世界一うつくしいあなたへ



14days「ケーキバースでカーヴェ」

(夢主ちゃんがフォーク🍴でたまたまケーキカーヴェを見つけてしまいそこから味覚を感じなく予備殺人者と呼ばれ迫害される夢主を哀れに思い涙などを与えたり迫害されてる夢主を守ったりしていくうちに自分に生きてる意味をくれる夢主ちゃんの事が好きになり暫く過ごしていくうちに自分がいないと外に出歩くことさえ怯えてできない夢主ちゃんに自分が居ないとこの子は生きていけない事に少しの高揚感を覚え始めるカーヴェ
そんなある日夢主ちゃんがこのままじゃ迷惑かけるとカーヴェ離れをしようとするのですがそんな事をカーヴェが許すはずもなく
いきなりDキスをしてくるカーヴェ
涙と比べ物にならない程の甘みが口内に広がり混乱する頭と激しいキスのせいで酸欠になりその場にへたり込む夢主ちゃんを前から作ってた監禁部屋へとご招待ようやっと酸欠と過剰な甘みから来る朦朧とした意識から回復した頃には手枷か足枷か両方かが着いており暫くは1日に三食の規則正しいご飯とトイレやお風呂はある程度の長さがあるので1人でできるがこれまでカーヴェのおかげで幸せな甘味(涙)があったがなんの味もしないただの栄養補給 空腹を満たすための作業とかしてしまった食事は時期にお腹は減っていないのに急激な飢餓状態へと代わりついに自分を閉じ込めた張本人の名前を呼んでしまった暁には美味しいご馳走が待っているでしょうね[V:9786][D:65039])(原文)






 大好きなのは甘い甘いショートケーキだった。ふわふわのスポンジに、口の中で蕩ける生クリーム、そして甘酸っぱい苺のハーモニーが堪らなく好きだった。だから、彼女はは好きなものを問われた時にいつも同じ言葉を唱える。大好きなのは、白くて甘いショートケーキ!
 その日は友人とカフェでお茶をすることになっていた。メニューには大好きなショートケーキがあったので、注文をする。和気藹々と談笑をしていると、やがて手元に注文したショートケーキが届いたので、思わず口元が緩むのが分かった。
 フォークを手に取り、白い胴体をそっと切り分ける。フォークの上に載せた甘いご褒美の味は想像できていたので、舌にある味蕾を優しく溶かしてくれることを期待して口の中へ誘った時、彼女はぱちくりと瞳を瞬いた。
「あれ? お砂糖を入れてないのかなあ。全然味がしないよ」
 ――その時、眼前に座っていた友人の顔が凍りついた。
 その顔を見て、彼女は自分が言ってはいけないことを告げてしまったのだと悟り、さあと顔を青くした。


  

世界一うつくしいあなたへ





  1

 初めはただの同情だった。彼女は悪いことなど何もしていないのに、どうしてこんなにも迫害をされなければならないのだろう、と。
 カーヴェが彼女と初めて出会ったのは、スメールシティのバザールだった。その日の彼は新しい珈琲豆の買い出しに出ていて、彼女を見つけたのはちょうど望みの豆を購入し終わったその帰りのことだった。これで目的は果たしたと満足気に帰路を辿っていた時、彼はふと街の一角、ちょうど建物の影に隠れるところに蹲る人影を見つけたのである。普通の人間であれば素通りしているようなところだったが、彼はドがつくほどのお人好しであったが故に、その人が具合を悪くして座り込んでいるのかもしれないと心配になり、そっとその座り込む人の元へと近付いて声を掛けた。――その相手が、彼女≠セった。
 その人は深くまでフードを被って顔を隠し、具合が悪そうに喉を抑えていた。カーヴェが優しく肩を叩き、どこか具合でも悪いのかと声を掛けると、びくりと大袈裟なほどに身体を震わせ、怯えたようにカーヴェを見上げる。そうしてカーヴェを視界に認めると、その人の細い喉がこくりと小さく動いたのが見えた。そう思った直後に、まるで雪山で凍えている人のようにぶるぶると小刻みに身体を震わせるので、その異様さに彼も驚いて、座り込むその人の前に膝を付き、優しく肩に手を置いた。
「お、おい……どうしたんだ? 寒いのか? 大丈夫か……?」
「っぁ、……ぃで、……ら、ないで」
「え?」
「ち、ちかよら……ちかよらないで……」
 俯き、ふるふると首を弱く横に振りながら、小さな声でそう懇願してくるので、カーヴェは困ってしまった。一体どうしてその人はここまで怯えているのか、どうして助けを突き放そうとするのか。その人の態度が理解できず、不可解に眉を寄せた時に、ぼそりとその人が泣きそうな声で何かを呟いた。
「お、おねがい、おねがい……します……。わ、わたし、が、あな、あなたを、た、たべる、たべる、まえに……はなれて、ちかよらないで、おねがい……!」
「食べる……?」
 カーヴェは訝しんだ。そして、すぐにある考えが思い立つ。
「……あなた、もしかして……フォークか?」
「!」
「それから食べるということは……僕は、ケーキ?」
「あっ……あっ……あっ……!」
 カーヴェの言葉にその人が動揺したように大きく身体を跳ねさせたので、彼は自分の考えに確信を得た。
 フォーク。それは、このテイワットにおいてはあまりいい意味を持たない、一部の人間が後天的に得るある特性だ。テイワットにおいて、男性と女性といった、性別という大きな括りの他に、フォークとケーキという第二の性が存在する。最も、大半の人間はその性を持たないものが多く、神の目を有する人間のように一部の人間しか持ち得ない性質ではあるが、確かな特性としてこのテイワットに存在していた。
 フォークとケーキ。その名の通り、それはカトラリーのフォークと、スイーツのケーキから名前が取られている。簡単に言ってしまえば、フォークはケーキを食べる者であり、そしてケーキはフォーク食べられる者だ。フォークの人間は味覚を感じず、すべての食事に対して強い忌避感を覚えるが、そんな彼らにも唯一味を感じる食材が存在する。それが、ケーキ=B味覚を失った彼らにとって、ケーキは極上のご馳走≠セ。ケーキの頭の先から足の爪先に至るまで、彼らが分泌するすべてがフォークにとってのご馳走であり、フォークはケーキを捕食したいという強い衝動に駆られてしまう。故に、フォークはケーキを食べてしまうのだ。それは、文字通りの意味で。
 要は、フォークはケーキ限定の食人鬼なのである。故に人々はフォークを恐れる。彼らがケーキを食べてしまうからだ。そして、ケーキであることはケーキ本人には分からない。ケーキがケーキ≠ナあると感じ取れるのは、彼らをご馳走だと感じられるフォークだけ――一般の人々にとって、フォークは自分を食べてしまう可能性がある恐ろしい食人鬼だ。故に、このテイワットにおいてフォークは忌み嫌われる傾向がある。予備殺人鬼≠ナあると。
 カーヴェは、眼前で異様なまでに怯え震えるその人を眺めた。そして、どうしてその人が怯え、人から隠れるように蹲っていたのか、その理由を理解する。自身がフォークであるが故に、姿を見せないようにとしていたのだろう。ケーキは先天的なものであるが、フォークの多くは後天的にその性を発現する。彼は、その人がどのような目に遭ったのかを想像して、憐れに思った。フォークであるというだけで迫害されてしまうのは、このテイワットにおいて珍しい話ではないからだ。
「ごめ、ごめんなさいっ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「あ、謝らないでくれ。あなたはまだ僕に何もしていない。何をそんなに謝る必要があるんだ?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、わたし、わたし、わたし……」
 ぶるぶると震えながらその人は延々と謝罪をし続けるので、カーヴェは宥めるようにその背を優しく撫でてやる。そうすると、より一層震えが強くなるので、カーヴェはその人が今までどんなことを言われて、どんなことをされたのかを考えて悲しく思った。
 正直なところを言うと、カーヴェはその人と出会うまではフォークに対してあまりいい印象を抱いてはいなかった。何せフォークというものは、テイワットの歴史においてもケーキを食べてしまう恐ろしい存在として描かれている。そして現在に至っても、聞くも無惨な猟奇的な事件の犯人は大抵フォークであることが多い。カーヴェの思考は至って平凡なものといえるだろう。普通の人間であれば、フォークは恐ろしい生き物に映るだろう。衝動を抑えることができず、ケーキ――同族を手にかけてしまうのだから。本能、特に人間に備えられた三大欲求である食欲を強く刺激された人間は何物よりも恐ろしいというのは歴史が強く証明している。いつ自分を喰らうかも分からない食人鬼と生活することなどは誰だって嫌悪する。故に、フォークは疎まれる。やがて本能に負けて人を喰らうかもしれない恐ろしい存在であるから。
 だがしかし、カーヴェは自分がケーキであると知っても、この眼前の憐れなフォークを厭い遠ざけようと思うかというと、そうではなかった。むしろ、このフォークの力になってやりたいと思った。何より求めるケーキが目の前にいるというのに、その存在に怯えて、小さく縮こまって震えているのだ。こんなにも脆く弱い存在がどうしてカーヴェを手にかけることができるだろう? それは男女差という面においてもそうであるし、眼前の気弱な一面を見れば恐怖よりも先に心配の方が勝る。
「大丈夫……安心してほしい。僕はこのことを誰かに言うつもりはないし、マハマトラに突き出したりもしない。それに、あなたのことも恐ろしいとは思わない。大丈夫、大丈夫……」
「っヒ、ウ、うう……」
 背中を優しく撫でると、その人は口を押えて身体を丸め、嗚咽を零して泣き始めた。それがあまりに可哀想で、カーヴェは眉を下げて傍で慰めてやる。しかしそれが一層その人を苦しめるようで、カーヴェの手から逃れるように身体を丸めて小さくなった。
「怖くない……怖くないよ。大丈夫……」
「は……っはな、れて、はなれてよう……」
「そう怯えなくても平気だ。僕はあなたがフォークであることを誰かに言うつもりはないし、ビマリスタンに送り込むこともしない」
「う、うう……」
「……すまない。こんな言葉、信じてもらえないと思うけど……あなたにとって不都合なことは何もしないと約束するよ」
 カーヴェが優しく寄り添うようにそう語りかけると、その人がばっと顔を上げた。
 その時、フードの中に隠れた顔が顕になる。大きくて丸い瞳を涙で滲ませたその人は――彼女は、わなわなと唇を戦慄かせながら、小さな声でカーヴェに必死に訴えた。
「わ、わたし、フォーク、ですよ……?」
「? うん。それがどうかしたかい?」
「あ、あなたは、わたしにとって、け、ケーキ、で……こ、こわくないんですかっ?」
「怖いって……どうして? あなたの方こそ、僕が怖くないか? 突然話しかけてきたわけだし……」
「ちっ、ちがう。わたしは、フォークで、ケーキを食べる殺人者≠ネんですよ!? あ、あなたは、わたしに、食べられてしまうかもしれないのに……!」
 カーヴェは彼女の言葉に、こてりと不思議そうに首を傾げた。
「……あなたは、僕を食べるのか?」
「た……食べません! たべたり、しない、けど……」
「なら何も心配する必要はないよ。フォークは確かに自身の欲求を抑えられずケーキを食べるという事件を起こしているが、君は今飢餓状態にあるにも関わらず僕を襲おうとせず、むしろ遠ざけようとしている。何も恐れる要素がない」
 カーヴェは、自分は何も恐れていない、何も怖がる必要はないのだ、と言葉や態度で彼女に真摯に伝える。すると、彼を窺うように見つめていた彼女の表情がぐしゃりと歪んだ。きっと彼の気持ちが伝わったのだろう、彼女はぼろぼろと目尻に溜まった涙を零し始めて、両手で溢れる涙を拭いながら、ぽつ、ぽつ、と降り始めた雨のように呟いた。
「わ、……わたし、わたしっフォークじゃなかったんです。で、でもある日、だ、大好きなケーキを食べた時に、あ、味がしなくて、だから、きっとお砂糖を入れてないんだと思って、つい、つい言っちゃったんです。お砂糖入ってないのかな、って」
「うん」
「そ、そしたら、わたし、フォークになっちゃったから味覚がなくなっちゃっただけだった! と、友達は、わたしを怖がって……職場からも、
予備殺人者なんて置いておけない≠チてクビに、されちゃって……」
「……うん」
「う、うう……わ、わたし、ひ、ひとり、ひとりぼっちに、なっちゃった……!」
 彼女はそうしてさめざめと泣き始めた。
「あ、味がしないんです。何を食べても。美味しくなくて、食べた時の感触も、気持ち悪くて、何度も吐き出した……」
「うん」
「で、でも、でも、食べないと生きていけないから、買い出しに外に出たんです。でも……」
「……気持ち悪くなってしまった?」
 カーヴェの言葉に彼女はこくりと頷いた。それを見て、カーヴェは彼女を酷く憐れに思った。こんなにも善良で優しい人が、どうしてこんなにも苦しまなければならないのだろう? 確かにフォークは恐ろしいものだ、だが、すべてのフォークが恐ろしい存在ではないことは彼女を見れば分かることだろうに。職場を追われ、周囲の目から隠れるようにひっそりと生活し、自身の中の欲求と飢餓に苦しみ、会い詰められている……彼は、彼女の力になってやりたいと思った。彼女の苦しみを少しでも和らげてやりたいと思った。
「……ここだと人気があるから、少し場所を移動しよう。あなたの家はどこに?」
「えっ……」
「何もしない。ただ……どちらにせよ、あなたは家に戻らなくてはならないだろう?」
 そこでカーヴェは戸惑う彼女を少し強引に説得し、彼女が倒れたりしないように支えながら彼女を彼女の住む家まで連れて行った。そこはシティの隅の方にある小さな家で――閑静な住宅地の中にあった。元々ここに住んでいたのか、それともここへ引っ越したのかは分からないが、日用品などが売っているバザールまでは遠く、利便性があまりいいとはいえない。飢餓状態に陥っている彼女があのバザールまで歩いていくのは相当体力を消費したことだろう。なんとも痛ましい現実にカーヴェは胸を痛めた。
 彼女の家へと入ると、カーヴェは彼女をソファに座らせ、自身もすぐ隣に腰掛けて彼女と向き合う。そして、カーヴェは告げた。
「なあ、君にとって僕はケーキなんだろう?」
「は、はい……」
「美味しそうに見えるかい?」
 カーヴェがそう訪ねると、彼女は息を飲んだ。彼女は言葉に躊躇い何も言わなかったが、しかし、カーヴェを見つめた時にきゅうと瞳孔が猫のように細くなり、こくりと喉が動いたのが答えだった。
 カーヴェはそれを見て、穏やかに微笑む。怯えさせないように、怖がらせないように、努めて優しく。そして。
「食べていいよ」
 ――カーヴェは、彼女の苦痛を和らげるために、ケーキとしての自身を与えることを選んだ。それに、彼女が目を大きく見開いて、首をぶんぶんと横に振った。予想していた反応にカーヴェは彼女の肩に手を置き、宥めるように言い聞かせる。
「別に僕の肉を食べろって言ってるんじゃない。確か……フォークはケーキの体液でも味覚を感じたはずだ」
「そ、そんな……でき、でき、ません……!」
「でも君はどうする? そのまま食事を拒絶していたら、君の命が危うくなる。それなら、ここは割り切ってケーキを食べた方がいい」
「だ、だめ……! あ、味を覚えてしまったら、わたし、あなたを食べちゃうかも……!」
「あなたが? 大丈夫だよ。僕はあなたに簡単にやられてしまうほど柔くない」
 そうして、カーヴェは彼女の頬をわざとらしく指でなぞった。すると、彼女の眼球がぐるりと手の方を見て、は、は、と犬のように荒い呼吸をし始める。鼻腔を刺激するケーキの匂いに、彼女の中のフォークが刺激されていることは言わずとも分かることだった。きっと今彼女は葛藤しているのだろう。食べないように、食べないようにと必死に自分を堪えている。自分から皿の上に乗ってやってきたケーキを前に、彼女の食欲が本能と理性の間をぐらぐらと揺れ動いていた。それから彼女はぎゅうと目を瞑り、必死にその欲求に耐えようとする。それを見て、強情だ、と思った。そして同時に、こんなにも強い精神を持つ彼女が迫害されていいはずがないと確信した。
 カーヴェは、身に纏っていた火を浴びた鳥の優美な姿を模して作られた衣装をそっと脱いで、ソファの端に置いた。そして、カーヴェは目を瞑って耐える彼女の頬に両手を添え、目を逸らすことは許さないとばかりに意識を自信に向けさせる。突然与えられた感触に目を見開いた彼女は、眼前の光景に目を見開き、そしてごくりと大きく喉を鳴らした。
「腕は……仕事で使うから。ここなら噛んでいいよ」
 彼女がカーヴェから目が離せないでいるのを確認してから、カーヴェはわざとらしくシャツを開いて、小さく首を傾げて首元がよく見えるように見せつけた。
 彼女の目が揺れている。じわりと汗が滲んで、開いた口から涎がつう、と顎を伝っていく。まるで夢を見ているかのようにぼうっとしながらカーヴェの首元を見つめて、そして彼女のお腹が可愛らしい空腹の鳴き声を鳴らした。
「ほら、来て」
「あ……」
 カーヴェが彼女の腕を引き、優しく自身へ誘導してやると、光に誘われる蛾のようにふらふら、よたよた、とカーヴェへと彼女は近付き、その小さな身体でカーヴェに抱き着いた。カーヴェが優しくそれを受け止めてやると、彼女がカーヴェの首元に顔を埋める。カーヴェの匂いを嗅いでいるのか、そこですう、と大きく息を吸うので少し擽ったかった。カーヴェが彼女を安心させるように優しく背を撫でやると、彼女の背中が僅かに震えて、それから、ぬるりとした感触が首元を舐め上げた。
「あ、ぅん、ん……」
「……っん……」
「はあっ……、ん、はぁ、はぁ……」
 甘い吐息が首元をなぞる。ちろ、ちろ、と小さな舌が猫のようにカーヴェの肌を一心不乱に舐めていた。時折甘噛みをしたり、吸ったりしては、自身の中の欲求を満たしていく。フォークである彼女にとって、ケーキたるカーヴェの身体は甘美なご馳走だった。それも、彼は彼女の好物であるショートケーキの味だった! 久方振りともいえる味≠フする食事に、先程まで抱えていた葛藤も忘れて彼女は夢中になってカーヴェに貪りつく。
 自ら彼女を誘ったとはいえ、そんな彼女の背徳的な姿にそわりと胸に不思議な感情が沸き上がる。彼女の背を撫でながら、甘い声を上げて喜びに震える彼女を純粋に可愛らしいと思った。そして、これで彼女の飢餓が和らぐのだとも。はあ、はあ、と甘い声が部屋に響いている。カーヴェは自身に縋りついて食事≠している彼女を優しい瞳で見つめていた。
「あ……おいし……」
 ――一体どれだけそうしていただろうか? やがて彼女がカーヴェの身体から離れると、陶酔したように顔を赤らめて、ぽつりとそう呟いた。しかしそのまま身体を起こしていられなかったのか、こてりとカーヴェに身体を預けると、はあ、と満足気に息を吐く。カーヴェはよくできましたと褒めるように彼女の頭を撫でてやった。すると彼女は気持ちよさそうに腰を僅かにくねらせてすっかり身体をカーヴェに預けるので、カーヴェはそれを愛らしく思って彼女の頭をそのまま撫で続けた。
 しばらくそうしていると、とろんとしていた彼女の瞳がぱちりと開かれ、そしてばっとカーヴェから起き上がると、慌てた様子で「ごめんなさい! わたし……!」と大きな声を上げた。
「ふふ、気にしないでくれ。それより、満足した?」
「あ、その、おかげさまで……じゃなくて! ご、ごめんなさい! ごめんなさい! わたし、わたし、なんてことを……!」
「いいんだ、謝らないで。あなたの力になれたなら、それ以上のことはない」
 どうやら彼女はカーヴェの肌を舐めたことで自身のフォークとしての欲求が満たされたらしい。先程とは打って変わって、理性の光が灯った眼でカーヴェを見据えるので、カーヴェは安堵に瞳を細める。
 これで少しは彼女の苦痛も和らぐだろう。味覚を感じられないフォークの苦しみはカーヴェには分からないが、彼女の回復した姿を見て自分の選択は間違ってはいなかったのだと安心した。しかし、そう思うと同時にカーヴェの中には懸念があった。これはあくまで一時的な処置であり、根本的な解決にはならない。カーヴェがこのまま彼女を放置してしまえば、彼女はまた飢餓に苦しみ、同じ運命を辿るだろう。フォークの欲求を治す術は現時点では存在しない。結局のところ、フォークを満たすには継続的なケーキの摂取が必要なのだ。
 カーヴェは真剣な眼差しで彼女を見据えた。すると、カーヴェの雰囲気が変わったことを察知して、彼女もまたじっとカーヴェを見つめる。
「……それより、あなたはこれからどうするんだ?」
「え?」
「あなたはフォークだ。味覚を感じられない以上、また同じことを繰り返してしまうだろう」
「で、でもわたし、わたし、人を……」
「食べるって? あなたは僕が噛んでいいと言っても舐めるだけで決して噛もうとしなかったじゃないか。フォークがケーキを食べる事例は確かに存在するが、あなたはきっとそれには当て嵌らないよ」
 カーヴェは人差し指をぴんと立てて彼女に提案する。
「幸いにも、僕はあなたにとって好みの味のケーキみたいだし……ここまで来たら乗りかかった船だ。定期的に僕を食べるのはどうだろう?」
「えっ……えっ?」
「そうすれば、あなたは飢餓から抜けられて、少しは楽になるはずだ。上手くやれば、また以前のように普通に過ごすことができるようになるかもしれない」
 フォークが飢えないためにはケーキが必要だとしても、自分がケーキと分かっていて自らをフォークに差し出すような稀有なケーキはどこにもいないだろう。しかし、幸運なことにカーヴェはケーキだ。彼は彼女に自身を捧げることに躊躇いはなかった。それよりも、自身が彼女を放っておいたことで彼女が抱える苦痛を想像した時、カーヴェの選択は決まっていたのである。
「僕はあなたを放ってはおけない。僕でよければ、力になるよ」


  2


 カーヴェと出会ったことでフォークであった彼女の運命はがらりと変わった。味覚を失い、喉を掻き毟りたくなるような飢渇感に苛まれながら苦しんでいた時、ふと差し出された暖かな手のひら。職場も居場所も、たった一つ降り掛かった不幸によって何もかもを失ってしまった彼女にとって、カーヴェの手のひらはまるで神が差し伸べた救いのようだった。
 それから、カーヴェは誰の目にも付かないようにと家に籠ってばかりの彼女の家に通っては、彼女に食事≠与えた。とはいっても、彼女の飢渇感を満たすために自身の身体を与えるのではない。この食事においては、彼の体液を料理に混ぜるのだ。フォークは味覚を失っているが、唯一ケーキの肉体にだけは味を感じる。それは、その肉や血液、涙や唾液に至るまですべてだ――つまり、何もしなければ味のしない料理も、ケーキの体液さえ入っていれば味がするのである。
「ん……」
 今、目の前にはカーヴェと共に作ったシチューがある。カーヴェは口を濯ぐようにむぐむぐと口を動かし、そして――おもむろに、その鍋に自身の唾液を垂らした。
 とろりと鍋の中に零れていく透明な体液は、レードルを手にしたカーヴェによってシチューの中に混ぜられていく。彼女はそれを見て、不快に思う――わけもなく、ほう、と甘い吐息を零した。そして、ああ、美味しそうだ、と、腹がくうと小さな鳴き声を上げる。
 これが味付け≠セった。初めこそ、ケーキの体液に涙を用いようとしたのだが、涙は本人の意思かで容易に出せるものでもなく、また流せたとしても一粒、二粒ではケーキの味も料理に負けてしまう。血液という線もあったが、血液を流すために身体を傷付けるのは彼女が断固反対した。それならば自分は何も食べないと言い張ったので、簡単に料理に混ぜられて、ある一定の量は確実に確保できる唾液になったのだ。
「ほら、ご飯にしよう。お腹は空いているよな?」
「うん……おなか、すいた……」
 彼女の様子にカーヴェはくすりと笑みを零すと、彼女の手を引いてリビングへと連れて行ってやる。こうなると、彼女は目の前の食事≠ノ夢中になってぼうっとしてしまい動けなくなるからだ。
 シチューを目の前においてスプーンを手に持たせてやれば、彼女はきゅうと瞳孔を開いて動いた。シチューをスプーンで掬い、迷いのない動きで口に運ぶ。すると、彼女の顔が綻んだ。口内に広がる甘美な味わいに蕩けて、彼女はほう、と飢渇感が満たされる感覚に息を漏らす。そして、そのまま彼女は一心不乱にシチューを口に運んだ。もうそれしか見えない、それしかできないといった様子で。カーヴェはそれを微笑ましく見つめながら、彼女の食事≠ェ終わるのを待つ。
 これは、彼と彼女が出会ってからずっと行われていることである。彼女のフォークとしての欲求を満たす――そうしていれば、彼女も普通の人間のように過ごすことができるから。だがしかし、自身がフォークと分かった途端に周囲から疎まれ、遠ざけられた彼女のトラウマは深く、外へと外出することに怯えているようだった。カーヴェと彼女が出会った日も、家に腹を満たすための食材がなくなってしまったために仕方なく外へ出ただけであって、それ以外は基本的にずっと家に引きこもっていたのだという。カーヴェには彼女がまた以前のような生活に戻れるようになって欲しい気持ちもあったが、本人の気持ちが整っていないのに無理に急かしては追い詰めるだけだと考え、彼女を献身的に支えることで彼女の心が癒されることを願い、こうして彼女の家に通う日々を送っている。
 とはいえ、今ではもうほとんど同棲しているようなものだった。外に行けない彼女のために食材や日用品を購入し、彼女の家に帰ってはそれらを補充する。そうして彼女の食事が終えるのを待っていれば、夜が遅くなるのも必然だ。そうなると、夜分に帰ることを心配した彼女が、カーヴェに家に泊まってはどうかと提案して……それからだった。カーヴェが、彼女の家に住み着くようになったのは。
 きっかけこそ彼女の飢餓の緩和のためのものではあったが、存外カーヴェもこの生活を楽しんでいた。だって、帰れば彼女が出迎えてくれるのだ。扉を開けると、必ず彼女が出迎えて、カーヴェに微笑みながら「おかえりなさい」と告げてくる。そうして共に食事を作り、彼女用に別に分けた料理に味付け≠してやれば、彼女が花が綻んだような可愛らしい笑みを浮かべるのだ。そして、彼女はカーヴェの味がする食事を美味しそうに食べる……蕩けた笑みを浮かべて、陶酔したように瞳を細める。カーヴェはそんな彼女の顔を見るのが好きだった。彼女の顔を見ると、まるで自分が愛されているような錯覚に陥る。愛おしくて仕方がなかった。
 同じ家で同じ時間を過ごしていれば、二人の仲が縮まっていくのは至極当然の流れでもあり、カーヴェが彼女の家を「自分の帰る家」だと定めるのにもそう時間はかからなかった。
「カーヴェさん、いつも……いつもありがとう」
「ん? どうしんたんだ、急に」
「だって、わたし……いつもカーヴェさんに助けてもらってばかりで、何も返せていないから。カーヴェさんがいるから、わたし、今もこうして生きていられるのに……」
「なんだ、そんなことか。気にしなくていいよ、全部僕がやりたくてやっていることなんだから」
 楽しく談笑しながら皿を洗っている最中のことだった。洗い終わった食器をカーヴェに手渡した彼女が、ふとそうぽつりと呟いたのは。カーヴェが気にするなと彼女の不安を和らげるような言葉を告げれば、彼女は申し訳なさそうに眉を下げる。
 彼女は彼のことをなんて優しい人なのだろうと思っていることだろう。返りも求めず、見ず知らずの他人であった彼女に惜しみない優しさを与えて救ってくれた……本来恐れるべきであるはずの存在を厭うこともせず、一人の人間として対等に見てくれること。それがどれだけ彼女の心を救ったか……彼女にとって、きっとカーヴェは心優しく慈悲深い人間に見えているはずだ。
 だが、そうして彼を素晴らしい人間だと感謝の念を抱いている彼女と同様に、カーヴェもまた彼女に救われているのだった。彼はようやく自身の帰るべき「家」を見つけたのだ。自分だけが求められること、自分を暖かく出迎えてくれること、自分を必要としてくれること、そして――自分がいなければ、生きられないということ。それらはカーヴェの孤独や承認欲求を満たし、クライアントや自身の抱える借金の返済などの様々な事柄に心を揺さぶられる彼の精神を安定させた。
「わたし、わたし……はやく、自立できるように頑張ります。迷惑、かけたりしないように……」
「そんなの、気にしなくていいんだ。君は君のペースでやればいい。急ぐ必要なんてどこにもないんだ。僕は君との生活にすごく満足しているし……ずっとこのままでいたっていいと思ってる」
「でも、カーヴェさん、わたし、ずっと家に篭ってばかりで……本当は働かなくちゃいけないのに、何も、何もしていないんです……」
「急いで行動に移したっていいことは何もないぞ。物事には順序があり……そして、行動に移す適切な時期というものがあるんだ。まだ、君は外への恐怖があるんだろう? 無理に自分を追い詰めることはない。今はまだその時期ではないんだ。だから、君は何も心配しなくていいんだよ」
 カーヴェは彼女を丸め込むようにつらつらとそんな詭弁を並べ立てた。すると、カーヴェを信じきっている彼女は案の定それを真面目に受けとって、そういうものなのかとこくりと頷く。
 カーヴェには確かに彼女がまた以前のような生活に戻れるようになって欲しい気持ちがあった。だが、今はそれもほとんど薄れて、いかに彼女を家に引き止めるか、そればかりを考えてしまっている。彼女にとってカーヴェが甘美な蜜であるように、カーヴェにもまた彼女との生活は溺れてしまうほどに甘すぎたのだ。必要とし、必要とされること。自分だけを見つめて、どこにも行かずに「家」に居続けてくれるということ。カーヴェには、かつて自身が「家」と思っていた聖域から彼一人を残して誰もいなくなってしまったというトラウマがある。故に彼は「家」というものに強い執着を抱いている節があり――彼女はカーヴェがいないと生きていけないということ、故にカーヴェから離れられないということ、そして、外に怯え続けている限りはこの「家」からいなくなることもないということ、現状はまさしく彼の心の中にある欲求をこの上なく満たしていたのだった。彼女が助けてやりたい人ではなく、自分にとって必要な、大切な存在へと変わっていけばいくほど、彼の中のそうした仄暗い欲求が顔を覗かせる。本来なら、彼女に自立したいという心が芽生えたことを喜ぶべきなのだ。確かに芽生えたそれを後押しして、育ててやり、彼女が以前のような生活を送れるようにしてあげること。それが本来カーヴェが行おうとしていた手助けであったはずなのに、一体どうして自分は彼女の自立を遠ざけるような真似をしているのか。カーヴェは自分の中にある矛盾に気が付きながら、しかし今手にしている甘い生活を捨てることもできず、ただただ自分のために彼女を丸め込んだ。
「さあ、リビングに戻ろう。今日は君に話したいことがたくさんあるんだ」
「……はい。カーヴェさんの話は、面白いから……わたし、好きです」
 カーヴェが手を差し出せば、彼女はもう躊躇うことなく手を取ってくれる。彼女の信頼が酷く心地よかった。

 ――彼女は、誰もに疎まれるフォークで、迫害をされて、カーヴェ以外に頼る人も、信頼できる人もいない。
 そしてカーヴェはフォークを唯一満たすことができるケーキで、きっとこの世界で唯一フォークである彼女に自らを与えることができるケーキで、どこにも行けずに閉じこもってばかりの彼女を献身的に支え、彼女の欲求を満たすことができる。
 まさに鍵と鍵穴の関係だった。それは、彼女との
出会いが「運命」なのだと思わせるには十分だった。自分たちは引き合うべくして引き合ったのだと、互いの存在なくしては生きていけないのだと、そうやって、二人だけの世界が出来上がっていく。
 満たされていく。のめり込んでいく。そして――少しずつ、少しずつ侵食していく。夢にまで見た完璧な理想・・の「聖域」が今、カーヴェの手の中で微笑んでいる。

 ――この子には、僕しかいない。僕が助けてあげなければいけない。僕たちは出会うべくして出会ったんだ。……だから僕たちは、きっと運命なんだ。


  3


 頭の中で、冷静な声が囁いている。――このままで本当にいいのだろうか、と。
 その人はもうずっと家に閉じこもった生活を送っていた。家を出る必要はなかった。だって、カーヴェがすべてをしてくれるから。食品や日用品の買い出しもすべて彼が済ませてくれるので、彼女がわざわざ家を出る必要がないのだ。なので、彼女がすることといえば、家の掃除くらいのものである。自身がフォークであるが故に疎まれ、嫌われたというトラウマがある彼女にとって、外に出ないで済む現状は何より都合が良かった。幸い、カーヴェは彼女を無理矢理外に連れ出すような真似はしなかったし、あくまで彼女のペースに合わせてやればいいと寄り添う姿勢を見せてくれたので、彼女もそれに甘んじて、自分に優しいだけの世界に閉じこもった。
 ……だが、最近思うのだ。このままで良いのだろうか、と。
 今、彼女はカーヴェと共に二人で暮らしている。カーヴェはとても優しく、慈悲深い人で……家を出ることができない彼女の代わりに買い出しや細かなことを行ってくれるだけでなく、彼にとってはメリットが一つもない食事≠フ行為でさえ快く受け入れてくれる。本来、カーヴェは彼女を罵り、嫌ってもいいはずなのに、自身を害する恐れのあるフォークに対しても対等に接し、その優しさを与えてくれる。彼女はそんな事実に深い感謝の念を覚えると同時に、不安を感じていた。――自分は、彼に無理をさせているのではないだろうか、と。
 カーヴェがスメールでは最も著名な建築デザイナーであるというのは、彼との話を通じて知ったことだった。初めこそ、彼女はカーヴェが彼女の家に通い、居着き、彼女が行わなければならない雑務を行ってくれることにただ深い感謝を覚えるだけであったが、気付いたのだ。自分の存在こそが、彼の重荷になってしまっているのではないだろうか、と。
 カーヴェは引く手数多の建築デザイナーであり、そして様々な仕事を抱えている。建築デザイナーという職業柄、建設予定地に自らの足で赴き、どのような資材を用いるのか、どのようなデザインにするのか、クライアントと細かなところまで話を深め、そうしてようやく建築が始まる。当然、建設物は一日や二日で作り終わるものではなく、彼は自身がデザインした建設物が完成するまで細かく指示をして見届ける立場にあるのだ。だから本来であれば、彼がこうして毎日のように彼女の元に帰ってきて、彼女のために料理を作り、彼女とゆっくり夜を過ごす時間などあるはずもないのである。しかし、カーヴェはこうして彼女のいる家へと帰ってきている……それはつまり、彼が自身の仕事を詰めたり、無理をして彼女との時間を作っているからではないだろうか。
 そう考えると、彼女は彼に申し訳なくて仕方がなくなった。自分はただでさえカーヴェに頼って生きているのに、彼の仕事を阻むような真似をして、彼に多大な迷惑をかけている。それだけでなく、本来彼が得るはずだった名声や成功の邪魔をしているのではないかと考えれば考えるほど、頭に響く冷静な声が彼女を追い詰めていくのだ――このままではいけない、このままでいてはならない、早く彼を解放してやらなければならない――。
 彼女がフォークである以上、普通の人間のように生活していくにはケーキである彼の力が必要不可欠だ。故に、食事をする上では彼の味付け≠ヘ欠かすことができない……しかし、それ以外であれば、彼女の頑張り次第でどうにでもなる。仕事を見つけるのも、外へ出て買い出しへ行くのも、すべては彼女があと一歩を踏み出すだけなのだ。それに、味付け≠するにあたって、食事の度に毎回彼の味付けをする必要はない。確かにフォークにはケーキが必要だ。正確にはケーキの体液だが、しかし、そこに新鮮さは求められていない。ただ、作った料理の中にケーキの体液があればいいのだ。つまり、彼が毎回味付け≠せずとも、長期的に保存できる料理を作れば良いだけであるし、もっと言及するなら彼の体液を保存しておけばいい。そうすれば、彼がわざわざ彼女の家に住みつかなくても、彼女の欲求は満たすことができる。彼女は普通の人間に溶け込んで生活をすることができるし、彼もまた、自身のキャリアに傷を付けることなく過ごすことができる……。
 彼女にとってカーヴェは神様のような人だ。それはこのスメールに座す草神と同じくらいに慈悲深く、そして彼女のような社会不適合者に対しても平等な目を向けてくれる優しい人物であった。絶望に塞ぎ込んでいた彼女を救ってくれただけでなく、人への不信感に苛まれていた彼女にもう一度人を信じさせる勇気をくれた。故に、彼女はこれ以上ないほどの感謝の念を彼に抱いていたし、同時に彼の重荷にはなりたくないと思っていた。
 自立をしなくてはならない。これ以上カーヴェに迷惑をかけることがないように。前を向かなければならない。家に閉じこもり、閉鎖された生活の中で一日を終えたって、自体が好転することはないのだから。もう一度、以前のように一人でも生きていけるようにならなければならない。そうすればきっと、カーヴェは彼女の成長を喜んでくれるだろう。彼女の自立を後押ししてくれるはずだ。そうすれば、そうすればやっと、カーヴェの重荷にならなくて済むようになる。彼に、恩返しできるようになる――。
「何故?」
 ――夕食の時間のことだった。二人向かい合って談笑していた中で、タイミングを見計らって告げた最良の提案のはずだった。しかし、彼女の決意は冷たくカーヴェに切り捨てられた。彼女はまさかカーヴェがそんな言葉を吐くとは夢にも思わず、驚愕に瞳を瞬く。聞き間違いかと疑ったが、彼の、彼女を見下ろす眼差しの冷淡さに、彼が至って本心から彼女の決意に疑問を抱いているのが分かった。彼女はそんな彼に少し気圧されながら理由を説明する。
「なぜ、って……そ、そうすれば、もうこれ以上カーヴェさんに迷惑をかけずにすむから……」
「迷惑? いつ僕が君のことを迷惑だって言ったんだ? 僕は前に言ったはずだ。これは僕が望んでやっていることだから、君は何も気にする必要はないと」
「で、でも、わたし、負担に……」
「僕の仕事のことを気にしているならその心配は無用だ。家に帰れるように調整することは造作もないことだよ。今までは帰ろうとする必要もなかったから仕事を詰め込んでいただけで、帰るべき家ができた今はそうする必要がなくなったんだ。だから、本当に君が気にする必要はないんだ。在るべき形≠ノなっただけなんだから」
 しかしカーヴェは小さく首を横に振って彼女の言葉を否定した。そして、捲し立てるように、その行動に意味はないのだということを伝えてくる。彼女は彼の言葉に納得しかけて、しかしそれは違うのでないかと正気に返った
 彼女は、カーヴェが心優しいから自分を不安にさせまいと気遣ってくれているのだと思った。フォークである以上はカーヴェの助けが必要なのも事実で、気負わせないためにわざわざ事実とは異なることを告げているのだろう。そう考えた時、胸がちくりと痛むのを感じた。自分のせいなのだ。彼が無理をしてるのも、彼に気を遣わせてしまっているのも、すべては自分が不甲斐ないからだ。そしてより一層彼女は自立しなければと思った。早く彼を解放させてやらなければならない。心に強く意志を固め、真剣な眼差しでカーヴェを見据える。普段は納得して黙り込むが、今回ばかりは様子が違うことに、カーヴェの眉がぴくりと上がった。
 彼女はぐっと拳を握り、自身の意志を伝える。それが間違っているなどとは露ほども思わなかった。そして――それが、彼の逆鱗に触れてしまうということもまた、気が付かなかった。
「で、でも、これから先は分かりませんよねっ?」
「は?」
「優秀なカーヴェさんのことです。これから先、大きなプロジェクトに関わることだってあるかもしれません。そうしたら、やはり今の生活のままでは負担になります」
「……じゃあ、なんだ? 僕が居なくなったら、君はまた飢餓に苦しむ生活を送ることになるぞ。それじゃあ、自立もへったくりもないだろ」
「もちろん、そこのことは考えています! わたし、フォークだから、どうしてもカーヴェさんのお力を借りなければならないのは心苦しいですが……食事に関しては、長期的に保存ができる食事を作ればいいだけかと。それに、カーヴェさんの体液さえあれば味を感じられるんだから、カーヴェさんの唾液を頂ければ、カーヴェさんももうここに来なくたって――」
 その瞬間、だん! とカーヴェが強く机を叩いた。その大きな音に思わずびくりと肩を跳ねさせれば、カーヴェが温度のない冷えた眼差しで彼女を見やるので、彼女は言いかけていた口をぴたりと閉ざす。
 理由は分からない。しかし、ただ漠然と彼が機嫌を損ねたことは理解した。宝石のように様々な表情を浮かべながらきらきらと煌めくルビーの瞳が、今は無機質な鉱石となって冷たく彼女を見つめている。
 暖かく見つめてくれていた優しい眼差しはもういない。ぐつぐつと煮える怒りが、その瞳の中で燃えている。
「……もうここに来なくたって、なんだ?」
「あっ……」
「もう僕はいらないって? 必要ないって言いたいのか? 君にとって、もう僕は用済み?」
「そ、そんなこと言っていません! わたしはただ――!」
「もういい! ……君の言いたいことは、よく分かった」
 カーヴェはぐしゃりと顔を歪めて吐き捨てるようにそういうと、同様に瞳を揺らしている彼女をふ、と鼻で笑った。それは自嘲の笑いだった。そうして、彼はゆっくりと立ち上がり、こつり、こつりと足音を立てながら机を回って彼女の傍へとやって来る。彼女は普段とは様子の違う、怒りを見せるカーヴェに少し怯えた様子で恐る恐ると彼を見上げると、カーヴェが手がおもむろに彼女の頬へと伸ばされる。
 する、と細く角張った指が彼女の輪郭をなぞった。形を確かめるようにすり、すりと指の腹で撫でると、彼はその無機質なルビーの瞳をすっと細める。そして。
「なあ、君は運命を信じる?」
「……え?」
「僕はね、君を運命だと思ってる。僕たちはまるで鍵と鍵穴のように……お互いがなくては生きていららないんだ。僕たちは出会うべくして出会った、そうだろう?」
「か、……カーヴェ、さん?」
 ――何か様子がおかしい。思わず彼の名前を呼んだ、その瞬間だった。
「んぐっ!?」
 カーヴェが突然彼女にキスをしたのだ! 唇を重ね、驚愕に開いた唇の隙間から舌を捩じ込み、そのまま彼女の口内を蹂躙し始めた。それはあまりに唐突で、彼女も混乱に目を回しながら、与えられる感覚に無理矢理に溺れさせられる。
「ふぁ、っあ、や、かぁべ、っん、んんッ、んん〜〜〜〜〜〜ッ!」
 静止の声も飲み込まれた。酸素までもを喰らうように、息継ぎも与えない激しいキスを与えられる。やがて弱いところを見つけると、そこを重点的に狙ってくるので、息が上手くできないことも相俟って視界がちかちかと点滅していった。座っていられなくなってぐらりと身体が傾けば、カーヴェの腕が彼女の腰を抱き寄せ、そのまま深い深い快楽の中へと誘った。
 これがただのキスであったならばまだよかった。ただ息ができないだけ、気持ちよさを感じてしまうだけで終わることができていただろう。しかし、ここにいるのは男と女であると同時に、フォークとケーキであった。この世界で唯一ケーキに飲みに味覚が働くフォークと、この世界で唯一フォークの欲を満たすことができるケーキが、唇を重ねていたのである。どちらのものとも分からない唾液を混ぜ合い、交換し、びくびくと震える舌を吸い、絡ませて、逃げる手段を奪っていく。その中で、彼女は強烈なまでの甘味≠感じていた。甘い、甘い、思考までもを蕩けさせていくようなショートケーキの甘美な味わい! 溢れ出る本能の喜びは、彼女から理性を奪い、そして判断能力を混濁させた。それはまるで酒に酔っているかのように、意識も感覚も曖昧にして、ただ浮かぶような快楽だけを残していく。
「ぅあ……っ?」
 深く長いキスが終わると、彼女はこてりとカーヴェの腕の中に力なく凭れかかった。自分がどうなっているのかも最早理解できていないようだった。ただ、彼女の中を微睡みのように心地の良い酩酊感が支配して、唾液の伝う赤らむ顔には陶酔の笑みが自然と浮かんでいた。
 それは理性も本能も蕩かす甘露の如く甘い蜜だった。だが、甘い蜜は時に「毒」にもなり得るのだ。薬も過剰に摂取すれば毒となるように、理性と本能を蕩かすケーキの味はフォークをおかしく・・・・させる。
「君は僕がいなければ生きていけないんだよ」
 霞む視界の中で、声のする方を見上げる。
 揺らぐ人影が、言い聞かせるように語りかける。
「大丈夫だ、君は何も心配しなくていい。……ただ、君に分かってもらうだけだから」
 ぼんやりとそれを聞いていると、身体がくんと上に上がっていくのが分かった。朦朧とする意識の中で、ただ彼女は自分の身体がどこかへ連れていかれていることだけを感じ取った。
 声が聞こえる。ぶつぶつと何かが呟いている。
「僕たちは運命なんだって、離れてはならないんだって」
 彼女はそこで、ぷつんと電源を落としたように意識を失った。
 もう何も聞こえない。何も分からない。その先にある未来も、運命も、何が起こるのかも、すべて。
「僕たちは、傍にあるべきなんだ」
 だが彼女に起こったこれが運命なら、その運命はきっと歪められた必然なのだろう。



  4


 水面から意識がぐんと持ち上げられるような感覚ではっと目が覚めた。は、は、と浅く呼吸を繰り返して、彼女はぱち、ぱち、と瞬きをする。視界には見覚えのある天井が映っていた。顔を横に傾けて、室内に目を向ければ、そこは彼女が普段過ごしている寝室だった。自分は、どうしてここにいるのだろう。自分が昨晩寝台の中で眠りについた記憶がなかったので、そうした当然の疑問が湧き上がった。一体どうして、何があったのか……記憶をゆっくりと辿っていくと、ふいに気絶する前の出来事がじわじわと蘇ってくる。自分は――カーヴェと口論をして、突然キスをされたのだ。そして……心地良さと共にぷつりと意識が途切れた。それまでの流れを思い出して、彼女はばっと飛び起きた。あれからどうしてしまったのだろう! カーヴェと話をしなければならない。有耶無耶に終わってしまった話の続きをしなければ――そう思い立ち、床に足を着いて家のどこかにいるであろうカーヴェを探しに行こうとした時――。
「……?」
 くん、と彼女の腕を何かが引いて、彼女の足を止めた。ここには彼女しかいないし、何もいないはずなのに、一体誰が彼女の腕を引いたのだろう。それを不思議に思って、振り返る。
「っ、な……!」
 彼女の腕を引いたもの。それは、鈍い光を放つ銀色の枷だった。彼女の腕をぐるりと囲い、寝台のヘッドボードに括り付けられている。狭い鎖は彼女が寝台の外へと向かうことを阻み、狭い四方の枠組みの中に縛り付けていた。
「な、なんで……どうして……?」
 彼女が混乱に戸惑うのも当然だった。だって、それは昨日まではなかった代物だったからだ。当然、彼女の家にはこのような物騒なものが保有されているはずもなく、そして彼女が購入するはずのないものでもある。故に、彼女はこの枷の持ち主が誰なのかは簡単に予測できた。彼女と同じ屋根の下に住まう人――そう、カーヴェだ。カーヴェが彼女に枷を付け、この寝台から降りれないように縛り付けているのだ。
 疑問が水のように沸きあがる。どうしてこんなことを、一体何故、自分に何があったのだろう――。
「ああ、目が覚めたんだね」
 不意に声が聞こえて、彼女はばっとその声が聞こえた方向を見やる。扉の方には、穏やかな表情でこちらを見やるカーヴェが立っていた。彼は彼女が目覚めていることに柔く瞳を細めて、彼女が縛られている寝台までやって来る。彼が犯人なのだから当然ではあるが、彼女の腕にがちりと嵌められた鈍色の枷に動揺した様子もない。それを見て、彼女はまるで裏切られたような心地になった。ああ、この枷を嵌めたのは彼なのだと――信じたくない気持ちと、突きつけられる現実の相反する事実を何とか否定しようとして、彼女はへら、と引き攣った乾いた笑みを浮かべながら、彼を見つめた。ああ、これはもちらん冗談だよ。そんな言葉を期待して。
「か、カーヴェ、さん……これ、これ、なんです
か……」
「何って、見て分からない? 君のために用意した特注品の枷だよ」
 だが当然、返ってくるのは目を逸らしていたい現実の方だった。彼女は愕然としながら、彼の告げた言葉を頭の中で噛み砕いて、そして理解した否定のしようのない事実にぐしゃりと顔を歪ませる。
「そ……そんなのは分かります! どうして……どうしてこれをつけたのかって聞いたんです!」
 彼女はわっと大きな声を上げた。
「わ、わたしのことが気に食わないんですかっ? ふ、不満があるんですかっ? それならっ、こんな、こんなことしなくたって、口で言ってくれたらっ……」
「言ったよ。でも、君は納得しなかった」
「え……」
「だから、君に分かってもらおうと思って。その方が早いだろ?」
 彼女は必死で訴えているのに、対するカーヴェといったら、まったくやれやれと言った様子で肩を竦めて、彼女の言葉に面倒くさそうに返事をする。まるで、悪いのはお前の方だと言わんばかりの態度だった。彼女はそれに言葉を失い、そしていやいやと首を小さく横に振る。眼前に佇むその人が、あの心優しく慈悲深い存在と同じようには思えなかった。彼女の言いたいことも訴えもまったく通じていない。独善的な思想の押しつけは、一方的に彼女の自由を奪い、そして明らかな対立を引き起こす。
「か、カーヴェさん……あ、あなた、もしかして、わたしが自立すると言ったことを怒っているんですか……?」
「怒る? どうしてそう思うんだ」
「だ、だって明らかにおかしかった! わたしが提案をする度に、あなたは不機嫌になって……何がいけないっていうんです。何が不満なんですか!? お互いにとって、最良の答えであるはずなのに……!」
「君はあんな愚策を最良だって? 呆気なく僕を捨てようとしたことが、最良? ……笑わせるなよ。あんなものが最良であるはずがない」
 一体どうしてここまですれ違っているのだろう。彼女は自分が間違っているのだろうか、と改めて自身の考えを見直したが、しかし彼が愚策と罵倒するほど愚かなものとは思えなかった。自分は自立をして、普通の人間に溶け込み、かつてのような生活を取り戻す。カーヴェもまた、彼女の世話から解放され、元の生活を手に入れる。何もおかしなところはない。この同居生活が送られる以前、彼自身が最終的に到達するべき目標として提案したことのはずだ。
 彼が何に対して怒りを感じているのか、どうしてそこまで引き留めようとするのか、その思考が読めないでいる。それが正しい答えであるのだと、淡々と告げられる言葉の数々にただただ圧倒されてしまう。焦燥に汗が滲むのを感じながら、彼女は彼の言葉を否定した。カーヴェの言葉が理解できなかったから。
「なんで、どうして……っ?! 捨てようなんてしてないっ……! わ、わたしはただ、在るべき形に戻るべきだと」
「ならばこれが在るべき形≠セ。僕たちは互いがいなくては生きていけない運命にある。共にあることは当然のことだ、何も疑う必要なんてない。僕たちはただ、傍に在り続けるだけでいい。それだけの話だ」
「わ、わからない……カーヴェさん、運命だとか、そ、傍に在り続けなくてはならない、だとか……何を、何を言っているんです……?」
「君こそどうして分からないんだ? 僕たちはフォークで、そしてケーキだ。君には僕が必要で、僕には君が必要なんだよ。これを運命と呼ばずして何と呼ぶんだ?」
「……! ……っ! ッ……!」
 最早声も出せない。ぱくぱくと魚のように口を開閉させて、受け入れ難い言葉に忌避感を覚えた。
 最早相互理解は不可能だ。堂々巡りのまま、話は平行線に進んでいく。交わることのない意見の相違は、どうしようもなく二人の間に亀裂を作った。それはまるで雪渓にできるクレバスのように、二人の間に到底埋めることの出来ない底の見えない氷の割れ目を形成していく。
「まあいいんだ、そんなことは。どうせ君も直に理解せざるを得なくなる」
「……え……?」
「いい機会だ、今はまだ謎が多いフォークの捕食欲がどれほどのものなのか試してみようじゃないか」
「な、なに、言って……」
 その時、カーヴェがくすくす、とおかしそうに笑った。その煌めくルビーの瞳に、一つの愉悦を浮かべながら。
「さて君は一体何日我慢できるのかな? 二週間持つかなあ」
 するりと彼の手が彼女の頬を撫でて、彼はうっとりとした眼差しで彼女を見下ろした。楽しげな声は、彼女の未来が分かりきっているかのように語り出す。その双眸に映るのは、いっそ盲目とも称せるほどの甘い理想だ。
「僕の可愛いフォーク。いっそ死にたくなるくらいに僕を求めてくれ」
 ここには二人だけだ。そして、この閉ざされた部屋には、枷で縛られたフォークと、枷で縛り付けたケーキだけが存在している。
 人気の少ないシティの隅の家に尋ねる人はいない。加えて、ここには二人だけしかいなかった。故に、何があっても誰も助けには来ない。
 そして彼女は嫌でも・・・知ることになった。カーヴェの言葉の意味を、そして反響する本能の声を、受け入れ難い現実も、すべて。


 ――そして監禁生活が始まった。とはいえ、ずっと家に引きこもってばかりだった彼女にとっては、外の様子が見えないことと、寝室から出してもらえないこと以外は何も変わらなかった。監禁されているとは言えども、酷いことをされる訳でもない。望めば排泄の為にレストルームへ連れて行ってくれるし、入浴の自由だってある。暴力を振るうわけでもなく、理不尽を強いることもない。彼はまるで彼女を監禁していることなど忘れてしまっているかのような態度で変わらず接してくるし、いつものように日常の話をしては外へ行けない彼女を楽しませようとしてくれていた。まるで悪い夢でも見たかのような気分だった。彼との口論も、ままならない平行線の話も、なかったことのように日々が続いている。しかし、それは夢ではなく現実だと教えてくれるのは、変わらず腕に嵌められ続けた枷の存在だった。この枷はカーヴェ本人の監視下にある時以外は決して外されることはなく、狭い四隅での生活を余儀なくされる。彼が仕事へ外出している間、彼女はごろんと寝台の上に仰向けになり、どうしてこうなったのかを考えていた。けれども、考えても考えても答えが出ることはなかった。――途中から、考えることすらできなくなったからである。
「……っぁ……」
 寝台の上、お腹を抱えて胎児のように丸くなる。彼女はぐっと下唇を噛みながら、湧き出る欲求を必死に耐えていた。くうくうと弱々しく強請る腹が、空腹を訴えている。舌の根からじゅわりと唾液が分泌されて、虜になりそうな甘美な味を想像しては求めていた。そう、これはいつか彼女が苦しめられた感覚――そう、飢餓である。
 生活に変化はない。ただいつも通りに過ごしている……しかし、唯一変化があったものがあった。そう、彼女の食事≠ナある。カーヴェから提供される三食には、そのどれもに味付け≠ェされていない。一般人からすれば美味しくできているのであろうそれも、フォークである彼女にとっては無味無臭のつまらない食事だった。味覚のない状態の食事は味気なく、そして咀嚼した時の感触さえ味を感じないだけで不快感を覚えさせる。肉も、野菜も、スープでさえも、ただ気持ちの悪い感覚が歯に触れ咽頭を通過する度に吐き出したくなる嘔吐感に襲われた。
 肉体だけでいえば、その味気ない食事はきちんと身体に必要な栄養を摂取することができているために十分な食事をしているといえるのだろう。だが、精神においては拷問のようなものだった。それはフォークとしての本能から来る嫌悪であるし、無機質な感覚が伝える咀嚼音への忌避感でもあった。まるでゴムを噛んでいるような食事は彼女に食事するこへの厭悪を呼び、彼女は食事を遠ざけ、生きる最低限しか口にできなくなった。それも、日が増すごとに酷くなり、フォークの本能がケーキを求めれば求めるほど、味の無い食事に対する嫌悪を強くした。最終的に、彼女は何も口にできなくなった。だらんと涎を零し、力なく横たわる中で、考えていたのはあの甘美な味のことだけだった。
 おなかがすいた。
 おなかがすいた。
 おなかがすいた。

 ――どうしたら、あのあじを、もういちど、たべられるだろう?

「食事の時間だよ」
 その時、ふわ、と鼻腔に甘いケーキの匂いが香った。だらんと力なく横たわっていた彼女は、その匂いを嗅いだ瞬間にばっと重たい身体を起こして起き上がる。扉には暖かい湯気を立たせるシチューを手にしたカーヴェが立っており、彼女の反応を見て薄く微笑んだ。
「ぁっ、あ、あっ、あっー!」
「ふふ、そう興奮しなくても、すぐにあげるよ」
 カーヴェが現れたことに彼女は彼の元へと行こうとするも、腕に嵌められた枷に阻まれ、みっともなく寝台の上に頽れた。臀部を突き出すように倒れ伏せる彼女は、もうきちんと起き上がる気力もないのか、そのままの状態で手だけを惨めに伸ばして、目を赤くしてだらだらと涎を流しながらカーヴェを求めるので、カーヴェは嬉しそうに微笑みながら寝台の傍に置かれた椅子に腰かけ、サイドテーブルにシチューを置くと、伸ばされた手に自身の手を絡めて、愛おしそうに彼女の頬をすりすりと撫でた。
「か、かあ、べ、かあべっ、おなか、おなかすいたよお」
「そこに食事は用意してあるだろう?」
「ち、ちが、か、かあべ、かあべ、が、ほし」
「駄目だよ」
 カーヴェはうっとりと陶酔した微笑みを浮かべながら、彼女の嘆願をばさりと切り捨てる。最早理性など欠片もなく、ただ一度知ってしまった甘美なケーキの味を求める哀れなフォークと成り下がった彼女に優しく語りかける。
「だって、君は僕がいなくてもいいんだろう?」
 今の彼女にはカーヴェが必要であると分かっていながら、わざと突き放した。彼女の丸くて大きな眼がうるりと潤み、求めても満たされないことにぼたぼたと涙を零し始める。すると、許しを乞うように、可愛らしい猫の鳴き声のような声を上げて拙く舌足らずな声でカーヴェの名前を呼ぶので、カーヴェの胸に歓喜が湧き上がった。
 ああ、なんて可愛い。愛おしい! カーヴェは彼女の飢餓も、理性がほとんどなくなっていることも分かっていながら、わざと彼女を追い詰めた。自分だけを求めて鳴いている様が可愛くて可愛くて仕方がなかったから。
「ほら、食べて。一人じゃ食べれないなら、僕が食べさせてあげる」
「や、やあっ、やら――もごっ!?」
「ちゃんとしっかり噛んで食べるんだよ。吐き出したりしちゃ駄目だからね」
「んぐ、んッ、んん、んん〜〜!」
 精神的にも肉体的にも弱っていく彼女とは裏腹に、カーヴェはこの状況を楽しんでいた。閉鎖的な空間、家に帰れば彼の愛おしいフォークが彼の名前を呼んで可哀想に泣いている……彼女が飢餓に飢えれば飢えるほど思考や理性は遠ざかり、ケーキを求めるフォークとしての本能だけが浮き彫りになっていった。
 嫌がる彼女の頬を掴み、その喉奥にスプーンを突き入れ、無理矢理に食事を摂らせる。「お゙ぇえッ」吐き出そうとする口を抑えて、咀嚼をさせた。しかし、感じる厭悪感に耐えきれず、喉が震えると、彼女はまだ形の残るシチューの残骸を吐き出す。ぼた、ぼたと生理的な涙が溢れて、床の上を吐瀉物と涙、唾液で汚した。
「あーあ。吐いたら駄目だと言っただろう?」
「おご、おえ、げえ゙えッ」
「吐き出すな。ちゃんと食べるんだ。全部、残さず、完食するまで」
 しかしカーヴェは彼女が吐き出すことを許さなかった。再び無理矢理口の中にスプーンを突き入れ、食べさせる……何度同じことを繰り返そうとも頑固とした態度で彼女に無理矢理味気のない食事を摂らせようとするので、彼女はとうとう耐えきれなくなりわんわんと泣き出した。
「う、ゔあ゙あ、ゔああ゙あ〜〜……!」
「泣いたって駄目だ。食事は残しちゃ駄目だって教えただろう」
「ご、ごえんなじゃいっ、ごえんなざあっい、う、うああ、うあ゙あああ゙……!」
 まるで幼い子供のように大声を上げ、必死に謝罪を繰り返す。許しを乞い、懇願をする。カーヴェはそれを見て、胸にずくりと突き刺さるような何かを感じた。
「かあべじゃないとやだあ、かあべがいいっ、もうやだ、やだようっう、うう、ゔあああ゙ああああ」
 彼女にとって、それはただケーキを求めるフォースとしての本能が告げた言葉でしかなかった。おなかがすいた。おなかがすいた。たべたい。もういちどたべたい。動物的単純欲求は、自身に行われている苦痛から逃れることを求め、そして、抑えられない衝動と欲求を満たすことだけを望んでいた。
 しかし、彼にとってそんなことは関係がない。彼にとって、彼女が自分を求めたという事実だけが重要なのだ。彼女の言葉を聞いた瞬間に、彼の口角が自然に上がっていく。歪に歪んだ口元は、彼の中に渦巻く確かな興奮を教えていた。
「君には」
 今にも舞い上がりそうな心を抑えた高揚に満ちた声が、じっと彼女を見つめる。
「君には、僕が必要なんだな?」
 確かめるように、それを事実にするように、決めつけるように、ほとんど疑問の意味をなさない言葉で彼女を静かに追い詰める。
「僕がいないといきていけない。合っている?」
 彼女はただ解放されたかったので、その言葉の意味もよく分からないままにこくこくと頷いた。
 だがカーヴェにとってはそれで十分だった。興奮に見開いた瞳がじっと彼女を見据え、狂喜する心がくつくつと彼の喉を震わせる。
「ふ、ふふ……」
 そうして、彼は恍惚の笑みを浮かべた。この世の誰よりも幸せそうな笑顔で、愛おしそうに彼女を見つめ、わんわんと泣き喚く彼女の両頬に手を添える。
「意地悪をしてごめんね。ほら、口を開けて……」
 彼は、彼女が吐いた後だということも気にせず、そのまま彼女の口に噛み付くようにキスをした。戸惑う舌を捕まえ、くねくねと舌を動かして絡みつく。彼女の酸素を奪うかのような深いキスは、飢餓に飢えていた彼女に過剰なまでの酩酊と蕩揺を与えた。快楽と大酔、そして酸欠になる身体は彼女のキャパシティを意図も容易く超え、ぐりんと上を向いた眼が涙を流してびくびくと震えた。「ん、ふあ、あっ、あ、んむ、んッ」途切れ途切れに漏れる甘い声に気を良くして、彼は何度も、何度も角度を変えて彼女の唇を貪る。その背を[D:25620]き抱いて、与える度に跳ねる身体を楽しんだ。「あっ、あッ、むちゅ、んっ[V:9825] んむ、んん〜ッ」一体どちらがフォークで、どちらがケーキなのか分かったものではない。少なくとも、今この場において、捕食者であるはずのフォークは被食者たるケーキに蹂躙されていた。思考も、理性も、そしてその快楽でさえも、すべてがケーキによって与えられ、支配されている。
 このフォークは、自分だけのフォークだ。自分だけのものだ。自分だけの運命なのだ!
 ――長いキスが終わり、ようやくカーヴェが彼女を解放してやった時には、彼女はもうほとんど意識はなかった。甘い甘い「毒」の過剰摂取、陶酔した瞳は最早カーヴェのことも見えていない。時折余韻に身体をびくびくと震わせ、ただ溺れるような感覚に呑まれている。
「あ、もっと、もっと、ほし、ちょうだい……」
「……いいよ。君が望むだけ、君の好きなだけ、僕をあげる……」
 もうほとんど無意識的に呟かれた中身のない言葉に、カーヴェもまたうっとりとしながら、再び彼女にキスをした。
 そしてそのまま、シーツの上に彼女を押し倒して馬乗りになる。抑えきれなくなった愛が顕在化して、もはや思考能力もない彼女を大口を開けて飲み込んだ。

 甘い声が部屋に響いている。
 もう、後は堕ちていくだけだった。


  5


 結局、彼女は二週間と持たずにカーヴェに縋り付き、そして頭からぱっくりと食べられてしまった。それからは、彼女が望む以上の甘美なる毒を与えられ続けている。
 少量ならば甘美な蜜のような味が、過剰に与えられることで彼女にとっては毒≠ノもなってしまうこと。それはフォーク全体の性質なのか、それとも彼女だけの性質であるのかは分からないが、カーヴェが与えれば与えるほど、彼女はカーヴェの味に溺れて酩酊し、判断能力を失って思考を停止した。
 それをいいことに、カーヴェは部屋に香を炊くことにした。パラハァムを改良したものだ……健常人が吸っても何の問題もないが、彼女のように意識が遠くへ行っている人間には強く効能を発揮する。思考能力を低下させ、何も考えられなくさせる。腕に枷を付け、寝台に常に縛り付け、彼が仕事で外している間はずっと香を炊き続けて思考を奪った。カーヴェは、自分に縋り付き、自分だけを求めて泣いている彼女に味を占めてしまったのである。独占欲は歪に歪み、そして彼の中の欲を増大させた。初めはただ、彼女が自分から離れていかず、二人で仲睦まじく過ごしていければいいと思っていた。だが、監禁生活を通して、彼は彼女を支配≠キるその喜びに目覚めてしまった。決してどこにも行けないまま彼の帰りを待ち続け、彼がいないと何もできず、そして彼がいないと生きていけない哀れでか弱い、弱々しい姿。それが彼の心に仄暗い感情を芽生えさせてしまったのである。意図的に飢餓状態に陥らせたことによって心も身体も彼のことしか考えられなくなってしまった彼女を見た時のあの高揚感! 彼は、ずっとそうであればいいと思ってしまった。ずっと自分だけを考えて、ずっと自分だけに縋って、自分だけを求めてしまえばいいと、そう考えてしまった。
 だから彼は彼女を閉じ込めている。思考を奪って、何も考えなくさせて、自分の存在だけを求めさせている。
「僕のことが好き?」
「す、すき、すき、んっ、すき」
「愛してる?」
「あい、してる、あいしてる、あいしてる……」
「ふふ、僕も。僕も君を愛してるよ。一生離したりしない……」
 彼女が真にその言葉の意味を理解しているかどうかは分からない。オウム返しのように返しているのか、それとも覚えさせられた言葉をなぞっているのか、今では最早判別もつかない。ただ、一つ言えるのは、彼女はカーヴェを求めている。カーヴェという名のケーキを求めている。それしか考えられない。それしか考えられなくさせている。
「おいし……」
「もっと僕を食べていいんだよ。もっと……何も考えられなくなるまで」
 甘い毒を望めば望む以上に与えられた。彼女はそれに溺れて、何も分からなくなって、ただ、心地良い浮かぶ感覚に身を委ねた。

 ――大好きなのは甘い甘いショートケーキだった。ふわふわのスポンジに、口の中で蕩ける生クリーム、そして甘酸っぱい苺のハーモニーが堪らなく好きだった。だから、彼女はは好きなものを問われた時にいつも同じ言葉を唱える。大好きなのは、白くて甘いショートケーキ!
 だから、今、彼女は満たされている。大好きな甘いショートケーキに包まれて、甘い甘い味の中に一生浸っていられるから。何も考えず、口を開けた先に広がる甘味に酔いながら、彼女は皿の上にだらんと力なく転がる。
 そして、皿の上に転がる彼女を、カーヴェは余すところなく美味しく食べた。彼女を味わう度に広がる甘い甘い感覚は、彼を幸福の絶頂にまで導いてくれる。
 一体どちらがケーキで、どちらがフォークであるのか――それももう今となってはどうでもいいことだろう。ここは二人の家、そして、この閉ざされた部屋には、枷で縛られたフォークと、枷で縛り付けたケーキだけが存在している。
 人気の少ないシティの隅の家に尋ねる人はいない。ここには二人だけしかいなかった。ずっと、二人しかいなかった。
 その家を尋ねる人は、どこにもいない。

 やがて、いつか街を追われたフォークがどこへ行ったのか、知る者は誰もいなくなった。
 ただ、金色の髪をしたルビーの瞳の青年だけは、失踪したフォークの話を聞くと、何故か瞳を細めて、くすくすと可笑しそうに笑うのだった。






みどりのよる