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 あ。
 そんな間の抜けた声が聞こえてくるようなくらいに開けられた口は相変わらずこちらが笑ってしまうくらいに白い歯が綺麗に並んでいて、最近やっと見慣れてきた舌の上にちょこんと付けられた金属まで覗いていた。斜めになった前髪は普段とは違い少し乱れていて、汗で額に一部張り付いているのか直線とは言い難い。そうして思い出す、そう言えば百余年前も、この人はこういう人だったと。言い訳できないほどに乱れた死覇装と脱ぎ捨てられた隊長羽織、真っ赤な口紅がうつった薄い唇を眺めながら笑顔を張り付けた。途端、赤くなった唇とは正反対に顔を青くした彼は慌てたように体を動かし、こちらに手を伸ばしてきた。それを見ないふりをして、綺麗な笑顔で私は一言丁寧に掃き捨てた。
「お忙しいようなので出直させてもらいます、平子隊長」
「ちょ」
 待てぇ!と背中に叫ばれたが知るか。そんなもん。誰が待つか馬鹿。
 もう百年も待ったというのになにが待てだ、これ以上貴様を待つことなんて金輪際してたまるか何様だ、隊長様かふざけるなとぐつぐつと揺れそうな霊圧を必死に抑えながら笑顔を張り付けて隊舎を歩く。
 平子隊長が百年前に唐突にいなくなってしまったときだって思わなかった「裏切られた」という独りよがりな思いがふつふつと湧いてくる。そんな身勝手な思いを自分が抱くだなんて思ってもいなかったのだがまさしくそんな風に思ってしまった。ずっと、あの人がいなくなって、罪人だと伝えられても待っていた。あの人の戻ってくる場所を護ってきたつもりだった。あの愛染クソ野郎が隊長になった時も、ずっとあいつのことを認めずに平子隊長のことしか認めていなかったせいで席次を落とされても、それでも待っていた。周りからも罪人を庇うなと責められ、名を口にすると罰まで与えられた。それでもどうしても待っていたかった。勝手に帰ってきてくれると信じて、五番隊の隊長だけが座ることの許される椅子を護っていたつもりだったのだ。愛染がその座に付いた時はだいぶ絶望したしあの馬鹿が私を副官なんてものに指名してきやがった時も鼻で笑って蹴ってやって、そうまでして待っていた。
 五番隊隊舎からでて、大きくため息を吐く。足を止めずに平子隊長が追ってこないことを確認してまた勝手にしくしくと痛みだした心臓に自分が嫌いになっていく。あーあ、しんどいなあと早足に廷内を進みながら渡すはずだった書類がぐしゃりと潰れているのにやっと気が付いて、自分の心臓まで握られたような感覚を覚える。こんなに苦しいのは久しぶりだ、誰に何を言われたってここまで取り乱さなかったのに、やはり平子隊長本人からだとどうも振りまわされてしまう。

 執務室に、女性を連れ込んでいた。しかも勤務時間である。確かに思い出せば百年前から女性にはだらしがなかったけれどでもまさか隊舎でそんなことをするだなんて思っても見なかった。加えて再度隊長に着任してまだ日も浅く、さあこれから信頼を築いていこうという時にである。そのために走り回り尽力していた私が馬鹿みたいではないか、いや紛れもなく馬鹿なんだろう。勝手に帰ってくるのを待っていて、それが叶ったから勝手に喜んで、そして勝手に力になろうと必死になったのだ。平子隊長なそんなの一つも望んでいなかったし私が勝手をしなくたって結局は彼の実力があればおのずと隊長としての信頼も権力も取り戻すだろう。
 私が待っていなくたって、彼はここに戻ってきていただろう。
 遂に泣きそうな気持にまでなってしまってなんて自分勝手なんだと自分が汚く思える。こんな感情が湧いた時はいつも、同期のやつの所に転がり込んでいた。私よりも後に真央霊術院に入学してきた癖に、二年で卒業をもぎ取り天才と言われていた同期の彼、きっかけは覚えていないが隊も違うのにどうしてか関わりが多く、お互い気の許せる友であった。肯定も否定もせず笑ってくれた彼には随分と救われていたけれど、そんな彼も、彼の妻も揃って同じ時期に死んでしまった。
 それからはよく、そんな同期の墓に逃げ込むことが多くなったけれどこれを知っているのは浮竹隊長くらいだろう。
「聞いてよ海燕」
 墓は以前と変わらず閑散としていて、参拝しているものも少ないのが伺える。慕われていたくせにあんな死に方するから、皆苦しくてここに来たがらないのだろうことは分かるが、そんな運のないあたりもなんだかこいつらしい。すとんと墓の前に座り込んで息を整えようとすればそれがみっともないくらいに震えていてどうして死んでしまった癖にこいつの前では泣けるんだろうかと悔しくなったので、手元に生えていた草を引き千切って墓に投げつけた。


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投稿日:2017/0926
  更新日:2017/0926