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……………

「今日も来てないな」


隣の空席を見ているリチャードの表情は、今の天気と違い曇っている。

ここ数日、サリーさんはずっと大学に来ていない。

きっと僕が調子に乗ってあんな事を言ったからだ。

こんな事になるのなら最初から誘わなければ良かったと何度も後悔している。

自分のせいだと考えていたリチャードは、授業が終わったにもかかわらず、帰る様子もなく机に塞ぎ込んでしまった。


「はぁ」


出るのはため息ばかりだ。


「あ!ねぇ、リチャード君寝ちゃってるよ!可愛い!」

「もしかして、今日一緒に帰る人いないのかな!?」


その時間になっても動かない彼の姿を見て、近くの女性の生徒がヒソヒソ話を始める。

その視線が嫌になって、彼が帰ろうと立ち上がると


「あ!待って、リチャード君!一緒に帰ろう!」


ひとりで帰る事に気づいた女性達が一斉に集まってくる。

周りを取り囲んでくる彼女達の顔を見て、彼は一瞬だけ眉間にシワを寄せた。


「あ…いや…」

「ズルい!アンタこの間リチャード君と一緒にお昼ご飯食べたんだからいいでしょー!今日は私と一緒に帰ろ!」

「え!?貴方も昨日廊下で彼と喋ってたじゃない!ね、私とはまだあんまり話した事ないし!」

「ちょっとは遠慮しなさいよ!今日は私の番!」


リチャードと一緒に帰りたい女子達が、こんなくだらない事で口ゲンカをしている。


「………。」

「いい加減にしなさいよ!アンタ大体彼氏いるでしょ!?」

「それとこれとは別の話ですー!」


無言の彼を余所に女性達の口論はヒートアップ。


「だーかーらー!」

「ごめん!あのさ」

「……っ…」


彼の珍しい大きな声に、騒いでいた女性達が一斉に静かになった。


「体調悪いんだ…。今日はひとりで帰らせて」


あのリチャードの暗い声に、彼女達もぽかんと口を開いたまま。

鞄を持ち、逃げるようにその場を立ち去った。




ダメだ。

なんだかもう…あの人が頭から離れない。

あんなにたくさん女の人が話しかけてくれるのに

どんな誘いの言葉や誘惑の言葉も、全く耳に入らない。

なんだろう…この気持ちは。

とても心がモヤモヤする。

忘れようと廊下を無我夢中に歩いているとふと前の光景が目に留まり、それと同時に足も自然と止まった。


「………。」


ニック先生…?

彼が僕を待っていたように、廊下の突き当たりに黙って立っていたのだ。


「話がある。来い」


そう言って彼は美術室に入った。

ニック先生との話。

だとすると、接点はひとつしか思い浮かばない。

僕も呼ばれるがまま、先生の背中を追った。

















呼ばれて中に入った美術室。

しかし、なんだろう。

この間来た時より、大分散らかっている気がする。

室内の異変にリチャードはなんとなく辺りを見渡した。

ニックは黙って扉を閉め、邪魔が入らないよう入念に鍵までかけた。


「何ですか?話って」

「あぁ。お前この間…俺に会いに来た事があっただろ。覚えてるか?」

「やっぱり、サリーさんの事ですか?」

「はぁ…」


僕の答えを予想していたとばかりに、大袈裟にため息をつきながらニックはそのドアに寄りかかった。

一時の間を置いた後、先生は重い口を開く。


「悪い。あの時俺…嘘ついてたんだ」

「嘘?」

「アイツとの関係の事。実は俺達…デキてたんだ」


「……ッ…」



リチャードの瞳孔がまるで別人のように開く。

その瞬間に腸が煮えくり返りそうな理不尽な怒りが内心込み上げてきた。

あの時ホッとした感情の分、怒りがその倍で押し寄せてくる。

まさか…まさかとは思っていたけど。

そうじゃなくて良かったと思っていたばかりなのに…

どうして?


「そ…そうだったんですか」


理性で必死に怒りを喰い止める。


「あぁ。サリーがこの大学に入ってからずっと。アイツが授業終わってコソコソと美術室に来てたのも、俺に会いに来る為だったんだよ」

「でも、どうしてそれを突然僕に?他人にそんな事知られたら…」

「もう関係ねぇ。別れたんだからな」

「……ッ!?」


自分の息を吸い込む音が聞こえる。


「他に好きな女が出来たからだ、俺に。元々ガキ相手だから本気じゃなかったし。なんか俺の方が最近飽きちまった」

「………。」


信じられない言葉の数々。

ニック先生の何を知っているわけでもないが、今まで彼を見ていての雰囲気、周りの評判もあった為、この人がそんな人間だとは思っていなかった。

今度ばかりは眉間にシワを寄せ、リチャードは彼を強く睨み付けた。


「おい、何怖い顔してんだよ。俺知ってるぜ。お前がアイツに惚れてる事くらい。だからせっかく別れたってわざわざ報告してやったの…」



ガシャン!!


気づいたらニックの胸ぐらを掴み、強く彼の体を壁に押し付けていた。


「貴方…」

「殴りたきゃ殴りゃいいだろ?」


拳に力が入り、血管が浮き出てくる。

殴りたい。めちゃくちゃぶん殴ってやりたいけど…

既の所でリチャードはニックから荒く手を離した。


「…なんだ?怒ってんじゃねぇのか?」

「怒ってますよ。でも…貴方なんて殴る価値もない」


自分の言葉に表情ひとつ変えないニックに、ますます怒りが込み上げてくる。

こんな非情な男に…彼女は弄ばれた挙句捨てられた。

あんな辛い過去がある彼女を、彼は使用済みの物を捨てる感覚でいとも簡単に裏切ったのだ。

彼女が学校に来ていなかったのは、そのせいもあったのかもしれない。

むしゃくしゃしたリチャードは彼の体を退け、怒りを露にするようにドアを激しく開けて美術室を出て行った。


「………。」

ニックは特に怒る様子も悲しむ様子もなく、ただ無表情に掴まれてシワになったエプロンを伸ばす。

すっげぇシワ。

せっかくのお気に入りエプロンが。


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