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青道高校野球部面々は、御幸一也という男の「野球以外はてんでダメ」という欠点を甘く見ていた。マネージャーであるみょうじに対し暴言(なお詳細は不明である)をぶつけ八つ当たりをしたのにも関わらず数か月謝罪なし。周囲にせっつかれてやっと謝罪へと踏み出したというのに結局ごめんの一言すら述べず。挙句の果て所かまわずみょうじにへたくそな口説き文句を吐き出し、部員を震撼させた。しかもあの沢村まで「またやってんすかキャップ」と呆れるほどの頻度である。最初こそ困惑した野球部だがそこまで頻繁に目撃してしまうとなれるのも早かった。「なまえちゃん〜、俺にもマッサージ頼むわ」
冗談交じりに名前で呼ばれることなどもはや誰も反応しない。
「う、うん……でも先に川上君から」
「ええ〜一也くん傷つくなぁ俺優先してもいいじゃん怪我してんだよ?」
「えっと……」
「……みょうじ、俺後でいいから」
「わりぃなノリ」
負けるなノリ、がんばれノリと応援していた二年は御幸があくどい顔つきで川上を見上げた時点で勝敗を察した。工藤が代わりにやるよと肩を叩いて慰めているのを見た御幸は心なしか満足気である。一部始終を見ていた倉持は頭を抱えた。
「やっぱみょうじにやってもらった方が次の日身体軽いんだよ、いつもサンキューな」
「……うん」
「あ、そういやマッサージのあとって仕事残ってんの?」
「今日はもうないけど」
「じゃあ帰り送るわ」
「いいよ、前園くんに」
「ゾノ?なんで?」
「なんでって……」
「俺でいいじゃん、それとも俺嫌とか?ないよな」
なぁと話を振られた前園は、御幸の笑顔に嫌な顔をしてからため息を吐き出した。目が笑っていない。みょうじには申し訳ないが面倒を回避したいという気持ちの方がずっと強かったため前園は川上と同じく回避の選択を取り「御幸に送ってもらえ」とマネージャーを売った。
「他のマネもいるし……いいよ」
「方向違うじゃん」
「御幸くんに面倒かけるのは」
「ええ?面倒とか言ってないのにひでぇ」
「おい御幸一也!みょうじさん困らせるなよいっつも!!」
「沢村くんは大人しく今日のケア終わらせてくださーい。それになまえちゃん困ってないだろ?」
唯一つっかかるのは沢村くらいである。今日も我慢がきかなくなった沢村が、困った顔をして俯き始めたみょうじを助けんと声を上げたが、真正面から肯定しにくい質問をぶつけられたみょうじは眉を下げて黙ってしまう。沢村もみょうじの様子に「ほら!」と言いつのろうとしたのだが、その前に御幸に笑っていない笑みを向けられて口を閉ざしてしまった。あまりうるさくすると自主練時に付き合ってもらえる球数が減るのだ。
「みょうじさん困ったらまじで言ってつかぁさい!俺がお兄さんに告げ口しやす!」
「はは、勘弁して」
小湊亮介と他三年による妨害も冬休みに突入してやっと落ち着いたというのに。状況を理解しないながら毎回特大の爆弾を置いていく結城が近くに住んでいるために心が休まらない御幸にとって沢村の牽制は存外に刺さっていた。野球での牽制を上達させろと言いたくなる。ちなみに件の結城だが、みょうじに直接「御幸のことが好きなのか」と御幸の前で問いかけることから始まり、「みょうじはモテるらしいな、クラスの奴に名前を聞かれた」などそれはもう御幸のこころをひっかきまわしていくのだ。小湊は結城の発言をきいて固まる御幸をみて爆笑しながら動画を撮影していた。
「まじで寒いな最近」
「うん」
みょうじは御幸の言動に困惑ばかりが先行して、理解が全く追いついていなかった。どうしてどうしてと脳内で疑問ばかりがせめぎたて、落ち着こうと思う前に追撃のように御幸がちょっかいをかけてくるからだ。おまけに妙に圧があるものだからみょうじが委縮して言いなりになってしまうのも致し方なかった。
「手でもつなぐ?」
「……なんで?」
「俺の手あったかいから」
「……平気です」
「残念」
グローブをつけたままの手を差し出されて、みょうじは仰天しながらもなんとか拒否をする。ひっこめられた御幸の大きな手はジャケットのポケットの中にしまい込まれる。そこでみょうじはやっとその手を凝視していたことに気が付いて慌てて視線を前へと正した。吐き出す息が白くなっているのが、街頭にほのかに照らされて視認できる。手袋を忘れたみょうじはそれを隠すように御幸に倣って両手をコートの中に押し込んだ。残念なんていいながら、ちっとも残念そうではない。傷つくなんて言ってもへらへらと笑ってなんなら楽しそうにしている。プレー中、考えていることを欠片も感じ取らせないポーカーフェイスは心強い、しかしプレー外でも変わらず御幸の考えていることが全く分からないために不安に似た居心地の悪さを突き付けられていた。
御幸が周りを遠ざけているだけだがみょうじにとってはそうではなく、やりとりが異様なせいですこしずつ部内で遠巻きにされているのだと微妙にずれて勘違いをしていた。御幸なりのアプローチなのだが、みょうじからすれば迷惑でしかない。野球部内で浮きはじめているのとみょうじは思い始めていた。
同時に、みょうじは御幸の言葉をその通りに受け取ってはいない。同級生たちがこぞって御幸は軽薄でありいかに何も考えていないかみょうじに滾々と説いたというのもあるし、みょうじ自身御幸に好かれているなんてちっとも思っていなかった。同級生たちは御幸に万が一にでも彼女ができるのを嫌がったのである、筆頭は麻生だった。マネ仲間である夏川と梅本も御幸だけはやめておけと思っているため、自業自得であるが野球部に御幸の味方は全くいなかった。
「もう宿題手つけた?」
「うん、終わらせた」
「え?まじ?結構量あったよな」
「残す方がつらいから」
「うわー、なにもやってない俺にいう?」
ふっと笑う気配を漂わせる御幸にみょうじは返答に迷って視線を落とした。
「今度オフの時に教えてよ」
「え?」
「やだ?なまえちゃんおねがい〜冬連でしごかれてる俺を労って」
「渡辺くんとかもおわってると、思うけど」
「なんでナベ?」
「私よりあたまいいし」
「みょうじに頼みたいんだけど俺」
「……わかった」
「やっぱ頼りになるなぁ、さんきゅ……かわりに試合で活躍するから見ててね」
「嘘」
咄嗟に否定の言葉を吐き出してしまったみょうじは慌てて口を手で塞ぐ。きょとんとした顔をした御幸が足をとめてみょうじを見下ろした。
「え?活躍しないだろって?ひっでぇな療養中の選手に〜」
「ちが、そうじゃなくて」
両手をポケットから出して違うと振る。街灯に照らされた白い掌が御幸の視界にちらついて妙に目を引いた。
「そうじゃなくて」
声を落としてみょうじは手を下ろす。
「御幸くんも選手のみんなも、誰か……外野のための野球じゃなくて……自分たちのために野球してるんだから、その」
「みょうじは外野じゃないだろ」
冷えた声で御幸が声を被せた。思わずみょうじは口を閉ざす。メガネの奥の御幸の目はまっすぐとみょうじを射抜いていた。
「外野じゃねぇよ。そりゃバット振るときにマウンドで踏ん張ってるピッチャー楽にしなきゃとか、出塁してるやつ帰してやらなきゃとか考えてっけど、背番号もらってない奴らとか……」
そこまで口にした御幸は苛立ったように舌打ちをした。ぎょっとしたみょうじは肩をびくりと強張らせる。
「柄じゃないんだけどまじで。これ言わなきゃだめ?」
青白い顔をしたみょうじはなんとか首を左右に振った。その顔色の悪さをみた御幸は目を細めてジッとその表情を眺め、みょうじへと手を伸ばす。問答無用とばかりに手を捕まえられたみょうじは抵抗する暇もなく御幸に手を引かれた状態で歩みを再開させる。呆然と己の手を包む一回り以上大きく分厚い手を見下ろした。生地がそこまで分厚くないグローブから、確かに御幸の掌の温度が伝わる。
「ちょっとぐらい自惚れてくれよ、さすがにしんどい俺」
試合中に御幸がみょうじを思い出すことはないだろう。それは御幸も自覚しているしみょうじの指摘通りなのかもしれない。けれどだからと言って日々手をボロボロにしながら支えてくれているマネージャーを外野だと思ったことなど一度もない。こんなに寒い中で、選手と同じように時折汗をかきながら練習を手伝い、朝早くから準備を整えこんな時間になるまで残っている。どこが外野だと御幸は顔を険悪に歪める。身勝手にも、御幸は期待してほしかった。試合中みょうじのことを考える余裕は全くないが、みょうじには御幸を思ってほしいなど我儘にも考えたのだ。もし倉持にでもこの考えを看過されれば、間違いなく「アホか」と一蹴されていただろう。自己評価が御幸のせいで落ちぶれてしまったみょうじがどこをどう間違えれば「私のために頑張って」などと思うというのか。そもそもみょうじもだが、青道野球部マネージャーは誰もそんなお花畑のような脳を持ち合わせてなどいない。
だがろくに異性どころか人間付き合いをしてこなかった男子高校生など、周囲の当たり前などわかるはずもなく。むしろ御幸からすれば全力投球でのアプローチが順調だとまで思っていたためムッと口を尖らせてしまう。見事なまでに暴投、なんならデッドボールであることを御幸は理解していなかった。あほである。
「決めたわ」
「な、なにを……」
「ヒーローインタビューで言うこと」
言われた言葉を理解はできなかったが不穏さと不機嫌を感じ取ったみょうじは沈黙を貫いた。
数年後、プロへと進んだ御幸は最初のヒーローインタビューを受けた際に、まだ付き合ってもいないみょうじへ向けてプロポーズをかますという馬鹿をやらかすこととなるのだが、悲しいことにこの馬鹿を止められるものは誰もいなかった。青道野球部関係者、みょうじと御幸の関係を知っているものは世間を激震させたその報道にそろって頭を抱えたし、自分に向けられた言葉だと微塵も思っていないだろうみょうじが簡単に想像できて頭痛に見舞われた。
当然だが御幸は高校の時以上に苦労を強いられたし、そうなってもだれも御幸に協力の姿勢を見せなかったためそうなってやっと御幸は野球以外で反省を覚えたのだった。
2022.12.28
投稿日:2022/1227
更新日:2022/1227