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 目が覚める、と言うより霧のように形のなかった意識が徐々に輪郭を形取り、状況を考えられるようになった、と言った方が適切な覚醒だった。口元付近が妙に湿り気を帯びていて不快だ、身体も酷く重く以前かかったインフルエンザの時のような熱と怠さがある。重たい瞼を持ち上げればチラチラと灯が点滅していて眩しさに目を細めた。耳が拾うのは慌てたような複数の声……と、そこまで考えてん?と違和感。自分が寝ていた状況なのに周りに人がいる状況とはなんだ、はて。なんておもって眩しさを覚悟して再び瞼を持ち上げて。
「(まぶしく、ない……?!)」
 チラチラと点滅していた灯が無くなった、と思っていたのだがただたんに自分と光源との間に遮るものがあったからだった。青い空のような丸が2つ、先程の灯の代わりにそれが瞬いていると気がついた時にやっとそれが人の瞳であって、何者かが自身に覆いかぶさるようにしてこちらを伺っていることに気がついたのだ。
 近い、近すぎる。驚いてはね起きる所だったがそうしようにも身体が動かず、ただあちこちが軋むように傷んだだけだった。目線だけを走らせて、相手の顔の隙間から点滴が見えてやっとここが病院だと思い至る。病院、なるほど病院。自分がどうしてここにいるのかはなんとなくだが理解しているつもりだ。たしか、車を運転していて、どうしてか突然衝撃が襲ってきたと思ったら、川に落ちたのだ。思い返して本当になんとなくしか理解出来ていないことが分かった、何があったんだ私に。
 視線が再び相手に向いた時、私が相手を認識した事に相手も気がついたのか、妙に真剣な様子で何事か声をかけられた。怖いくらいに真っ直ぐな表情に戸惑ったが、他の声に紛れて聞き取らない。それでもその青い瞳が、澄んだその色だけはしっかりと把握出来て。口を開いたが自分の声とは思えぬほどに掠れた音が漏れただけ。なんだこのおっさんのような声は、酒やけでもこんな声にはならないぞ。しかし目の前の相手はそれで十分だったのか心底安堵したと言わんばかりに緊張を緩め、肩で息を吐くようにしている。その息の一部が前髪を掠めた、それほどの近さなのだと再確認して、そして相手の男がとんでもなく顔の整った人間だったのだと、その緊張の緩められた顔を見た時に思いながら、また意識をぼやけさせてしまった。と、いうか。
 どちら様。

 次に目が覚めた時、タイミングが良かったのか丁度看護師さんが点滴を取り替えているのが目に飛び込んできた。そしてふと、彼女が目をこちらに向けて、一旦逸らしてまたすごい勢いでこちらを向いたと思ったら半ば悲鳴をあげるようにして「先生!」と叫びながら出ていってしまった。正直まるで化物を目にした時のようなリアクションにちょっと傷ついたし寝起きにあの高い悲鳴は辛いものがあったが、慌しく戻ってきた彼女と、彼女が連れてきたであろう医者から話しを聞いてなるほどと納得してしまった。どうやら交通事故に巻き込まれ、二週間も意識不明だったらしい。通りで身体が重たいわけだ。たが本当に良かったと安堵してくれている医者には少し悪いが、私の頭の中では二週間も仕事を無断欠勤してしまったという恐ろしい事実でいっぱいだった。何故ならば私がこうして目覚めて最初にされた事が身元の確認だったからだ。どうやら事故の際に身分を証明できる一切のものも無くなったらしく、優しい声で「お名前は?ご親族の連絡先は?」と問われて色々と悟った。携帯お釈迦になったとか、笑えない。恐らく仕事先から凄まじい数の連絡があったであろうそれに思いをはせるが二週間経ってしまったものはどうあっても巻き戻せない。細々と誰にも連絡しなくていいとだけ告げ、痛む場所などに話をすり替えた。右腕と左脚の骨折、あばら骨も数本折れていて肺を傷つけた為に酸素マスク。水面に落下した際にベルトが摩擦をおこしたせいで肩の皮膚が抉れ、割れたバックミラーで頬に傷が付いてしまったらしい。らしいというのも麻酔のお陰でその当たりの感覚が鈍いのだ、実感が薄く、「はぁ、」となんとも他人事のような反応をしてしまったのはしょうがないだろう。顔の怪我に関しては出来るだけ手は尽くす、と言ってもらえたが命が助かったのだからそれ以上望むのもなぁと自身の重症具合と意識のなかった期間を思えばそれ位、なんて思えてしまった。
 事故に遭った時は何が何だかで訳も分からずに意識が飛んでしまったのだろう、だからそこまで生死を感じはしなかった。結果として仕事の無断欠勤に頭が支配されたんだろうけれど。

 折角入った会社だったが、御局様から変に嫌われてしまっていたので下手をすれば自分の席の私物は捨てられているだろう。クビは多分飛んでる、八割くらいの確率で飛んでる。そうなると会社の保険しか入っていなかった私は現在、なにも保険がかかっていない状態なのか。二週間の入院費に手術代にその他諸々、考えるだけでしんどい。しかもそれがこれからも嵩んでいくのだから無理とは分かっていても今すぐ退院させてくれと喚きたくもなった、いやしないけれど。
 こんな時に連絡できる身内もいなければわざわざ事故に遭ったと伝えるような友人もいない。いや、友人に関してはそれなりには多かったけれど、仕事の忙しさにかまけているうちに疎遠になってしまったのだ。自業自得だ、誘われる飲み会を毎度断り、気がつけば連絡が来なくなった。ただそれだけだったけれど、こんな時にだけ寂しく思ってしまうんだから人間とは身勝手な生き物だなと自分という性格を大きく一括りにして暈して誤魔化す。静かな病室で、少しだけ起こしてもらったベットから見える外をぼんやりと見つめて、その色があの時見えた淡い色と同じだったから、つい。
「なんで、いきてんだろ」
 わがままをいって取ってもらった酸素マスクがなかったおかげで、その声はクリアに室内に溶けた。馬鹿らしい、ちょっと見舞いがないくらいでと思いもしたけれど、二週間意識が無くても誰にも影響を与えないのだと痛感したのも事実だったのだ。その程度だと知ってはいたけれど思い知ってしまったら、なんだかとても、どうしようもないくらいに自分の存在が可哀想に思えた。


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投稿日:2017/0926
  更新日:2017/0926