本能のカウント
降谷がその報告を聞いたのは全てが収束し、水瀬が職場に復帰した後だった。風見から諸伏が刑事部の案件に首を突っ込んだと聞かされた時は潜入捜査官をなんだと思っているのかと怒鳴り散らしたい思いでいっぱいだったが、詳細を知れば知るほどスルスルとその怒りは収束してついにはパチンと弾けてしまった。
本当にギリギリだった。諸伏が米花中央病院にあたりをつけ、当時の水瀬の関係者、患者を洗った結果今回の犯人像に合致しそうな人物が1人浮上した。ケアを受けにきた患者で、水瀬は見学として医者に付き添っていたそうだが患者の希望で水瀬がケアに当たった。結果、相手のDomのコマンドがうまく通らず、逆上。他の患者もいる中でSubのくせになどと騒いだため鎮静剤にて落ち着かせ、別の担当へと引き継いだ。他にも水瀬にコマンドがうまく通らない事案はあったことから、水瀬自身もその一つとしてあまり強く印象に残っていなかったのだろう。しかし鎮静剤まで出たのはこの人物のみで、相当暴れたのだろうことが推測された。唯一証言していたGlare耐性のための実習にこの男は名前すら残っていない。しかし、実習当日のカルテを確認したところ、その男も当日通院履歴があり嫌な予感がして諸伏が監視カメラを確認したところ、なんと実習を行っていた部屋に男が乱入している姿が確認された。
かなり黒いその男について諸伏が萩原に報告を入れたところ、萩原は移動中で無線で松田の無茶を知ったタイミングだった。嫌な予感を募らせた萩原は諸伏に追加でお願いを一つ託した。米花中央病院の昨日から今日にかけての監視カメラのログの確認。その男が出入りしていないか、不審物を持っていないかどうか見てくれと言われ諸伏もゾッとしながら急ぎ解析を行なった。結果、萩原の予感は的中、なんならその不審物の隠し場所までしっかり特定した諸伏のおかげで松田と水瀬は助かった。
タイマーはその時点で5分を切っていたという。
それを知ってしまった降谷は、諸伏の鳩尾に拳を一度沈めるだけで何もいうことができなかった。ただ、自分を除け者にしたという点だけはどれだけ考えても納得できず諸伏に大量の始末書を笑顔で突きつけるに至った。連日表の爆弾騒ぎに首を突っ込んだ罰である。いっそ嬉々として自分がそのうちの一件に絡んだことも棚上げして降谷は職権濫用した。
「……大変、だったそうですね」
「あはは、見た目だけ大袈裟なんです」
そして、多少無理をして捻じ込んだケアの日。水瀬の小さな顔を覆うような大きなガーゼ。痛々しい姿に降谷は顔を顰めた。刑事部が護衛をしていたというのに目の前で誘拐、そして暴行を加えられた挙句爆弾と心中しかけた。降谷はなんなら、水瀬のケアをする心意気でいたが表情を見るにすでに水瀬の中では消化ができているらしい。やるせないような、良かったと思うような。複雑な心境は降谷の喉を詰まらせた。以前聞いたきっかけだという刑事が萩原だったと言うのもどうにも降谷には喉に小骨がひっかかるような違和感を抱かせていた。
「でも本当、病院の爆弾が見つかって良かったです」
「……」
「それもこれも見つけてくださった方と、解体を進めてくださった方のおかげですね」
ありがたいです。と心からの言葉。今回問題行動を起こした諸伏には聞かせられないなと頭の隅で降谷は思う。そしてポロ、と言葉を落とす。
「犯人、捕まらなかったそうですね」
「……人定はできたみたいなので」
結局犯人を捕まえることはできなかった、その言葉に初めて水瀬の顔から少しだけ表情が落ちた。機敏にそれに気がつけたのは、降谷の観察眼があまりにも鋭いからだろう。
「引っ越しは?」
「え?」
「引っ越すだろう?どこにするんだ」
自宅で襲われたのだ、心など休まらないだろうしこれからのことを考えると一刻も早く住居を移すべきだ。実際水瀬はここ数日警察病院で入院という形で寝泊まりをしていた。
「そうですね、実はまだ探せていなくて」
「ならいくつかピックアップするから、一週間以内には出られるように準備だけ進めておくように」
「え?」
キョト、とした水瀬に降谷は呆れた声で返す。
「本当なら入院中に他の刑事が引越しまで済ませておくべきなんだ。それくらい急務だ、わかるかい」
はく、と水瀬が空気を吐き出す。部下にいうような口調になってしまったな、と思いながらも降谷は言葉を撤回しない。一週間あるだけありがたいと思って欲しいくらいだった。公安の刑事はセキュリティーレベルや潜入の内容によって自宅やセーフハウスがコロコロと変動する。そのため常にと言っていいほど物件情報については最新のものが潤沢に用意されているし、空き家として抑えている場所も存在する。その中の一部を提供するなど朝飯前だ。降谷の勢いに押されたのか水瀬はこくんと頷いた。
「無事と言っていいか微妙だけれど、良かったよ」
「……ありがとうございます」
おそらく他の刑事にも多く言われた言葉なのだろう。それでもしっかりと受け止めるように感謝の言葉を告げる水瀬は、その重みを確認するような素振りを見せている。降谷はニコリと笑った。
「それで?他にはどこを怪我したんだ?」
「え」
「そうだな、セーフワードは観覧車」
困惑する水瀬をスルーして、降谷は以前と同様にベッドの隣をぽんぽん叩きながら「Sit」とコマンドを向ける。オロオロしながらも素直に寄ってきた水瀬に笑みを深める。
「ほら教えて、Say」
しっかりと水瀬に向き直って水瀬が口を開くのを待つ。薄く開いが唇がためらうようにまた閉じる。再度、強めにコマンドを向けた。
「怪我の場所だ、Say」
「……ここ、と…………ここ、あと、ここです」
「……そうか、教えてくれてありがとう」
ゆっくりと3箇所、首、腕、頬を指をさして示した水瀬に礼を伝える。報告にあった場所と全て合致、頭部に怪我がないことを改めて確認した降谷はそっと水瀬の頭を撫でた。普段は髪の上から触る程度だが、頭皮に触れるように髪の間に指を潜らせて触れる。水瀬の反応をジッと見ていた降谷は水瀬が拒絶しない、嫌悪を見せないことを観察しながら指を櫛のようにして髪の間を滑らせる。
「実は事件の報告を見てね、観覧車の中でずっと気絶していたとは言え、爆弾と共に心中しかけたと後から知ったんだろう?」
「……え?」
「……報告書ではそうあがってたけど、違うのか?」
「あれ、え……一度起きて、捜一の刑事さんと話し、て……」
おい松田。降谷は心の中で罵声を向けた。観覧車から救出された時水瀬は松田に抱えられ、気絶していたそうだ。報告でも水瀬の観覧車内での言動がなかったことからてっきり終始気絶していたのかと思ったがどうやら目を覚まし、なんなら爆発する直前のタイマーを松田とともに見守っていたという。虚偽報告、松田貴様。降谷はひくりと顔を引き攣らせた。「無駄だろ必要がない」と面倒そうにいう松田を想像できて降谷はため息をこぼす。
「何も、できなかったので……」
「何を言ってるんだ、冷静に状況を把握しパニックにならなかっただけ賞賛できるものだよ」
警察学校を卒業してまだたった数ヶ月、それも現場での経験は1ヶ月程度の交番勤務のみ。他の同期よりも交番勤務が極端に短いのはそれだけD課での水瀬の働きを期待されているからだ。水瀬の経歴だけ見れば、パニックに陥っていても全くおかしくない。現場経験のある刑事部の刑事でもここまで冷静でいられるものはどれだけいるだろう。案外水瀬は公安に向いているのかもしれない、そんな風にすら降谷は思ってしまった。
「なんでですかね」
「うん?」
するりと水瀬の耳元をくすぐるように指でなぞって降谷は言葉を促す。
「誰も言わないんです……そもそも誘拐されなければこうならなかった」
本当に悔いている声を水瀬があげて、降谷は手を止める。なるほど、降谷が思うよりもずっと強く、水瀬は刑事であるらしい。しかし状況を知れば知るほど、水瀬が誘拐された経緯に水瀬の非はなかった。警護も行っていた、水瀬も十分すぎるほど私用を切り捨てそれに協力した、拙いながらも抵抗し身を守ろうとした。だが、いくら警察官とはいえ男女の差もある、迎えの警察を名乗って油断を誘われている状況でそれを見越しておけなんて流石の降谷も新人に対して言い難い。それも普段の職務は現場ではなく内勤の裏方。護衛に当たっていた警官が盗聴器に気がつかなかったのも含め、水瀬が攫われたのはやはり刑事部のミスだろう。
「ちゃんと鍛えないと、ダメですね」
「…………いい子だな、本当に」
治ったら逮捕術の講習会に出るんですとポソポソ話す後輩の健気な姿勢に、降谷は我慢を捨てて両手で頭を撫で始めた。
投稿日:2022/0625
更新日:2022/0625