初診・松田
松田陣平はこれまで一度もD課の面談を受けたことがない。上司に良い加減受けろと叱られようが無視を決め込み、人事部から通知が来ても必要ないと突っぱねてきていたほどの筋金入りの面談嫌いである。例えそれで自身の評価が下がろうが関係ないと言わんばかり、実際下げて見ろと上司に喧嘩すら売ったくらいだ。しかしながら、まさかこんなことになろうとは、と自らの足でD課の面談に赴くべく受診票片手に慣れないフロアを彷徨っていた。
D課――正式名称は警視庁警務部人事課・ダイナミクス課安定係はその性質上人の出入りが非常に少ないフロアの隅にひっそりと位置している。世間に第二の性、いわゆるダイナミクス性が浸透したのち飛躍的に需要が必要となったメンタルケアの精神科医であるが、その特異性と医師免許が必要になることから供給は圧倒的に足りていないというのが現状である。ましてや、医大や大きな研究所でも引っ張りだこであるD専門家。そんな引く手数多である職業だからこそ、あえて警視庁の門を叩こうという発想を持つものはいない。そのためD課で働く医師は、殆どがクリニックや近くの医大から一時的に警視庁に派遣されてきている一般人が務めていた。
そんなD課に、今年初めてこれまで長いこと羨望されていた医師免許を持つ警察官が配属になった。その変わり者は医師免許を有するための資格試験に合格した上で公務員試験を受験、後に警察学校へ入校するという異色の経歴を持つ。相当の変人であるだろうというのが松田の見解だった。そのまま精神科医としてどこかの医大や総合病院に配属となった方が給料もいいだろうに、あえて警察官となる道に進んだその新人に関して警視庁ではひっそりと噂が飛び交った。
警察官が職務を全うするためのメンタルケア要員。D課への面談など時間の無駄だと考えている松田がとうとうその面談から逃れられなくなったのが、そんな新人の話題が上がってきたのと同じタイミングだった。
萩原が過去に怪我をさせられた事件の犯人を確保したい。1年毎に犯行予告のカウントダウンが出たことでその思いが募り、捜査を萩原が現在所属している捜査一課が担当すると聞けば、そこへ異動したいと思うのも仕方のないことだった。爆発物処理班としてできることは予告の段階では何もなく、過去の爆弾の形式を頭に叩き込んでおく程度。なんなら予告の情報が来て以降、詳しい捜査状況すら連携されず萩原に殴り込みに行ったほどである。もちろん、私情での異動願いなどなかなか通るものでもないのだが、それに加えてD課の面談をこれまで受けていないことが大きなネックとなって松田に襲いかかってきていた。いよいよ今年はカウントゼロの年。松田の焦燥感もピークに達し、最終通告のように上司より「本気で異動を希望するならまず面談を受けてこい」と受診票を叩きつけられたのである。勝手に予約まで取り付けられた松田に逃げ場はなかった。
「……失礼します、面談来たんですけど」
訪れたD課の執務室は事務が主なのであろうというほど書類に囲まれていた。異様なのは壁一面にびっしりと詰め込まれた資料と本。医学書らしきタイトルや英字のものが見えて松田はギョッとした。大学の研究室のような空気だ、そう感じるほど警察組織内部にある部屋に思えなかったのは喧騒が少なく、どの課にも1人はいるであろうガタイのいい刑事が室内に見えないことも原因の一つだった。
「あれ、面談なら直接個室に行って大丈夫だよ」
課長席に座る刑事が不思議そうに首を傾げる。そして松田の顔を見て、納得したように頷いて立ち上がった。
「やっと来たか、問題児君」
ヒクリ、松田の顔が引き攣る。噛みつきそうになるも、流石に初対面の明らかに自身よりも上の役職の人物相手に喧嘩を売るほど松田も無鉄砲ではない。その上、爆処の上司からもこってりと絞られた直後だったため松田も多少反省していた。
「受診票は持ってるね。ほらここ時間と部屋書いてあるでしょ、直接向かって大丈夫」
「ありがとうございます」
「今日この時間に捩じ込んでくれた上司に感謝するんだよ」
「はぁ」
失礼します、と一言告げて執務室から退室する。捩じ込んだ、という言葉に引っかかりを覚えながらも執務室からさほど離れていない部屋へと向かう。作り的に、明らかに取調室だった場所を改装したのだろう作りでゲンナリとしそうになる。通常の取調室と違うのは、病院のように部屋の壁に「担当:水瀬」という名前が掲げられていることだろうか。覗き窓から中を見れば白衣をきた華奢な姿が部屋の奥に見える。軽くノックをすればどうぞ、と女の声が返ってきて松田は眉を寄せる。ふうと小さくため息をついて、タバコを吸いたいと思いながら部屋を開ける。
「どうも」
「松田さんですね、本日担当の水瀬です」
何もない部屋だ、と松田は訝しむ。本当に取調室のように、最低限のものしか存在しない。違うのは簡易ベッドがあるくらいだろうか。女が座るデスクの上にはPCしか置かれていない。随分若い、噂の新人だろうと松田はすぐに見当がついた。
「すみません、椅子が一脚のみなので簡易ベッドの方に座ってください」
「……なんで一脚なんだ」
一番引っかかっていた部分を口にしながらどかりとベッドに腰を下ろす。
「混乱した方が座っていた椅子で殴りかかってきたことがあったみたいですよ」
想像していたよりも恐ろしい理由で松田は口をへの字に曲げた。どこの暴行犯だ、それが刑事だと思うと情けない限りである。
「本当ならコーヒーとか飲みながらのんびり話せる方がいいんでしょうけど、それで事件になったら世話ないですからね」
「不便そうだな」
ポケットに手を突っ込みながら、タバコの箱を手の中で遊ばせる。面談者はまるで容疑者扱いだ、過去にそういった前例がある以上仕方がないのかもしれないが、苛立ちのようなものが一瞬湧き上がる。
松田はDomだ、おそらく過去にそうした暴行を起こしたのもDomなのだろう。実際、Domは暴力的だという偏見を持つものは少なくはない。松田の口の悪さや態度のデカさについても、「ああDomだもんな」と言われることもあるくらいには一般的な考え方だ。凶悪犯は大抵Domだとニュースで騒がれるのも日常だ。
「松田さん喫煙者なんですね」
「……だからなんだ?」
タバコの箱はポケットの中、匂いで気が付いたのかと松田は遊ばせていた手を思わず止める。
「最近よく喫煙者の方が、タバコ吸える飯屋が減ったってぼやいてまして」
ぐ、と松田の喉が閉まる。機動隊は基本的に有事の際以外は規則正しい時間帯に食事が取れる。体が資本というのもあるが、捜査一課などに比べれば昼時にしっかりと食事はできる。その分、警視庁の食堂を利用するものも多いが、なにぶん禁煙となっているため喫煙者はこぞって外へ食事へと向かうのだ。しかし世間的に喫煙者に厳しい世の中になってきている影響か、喫煙可能な食事場所というのが案外少ない。一課に異動になってめっきり昼時間が合わなくなった萩原も同じようにぼやいていた。
「……あんたも吸うのか?」
「私ですか?吸うように見えますかね……」
「見えねぇな」
そうですね、吸いませんしと水瀬は笑う。愛嬌のある人懐こい笑顔だ。
「吸わないんですけど、なぜか穴場の喫煙スポット教えていただいて……松田さん知ってますかね」
そういって警視庁から程近い場所にあるのだという蕎麦屋の名前を出され、松田は首を振る。
「なんでもうちのOBの方が最近始めた場所みたいで、警官だとその日売れ行きの悪い天ぷらが一つおまけで出るみたいです」
「あまりもんじゃねぇか」
「仲良くなってくると天かすになるらしいですよ」
それはおまけというのだろうか。手をポケットから出して松田は思わず思案する。
「んで?警察手帳でも見せればおまけしてくれんの?」
「物騒なおまけの要求の仕方ですね、多分バッジとか職員証でバレるんじゃないですかね?かなり近いので皆さん首から下げたまま行ってそうですし……店主さんが元々捜査一課の方らしいのでそういう目は肥えてそうですし」
確かに警察手帳を見せて会計をするなど、側から見れば捜査協力の要請にしか見えないと松田は顔を顰めた。だが松田にとってはありがたい情報なのは間違いなく周りの喫煙者からも聞いたことのない場所のため、しっかりと店名を記憶した。
「ありがとよ、行ってみる」
ふわ、と松田の肩から力が抜ける。
「是非是非、ちなみにこのお店の場所教えてくださったの捜査一課の目暮警部なので、よかったら感想をお伝えください」
「……特殊犯の刑事か?」
「いえ?強行犯だったかな……」
流石の松田も、萩原の現上司に自分を引き抜けと直接いうのは憚られる。それで萩原の肩身が狭くなるのは本意ではない。ここで繋がりができればと思ったのだがそこまでうまくは行かないようだ。
「異動希望なんですよね」
「そんなことまでお前に情報いくのか」
「あれ、受診予約ご自身でやってない感じですか?予約の時に記入されて提出されてきてましたよ」
あのクソッタレ上司、と心の中で悪態をつく。おそらく松田の喫煙情報も上司が垂れ流したのだろう。好き勝手何を書かれているのかわかったものではない、と松田は舌を打った。
「それで?今日は何すりゃいいんだ、お前にコマンドぶつけりゃいいのか」
苛立ちのままそういえば、水瀬は心底不思議そうに首を傾げる。放っておいても勝手にSubの女が寄ってきてプレイを求めてくるというのに、どうして業務時間中にまでそんなことをしなければならないのだと苛立ちが募る。そもそも、適宜適当に発散してはいるものの、松田は元からプレイが好きというわけではない。終わった後に面倒が増えるというのあるし、特段ストレス発散にも欲求発散にもなっていないからだ。せめて男の医者なら楽だったのに、と部屋に入る前から松田は思っていた。関係のない話をダラダラと続けられることへの不満が松田の言葉の節々に散らばる。
「緊急を要するならしますが、そこまで逼迫してるんですか?」
だから、首を傾げてそう言い放った水瀬の言葉を飲み込むのに少し時間がかかった。そして言葉を理解して、ブワリと苛立ちが湧き上がる。欲求不満かのように言われ腹が立ったのだ。しかし水瀬は松田にしっかりと目を合わせて静かに口を開く。
「松田さん、私たちダイナミクス専門の精神科医がどうして面談をしているか知っていますか?」
「欲求発散のためのケアだろ」
「違います」
はっきりと、芯の通った声で否定をされて松田は顔を顰める。
「警察官は元々緊急の要請が多く、現場によってはダイナミクスが不安定になる可能性が高いです」
わかりきったことだ、爆弾の解体現場でも被害者のSubがサブドロップしていることも少なくはないし、護衛任務でGlareを撒き散らして犯行に及ぼうとするDomも見たことがある。
「事件に触れるたび、ダイナミクスを左右される警官は少なくありません」
過去、萩原が相当参っていたことを思い出した松田はぎゅうと眉間に皺を寄せた。後輩や上司でも、メンタルをやられてダイナミクス値が荒れた結果、専門の施設へ送られたものは少なくない。
「私たちは、その不安定なダイナミクスを安定化させるためにいます」
「……SubならGlareぶつけられてもサブドロップしないように、つーことか」
「極論はそうですね」
ふ、と水瀬が笑う。松田の乱暴な言いようは水瀬にとっては新鮮だった。松田は水瀬の言葉を聞いて頭を回す。ダイナミクスの安定化。周囲を見ていれば確かにそれは必要な業務だろう。事件のたびに犯人に煽られて使えなくなる警官など邪魔なだけだ。
「そして現在、松田さんは少しの苛立ちで若干Glareを発するような状態です」
「……は?」
「本当なら業務停止命令が出て、病院に入院です」
「待て、いつだ」
「さっきからちょこちょこ漏れてますよ」
苦笑とともに言われた言葉に松田は絶句する。もし本当だとすれば完全に無意識だ。それがわかるということは水瀬はSubなのだろう、素直に悪いことをしたと松田は頭を抱えた。警察がGlareを人にぶつけていいのは、ダイナミクス耐性訓練の時と、街中でGlareを撒き散らすDomがいる緊急事態の場合のみである。上司から頻繁に面談を受けろと言われていたのは、もしかするとGlareの放出が多々あったからかもしれないと松田はついに項垂れた。
「……すまん」
「大丈夫ですよ」
「申し訳ないついでになんだが、業務停止は避けられないのか」
「避けられますよ、ちゃんと面談来ていただけるのなら」
松田は項垂れたまま力なく頷いた。
投稿日:2022/0601
更新日:2022/0601