黄金の夜明け

「姉さんって、いっつもそうだ」
 穏やかな午後の日差しの中、すっかりと不貞腐れた声が柔らかい風に紛れるように零された。不服を声色全体に塗して、苛立ちというには可愛らしい不満で頬を膨らませた少年。瞳には知性が見え隠れしていて、己が我儘を言っているのだと自覚をしているためか、気まずげな影を落としている。座っていた木陰でニョッキリと伸びていた猫じゃらしをぶちりと引き抜いて、両手を擦り合わせるようにして転がしながら幼い少年はへたくそに笑った。
「ごめん、でも兄さんも寂しがってるから……きっと早く帰ってきてね」









 なんの音だ。女が最初に思考できたのはそんな疑問からだった。聞き慣れない、ざわめきのような音が響いている。弾ける、ざらつく、砕ける。どれも当てはまらない何かの音が、近いようで遠い場所からずっと。その音の正体がどうしても気になって、落ちそうになる意識がふわふわと浮かんでは沈む。心なしか、感じ取れる全てが揺れているように感じた女は次第に覚醒していく。
 聴覚から戻った感覚、次第に触覚、味覚とスイッチが入るように機能しはじめる。口の中に広がるのは錆のような生臭さ。己の血の味だと自覚した途端、急激に女の意識が浮上する。地震にしては穏やかな揺れ、汽車にしては随分と静かで規則性がない。開いた視界の先は汚れ一つ見当たらない木造の天井。朝日か西日が出ている時間なのか、低い位置にある太陽の光がどこかから差し込んできている。瞳にかかるその光に女の瞳孔が小さく絞られる。
 見知らぬ場所で気がつくことがこれまでなかったわけではないが、いつになっても混乱はするもの、寝起き早々の頭をフル回転させて直前までの記憶を思い出そうとしながら女は体を起こした。横になっていたベッドについた右腕の肩がじわりと痛む。力を入れて起き上がった時に左脇腹と背中全体が引き攣るような熱を持つ。胡坐をかこうとして動かしたつもりの左太腿に激痛。なるほどそれなりに満身創痍であると分析した女は苦笑にも似た嘲笑を浮かべて、無事らしいが包帯まみれの左手で目元を覆う。俯いた拍子に金色の髪がさらりと肩を滑った。
「あ、お前起きたのか!駄目だまだ起きるな!」
 耳に飛び込んできた音を遅れて言葉として認識し、そっと目線を上にあげるが誰もいない。幻聴かと首を傾げる前に、硬い何かが触れたのを感じて視線を落とせば丸い目。
「寝てろって!ほら!!」
「……キメラが喋った」
「俺はトナカイだ……!きめらってなんだ?」
 女の目に、帽子を被った二頭身の動物らしき何かが映る。なん、なんだこいつは。あまりの光景に狼狽え色々と思考を巡らせていたものを放棄しかけた女はポカンと口を開けて驚いた。喋っている、こちらの言葉を繰り返した。それどころかこちらに何か意思表示もしている。ツノがありトナカイという発言があったが、こんなに小さな……まさか子供?そんな最悪すぎる予想に吐き気に似た気持ちの悪さと眩暈を覚えて女はくらりと目を回す。
「きっつい」
「だから言ったろ!横になれ今すぐ!!」
 口を滑った言葉に自称トナカイが怒鳴る。ぐいぐいと手を引いてくるので大人しく体を横にしてやりたい気持ちもあるが、そうはいかないと腕を突っ張って女は抵抗した。
「ここどこ」
「ちゃんと話すから寝てくれって、お前酷い怪我だったんだぞ」
 両者の眉間に皺がよる。アドレナリンでも出ているのだろうか、それとも思考が深みにはまり過ぎているのか女は痛覚を感じていないようだ。それでも体は異常を訴えているようで顔には脂汗が滲んでいる。やっと目を覚ましたのは嬉しいが、いきなり起き上がるなんて思ってもいなかったトナカイ――チョッパーは満身創痍な体を思って顔色を悪くした。
「おお!起きたのかお前!」
 第三者の声に、静かに攻防を繰り広げていた1人と1匹の肩が跳ね上がった。低い日差しの眩しさに負けないような軽快な声色。女はヘドロを纏っているかのように鈍い動きのまま、目をそちらへと滑らせた。かぶっている麦わら帽子のツバが女の額に当たって曲がるくらいの至近距離。焦点が合わないほどの近さに出現した顔に、咄嗟のように女がのけぞった。
「ありがとうな!俺の仲間庇ってくれたんだろ、ロビンから聞いたんだ」
「ロビン……」
「ああ、エニエス・ロビーで!」
「え、起きたの!?」
 驚く女の様子なんて全く気にせずにカラッとした笑顔で突然礼を告げた男の言葉に女の目が訝しむように細くなる。なんのことだ疑問を口にする前に畳み掛けるようにまた他者の声が混ざってくる。混乱のせいか、情報量のせいか頭が重くなってきたのだろう、女は無事な手で眉間を揉むようにして項垂れた。慌ててチョッパーが静かにするよう声をかけるも、それしきのことで大人しくなるような人間は1人としていなかった。
「なぁなぁ!お前名前は!?」
「ルフィ!その前に色々あんでしょ!?」
「仲間にすんだから名前が先だ!!」
「だっから順序ってもんがあんでしょうが!」
 ゴイン、鈍い音が思考を遮ったので顔を上げれば思った以上に人に囲われていたことに女の喉がヒクリと震えた。まだ状況把握すらできていないのに何だこの展開の速さは、目を回しそうだと喉の奥で唸る。
「お、おお……なんって美しい瞳だ……女神かそうか」
「珍しい色してんなぁ、目立って良いじゃねぇか」
「髪も目もぎらついてやがんな」
「マリモに美的感覚は備わってないか」
「よし斬ろうおいグルグルお前表でろ」
「誰がグルグルだ脳ミソグルグル方向音痴!!」
「うるっさいわねあんたたち!!」
 いや全員うるさい。びっくりするほどうるさい。警戒しているのがバカらしくなってきた女は肺に溜まっていた空気をゆっくりと吐き出した。会話からこちらが誰なのかは知られていないというのはわかった。なんだか知らぬ間に人助けをしていたらしく、それについて感謝されているのも理解した。下手に警戒心を出す方が悪手か、と楽観にも似た豪快さで満身創痍である女は警戒を緩めた。
「あーあらためて聞くけど……ここどこ?」
 綺麗に傾けられた首と弱ったような声色、全員がぴたりと口を閉じた。そんな声とは対照的なほどに明るい声で、麦わらの男が叫ぶように場所らしい名称を告げた。
「ここはサニーだ!」
「ちょっとルフィは黙ってて」
 利発そうな見た目の女性が一度麦わら帽子の男に拳を振りおりし、乱暴に引きずって離れていく。そのまま道の途中にいた鼻の長い男も何やら騒ぎだす。思わず二度見してしまう長さの鼻を持つ男も女性が巻き込むようにして引きずり、正座をさせた。上下関係が垣間見える行動に知らずに気が抜けた女は強張っていた肩の力を抜いていた。
「ここは海賊船の医務室、エニエス・ロビーではありがとう」
 黒髪の女性がベッドの脇へと歩み寄り、微笑みながら爆弾発言を落とす。先ほどから飛び交っていた単語と感謝の言葉から彼女が「ロビン」らしいことだけはわかったが、聞きなれない単語が一つ混ざっていたために女は固まった。
「カイゾク」
「ええ」
「船の上」
「ええ」
「……海?」
 海?内陸国家である「この国」で海?加えて船の上?声には出さなかったものの女の混乱は麦わらの一味から見ても分かり易かったようだ。恐怖こそ見て取れないが、全身で「どういうことだ」と訴えてくるほどに疑問符を飛ばしているのを見て女が落ち着くのを待つようにじっと見つめる。
 華奢で女性らしい体つきはしているものの、しっかりと引き締まった体は鍛えられたもの。満身創痍と言っていいほどの体には新しいものから古いものまで、多くの傷跡が残っている。何より目を引くのが、その瞳の色だ。目を覚ましたことで初めて知ったその色は、一目見れば忘れないだろう印象を与える金色。同じ金髪のサンジと並んでもより輝いて見える髪の色も、今まで見たことのない色合いをしていた。
 一味としても一見するだけで普通ではない女を船に乗せるにあたっては一悶着あったのだが、結果として船長のワガママで甲斐甲斐しくも看病をしてまで船に乗せることとなった。しかし今後についてはこの女次第である、いつでも抜けるように刀に手をかけているゾロは目を細めて女の言動を観察した。
「お前もお尋ね者だったんだろ、じゃなきゃあんな場所で、んなもんつけられてないだろ」
「お尋ね者……あーまあそうだったのか……?」
「あ?」
「いや、何をつけられてたって?」
 お尋ね者、あんな場所。点と点を結びつけるようにして痛む頭をフル回転させる女は、ゾロが警戒を深めたことに気が付かずにわからない点のみ質問で返す。頭の回転だけは人並み以上であることを自負していた女はそれを止めることだけはしないよう、グッと米神を親指で押し込んで痛みを誤魔化そうとした。
「へー、しらばっくれんのか」
 声をかけられた方へと顔を向けた女はそこで初めてゾロを真っ直ぐに見つめる。正面から向けられた眼光が太陽の光に上手いこと反射してとんでもない色を発している。思わずゾロの目が眩しいものを見るように細められた。対する女の方はゾロの格好を見て間抜けな顔をしていた。腰に剣を3本、なんでそんな本数を携えているのか、予備にしては邪魔そうだなんて呑気にも思考がずれる。ポカンとした顔にピクリと眉を持ち上げ、決まりが悪くなったゾロの舌打ちが漏れた。すかさずそこにスーツの男、タバコを咥えたサンジからゾロへと鋭い蹴りが入った。
「さっきから!!レディに対して!!失礼なんだよ貴様!!」
「うるっせぇお前はだぁってろ!!」
 柄が悪すぎである。なるほど海賊、海賊……このご時世に。寝物語のものだと思っていたが、まだ絶滅していなかったのか。なんて現実逃避のように考えた女は、ゾロに持っていかれそうになった思考の核を修正し思考を展開させる。あんな場所、お尋ね者、その言い回しからエニエス・ロビーとやらは海賊が嫌煙するような場所、もしくは機関らしいことが伺える。大方刑務所か治安を取り締まっている組織の関連施設か何か。これだけの情報でそこまで予想し、かつ正解に近い結論に至っているのだが女はその疑問や質問を口からは出さなかった。
「ロビンちゃんを庇ってくれた可憐なレディ、クソが申し訳ねぇ。本当ならその足枷の鍵も奪えていたはずだったんだが、この変態が置いてきちまって」
「さりげなく俺のせいにすんじゃねぇ!」
 足枷。その言葉に女は真っ白な布団をべろりと捲る。片方の太ももには血が滲んだ包帯が巻かれており、穴でも空いているようだ。撃ち抜かれたか何か刺さったかは覚えていない。そう覚えていない。足についている鎖の少し長い足枷についても、女の記憶にない。参ったというように女の眉が綺麗に下がった。確かにこれはトナカイが言っていた通り、ひどい怪我だ。想定以上の出血と傷に女は内心で途方に暮れた。
「お前ら!何っで大事なこと聞かねぇんだ!」
 女が顔を上げればどうしてか足枷のことを教えてくれた男は鼻血を噴いてぶっ倒れており、声を出した麦わらの男まで遮る何も無くなっていた。真っ直ぐ突き抜けてくるような視線が明かりでぎらりと光っている。
「俺はモンキー・D・ルフィ!海賊王になる男だ!お前は!?」
 海賊王、海賊にも王政でもあるんだろうか、いやニュアンス的には他の海賊蹴散らしててっぺんとるぞとかそういう雰囲気だ。珍しい名前だなと思いながらもどう名乗るべきか、女は顔に出さずに考慮する。大衆に知られている名を名乗るのは、好ましくない。だからといって関係のない名前だともしもこちらを探す誰かがいた時に引っ掛かりができない。それが敵だとしても手がかりが向こうから来るのであれば逃す手はない、であれば。一瞬で頭を回して結論を出した女が、口を開いた。
「レイルス、レイルス・ホーエンハイム」

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投稿日:2021/1231
  更新日:2021/1231