第四のラッパ吹き

「お父さんにとって、あなたは本当に特別なのよ」
 内緒話でもするかのように、潜められた声。枯葉の匂いが強くなり、鼻に抜ける温度が少しだけ冷たく乾いている。少女のようにクスクスと笑いながら、遠くの空を見て風が強いねなんて笑う女性はどこまでも柔らかく暖かい。たっぷりとした栗色の髪が風に遊ばれるようにして泳いでいる。
「特別大事で、特別可愛くて、特別優しくしたくて……」
 歩く速度と合わせて、一つずつもたらされる愛の言葉。その一つ一つを大切そうに語る口調がくすぐったい程幸せを謳っている。数日晴れが続いていたから、踏みしめる草がちくちくと足首を刺している。喉がくっつくような息苦しさは、気のせいだろうか。
「だからね、難しいのかもしれないけれど……あなただけはお父さんのこと、全部好きでいてあげてね」







 唖然としているレイルスを抱えて医務室に戻したのはチョッパーだったのだが、そのチョッパーにも問題があったせいで、レイルスは濡れ鼠状態のまま頭を抱えていた。ルフィの腕が伸びた。文字通り伸びた、数メートルは伸びた。そしてチョッパーの可愛い体躯ではレイルスなんぞ絶対に抱えられないだろうに知らぬ間に大男となっており、そのチョッパーに抱えられてベッドに戻された。待て待て待て待て、いや待ってくれ。
混乱しながら顔を上げたレイルスの目に入ったのは広げられたままの新聞で、そこには理解できない単語が並べられていたと思い出す。ノロノロと新聞を手に取ったレイルスの目は若干瞳孔が開いていた。そんな目が紙面の上をじっと見下ろす。
 ルフィは「ゴムゴムの実のゴム人間」、ロビンは「ハナハナの実の能力」と謎の羅列があって読み飛ばしていたのだが、そのゴムという単語に吸い寄せられるように目が止まる。新聞を捲れば注釈のように小さく欄が設けられており、そこには丁寧にレイルスが欲しい情報が記されていた。
 悪魔の実シリーズ。この実を食すことで超人的な力を得ることができる、未だ謎の多い果物。実を食べたもの(以下能力者)は泳げなくなるというデメリットを抱えるものの、名だたる海賊達はこぞってこの実を食べていることが判明している。麦わらのルフィは「ゴムゴムの実のゴム人間」であり、全身がゴムのように伸び縮みする。銃弾も一切効かず、ゴムのように弾き返す能力者である。
 サラッと書かれたその情報にレイルスは改めて頭を抱えた。どういう原理だ。カナヅチになるだけで体がゴムになるなんて。伸びたところは一瞬しか見えなかったが、伸びた腕が細くなるといったこともなかった。そうなると質量保存の法則を無視している。理解が及ばないがそういうものだと理解するしかないのか。そういえばチョッパーも「ヒトヒトの実」を食べたと言っていたことをレイルスは思い出す。ヒトヒトってなんだ。だから話せるとかそんなことも言っていたような。レイルスは頭が痛くなるのを感じながら先ほどの光景と新聞の情報を統合していく。
 訳がわからないが、疑問が湧く。普通に考えてもありえないし、海に嫌われるだけでそんな未知の力を得るなどイコールの計算式にはまずならない。足りない何かが、対価として取られているとすれば命とか、生命力とか……魂とか。ゾッとする考えにレイルスは思わず身を震わせる。
「……やな考えだ」
「何がだ?」
 背中にぶつけられた声に振り返れば扉を開けたフランキーが不思議そうにレイルスを見ていた。フランキー越しに見える外はひどく暗かったが、あの嵐の音は聞こえない。代わりに妙な音、歌がレイルスの耳に届いた。
「いや……嵐は大丈夫だったの」
「ああ抜けた、それよか嬢ちゃんオバケは信じるか?」
 なんだ突然、と首を傾げるもいいからこいよと手招きされて医務室を出る。ジメッとした空気が重ったるく皮膚にまとわりつくような嫌悪感。すん、と鼻を鳴らして匂いを嗅いでも何か混じっているようではないので多少警戒を解いて足を進める。甲板に行くとナミが泣き崩れるようにして膝をついており、ルフィは目を爛々と輝かせていた。さっきの樽を投げた後風呂にでも入れと言おうと思っていたのだが、あの嵐の中甲板にいたのであれば問題ないだろうとレイルスは開いた口を閉じた。見れば全員見事にびしょ濡れだ。よし問題なしとレイルスは雑に判断した。
「やっぱ歩くと邪魔そうだな」
 フランキーはレイルスの歩くたびにジャラジャラと音を立てる足枷に意識を取られており、ついに我慢ならんというように細っこい少女を抱え上げた。レイルスにすれば突然のことで声を上げることもできず、不安定になる体を安定させようと手がワタワタと空を泳ぐ。驚きから落ち着いて、抱えられたのだと気がついた時にはしっかりとフランキーの肩を掴んでいた。
「おうおう、掴んどけ!」
 片手で軽々と抱えられてしまったことに再度驚くレイルスはフランキーがあまりの軽さに少しショックを受けていることを知らない。サンジから食糧事情がよろしくなかったらしい過去を軽く聞かされた時に泣いたフランキーだったがまた泣きそうだった。こんな若い娘がそんな苦労を、と人情に厚すぎるフランキーは大きく鼻を啜って涙を誤魔化そうとした。レイルスは手に触れる肌に所々金属特有の冷たさと硬さを感じ、そんなフランキーの様子に微塵も気が付いていない。基本肌色で覆われているが見た目以上に弄っているらしい。掴んだ肩も前側がしっかりと硬く、つい指で突いてしまった。それに気がついたフランキーは涙を引っ込めることに成功し、得意げに笑ってみせる。
「珍しいだろ」
「肌色被せてる人は初めて見たかな」
「……へぇ?」
 サングラスをあげているため、しっかりと目が合う。面白そうに細められた瞳がそれこそ珍しそうにレイルスを見あげる。人の集まるところまで連れて行かれて丁寧に降ろされたレイルスは、目の前に大きな船が並んでいることにやっと気がついた。ぼろぼろで、帆があちこち穴が空いている。あれでは風を受けて進むことも難しそうだ。日の光が全く通らない霧の中、不気味なほどに暗い場所で見る船は、なるほどオバケなんて単語が出てきそうなほどの雰囲気がある。話を聞いていればどうやらクジで誰が隣の船を見に行くのかを決めたらしく、当たりを引いてしまったらしいナミが嘆いているというところだ。
「ここはフロリアントライアングルつってよ、毎年とんでもねぇ数の船が行方不明になる海域だ」
サンジが重々しい雰囲気で語る。脅かそうとしているのだろう、ご丁寧にジッポで自分の顔をしたから照らしてニヤリと笑う姿にウソップとナミ、チョッパー悲鳴を上げた。怖がっている為にあからさまなほどに顔色も悪く、なんならウソップは謎の服装に変わっていた。十字架やら持っているからそれらで追い払うつもりらしい。かわいそうなくらいにドロドロに泣いている。
「い、イム……!お前も怖くて出てきたのか……!?」
「……」
「嬢ちゃん、呼んでるぜ」
「え」
 ハッとしてレイルスが目を向ければチョッパーが足元でぐずぐずに泣いていた。チョッパーの胸元にもウソップに借りた大きめのクロスがかかっている。
「何?」
「イムはオバケ怖いか!?倒せるか!?」
「いやぁ怖くはないかなぁ……」
「ほんとか!?」
 ピト、と足にくっついてくる暖かい温度にレイルスは少し微笑んでしまう。くっつくのが怪我をしていない方な足なあたりしっかりしている。うるうると大きな瞳をうるませて見上げてくるチョッパーは本気で怖いのだろう、ぶるぶると震えていた。レイルスにくっついたチョッパーはあれ、体温が低いぞと震える蹄をレイルスの脚にくっつけて我に帰りかけたが、それ以上に恐怖がまさり全身でレイルスの脚にまとわりついた。そうこうしている間に向こうの船へと向かっていたらしいルフィ、サンジ、ナミの声が遠ざかる。早くこいというルフィの声にナミが言葉にならない悲鳴と怒声の混じった奇声をあげているようだ。
 なんかもう可愛いからいいか、理解の範疇を超えている生き物なんて多くいるだろう。世界は広かった、そういうことにしておこう。なんて諦めに似た感覚でチョッパーをウリウリと撫でている間に事はさらに進んでいたらしく、隣の船に行っていたらしい三人と、生きた骸骨が戻ってきたのだった。
 ごめんなさいタイムで。レイルスは凄まじい勢いで手の平を返した。


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投稿日:2022/0103
  更新日:2022/0103