euphoria


Nihility Love


『Imitation love』すばるの未来。

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『...俺な、愛したれへんねん...誰のことも』

ふとした時にその言葉を思い出す。
あの日、酔って突然家に来て、何故そんなことを私に言ったのかはわからない。普段はクールなあの人が、私の前で初めて笑った。自嘲するみたいに、悲しく。
それが助けを求めているように見えて、思わずその体を抱き締めた。



『帰るわ』
「うん、...またね」

ベッドからすばるの後姿を見送った。男のわりに線の細い体は、また少し痩せたようにも見える。

すばるが家に泊まったことなど今まで一度もない。シャワーを浴びたらすぐに家を出る。シャワーすら浴びずに出て行くこともあるくらいだ。

すばるが出て行った玄関のドアが閉まる音がした途端、急に虚無感に襲われる。何度この感覚と戦ったかわからない。
施錠されていない玄関の鍵を締めに行く気力すらない体と心は、そろそろ限界を迎えようとしていた。



思い返せば不思議な関係だった。
前からバーで何度か見掛けていた彼が気になっていて、芸能人だと知った時は絶望したけれど、ある日私の隣に座ったすばるに誘われた。初めてセックスをしたのは半年以上前で、一度きり、だと思っていた。
電話番号を教えたことすら忘れてしまいそうなくらい時間が経っていた。

テレビですばるを見る度に、セックスしたのは私の都合のいい夢の中の話だったような気がして、不思議と割り切ることが出来ていた。

思いも寄らない電話が来た時は、頭が真っ白になった。
『今から行きたい』
そう言ったわりに、住所を聞いてきたすばるは、きっと私のことなど覚えていなかったに違いない。
30分程でインターホンが鳴り私の顔を見て、この時に初めて顔と名前を一致させたのだろうと思う。

彼の“平常”を知らない私には、彼の心が理解出来なかった。ただセックスがしたくて私のところに来たのか、他に何か理由があって来たのか、わからない。
それから度々家に来るようになった彼のそれが平常でないことが、次第にわかるようになった。

それでも、何があったのかなんて一度も聞いたことはない。私達は元々深入りしていいような関係ではないし、それをしてしまったらすばるがここに来なくなることくらい容易に想像出来る。すばるは聞いて欲しいなんて思っていないだろうし、だからこそ私に苛立ちをぶつけているのだから。

苛立ちを吐き出すように力任せに体をぶつけられても、何かを振り払うように酷く抱かれても、それでもよかった。その相手に私を選んでくれたのだから。それでいいと思っていたのに。

それなのに、考えてしまう。すばるを想えば想う程、余計なことまで考えてしまう。
彼をここまで苛立たせるものはなんなんだろう。...そう考えた時に、それは女でしかなかった。

誰も愛してあげられない、の本当の意味に気付き始めていた。

気付きたくはなかった。闇を持つ彼に惹かれていく自分を何とか抑えようとしたけれど、彼を何とか支えたいという気持ちはどうしたって治まらない。
苦しい。痛い。寂しい。
自分の感情には気付かない振りをして、すばると一緒に居た。

香水の香りを纏って家に来るすばるに、他に女がいることくらいわかっていた。私は最初からそういう女の1人なんだから。
けれど、香水の香りがしなくなってからも、すばるの目に色が戻ることはなかった。“寂しい”なのか“苦しい”なのかよくわからない、色のない瞳。





『...おい』
「...............、」

目を開けるとすばるが私を見下ろしていた。いつの間に寝てしまったんだろう。今日は激しいセックスをしたわけではなかったのに。

『...大丈夫か』
「...あ、うん」

私を労るようになったのはいつからだろう。
帰る支度を済ませたすばるを見て胸が締め付けられる。その気がないなら、ずっと冷たいままでよかったのに。いくら酷く抱いたって、私に罪悪感を感じることなんてないのに。どうせ今日も、私を一人にするんだから。

『...なんや』

思わずベッドに付いていたすばるの腕を掴んでいた。我に返って手をパッと離すと、すばるが私を真っ直ぐに見つめるから、私から目を逸らした。

『...なんやねん』

低い声が私を追い詰める。言い訳なんて出てきそうにないから首を横に振ると、髪をくしゃりと掴まれたからすばるを見上げた。同時に、落ちてきた唇が私の唇を食んで離れた。

『...おやすみ』

目を丸くした私から避けるように顔を背け、すばるが部屋を後にする。キスをした唇を掌で覆いながら、いつもとは違う感情で玄関のドアが閉まる音を聞いていた。

キスをしただけでこんなに胸が高鳴るなんて、思春期でもあるまいし。キスくらい今まで何度となくしてきているのに。
...だって、初めてだった。セックス以外ですばるとキスをしたのなんて、初めてだったんだから。

期待と不安が入り混じる心は、激しく乱されていた。優しさを感じる言動に浮かれる反面、自惚れることに怯える自分がいる。
期待を裏切られるのは怖い。これ以上心を抉られることが怖い。
強がって平気な振りをしていたって、心は普通の恋する女の子なのだから。



『...もしもし』
「...うん」
『今日、行くわ』
「............うん」

電話を切ってその場に立ち尽くした。
明日は彼の誕生日だ。勿論すばるに聞いたわけではない。彼の誕生日くらい、雑誌やネットを見ればすぐにわかってしまうのだから。

誕生日の前日の今日、すばるがここに来るということは、日付が変わる瞬間を一緒に迎えられるかもしれない。
けれど、そんな期待もすぐにわからなくなってしまった。
その瞬間を一緒に過ごしたとしても、その後彼はどこへ向かうんだろう。私を置いて、どこへ行って誰と過ごすんだろう。
...わかってたはずなのに。一瞬の期待ですらこんなに苦しくなることなんて。
私はつい最近まで“顔も覚えていないような女”だったなんて、最初からわかってたはずだったのに。


『...なんや...どうしたんや』

玄関を開けて部屋に入って来たすばるに何も言わずにすぐに抱き付いた。
突き放されることまで考えてはいなかった。ただ、持て余した想いに押し潰されそうで縋り付いた。
けれどすばるは、私を突き放すことはなかった。

玄関で立ち尽くすすばるに煽るようにキスをして舌を絡める。壁に追いやってベルトに手を掛ければ、その手を掴まれ逆に壁へと押し付けられた。離れた唇から震える息が零れると、すばるの目が射抜くように私を見るから目を伏せて唇を再び押し付ける。潤んだ瞳から涙が零れなくてよかった。

時間を稼ぐように何度もすばるを求めた。自分で腰を揺らすことも出来ない程疲労した体ですばるを受け止める。
私にはこれしかないのだから。そうしないとすばると一緒に居ることが出来ないのだから。



ギシ、とベッドが軋んで重たい瞼を持ち上げた。目に入って来た白いTシャツ。視線を上げればすばるが覗き込むように私を見ていた。
慌てて時計に目を向けると、時刻は23時55分。
思わずすばるに手を伸ばせば、戸惑うようにその手を見たすばるの視線が私へと移り、その手が包み込まれた。その温かさにじわりと涙が滲む。

『...ごめん』

低く消えそうな声で一言呟いてベッドに押し付けるようにキスを落としたすばるの舌が、柔らかく私の舌と絡んだ。
『ごめん』の意味なんか知りたくない。謝られたら最後のような気がしてしまう。

逃がさないように、すばるの手を握り締めた。絡めた指が解けないようにぐっと力を込めると、すばるの唇が離れて行った。
見上げると絡んだ視線はすぐに逸らされた。いつの間にか力の緩んだ指先からすばるの指が解ける。その手が恐る恐る私の頬に触れ再び視線が合わせられたから息を詰めた。

『...今日、ここ、居ってええかな』

何も言えずにただすばるを見ていた。
思いも寄らない言葉に、頭が上手く回ってくれない。

すると、すばるの携帯のバイブ音が部屋に響いた。けれどすばるの目は逸らされることなく私を見ていて、暫らくするとその音が止んだ。

『...一緒に、居りたい』

すばるの顔が涙で霞む。嘘みたい。信じられない。
まだ自惚れるのが怖くて、恐る恐る、様子を伺うようにただ一度頷いた。
すると初めて優しく髪を撫でたすばるの手に軽く引き寄せられてキスを交わした。優しく触れただけの唇が離れたところで、再びすばるの携帯が震える。苛立ったようにポケットから取り出した携帯の表示を確認したすばるが、通話ボタンを押した。

『なんやねんヤス、何遍もしつこいわ』

低い声で冷たく言い放った言葉に、電話の向こうの相手が笑った。

“えー?俺一回しか掛けてへんよぉ?”
『なんの用やねん』
“一番におめでとう言うとこ思て!ごめんなぁ?誰かと一緒やったぁ?”
『...彼女』

心臓がドクリと脈打って、胸がきゅっと掴まれたように苦しくなった。

“...え、.......えぇ!?”
『うっさいから切るで』
“え、え、かの、”

相手の声を容赦なく遮って終話ボタンを押したすばるが、携帯をベッドの上に放り投げて再び私の顔の横に手を付いた。目尻から零れ落ちた涙を掬うように指で拭って、優しい唇がまた私に触れた。すばるの言葉に胸がいっぱいで、次から次に溢れてくる感情が涙になって流れ落ちる。

『...もう泣くなや』
「................、」
『#name1#』

初めて呼ばれた名前にますます涙が込み上げた。宥めるように抱き寄せた腕は、心地よく私を抱き締める。

「...誕生日、おめでとう...」

すばるの口の端が一瞬ひくりと上がった。それを誤魔化すみたいに返事もせず噛み付くように唇を塞がれて、初めて目にしたすばるの微笑む顔に胸を刺す程の傷は甘い痛みへと変わった。


Happy birthday!!  2016.9.22

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