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「ねぇなまえ、昨日バイトだったんだよね?店長さんに聞いてもいないって言われたんだけど」朝練中から少し不機嫌だなとは思っていた。及川が部活にまで明らかに部活とは関係のないことでイラつきを持ってくることは稀で、部員がひやひやしながら朝練をしているのを見ながらため息を吐きたくなっていたのだが、朝練が終わってすぐに俺のクラスについてきたと思ったらこれだ。まさか原因がみょうじとは思っていなかったが、机につっぷしていたみょうじを無理やり起こしてまで聞くことかよ、と及川の心の狭さに引きながらみょうじを見れば、珍しくボンヤリと眠そうな顔をしていて首を傾げる。そういや、ああやって机で突っ伏しているのもあまり見ないかもしれないと思いその顔を見ながら思う。
けれど、その瞳を見て背中を冷たい何かが走ったようなそんな気がした。あの時と同じ色の眼だ。あの、ごちゃ混ぜになった激情を一人抱えていた時のみょうじの眼だった。あの時と違うのはその目の淵に涙がないことと、表情にまでその色が乗っていない事くらいで、けれどそれが余計にその目を際立たせてしまっていた。及川もそれに気が付いたのか驚いたような顔をしてパッとみょうじの手を離した。むくりと起き上ったみょうじは一つ、息を吐き出した。まるで息と共に何か別の物を吐き出しているかのような重々しいそれに自然と息を呑んだ。
「もう、いいよ」
「え?」
「だから、もうこういうのいいよ」
「なに言って」
「これ以上私のこと惨めにしないで」
「は?」
「本当は放課後、時間貰おうと思ってたけど勿体ないだろうし、いいよね今で」
そういって真っすぐと及川を見つめるみょうじの眼は、未だにあの色のままで、それどころかより深い色にすらなっていた。
「彼女のこと大事にしてあげなよ、じゃあね」
それは、明確なほどに別れの言葉だった。言い放った彼女はそのまま立ち上がってHR間近の教室から悠然と去っていってしまった。教室の中で俺と及川だけが固まっていた。他の誰もが今の会話に気が付かないほど、淡々とみょうじは語って普通にいなくなった。
やはり、みょうじは耐えていたのだ。今の今までずっとずっと一人で負の感情を。そしてついにそれが爆発してしまったのだと俺は知った。あいつがあんなことを言うまでのことを及川はずっとやり続けていたという事だ。みょうじが相当我慢強いことは知っている、だからこそその彼女が見切りを付けてしまうほどに、愛想をつかしてしまうほどに及川はやらかしたのだ。
そろりと及川の顔を見れば、なにが起こったのか理解が追いついていないながらも顔面から血が引いて青くなっていた。わなわなと唇を震わせて、この世の終わりかと思うほどの絶望をその目は語っていた。まるであの時とは真逆だ。みょうじの告白を聞いてしまった卒業式とは正反対のすべてに俺の顔まで青くなっているんだろうかとボンヤリ思った。
「い、わちゃん」
「あんだよ」
「おれ、いま」
「フラれたな」
「……おれ、しかも」
「浮気相手大事にしろってよ」
「ちが」
「お前はみょうじへの当て馬にしてるだけかも知んねーけどあいつはそう取ってないんだったら意味ねーし、浮気だって思われてもおかしかねーだろ」
「……おれ」
「だから」
お前、フラれたんだよ。そうハッキリと言ってやれば奇声を発しながら及川はその場に崩れ落ちた。教室中が騒然としている中、結局みょうじはその日教室に戻っては来なかった。
2015.9.18
投稿日:2017/0926
更新日:2017/0926