だって突飛もない


 その少女のことを乙骨は理解できなかった。
 普段通り、といっては何だが乙骨に危害を加えるもの、そうでないもの問わず怨霊と化した折本里香は排除する。例にももれずその少女――蒼水も里香によって全治一か月という大怪我を負った。乙骨の家族、妹でさえ気に入らないとなれば排除にかかる里香だ。たとえ蒼水が根っからの善人であろうが、いじめられている乙骨を気にかけて声をかけようがそれは変わらない。よって乙骨は「またか」とばかりに絶望に陥って打ちひしがれた。またかなんて思いながらも、とびきり優しく接してくれていた蒼水に怪我を負わせたことは乙骨にとっては大打撃で、自然と学校へ行かなくなった。しかし普段と違ったのがその根っからの善人が、その性根の明るさと正義感に合わせて、とんでもなく鈍かったことだろう。
「乙骨君、久しぶり」
「え」
 同級生が家に来たと母親に呼ばれていやいや部屋からでた乙骨の前には、ちょうど一か月前に里香によって怪我を負わされた蒼水がいた。仰天した乙骨は蒼水が担任から預かったのだというプリントを差し出しながら呑気に「なんだか痩せたね」なんて笑っているのを見て言葉がまったく浮かばない。
 いつもであれば、乙骨に関わって怪我をした人間は善人悪人問わず乙骨を恐れ離れていった。乙骨でも彼らの心理は痛いほどに分かる。笑って話しかけようが馬鹿にして笑おうが怖く痛い思いをさせてくるような危険人物、乙骨も関わりたいと思わない。自分のせいで人が怪我をするとわかってからは乙骨は人と関わることをやめようと自分から喋ることをやめた。それでも蒼水にこうして怪我をさせてしまったから出席日数が足りなくなると担任に言われようとも登校拒否をしていたというのに。
「ど、どうして」
「昨日学校いったら乙骨君来てないってきいて気になって」
 であればクラスでも乙骨の話は聞いているはずだ。蒼水に怪我を負わせたあとも里香はある意味平等に乙骨に関わるものを害していたため、その被害の頻度と大きさはすでに誰もが知るところ。一番大きな怪我をさせられた蒼水であればなおさらクラスメイトからも担任からも関わるなと止められたはずだ。乙骨と違い、根が明るく友人の多い蒼水は誰からも好かれる優しい人だった。こんな乙骨でさえずっと気にかけてくれていたのだから、その優しさを一番知っていたのは乙骨でもある。
「あぶないよ」
 死んだ目で乙骨は口を開いた。引きつったようなひどい表情はつつけば決壊しそうな何かを抱えていた。
「僕にかかわると、また怪我するよ」
「乙骨君が私のこと殴ったわけじゃないの、わかってるよ?」
「悪く言われるよ」
「勘違いだってみんなにいうよ」
「……でも」
 蒼水は本気で言っている。慰めるわけでもなく、同情するでもなく怪我をする前と変わらず乙骨に言葉をぶつけてくれている。乙骨にとっては信じられない現状に、呆然としながらも泣きそうなほどに震える何かを感じていた。だから気が付くのが遅れてしまった。
 気が付けば、また蒼水は倒れていて。乙骨家の玄関前、蒼水は右足を妙な方向にひん曲げられてぐったりとしていた。

 しかし、乙骨が信じられないほど蒼水という女は折れなかった。むしろ乙骨が怖い近寄るなと泣いても「大丈夫だよ」となんの根拠もなく近寄ってくるものだから、治りきる前に里香による暴行が降りかかる始末。乙骨は中学二年という若さで胃痛を抱えることとなった。それでも蒼水は乙骨を諦めてくれない。里香の沸点も不明なため、大小さまざまな怪我をこさえて、ときには救急車で搬送されていく蒼水を見送ってはギャン泣きして嘆いた。
「なんでそこまでして関わるの?」
 純粋な疑問だった、乙骨は蒼水にそこまでしてもらえる理由を持っていない。むしろ嫌われて遠ざけられ、恨まれたっておかしくないと思っている。不幸中の幸いだったのは、里香が蒼水に負わせる怪我が酷くなることがなかったことくらいだ。手加減ではなく単に里香が蒼水という個人を認識していないからという理由からであるが。万が一にでも蒼水のことを覚えて居たらこの程度ではすんでいなかっただろうというのは後にグッドルッキングガイを自称する最強の男に教えられることとなるのだが、この時の乙骨はそんな些事を考えられるほどの余裕がなかった。
「なんでって?」
 つい先日里香によって吹き飛ばされて青あざになってしまった頬におおきなガーゼを貼った蒼水が首を傾げる。
「こんなに怪我するし、蒼水さんも周りに悪くいわれる」
 乙骨が懸念した通り、彼に関わるせいで蒼水まで周囲に遠巻きにされ始めていた。しかし身体への痛みと同じく、こちらも気にした素振りを見せない蒼水。根暗な自覚がある乙骨には信じがたい強靭さをもった蒼水の前向きさはやはり理解の範疇を超えていた。
「でも本当のことじゃないし」
「僕といて怪我をしたのは本当だよ」
「乙骨君が私のほっぺ殴ったわけじゃないよ、なんなら乙骨君私に触ったこともないじゃん」
 ね、なんて同意を求めてくる蒼水に乙骨は言葉を詰める。だが、乙骨の傍にいる里香がその強大な手を振り払ったせいだと乙骨は知っている。誰にそのことを伝えても、教師も親も信じてくれなかった。臆病を拗らせた乙骨は、何度怪我を負っても関わってこようとする蒼水にそのことを伝えられない。どうして、なんで理解できないなんて口ではいいながらも、乙骨は蒼水に見限られることを怖いと思っていた。それも当たり前だ、もう乙骨に優しい言葉をくれる人は誰もいなかった。蒼水にまで嘘つき呼ばわりされるのは耐えがたかった。
「乙骨君は優しいよね」
 そんなの君の方だ。
「乙骨君は悪くないのに謝るし」
 違う、悪いのは僕だ。君が知らないだけで。
「乙骨君にひどいこと言ってた先輩が怪我しても泣いてるし」
 だって僕のせいで大怪我を負った。
「私の怪我だって乙骨君がやったわけじゃないのに、近くにいたからってだけで死んじゃいそうな顔する」
 目の前で里香が蒼水へと暴力を振るのを、叫ぶだけで止められないのだから当然だ。
「私人を見る目は自信あるの」
 普段通りの笑みを浮かべるも、頬が痛んだのだろう「いてて」と眉を下げた蒼水に乙骨は背中を丸めて縮こまった。誰かと関わって怪我をさせるのは嫌だと思う。こんなにも乙骨をよく言ってくれる蒼水相手では尚更で、どうかもう怪我をしないでほしいと心底思う。けれど同時に、どうしようもなくほの暗い感情が乙骨の中に芽生えつつあった。
 笑いもしない、いつも泣いてばかりで傍にいれば突然暴力が降り注ぐそうなどうしようもない乙骨にも、蒼水にとってはこうして優しさを振る舞う対象であるということが、優越感に似た甘さを孕んでじわじわと乙骨の中で育てられていた。普通、そんなどうしようもない暗い男など近寄りたくもないだろう。おまけに里香によって怪我までするのだ。
 逆に言えば、怪我をしても乙骨の傍にいたいとそう思ってくれているということ。乙骨がそう考えるのも自然だった。
 しかし蒼水にとっては当然の行いであった。場合によっては相手が乙骨ではなくてもおそらくは同じことをしただろう。危機感の欠如に加えて底なしの善人は、惨いことに皆に「平等」にしているからこそ乙骨を見捨てなかっただけだ。だが乙骨にとっては特別をむき出しにして差し出されているようなもの。蒼水が乙骨に普通に接すれば接するほど、乙骨の中でその感情はすくすくと育っていきしまいには誰にも手が付けられないほど凶悪になっていった。
 ついに出席日数が足りず蒼水と共に中学を卒業できなかった乙骨は、蒼水との学力差もあり地元にある治安が悪いことで有名な高校に進学する。入学してすぐ、春に転機が訪れる。留年したことがどこかからか広まり、いじめが勃発。里香による怪我にことを知らないまっさらな人間関係があだとなり、これまでにない障害事件を引き起こしたことがきっかけとなる。
 その転機により都立呪術高専へと転入した乙骨は、その年のクリスマスに里香の解呪に成功する。ある種里香によってブレーキを踏んでいた乙骨の蒼水への感情が暴走したのは道理だった。翌年後輩になる伏黒に「二年では乙骨先輩が一番ぶっとんでる」と言わしめる珍事を引き起こし、五条悟を笑い袋へと変貌させる言動をとることとなる。乙骨をそこまでにした蒼水が悪いなんて五条は宣うが、同級生からすれば里香をああした乙骨に素養がありすぎた、とのこと。



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投稿日:2022/1229
  更新日:2022/1229