00.
『...どうした...?』
「.............、」
『...今日、元気なかったもんなぁ...』
俯いた私の頭を章大が控えめに撫でる。
この恋に気付いてから、私は随分泣き虫になったみたいだ。
『...休んでく?』
「...大丈夫」
顔を覗き込まれたから慌てて歩き出した。その後ろからペタペタと私に着いてくる足音。それが私の隣に並ぶことはない。私が今顔を背けてしまったから、顔を見ないように気を遣ってくれているのかもしれない。
芸能人なのだから、根も葉もない噂なんていくらでも囁かれることくらいわかっている。章大のプライベートな部分を知っている私は、それらを嘘だと言い切れる、笑い飛ばせると信じていたのに。この気持ちが恋だと認めた時からそれが簡単に出来なくなって、涙が流れてしまうのは何故だろう。
...そうか。私は章大のほんの一部分しか知らないと気付かされたからだ。
今日の飲み会を前から楽しみにしていた。それなのに変な噂に惑わされてこんな気持ちになってしまうなんて。
折角『送る』と言ってくれたのに、涙が出てしまうなんて。
全部、章大の優しさのせい。...嘘。全部、私の弱さのせい。
『...なぁ、...泣いてるん?』
「泣いてない」
『ん、ならよかった』
後ろから聞こえた控えめな声は、ボソリと呟かれてすぐに消えた。
私のことなんて、家に帰った頃にはもう忘れてるくせに。私がなんで元気がないかなんて、別に知りたくもないくせに、よかっただなんてそんなこと言うから狡い。
...結局、涙の理由を知られても困るくせに、章大のせいにしか出来ない自分が一番狡いんだけど。
私の後ろを歩調を合わせて着いてくる足音すら愛しい。けれど今は同じくらい切なくて痛い。恋愛をしたことがないわけではないけれど、こんな気持ちは初めてなんだから戸惑う。
『...なんかわかる気がする...』
急にまた後ろから小さな呟きが聞こえたから、目元に触れて確かめてから少し振り向いてちらりと章大に目をやった。すると章大も伺うように私を見てから早足で私に並んだ。
『みんなと居って一人の家に帰るのって、なぁんか寂しなるよな』
その言葉に小さく頷いた。
すると章大が私を見て微笑んだ。
正確には“みんな”ではなくて、“章大”だ。
けれどそんな我儘言っていられない。私達は大人で、ただの友達で、章大は芸能人なのだから。
「...じゃあ、ここで」
終電間際で人が多いから、駅から少し離れたところで章大に告げた。すると章大はキョトンとして私を見ている。
『同じ方向やねんから一緒に帰ろうやぁ』
「...私、電車だよ?」
『俺もやで?』
「...電車、乗るの?」
『乗ったらあかんの?』
「.............、」
言葉を失った私に笑顔を向けて、章大が駅に向かい歩き出した。さっきとは逆に少し距離をあけて章大の背中を見ながらついて行く。
定期を出した私の手元を振り返って確認してから小銭を出している章大の背中に、もう一度問い掛ける。
「...本当に乗るの?」
『なんでぇ?』
「...タクシーとか...」
『勿体無いやん』
切符を手にして振り返って笑った章大が改札へと入って行った。
なんか変な気分だ。別れたくないし一緒に居たいけれど、一緒に電車に乗るなんて、なんか変。
ホームに立って、後ろ向きに被っていたキャップを前向きに深めに被り直して章大が俯く。
そんなに周りを気にするなら電車なんか乗らなきゃいいのに。送るなんて、言わなきゃいいのに。
少し離れたところに立つと、章大がちらりと私を見た。そして横に一歩踏み出して、腕が触れるほどの位置で隣に並ぶ。
...私と一緒にいるとバレても大丈夫なんだろうか。何より、今の行動によって心臓が煩い。
入って来た電車に2人乗り込んで扉の前に立つ。ちらりと章大を伺えば、窓の外を見ていた。そこから少し視線をずらすと、窓に映る章大が私を見ていて、目が合うとふっと笑った。分身の目が逸らされると同時に本物の章大の笑顔が私に向けられる。
『何個目やっけ?』
「...5」
『そうかぁ』
章大は3個目の駅。と言っている間に1つめの駅に到着した。降りる人に道を開けるためにドアから離れると、肘で腕を突かれる。
『あっこ、空いたで。座ったら?』
返事をする前に腕を掴まれ引かれた。空席の前でぱっと手が離れたから、ありがとう、と言って腰を下ろすと、章大は私に笑顔を向けて吊革に掴まり私の前に立った。
これを思わせ振りと呼ぶのは果たして大袈裟なのか。私が彼に恋をしているからそう感じるだけかもしれない。今の私は、章大の何気ない行動にさえいちいちドキドキさせられてしまう。
会話もないまま、章大が降りる駅が近付く。次第に減速していく車内で、次々に立ち上がる人々に何気なく目をやる章大を盗み見ながら、“バイバイ”のタイミングを見計う。重要なのは“またね”。
電車が停車して吊革から手を離した章大から一度目を逸らすと、目が合う前に私の隣に腰を下ろしたから動揺する。
「......降りなきゃ、」
『え?降りるん?マジ?』
驚いたように私を見てから振り返った章大の視線の先でドアが閉まる。目を丸くしたまま再び戻って来た視線が私で止まった。
『閉まった...し、もう動いた...』
「......あ、...ちがう、章大が、」
『え?俺ぇ?...なんやぁ...びっくりするやんかー』
眉を下げて笑った章大が、また帽子を後向きに被り直したから思わず車内を見回した。
「...反対側、終電終わったよ...?」
『うん、タクシーあるし』
「...勿体無いって言ったくせに...」
『あは、ほんまやなぁ!大丈夫、歩いて帰れるー』
“なんでそこまでしてくれるの?”は、聞きそびれてしまった。胸で忙しなく刻まれるビートのせいで、完全に冷静さを失ってしまったから。
平静を装って正面の窓に目を向けたけれど、窓に映った章大が多分私の横顔を見ているからますます落ち着かなくなってしまって俯いた。
『なぁなぁ』
触れた腕に体重を掛けるように章大が私を呼ぶ。少しだけ顔を横に向けて章大をチラ見すると、自分の口の横に手を添えた章大の顔が近付いてきたからドキリとした。思わず顔を逸らすと、章大の手が私の耳元に触れて囁かれる。
『...アレさ、...してみる?』
「え?」
『さっき大倉が言うてたやつ』
「.............。」
『“ソフレ”』
私から離れた章大が私の顔を覗き込んだ。一瞬合った目をすぐに逸らしてしまったのは失敗だったかもしれない。けれど、なんて言ったらいいかすぐにでも考えなきゃいけないんだから、後悔している場合じゃない。
『一人で帰るの、寂しいんやろ?』
確かにそう言った。さっきはそうだよって、頷いたけど。
『俺もそれ、めっちゃわかるし。だったら2人で帰ってもええんちゃうかなーって』
章大を見たけれど目は合わなかった。
すぐに降車する駅のアナウンスがあって章大が立ち上がったから、続いて立ち上がった。
先にドアの前に立った章大が私を見ることはないまま、扉が開いて外に出る。改札を出るとやっと振り返った章大が、伺うように上目遣いで私を見るから、そわそわがまたドキドキに変わる。
『...ごめん』
予想外の言葉に「え?」と聞き返したはずの言葉は声にならなかったらしい。
『...変な意味ちゃうねんで?ただ、思っただけで、変なことしようなんか思てなくてな、』
チャンスだと思った。下心がないわけではないけれど、ただ、一緒に居られるチャンスだと思った。
『せやから気にせ』
「わかってる」
『え?』
「...お願いします」
勇気を振り絞って発した声は震えていなかっただろうか。章大に“なんでもないこと”だと思わせることが出来ただろうか。
目を丸くした章大が沈黙の後に発した
『...ん、ええよ』
という承諾の返事を受けて、崩れ落ちそうな程足が震えた。
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ソフレ【添い寝フレンド】
(→Sleeping Together Friend)
肉体関係はなく、
恋愛感情を挟むこともない。
添い寝をするだけの男女の関係。
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