたい。
だから朝目が覚めても章ちゃんから離れずに、ずっとベットの中で胸に顔を埋めていた。

まるちゃんからの電話が来たのは昼前で、電話を切った章ちゃんは私の様子をちらりと伺ってから言った。

『準備して。みんなと一緒行くから。送ってってくれんねんて』

意味がわからずぼんやりと章ちゃんを見上げる私に、章ちゃんが言葉を続けた。

『向こうまで行って送別会しようって』

思わず言葉を失った。だって、最後は二人でって...

『行くの?行かんの?』

黙ったままの私に流し目を寄越した章ちゃんは、そんな目をしながらもきっと私の心を見透かしている。

「...だって、夕方まで居られるって、」
『みんな来てくれる言うてんねんから断られへんやろ』
「...最後なのに」

呆れた顔をしていた。
...わかってる。私だって、ちゃんとわかってる。
私を大事にしてくれるのはちゃんと知ってるし、章ちゃんにとって大事な仲間は、私にとっても大事な人達なのだから、ちゃんとわかってる。
早く別れの時がきてしまったような気がしただけ。それなのに、そんなに呆れた顔しないでよ。私の気持ちに気付いてるなら、機嫌くらい取ってよ。

『拗ねんなや。はよ準備して』

私の部屋に別れを惜しむ様子もなく、キスも抱き合うことすらもなく、部屋を出た。
最後らしくない雰囲気を作ってしまったのはきっと私だった。

仲間が大事なのはいつものこと。でも、今日だけは違っていて欲しかった。私だって大事でしょ?みんなも大事だけど、本当は私の事も大事でしょ?
二人で居たかっただけなのに。



じわりと滲んで揺れた商店街の灯りを見てから俯いた。少し脇にそれただけで驚く程静かなこの場所を、少し怖いと思った。本当にこの世界にひとり取り残されたような気がしていた。
波の音だけしか聞こえないここは、目を閉じたらどこかに攫われてしまいそう。

我儘なのは充分過ぎるくらい認めている。一人で怒って拗ねて呆れさせて 、こうしてみんなにも迷惑を掛けて。
酔っていなければ、きっともっと自分を責めてるはず...と、酔いが回った頭でどこかまだ他人事のようにぼんやりと考えていた。

すると突然俯いた視界に現れた見慣れたスニーカー。また涙が滲んで顔を上げることは出来なかった。

『お前幾つやねん』

小さく溜息を吐いた章ちゃんが私の前を通り過ぎ、防波堤に背を預け私の横に立った。

『この歳で迷子とかふざけてるやろ』
「......なんで来たの」

探しに来ないわけないのに、わかってるのにまたこんなこと言っちゃって。それで泣くんだからどうしようもない。

『...なんやそれ』

また呆れたような声で章ちゃんが言った。
そんな声が聞きたいわけじゃない。自分のせいだとわかってる。最後はちゃんと、駅で笑顔で見送るはずだった。そう決めていた。

「あのまま、どっか行っちゃえばよかったのに、...」

最後は涙声になってしまった。絞り出すように言った声はか細く小さく波の音に消された。

『...やけにつっかかるなぁ。子供みたいやん』

少しトーンを上げて笑いながら章ちゃんが言う。
章ちゃんのせいじゃない。私を一人にするから。私を置いていっちゃうから。最後だったのに。最後の二人の時間だったのに。全部章ちゃんが悪いんじゃない。

『#name1#』

章ちゃんの手が私の腕を掴んで引いた。反射的にその手を振り払ってしまったことにも動揺して涙が零れる。

『...立てや、酔っ払い。面倒臭いねん』
「もー...どっか行ってよ、」

再び掴まれた腕をもう一度振り払うと、章ちゃんが口を噤んだ。暫くそこに立ち尽くしていた章ちゃんは、暫く間を置いてから呟くようにぼそりと言った。

『...どこ行けっちゅうねん...お前んとこ以外行くとこないし』

今まで聞いたことのないような声だった。消えそうに切ない波の音のようなその声に、思わず顔を上げた。流し目で私を見た章ちゃんは、今度はしっかりと私の腕を掴んで引き上げる。されるがままに立ち上がり、零れた涙と共に俯いた。

「...ごめん、」
『すぐ謝るなら言うなや』
「ごめん、」

どうしようもなく胸が痛いのは、離れるからではなくて、章ちゃんに悲しい顔をさせてしまったから。

腕を引かれて歩き出すと、すぐにぴたりと動きを止めて章ちゃんが振り返る。ちらりと視線を上げれば、睨むように私を見る章ちゃんと視線が絡んだ。

「...ごめん、」

三度目の謝罪の意味を考えるように章ちゃんの視線が海の方へ逸れた。

「...二人で居たかったの、最後だから、」

涙を堪えた情けない声に視線が戻って来る。すると口元を隠したスヌードを章ちゃんの指が下ろし、少し荒々しく唇が触れた。

『そんなんわかってるわ』

今度は私の手を握り、前を向いて歩き出した。少しだけ前を歩くその横顔にもう一度だけ言いたかった。

「...我儘言ってごめん、」
『ええんちゃう。お前の我儘、今日が初めてやし』

その言葉に涙が溢れた。
ずっと言えないでいた。章ちゃんの言動に呆れたフリをして何でもないフリをして、強い女のフリをして、今まで自分の本心を言葉に出来ずにここまで来た。その全てに気付いていたかのようなその言葉は私の胸を熱くした。

「...ごめん」
『...もうええっちゅーねん』

俯いていた足元が次第に明るくなり、波の音は賑やかな話し声に消されていく。まだ多くの人が行き交う繁華街で赤くなった鼻先を隠すようにスヌードを上げると、章ちゃんがさっき向かっていた駅とは反対方向に曲がって歩き出した。駅の方を振り返りみんなの姿を探すけれど、見知った姿はひとつも見当たらない。

振り返り私をちらりと見てまた前を向いた章ちゃんは、ぐっと手を引き私を隣に並ばせた。横顔を盗み見ると、僅かに口角が上がっているように見える。

「...みんなは、」
『駅やで』
「え、」
『もう電車乗る頃ちゃう』
「...じゃあ...どこ行くの、」
『俺んち』

また街の灯りと喧騒から外れ、ぽつりぽつりと街灯が灯る薄暗い住宅街の方へ向かう。

『なんでお前まで帰るつもりやねん。せっかくあいつら早く帰したのに』
「...だって明日は色々手続きが、って...」
『往復たった二時間やで。一緒に手続き回って、終わってからお前送ってっても余裕やろ』

その言葉に呆然とした。
章ちゃんは家を出る時からそのつもりでいてくれたんだろうか。そうだったとしたら、あまりに申し訳ない。
章ちゃんはこんなに二人のことを考えてくれていたのに、私は自分の心ばかり守るのに必死で章ちゃんの心を何ひとつ見ようとしていなかった。今更ながらそれに気付いて胸が締め付けられた。

そして、あんなに見たくないと思っていた“章ちゃんの街”の景色を、いつの間にか目に焼きつけるように眺めていた。

「...ごめん、」
『だからぁ、もうええっちゅーねん』

章ちゃんの横顔に視線を移せば、眉間に皺を寄せ面倒臭そうに私を見て溜息を吐き、急かすように手を引かれすぐそこのアパートの階段を上った。

初めて見る新しい章ちゃんの部屋に胸が高鳴る。鍵を開けた章ちゃんが私を中へ押し込み、玄関から部屋を覗く私の腕を掴む。

『ていうかここんとこ何回も最後最後言うけど、最後ってなんなん?』

電気も点けずに大袈裟に苛立ったように見せながら流し目で私を見た章ちゃんが、顔を近付けて不機嫌さを滲ませながら低く囁いた。

『...最後ちゃうし』

新しい部屋の中を見る間もなく壁に押し付けられ、髪を軽く引かれて思いの外優しく唇が重ねられた。
まるで私たちの始まりの日を思い出させるような玄関でのキスに、息苦しいくらいに愛しさが募り胸が高鳴った。


End.

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