4

 よくよく考えなおしてみれば、やっぱり私と及川は付き合ってなかったんだという結論に至れた。付き合い始めたときはなんだか私が只管思いのたけを岩泉にぶつけていたのをたまたま聞かれていたのを理由にされた気がする(そんなに俺が好きなら付き合おうよ、みないな)し、その時にもだが今日まで一度も及川に「好き」とは言われたとこがないという重大なことに気が付いたのだ。手をつないだこともあるし、キスも、した。けれど及川がなんとも思ってない人に対してそれを出来る人間なのだと私は知ってしまっていた。だって出会ってその日のファンだと言い張るお姉さまとぶっちゅーしてる場面見たことあるし
 その後その人と交流が続いていたのであればまぁ、運命の出会い的なものなのだろうかとも思えたかもしれないがその様子もなかったようだし、特別私が及川にとって大事という訳ではないのはもうとっくに知っている。私もあのファンだと言っていた女の人とおんなじだ。何ら変わりない。それに気が付いた途端、ぎゅっと喉のあたりを締め付けられるような切なさと心臓を大きな杭で打たれて抉られたような痛みを感じた。思っていた以上に傷ついてしまっている自分に茫然とした。なんだかんだ、私は及川の彼女であると自惚れていたらしい。途端に自分の事が恥ずかしくなって、惨めになる。バイトの途中だというのにこんなではダメだと厨房の奥で歯を食いしばって、それから大きく息を吐く。みっともなく震えている呼吸に私の乱れを現れされて眉間に皺が寄った。
「なまえちゃん、お客さん」
「はい、今行きます」
「大丈夫?顔色悪いわよ?」
「大丈夫ですよ、ちょっとお腹すいちゃっただけです」
「あら、じゃあ後で残り物でよかったら作ってあげるわよ?」
「ほんとですか?よっし頑張れます」
 くすくす笑う店長には悪いが、折角おいしいものを作ってくれたとしても今は味がしないだろうなとまた苦しくなった。それどころか食欲なんて皆無だ。もう少しましな事を言えなかったのかと自分を呪いそうになったが店長に気が付かれるよりはいいと思った。
 こじんまりとした店内はアンティーク調でまとめられていて、シックな音楽がしっとりと空気を作っていた。店内の机や椅子、雑貨や電球に至るまで店長が直接海外に行って買ってきたものらしく、それらが更に店の雰囲気を落ち着いたものにしてくれている。しかしその中に、今は会いたくない人の背中を見つけてしまった。後姿でもわかるなんて私ちょっと気持ち悪いなぁなんて、自嘲したくなったが店内の椅子で埋まっているのは今はそこだけだ。はぁ、と息を大きく吐いて、今度は息が震えていないのを確認して手にトレーを持ちお冷を用意する。皮肉な事にハート型のシリコンに入れて作っている氷をコロンと二つほどコップに入れて、カットしたレモンをそこに落とす。ゆっくりと水を注げばレモンが水面を浮いてその下で氷が躍る。
 そういえば彼は一人で来ているのだろうかと目を向けて、一気に血の気が引いていった。及川の向かいには及川の同じクラスの女の子が座っていた。可愛いと評判の子で、少し前にも二人で出かけていたというのを人伝に聞いた。こうして雰囲気のいい店内で二人でいるのを見れば、それが自然なものに見えるほどに二人はお似合いで、浅ましくも私は喉が潰れてしまったのではと思うほどの息苦しさと首の周辺にぞわぞわとした感覚を覚えた。
 もう一つ、コップがいる。そう思って手を伸ばしたがその指先が可哀想なくらいに震えていて笑ってしまいそうになった。ほんと、惨めだ。
「なまえちゃん、やっぱり今日は帰りなさい」
「ぇ、あ……店長」
「そんな顔色で、全然大丈夫じゃないじゃない」
 熱でもあるのかと思われたのか、いつの間にか目の前で心配そうな顔をして立っていた店長の手が私の額に触れる。けれどそれは私にとってはギリギリで保っていた糸をぷちんと切られてしまったようなものだった。人肌が触れてしまってはもう耐えられなかった。ぼろりと大粒の涙を音もなく落とした私に一瞬店長は驚いたようだが、それでもにこりと微笑んで優しい声で諭すように少し休んでいてとお願いするように言われてしまった。ぽんぽんと頭を撫でてくれる手が心地いい。
「ちょっとだけ待っててくれる?あのお客様が帰ったら送ってあげるから、奥で座ってて?」
「で、も」
「そうだ、いつもの棚の中にクッキーがあるから、食べてて?ね?」
 もう、私には頷くだけの力しか残っていなかった。



 - return - 

投稿日:2017/0926
  更新日:2017/0926