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「お前それ風邪?」
「え、ああうん、近寄んない方が良いよ」
こういう日に限って日付が出席番号だった。そのせいでなんども授業で当てられる羽目になったのだが、あまりにも声が掠れているせいか国語の先生には「すまん」なんて謝られてしまった。野球部監督である片岡先生である。見た目が厳つくこの先生の授業では普段では寝ている野球部がそれはもう絵にかいたような優等生になるものだがらクラスでもそんな空気になって、片岡先生の授業で寝る生徒や私語をするような生徒もいない。そんな先生に謝らせてしまったものだから、クラスメイトからのやるなあいつ、といった感じの心の声が聞こえてくるようで苦笑が漏れた。みんな顔がうるさいのである。その中でもとりわけ顔で主張してきたのが倉持君である、斜め前に座っているというのもあってもろにその顔芸を直視してしまって私はあっさりと噎せ、片岡先生にも心配される始末だった。
その授業が終わってすぐ、椅子に座ったままこちらに振り向いた倉持君が椅子の背もたれに左腕の乗せながら体を半分こちらに向けて問いかけてきた。
「熱はねーの?」
「昨日まではあったけど今朝は下がってたよ、大丈夫だって」
なんて言った傍からゴホ、なんて咳が漏れてしまったが、本当に体はもう大丈夫なのだ。どちらかと言うとメンタル的には今すぐにでも帰りたいくらいには重傷だけれども。もとから目付きの悪い顔のなのにその顔を更に顰めた倉持君はガンをつける、と言い表しても遜色ない視線をぶつけてくる。倉持君をこわい、という女子は結構多い。かくいう私も一年の頃は怖がっていたと思う。口悪いしガラ悪いし目付き悪いし、なんて思っていたら不躾に見過ぎていたのか「あんだよ」なんて低い声で聴かれてしまったので慌ててなんでもないと取り繕った。怖いと思っていたのは確かだが、いつだったかなんだ普通のひとじゃんになっていた。もちろん野球部としての倉持君を少なからず知っているから、というか青道で一番バッターを任される人が不良な訳がないのだ。元はそうなのかもしれないけど。
「決勝、すごかった」
「あ?……あー」
「おめでと」
「おー」
どーも、なんてもごもごと、それでもしっかりと御礼を言うあたりが彼らしいなと思う。義理堅いというか、律儀というか。野球部がインターハイでどれだけ悔しい思いをしているかを目の当たりにしていたから、だからこそ本当に喜びたかった。汚い気持ちに気が付かなければよかったのか、それとももっと根本的に、御幸君に想いを募らせるべきではなかったのか。でもきっと御幸君を好きにならなければここまで野球部を応援していなかった、そうおもうとなんだか余計に辛くて、苦しくて、嫌な気持ちがマスクの中に充満した気がした。
「一昨日から具合悪かったのかよ」
「あはは、実は」
「だろうな、居なかったもんなお前」
え、と零れた音は多分薄いマスクの隙間から床に落ちていった。それくらいにほろ、と落ちたのだ。
「音ちっせーなと思ったらなまえいねーし」
「……気が付いたんだ」
「は?わかるだろそんくらい」
遠くでチャイムの音が聞こえる。教室にいるのだからそんなはずないのに、なにかフィルターをかけたようにくぐもって聞こえた音に反応して、倉持君が前を向く。気が、ついたんだ。自分の言葉を頭の中で反復させて、ジワリと言葉が解けていく。ほどけたそれは糸のように細く柔らかくなり、するっとどこか奥の方まで入り込んでいく。わかるだろそんくらい。と当たり前の様に言われた。少し怪訝そうな顔で、それが当たり前だと言った彼は、絶対に気が付いていない。どれだけ自分が凄いことを言ったのか、どれだけその言葉で私が動揺しているのか。
そして、そんな私も気が付かない、前を向いて決してこちらを向こうとしない彼の耳に温度が灯っていることに。
投稿日:2018/1111
更新日:2018/1111