本能のカウント
頑張った、誰が言おうと諸伏は頑張った。影の功労者である諸伏の存在は当たり前だが伏せられることとなり、萩原は米花中央病院の患者からのタレコミとして諸伏が提供した情報を処理をした。それはいい、別にいい。なんなら久しぶりに諸伏の仕事が表に出る形で事件の解決の糸口となったのだから公安としては失格だが満足感すらあった。そう、公安として失格。ここが諸伏にとって相当ネックだった。事後報告で念のため風見に報告すればこれでもかと叱られ。降谷には拳一発で済まされたが言いたいことはわかったので自ら「次はしないよ、もうない」と宣言をした。それで済めば良かったのだが、萩原から何かうっすらとでも聞いたのか松田がうるさかった。どうやって人定まで行ったのか教えろと馬鹿みたいにメールが届き、通知が鳴り止まなかった。違法捜査だと言ってやりたかったが、言えるはずもなく。ご丁寧に毎回文章を変え、長文なのだから凄まじい熱意で諸伏のスマホのメール受信欄を圧迫した。
そして罰だと言わんばかりに後日降谷から投げられた仕事は、本来潜入捜査官がしないような物件の査定とピックアップ。これがおそろしほど厄介で、なんと期限残り数時間。思わず馬鹿野郎と怒鳴ってからパソコンを叩きまくり、時間を4分すぎて風見に提出したところで、初めて水瀬の引っ越し先の候補だと聞いて頭を抱えた。
そして風見に頼み込み、なんとか期限をプラス30分もらい改めて物件の精査を行い提出を行なった。本当に頑張ったのだ。それから3日後、風見から水瀬の転居先と転居希望日を聴き公安の息のかかった業者を手配。雑務という雑務を回した諸伏だったが降谷と風見には少し感謝をしていた。最後まで見てやれ、言外にそう言われているのだと分かったからだ。忙しかったし、降谷からは嫌味のように「34分」と遅れた時間の単語だけメールで送られてきて腹が立ったが。仲間外れにされたことを根に持っているようだと諸伏は正しく降谷の心境を当てていた。諸伏と萩原もこう言ったことで腹の立つタイプであるが、根に持つのはダントツで降谷である。なまじ記憶力がいいせいで数年越しにふと「そういえばあの時の」などと話されることも多々ある。
「前回、無断でキャンセルとなってしまい本当にすみませんでした」
入室早々、そうやって深々と頭を下げた水瀬に諸伏は慌てた。面談が受けられなかったことから、珍しく短いスパンでの登庁。そのことに水瀬も気が付いているのだろう、あげさせた顔色はあまり良くない。
「いえ、ご無事で良かったです」
引越し前日だ、それでも職場に出てきている水瀬にちょっと呆れた気持ちすら湧いていた諸伏は心から安堵の言葉を送る。萩原から観覧車に乗せられているという状況を聞いた時は本当に肝が冷えたし、あれほど高速で映像の確認をしたのも初めてだった。当たり前だが、諸伏はこの件に自分が絡んでいることを一切水瀬へ告げるつもりはない。やめろと注意されるまでもなく、タブーであるのは分かっていた。
「諸伏さんは大丈夫でしたか?」
だから続けられた言葉に一瞬理解が追いつかなかった。
「必須である面談をこちらの都合で延期にしてしまったので、お仕事に影響とか、体調は問題ないですか?」
「あ、ああ……大丈夫、平気。たった数日だし」
「たった、じゃないですよ数日も、です」
うう、と項垂れる水瀬は再び謝罪の言葉を告げた。相当重く捉えているらしい水瀬に疑問の目を向けると水瀬は困った顔で口を開いた。
「諸伏さんご本人にお伝えするのはどうかな、とは思うんですけど……私は、面談するに当たって公安の方には特に面談回数を気にするようにしています」
「どうして?」
「他の所属の方より知れない、見えないところが多いからです」
当たり前だ、それが公安だと諸伏は頷く。
「そして多分、警察の中で誰よりも……重たい役割を背負っていただいてます」
重たい。水瀬が表現を選んだのがわかる言葉だ。嫌な役割、恨まれる役割、汚れ仕事。違法捜査とはそういうものだ。暗黙の了解の下公安はその他の警察へ沈黙を強要している。公安案件だと言って他部署から事件を丸ごとかっさらい煙たがられるのだって慣れている。
「私には想像がつかない、知らない、わからない領域ですけど……他の部署以上にダイナミクスの管理が重要なのはわかります」
コクリと諸伏は頷く。特に潜入捜査においては命にも関わる問題だ。だからこそ諸伏も必須の面談を受けている。潜入をしていない公安刑事も同じく、仲間であるはずの警官から罵倒を浴び白い目を向けられることに気を病むものは少なからずいる。国がバックにあるだけで、やっていることは犯罪行為なのだ。警官としてのあり方を疑念に持ち辞めてしまう者も毎年いる。
「折角他の方は許されない接点なんです、ちゃんと……ちゃんと、荷物を下ろせないのもわかります、けど……整えて、歩きやすいようにくらいしたいと思うのは当然です」
絶句した。なんてことを言うんだと水瀬を見下ろして、諸伏は声にならない音を喉から発した。下ろせない荷物と称して見せた水瀬は諸伏のそんな様子に目を瞬かせている。普通なら、少しでも荷物を下ろせると表現するだろう、それを当たり前のように水瀬は下ろせないものと言い切った。それほど公安が、諸伏が担っている任務の重要性を理解していると言ったのだ。
「いや……どこの部署もそうだよ」
「言えないことが当たり前なのは公安だけですよ」
その上で、謙虚に荷物を整えられたらと、力になると断言する他部署の人間が、どれだけ貴重か。分かっていない、水瀬は分かっていないまま口にしている。カッと諸伏の腹の奥が熱くなった。公安のプライドでそれの熱を顔に出すことは絶対にしなかった、当たり前だそんなふうに称賛してくれる刑事の前でそんな失態してなるものかと諸伏は歯を食いしばった。
「ありが、とう」
しかしながらみっともなく声は震えた。ちくしょうと諸伏は内心で己を詰った。
投稿日:2022/0626
更新日:2022/0626