月のない真夜中に
視線を上げ、身長のわりに大きなその背中をちらりと見ると、タイミング悪くその男が振り返った。その冷たい色の目が眼鏡越しに私を突き刺すように見るから、思わず視線を逸らした。
落書きのようなペイントが施された不気味な壁や扉から更に目を逸らし俯くと、扉が開く重たい音がした。路地からも奥まった扉の中は暗く、深い夜の静寂の空間に、自分の手首を握り締める手に力が篭った。
扉を支えたまま私を黙って見ている男に、背中を押され中に押し込まれた。居心地の悪さにその場に立ち竦んでいると、扉を締めた男が先を歩き出す。少し距離を開けて恐る恐る付いていくと、先に彼が入った部屋で、煙草を咥えたまま拳銃を手にした男が私達の方に視線を寄越した。
怪訝な顔で私を上から下まで舐め回すように視線を往復させた目付きの悪い長髪の男から視線を逸らす。
『ただいま』
目の前の男は、私に話す時よりもトーンの高い声でヒラヒラと手を振りながらその男に言った。
『誰や』
長髪の男に聞かれても、ふっと笑った声が聞こえただけで言葉はなかった。
手にしている拳銃が気になってちらりと視線を向けたけれど、またすぐに逸らす。視線の端の男の鋭い視線に、目は合っていなくても鼓動が早くなる。
『誰?』
今度は向こうのカウンターに座る男が私を見て言った。ちらりと視線を上げると、上半身裸の男がショットグラスを手にして半笑いでこちらを見ている。
それにまた無言で手を上げるだけで応えた前の男は、足を止めることなくその男の前を通り過ぎた。足早に後をついて通り過ぎようとすると、その男に腕を掴まれて心臓が跳ねる。
私の顔を覗き込んで口の端を上げ、男が頬を撫でるからぞくりと肌が粟立った。
『トッポより俺の方がええんちゃう?』
煙草とアルコールの匂いがする唇が近付けられてドキリとする。瞬間、掴まれた肩を後ろに引かれ、唇が触れることはなかった。
『エース、やめたってや』
馬鹿にしたようにまた口の端を上げて笑った男が手を離すと、“トッポ”と呼ばれていたこの人の手も私の肩から離れ、また歩き出した。
私を一度振り返った“トッポ”は、さっき仲間に話していた声からは想像も出来ない程、やっぱり私に向ける視線は冷たい。
奥のドアを開くと、すぐそこにクルクルにパーマのかかった髪の男が立っていた。私達を見るなりふにゃりと笑顔になって、珍しそうに私を覗き込む。
『あ、かわいい。なになに?珍しいやん!』
すぐに“トッポ”がその男の胸を押して私から距離を作る。
思わず息を飲んだ。離れる瞬間、その男が残した血液のような匂いで、胸がざわざわと落ち着かなくなった。
『今日途中で消えたんはこうゆうことか!』
テンションも声のトーンも高い男をちらりと見上げる。けれど、とても人を殺すようには見えない。視線を落とすと、手の甲から腕にかけて伸びる古い傷跡のようなものを見つけて慌てて目を逸らした。
「声でかいて」
『ペット連れ込むとマックに怒られんで!』
ペット。その言葉で思い出した光景に胸が苦しくなる。
面倒臭そうに頷いて男をあしらった“トッポ”は、私の腕を乱暴に掴んで歩き出す。すぐそこのドアを開けて中へ押し込まれると、ふわりと香水のような香りに包まれた。ドアの鍵を締める音を聞きながら薄暗い部屋を見回すと、小学生の頃に理科室で見たことのありそうな道具や、粉や液体が入った瓶が棚一面に並べられている異様な光景に思わずゴクリと喉を鳴らした。
香りのわりにインパクトのあるその風景にまた鼓動が早くなっていくのを感じていた。
『...で、なんであんなとこ居ったん?』
腕時計を外し、薬品らしきものが入った瓶の横に乱雑に置きながら低い声で問われる。
「......“トッポ”...?」
鋭い流し目で私を見た男は、呆れたように溜息を吐いてスーツを脱いでいく。
『こっちが聞いとんねん。...なんであそこに居った?』
シャツのボタンを外していく姿を見ながら、バクバクと心臓が暴れ出す。
『...おい。なんでや』
露わになった肩の傷を見て、これ以上ない早さで心臓が脈打つ。それだけは今まで思い出さないようにしてきた。一年前の光景がフラッシュバックする。
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