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※苗字固定人が死んでいる。訂正、人が死んだようにして私の家の前で倒れている。
初めにそれを見つけた瞬間思ったことは無視しよう、だったのだが如何せん我が家の入口に背を預けて倒れている。どうしよう逃げたい。
恐る恐る近寄って息を確認すればそれが眠りこけているだけだと気が付いてやっと少しだけ安堵した、第一発見者は大抵疑われるもの、この歳で警察に目を付けられたくない。息があることに気が付いたと同時に随分とアルコールの匂いが鼻をついた、酔っぱらいかこんちくしょう。暗くてよく見えていたかったのだが慣れてきた目が捉えたのは黒。
「ジャージ……」
部活の、というわけではなさそうだしこれは部屋着なんだろうか。それに首に変な白いスカーフ、のようなものを巻いていて正直関わりたくない見た目だ。むにゃむにゃと寝言にもならないようなことを口の中でぼやいているような音が聞こえて起きるかと思ったが結局起きそうにはなかった。
よし、と鞄をすぐ横に置いてそれをどかそうと決心する。でないと私が家に入れない。見た目で判断するのはよくないと分かっているのだがそれでもちょっと関わりたくなさそうな見た目だし、その辺に捨てておこうそうしようと早々に決断する。薄情とでもなんとでも言ってくれ。具合が悪いとかならわかるけどだってただの酔っぱらいだ情けなどいらん、これは英断だと思う。
できるだけそっと、起こさないようにその体に触れれば思ったよりも温度が手のひらに伝わってきて眉を寄せる。そしてその人物が男であり、横たわっているせいで分かりにくかったが私よりは高身長であることに気が付いて余計に眉間に力が入った。項垂れていた顔が私が動かしたことによってコテンと転がる。黒い髪が彼の目元を隠していてよく顔は分からないが呼吸からまだ夢の中だと分かる。グッと力を入れるがなかなか持ち上がらず手だけでは無理だと早々に判断して腕を背中まで回して避けにかかる、うわぁお酒臭い。
うぐぐ、と唸りながらなんとか体を持ち上げて男の足を引きずって移動する。疲れたと思ったときにふと自分は何をしているんだろうと我に返る。なんだ、なんなんだこの状況は。
不運だなぁ、本当に。そしてやっとドアから十分に離した壁に寄りかかせるようにして地面に彼を、おいた時に。がっしりと、そりゃもうがっしりと私の腕に黒い腕が絡みついていることに気が付いて頬が引きつったのが分かった。
ゆっくりと、目の前にあった黒い頭と旋毛が後ろに流れていって顔が起き上がる。
「……」
「……」
暗闇に光る目は、どこか禍々しくそして冷え切った清水のようでもあった。うっそらと開いていたその眼は真っすぐにこちらに向いていて思わず喉を鳴らしてしまう。お、起こしてしまった……。私が掴んでいた彼の背中の布地はもう解放されているのに代わりに私のカーディガンが捕まってしまっている。なんとか逃げようと無意識にその腕を引いてみていたのだが全く解放されそうになくて少し泣きたくなった。
もう一度言う、私は何をしているのだろうか。なんだこの状況は。あえてゆっくりと瞬きをして心を落ち着かせてどうすればいいのかを考えた時に、やはりこの距離感から早急に解決しなければならないということが真っ先に思い至ったのだがどうにもそれは叶わない、そしてそういえば私は離せと言っていなかったことに気が付いて茫然としてしまう。口が付いているのに私は何をしているのだろうか、三回目。
言い訳をするのなら私も少しイレギュラーなことにパニックに陥っていたのだと思う。そしてその間がいけなかった、何が何でも私から口を開かねばならなかったのにこの不審者に先手を取られてしまったのだ。
「あんれぇ〜?おっじょうさんこんな夜中になぁにしてるの〜」
お前に言われたくないと全力で言いたかったがしかし我慢した。面倒なのはごめんだと咄嗟に思ったのだ、相手は酔っぱらいなのだからまともに相手にしてはダメだ。そう思いながら、よくも考えずにこの男の相手をしてしまったのが運のつきだった。
「わたくしぃ夜ト神と申すものでぇおっじょうさんはご依頼人ですかぁ?」
「珍しい苗字ですねーそうです依頼人ですさようならー」
「トイレ掃除からっ!赤ん坊のお世話までっ!早くて安くて安心のっ!」
「すごいですねーさようならー」
「ひっく……おじょうさんそういえばお名前はぁ〜初見さんだからおやすくしときますよぉ〜」
「譚海ですーさようならー」
「だんかい〜?けったいな名前ですねぇぐへへ」
「あの……離してもらえません?」
因みに「たんかい」だ。物語を語る、物語そのものを意味する譚詩の「譚」に大海原の「海」で譚海。けったいとは何だこの野郎と思ったがあなたもなかなか変な苗字ですからねと思って内に秘めることにした、相手は酔っぱらい。酔っぱらい。そして目下の目的であった解放を求める。実は会話の間もずっと身を引いて腕を引っ張っていたのだがカーディガンが伸びただけだった。
しかし、私のこの言葉のチョイスが不味かったらしい。それを知る由もなかったし、本当に私はただの被害者なのだと声を大にして主張させてもらいたい。訴えたら確実に勝てるレベルだ。
「放せ、だぁ〜〜!?」
え、うん離してほしい。頷いて肯定するがいきなり雰囲気の変わった相手に少し怯んでしまった。目付きわっる、こっわ。これ私が悪いの、私が何をしたのねぇ。
目が完全に据わった相手に酔っぱらいだから…と思っていた自分が恨めしい。こんな丁寧に移動なんてさせなきゃよかったのか、それとも初めから起こしてどっかいけと言えばよかったのだろうか。はなさないよ!どうして俺の神器はそうやってすぐにはなせなんて言うの?と訳の分からないことを言い続けている。
一番の間違いは、流されてどうせ記憶に残らないだろうと自分の性を答えてしまった事だろう。しかしそのことを知って後悔できるのは後の話になる。
ふざけるなぁー!と暴れはじめた男に本格的に逃げたくなってしまって左手だけがその反動で解放されたことに勢いをつけて身を捩ったが右腕は先ほど以上に捕えられてしまってすっかり相手の手に暖められてしまったそこが気持ち悪かった。肘あたりを捕まえられたまま、相手は自由になった右手でおもむろに空中に絵を描く様に動かし始めた。それが顔に当たりそうになってうぉ、と変な声が漏れたがしかし相手はそんなこと気にも留めていなかった。
「還る場もなく逝くこともままならないおまえに留まる場をー……与える!」
帰る場所は目の前だと思いっきり突っ込んでやりたかったがこの男にそれを伝えてしまったら家に上がり込まれるという予感があったので耐えた。まるで指揮でも取っているかのようにフラフラと動く彼の指が目に刺さりそうで怖い。だんだんと上機嫌に、まるで歌うかのようにしてその謎の行為を続ける彼に溜息が出た。酔っぱらいなんて大嫌いだ。
「我が名はー夜ト、諱を握りてここに留めーん!仮名をっ、以て我が僕とす……名は訓いて器は音に我が命にて神器とーなさん!」
途中でしゃっくりでも出そうになったのかはたまた吐きそうになったのかは分からないがつかえながらも紡ぐ言葉は妙に重々しく小難しい。儀式めいた言葉に、なんだかその動きすらもそれに伴っているように見えてくるから不思議だ。なんだこの人、なんかの業者だと思っていたのに違うんだろうか。トイレ掃除だかなんだか言っていた気がしたのだがあまりちゃんと聞いていなかった為か聞き間違いかもしれない。
「名は海(あま)!器は……海(うな)!!来い海器(うなぎ)……!ぬぁーんちゃってぇー!あっひゃははははは!!」
「……離してもらっていいですか」
ウナギ!!ぎゃはははは!と楽しそうに笑い出したので心から睨んでみた。この人うちの表札みたな。ほんのりと殺気を込めて言えば流石に通じたのか、それとも少しは酔いがさめたのか。クライマックスとばかりに力を込めて声を張り上げた彼にほんの少しだけ身構えてしまったのだが当然の様になにも起きない。少し恥ずかしい。
それを押し隠して手を引けばやっと解放してもらえて、ほんの少しだけ痛んでいた良心に従ってまだ口をつけていないミネラルウオーターをどうぞと言って手渡して、それをぼんやりとみている彼をいいことに逃げる様にして自宅に逃げ込んだ。
ほんと、疲れる。
投稿日:2017/0926
更新日:2017/0926