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 人は忙しい。
 コロコロと表情を変えるあるじさんを見ていて思ったのは、初めて重傷の刀が出た時だった。元から白い顔色から血の気が失せてしまうほどに青ざめて、きゅっと唇を噛みしめて手入れ部屋へと足を進める。その背中は普段よりもいっそう小さく細く見えて、触れてしまえば吹き飛んでしまいそうなほどだった。背筋にぞわぞわとなにか得体のしれない何かが駆けあがり、奥歯を噛みしめたくなるような、妙な力みを全身に感じる。誰かが「焦ってんのか…踏ん張ってんのかね」とぼそりと呟いていた声を聞いて、ああこの感覚はいままで感じたことのなかったものだなと気が付き、「焦り」と「奮起」であると知る。顔色を見た時には怯えているのかと思っていたが、そうではなく主として戦おうとしていたのだなとボンヤリと考えた。時間はかかったが重傷となった刀も無事に修繕を終え、煤と血であちこちを汚したあるじさんが手入れ部屋から出てきた。一言目に誰かが言った「主は大丈夫かい?」の言葉にヘラりと笑っていたのを鮮明に覚えている。その頃にはすっかり背筋はいつも通りで、全身の強張りも消え失せていた。ヘラりと笑った顔に伴ってほっこりとどこかが温まったから、忙しいなあなんて思ったんだったか。
「あ〜るじさん!」
「わ、びっくりした」
 背中にぞわぞわとしたものを感じ、部屋へ向かって断りもなくスパン!と戸を引いてみれば弾かれる様に顔を上げたあるじさん。勢いが良すぎたのか、スカートのフリルが薄らと風に揺らいだのが分かった。手元には血に汚れた巫女服があり、ああそう言えば今日も誰かが怪我をしていたなと思い出す。戦場に出ている以上、多少の怪我は日常でしかない。そのせいか誰が怪我をしたのかまでは思い出せない。流石に重傷になれば覚えていただろうが、軽傷であればあるじさんに言わずにいることすらあるくらいだった。
「(言わなくてもばれちゃうんだけどね)」
「も〜、心臓ばくばくしてるよ」
 右手で胸元を抑える様にしたため、両手で持っていた巫女服がパサリと膝の上に落ち着いた。それを横目にすとんとあるじさんの横に膝をついてじろじろと顔色を窺ってみたが普段と何ら変わりなく、気が付けば背中に感じていた「焦り」も無くなってしまっていた。思わず「あ〜あ」なんて落胆ににた声が出てしまってあるじさんを困惑させてしまったが取り繕うように言葉を発した。
「あるじさんってかわいい服とかないの?」
 いっつもそれ。といって膝の上でくしゃりとなってしまっている巫女服を指さす。政府から支給されているものだと知ってはいるが、別に現代の服を着てはいけないという決まりはない筈だ。演練であったことのある他の本丸の審神者が巫女服以外を着ているのを見たことがある。「これしか見たことない」と続ければなんでもないように、ああ、と答えが返ってきた。
「う〜ん、可愛い服って煩わしいっていうか、汚さない様にって思っちゃうし」
かわいいという言葉と煩わしいという言葉がうまく直結できず、暫く考え込んでしまう。かわいいは、煩わしい。あまり並ぶことのない単語だからか、並んだ時の違和が猛烈ではあったが続けられた「汚さない様に」というのはなんとなくだが理解はできた。
「乱だってその服で畑仕事はしないでしょ?」
 うん、と頷きながらもどうにも嫌な感覚を覚えていた。なにか気が付いてはいけない物に触れそうになっているような、ぎりぎりを保っているなにかを崩そうとぐらぐらと地面が揺れているような。恐怖程ではないが、不安というには優しすぎて、形容が難しい。戦に出てこのスカートが血に濡れることを、どうしてか許容してしまっている自分がいる。戦闘服がそうなってしまうことはしょうがないことで当たり前のことだ。自分は刀で、戦うためにここにいて、そのために呼ばれた。
「乱?」
 あるじさんに不思議そうに呼ばれ、ハッと顔を上げる。気が付いたら視界にはあるじさんの巫女服の白と、誰かの血と煤が映っており無意識に俯いてしまっていたと知る。巫女服を汚しているのは明らかに刀剣の誰かが怪我をしたからで、きっと自分がこの白を汚してしまった事もあるのだろう。文字通り膝をつき合わせるほどに近くに腰を下ろしていたために、すぐ傍にいるあるじさん。よく見れば肌着のままで、そのことに気が付いて目が回るような心地になってしまった。弾けるようにして立ち上がり、「もう寝る!」とだけ告げて逃げるように部屋から飛び出す。ピシャリと障子を合せてずんずんと脚を進める。
 胃の中をぐるぐると何かが暴れまわっているような不快感。手の平にジワリと感じる手汗や、妙なリズムで早まっている鼓動から、紛れもなく自分自身だけが感じているものであろう。これがあるじさんから伝わってくる感情という言い訳は効きそうにもなかった。

 人は、難しい。
 うううん、と唸り畳の上で横たわりながら庭先に出て他の短刀と遊んでいるあるじさんを眺める。おろしたてなのか、巫女服が太陽の光を反射していて眩しいくらいに白い。それなのにも関わらず汚れることなんて全く気にしていないのだろう、両手で抱え込むように五虎退の虎を抱えている。きっと胸元はすこし土がついてしまっているだろうなと90度ずれている世界を眺めながら大きく肺を膨らませるように息を吸い込む。昼間の秋の匂いは温度が独特で、鼻の奥や気管のなかをすうっと涼しく通り過ぎていく。澄んだ花の匂いなのか、どこか甘さを感じるような気がするのは少し前にすべて散ってしまった金木犀のせいだろうか。もう名残すらないだろうに、どうしてか薫ってくるようなそんな気がしてしまう。
「お疲れかい?」
「う〜ん、そうじゃないけど」
 そういって背後に座ったらしいのは声と気配からして鶴丸さんだ。暫くするとしゃくしゃくとなにやら音がしだし、次第に梨の芳香が漂ってくる。ごろんと転がって背後を確認すれば案の定手に梨を持った鶴丸さんが口を大きく開けた状態で「ん?」と首を傾げてこちらを見ていた。
「……皮剥かないの?」
「面倒でなぁ」
 まさに手元の梨に被りつこうとしていた口で、「このままでも大丈夫だろう」と続けた鶴丸さんに少し呆れながら、成程他の伊達の刀は遠征部隊に組み込まれていたかと思い出す。剥こうか?と問いかけようにも既に一口齧ってしまった後だ。表面がかけて中身の白い実が露わになっている。よくよく見れば真っ白な内番服は所々土に塗れており、どうやら先ほどまで外にいたらしいと知る。見事なまでの白が容赦なく汚れており薄らと草を潰した時の青い匂いが混じっていることにも気が付いた。どうやら手の梨は自力で取ってきたもののようだ。
「汚れてるよ」
「そりゃな」
「怒られるよ」
「そうさなぁ」
 また一口、みずみずしい音を立てて実が削られた。いっそくどいくらいに甘い匂いに少しだけ顔を顰めながらむくりと起き上がって鶴丸さんの座る机の前まで四つん這いで進めば、ころころと三つほど梨が机に転がっていた。どこかで洗ってきたのだろうが、直接机に置いているせいで小さく水溜りが出来てしまっている。「喰うかい?」と左の人差し指で転がっている梨を弾いた鶴丸さんに首を横に振って答える。
「鶴丸さんは汚したくない物ってある?」
「おっと?土塗れの俺に聞くのかい」
 はは、と笑いながらこいこいと手招きをされたため呼ばれるままに隣に腰を下ろす。座ってみて分かったが丁度庭の全貌が見える位置らしく、あるじさんのこともよく見える場所だった。いらないと言ったのに結局梨を一つこちらに寄越してきたうえで、壁に寄りかかる様にして姿勢を楽にした鶴丸さんは、まずはと前置きをするように空に指を掲げた。
「俺は汚れない物をしらん」
「すぐ汚しちゃうもんね」
「手厳しいな!」
 まあでもそうだなと含んだようにまた笑い、立てた膝の上に肘をついて一拍。
 これだって洗えばいいし、俺は風呂にでも入ればいつも通りさ、なんていつも怒られていることなど無いもののようにさらっとそんな発言をしてしまうあたり今回もまったく反省をしていないようだ。洗えばいいというが、なんだかそれはしっくりとこない。取り返しのつかないものだってあることはよく知っている。
「乱は汚れるのが嫌なのか?」
「別に〜」
 ただ、ただ。その先が言葉につっかえて出てこないのはここしばらくずっとでそのせいで少しだけ呼吸が難しい。庭で一等白く眩しいあるじさんが、高く笑い声をあげたのをきいて喉に詰まっている言葉の塊がごろりと寝返りをうったような気がした。
「じゃあ汚したくないのか?」
 その台詞には思わず横を向いてしまう。まだ半分も食べていないのに飽きてしまったのか、先ほどから一口も食べ進められていない梨を手で遊ばせながら、その背景に庭が来るように少しだけ持ち上げているからかどこか視線が遠い。
言外に「どうして?」と続けられたような気がして、脳が勝手に言い訳のように続きを吐き出そうと回る。だって柔らかいから、だって可愛いから、だって弱いから。それらは結局喉につかえた物にぶつかって胃の中を逆流していってしまう。なんとかその隙間から這い上がって来られたのはここ数日で頭の中を旋回していた一つの疑問だった。
「ねえ鶴丸さん」
「ん?」
「かわいいって、わずらわしいの?」
 ぱち、と鶴丸さんの白い睫毛に縁どられた瞳が瞼に一瞬隠れる。喉元の何かはいまの言葉を吐きだしたせいで余計に位置を悪くしたのか、なんだかぎゅうと痛みすら発しているようだ。「面白い表現だな」と口の中だけで確かめるように煩わしいという言葉を続けた鶴丸さんから目を正面に戻す。やはり、眩しいくらいの白が目に痛い。
「煩い、患いなぁ」
「わずらい?」
「お前さんがそんな風に可笑しくなるくらいにそれは可愛いのかい?」
「可笑しくはないけど……うん」
「汚しちまうくらい白いのかい?」
「白い……眩しい?」
「眩しい?光るのか?」
「光る……」
 あるじさんが秋の日に照らされて幸せそうに笑っている。このまえ突いた歯を見せながら、心地のいい声で笑っている。べつに光ってはいない、人間は光らない。光らないけれど眩しいし、ちかちかとしていて思わず目を細めそうになってしまう。
 こういう時なんて言うんだっけ、と適切な言葉を探る。脳の中にはそれなりに言葉が散らばっていて、けれどかちりと当てはめることが難しいなあと思い始めたのはここ最近だ。けれどもどうにか近い表現を見つけられた、そうだ。
「きらきら?」
 その言葉に、一瞬固まって見せた鶴丸さんが破裂するように噴き出した。
 それはいいものだな、と朗らかに笑っている鶴丸さんはおもちゃでも見るような目でこちらを見ているだけでそれっきりなにかを話すことはなかった。
 余談であるが、このあと沢山の刀に微笑ましく見守られることになるのだが僕がこの感情に名前を付けられるのはまだまだ先の話である。



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投稿日:2020/0808
  更新日:2020/0808