euphoria


00.


『...なにそれぇ!なになに?どゆことぉ?』
『あは、やすくん食いつき過ぎ!そんなに興味ある?』
『あるやん、そりゃあ』

友人に呼ばれた酒の席で今日初めて会ったこの子は、某雑誌のモデルさんらしい。人懐っこくて喋り上手だ。

『だからね、エッチはしないの。一緒に寝るだけ。ほんとそれだけ』
『...そんなことあるんかなぁ...』
『あるの!エッチするの面倒臭いこともあるでしょ?だから草食系の男の子に添い寝してもらうの』

“ソフレ”
初めて聞いた言葉だった。
一緒に寝るけど、セックスはしない。
セックスをしない分、後ろめたさがない。
人肌恋しい時だけの、都合のいい関係。

『抱き締めてもらって安心して寝るの。干渉してこないし。独占欲もないし』

ふーん、と返事しながら煙草に火を付けた。煙を吐き出しながら、セックスが面倒臭いだなんて時代が変わったな、なんて他人事みたいに思う。そして頭にぼんやりと彼女を思い浮かべていたら、耳元に息が掛かったからちらりと視線を動かした。

『やすくんもソフレ、なってくれる?』

俺の耳に微かに唇が触れた。その後に俺を覗き込む整った顔。至近距離にあるそれに笑顔を向けて、煙草を咥えながら椅子に凭れていた体を起こす。

『俺は無理やわ。肉食やもん』

顔を背けてから吐き出した煙に視線を移す。笑顔を崩さずに俺を見ていたその顔は、さすがにプロのモデルだった。


店を出ると、次の店はどうすると話をしている友人たちの後ろで、服を引かれ振り返った。すぐに俺の手首を掴んで引いたその子を見ると、俺に笑顔を向けてすぐに前を向いた。
傍から見ても不思議な光景だと思う。自分より背の高い女の子に、男の俺が腕を引かれて歩いているんだから。
スタイルはいい。美人だと思う。この子の容姿は完璧だ。

『どこ行くん?』
『どこだろう?』
『いやいや、俺が聞いとんねん』
『どこ行きたい?』
『俺?家』

振り返ったその子が口元に笑みを浮かべていたから、言葉の選択を間違えたのだと自覚した。

『明日早朝ロケやねん。はよ帰って寝たい』

うん、笑顔がなくてもやっぱり美人。けどこの誘い方を見る限り、彼女が必要としているのは“ソフレ”ではなく“セフレ”みたいだ。

『今日はありがとうな』

彼女が掴む手をやんわりと解いて、ポケットに手を突っ込む。何か言いたそうな顔で俺を見ている彼女の手を逆に掴んで、握手。タクシー代にしては多いであろう金額。正直この子に渡すには勿体無い。でも送って行くリスクを考えたら安いもんだ。

背を向けたら俺の名前を呟くような声が聞こえた。有名になったのはいいけれど、街を歩きづらくてかなわない。SNSを開けば、すぐにでも俺たちのことが書き込まれているんだろう。
だけど痛くも痒くもない。後ろめたいことなんて何も無いのだから。




2週間ぶりに会った#name1#は、何だかとても沈んだ顔をしていた。離れた席からちらちらと盗み見ては、#name1#の隣をキープしている大輔をじとりと睨む。

気になっている。何がきっかけだったかなんて覚えていない。けど、何だか妙に放っておけない気持ちになってしまう。それは彼女を意識し始めたからなのか、そうであったから彼女が気になったのかは自分でもよくわからない。

『彼女出来た?』
『んーん』
『アイドルは彼女なんか作らないもんな』

大輔の言葉が冗談であることはわかっていても、さっきまでずっと#name1#を独占してベタベタしていたことも相まって少しイライラする。

『お前モデルと噂になってたじゃん』
『噂だけな』
『#name1#も恋してるみたいだしー、.......』

その後の言葉は耳をすり抜けていった。
そうなんや。まぁ、ええ歳やし?結婚してもおかしくない歳やもんなぁ。
...誰なんやろ、相手。...#name1#にあんな顔させる奴って、どんなやつなんやろ。

『なぁ、ソフレって知ってる?』

隣に座った大倉の一言で、みんなの視線は一気に大倉に集中した。同じく興味津々に大倉を見つめる#name1#を見遣って溜息をついた。

大倉の話を何となく聞きながら、話し掛けるタイミングを完全に失ってしまったことに少しがっかりする。
話しかけに行くことも出来ひんくらいショックやったかんかな、俺。カッコ悪。


『帰る?』
「...あ、うん」
『送ってくわ。近いし』

外に出てすぐに声を掛けた。何だか驚いた顔をされたけれど、約束を取り付けられたことにほっとしていた。けれど、次に見た#name1#の目が潤んでいたから、思わず頭に触れた。

『...どうした...?』
「.............、」
『...今日、元気なかったもんなぁ...休んでく?』
「...大丈夫」

顔を覗き込んだら顔を背けられたから、ゆっくりと#name1#の後を着いて行く。
今日は一度も喋ってなかったくせに『今日元気なかった』なんて、自分で言っておいて少し焦る。

『...なぁ、...泣いてるん?』
「泣いてない」
『ん、ならよかった』

涙が溜まっているように見えたし、顔を背けられたから気になっていたけど、それならよかった。それなのに、モヤモヤするこの気持ちは何なんだろう。

#name1#が何を思っているのかはわからない。けれど、みんなで居る時から時折見せる暗い顔の意味を想像してみる。

みんなと居ると紛らわされる負の感情が、一人の家に帰ってから孤独感と共に押し寄せるのは、何となく理解出来る。

『...なんかわかる気がする...。みんなと居って一人の家に帰るのって、なぁんか寂しなるよな』

隣に並んで#name1#を見れば、#name1#の目に涙はなかった。
小さく頷いた#name1#を見て、何だか少し胸が痛くなった。同時に妙な焦りに心を支配される。

「...じゃあ、ここで」

駅から少し離れたところで#name1#が言った。
...もう?ちょっと待って、まだ一緒に居りたいねん。

『同じ方向やねんから一緒に帰ろうやぁ』
「...私、電車だよ?」
『俺もやで?』

そう、タクシーなんて乗ったらすぐに着いてしまう。普段から電車なんて乗りなれている。電車なら、3倍程の時間は一緒に居られる。

「...電車、乗るの?」
『乗ったらあかんの?』

驚いたように俺を見ていた#name1#に笑顔を向けて歩き出した。
切符売り場で振り返れば、#name1#が定期を出していたから自分の分の小銭だけを用意する。

「...本当に乗るの?」
『なんでぇ?』
「...タクシーとか...」
『勿体無いやん』

...何だかちょっと嬉しい。好きな子と電車に乗るなんて何時ぶりだろう。学生時代のドキドキ感が蘇って顔がほころぶ。

ホームに立つと、向かいのホームの真正面に若い女の子たちが立っていたから、後向きに被っていたキャップを前向きに深めに被り直した。
すると、#name1#が妙に距離を開けて立つから、横に一歩踏み出して隣に並んだ。最近、妙に俺を芸能人扱いするようになった気がする。前は気になることもなかったから、最近そうされるようになったということなんだろう。

入って来た電車に2人乗り込んで扉の前に立つ。窓越しに#name1#を盗み見ると、俺を見ているみたいだったからドキリとした。その視線がずれて窓越しに目が合うと、驚いたような顔をしたから思わず笑みが零れた。

『何個目やっけ?』
「...5」
『そうかぁ』

本当は知っている。けど、何か話したくてわざと聞いた。降りる駅が近付くと、更に焦りが心に渦巻く。...一緒に居たい。

『あっこ、空いたで。座ったら?』

腕を掴んで空席の前で離す。ありがとう、と言って腰を下ろした#name1#の前に立って、スマートな誘い文句はないかと考える。切羽詰まった顔を吊革を掴む手で隠すようにして上を向けば、数日前に会ったモデルが広告の中であの時と同じ笑顔を浮かべていた。急に蘇ったあの単語と、さっき大倉が口にしたそれを繋ぎ合わせる。

...それしかない。#name1#には好きな奴が居るのだから、下心なんてないと思わせなければ。
...何より、今は一緒に居たい。

もう、頭の中は誘い文句が並んでいた。電車が停車して#name1#の隣に腰を下ろすと#name1#が言った。

「......降りなきゃ、」
『え?降りるん?マジ?』

え?降車駅はまだやろ?なんで?俺の予定、どうしてくれんねん。
振り返った視線の先でドアが閉まる。#name1#に視線を戻せば、口を覆ったまま俺を見ている。

『閉まった...し、もう動いた...』
「......あ、...ちがう、章大が、」
『え?俺ぇ?』

...あ、そうか、俺か。驚くのも当たり前だ。自分の中ではもう既に#name1#と降りることになっていたんだから。

『...なんやぁ...びっくりするやんかー』

緊張を紛らわすようにキャップを触り後向きに被り直すと、#name1#が周囲を気にするように見回したからモヤモヤが残る。

「...反対側、終電終わったよ...?」

...わかってるわ。帰らへんし。

『うん、タクシーあるし』
「...勿体無いって言ったくせに...」
『あは、ほんまやなぁ!大丈夫、歩いて帰れるー』

...帰りたくないねん。帰るつもり、ない。だって一緒に居りたいもん。
窓の外を見る#name1#の横顔を見つめる。...今やな。今しかない。

『なぁなぁ』

自分の早い鼓動を感じながら、ぐっと#name1#に近付いて、#name1#の耳に唇を寄せる。#name1#にだけ聞こえるように。他の誰にも聞こえないように。

『...アレさ、...してみる?』
「え?」
『さっき大倉が言うてたやつ』
「.............。」
『“ソフレ”』

#name1#を覗き込むと一瞬合った目がすぐに逸らされた。...失敗、だったかな。警戒されたんだとしたら、...絶望的だ。

『一人で帰るの、寂しいんやろ?』

自分で自分をフォローするように言った。

『俺もそれ、めっちゃわかるし。だったら2人で帰ってもええんちゃうかなーって』

目は合わせられなかった。
すぐに減速した電車のドアの前に立って、二人で電車を降りる。
今日がダメだとしても、不信感を取り除かなければ。そうでなくても俺は、#name1#の好きな奴より何歩も遅れているのだから、警戒されたままだと困るんだ。

『...ごめん』

顔を上げた#name1#がきょとんとして俺を見た。

『...変な意味ちゃうねんで?ただ、思っただけで、変なことしようなんか思てなくてな、』

下心やけど、...ちゃうねん。もっと純粋な気持ちやってん。お前の好きな奴の隣に、はよ並びたかっただけやねん。

『せやから気にせ』
「わかってる」
『え?』
「...お願いします」

ダメだと思った。引かれたと思っていた。まさか受け入れられるなんて、驚きを隠せない。

『...ん、ええよ』

自分から言い出したことなのに戸惑っていた。
ソフレってなんやねん...何をしたらあかんの?どこまでしてええの?
けれど#name1#の家へ向かううちに、考えてもわからないような細かいルールは、二人で過ごせる時間を想像したらすぐに吹っ飛んでしまったんだ。



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