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五年だと言われた。
その時はあまり実感が湧かなくて、五年経ったら私はもう結婚しているんだろうかとか、治らないんだろうかとか、ぐちゃぐちゃといろんなことを考えたように思う。
けれどあの人に伝えようとしたときに、初めて舌が痺れたようにして怖さを感じたのだ。五年、あと五年でこの人とはさよならをしなければならないのか。皺くちゃになってもかっこいい歳の取り方をしそうなこの人の隣には私はいないのか、別の誰かがいるのだろうかと思ったらとても怖くて、悲しくて、でも笑顔で幸せになってねなんて笑ってさよならできる女でいたくてどうしていいか分からなくなってしまった。そうこうしているうちにあの人は「三年経って帰って来なかったら忘れてくれ」なんて辛そうに笑っていなくなってしまったのだ。
その時だ、五年もあると、そう思ったのは。
五年もある、五年もあれば、三年経って帰ってきた彼とあと二年は一緒に居られるかもしれない。その時にはこのことを明かして、貴方の二年を頂戴と強請るつもりでいた。言外に彼は三年は探すなと、そう言ったのだ。正確にそれを理解していた私はジッと三年間耐えて待った。晴れて三年経ち、最初の一年が無情に過ぎてタイムリミットが半分になった時に降谷さんに会った。それから半年、ぶつけるようにしてあの人の思い出を語って、まだ忘れていないあの人の思い出をむりやり押し付けて、少しずつ私の中の荷物が減っていくような感覚は感じていた。これも一種の本能なのかもしれないが、もうすぐ死にゆく私だけが知っている財産を仲間のように勝手に思っていた降谷さんに託したかったのかもしれない。
一週間がとても早い、降谷さんがここに来るたびにまた一週間死に歩み寄ったのかと思うと、まるで週捲りのカレンダーのようだと場違いにもそんなことを思った。どこで嗅ぎつけたのかは分からないが、ここに入院して間もなくしてこの人はやってきた。ベッドに横たわっている私なんかよりもずっと死にそうな顔で、見ているこちらが参ってしまいそうなほどに酷い顔でやってきた彼は、それでもグッと耐えるようにして謝ることだけはしなかった。もし一言でも謝罪の言葉が出ようものなら、真っ先に追い出してやろうとおもっていたのに、残念だ。
「一度だけ、あいつから貴方の話を聞いたことがあった」
陽が嫌に照っている。白くもないのにグレーのコンクリートが熱を持って反射している様になんだか眩しい。そういえば昨日も一昨日も悪天候だったから、久しぶりに見た晴れの日になるのか。晴れの日の匂いが鼻腔を通り過ぎて目に沁みるような気がした。今日までも散々聞いてきた降谷さんの話を、なんだか今日は聞きたくなくて、いつもは重たい口がどうしてか動いた。
「いらないです」
「え……?」
「あの人の思い出は、貴方が全部持っていてください」
「なに、を……」
「私の事は忘れてくださっていいんです、いや……」
窓の外に向けていた目を降谷さんに向ければ、案の定嫌そうな不快そうな顔。しかめっ面と言えるその顔を何度もここで、この位置で見てきた私だったが今日は一段とその顔に陽の光が当たっているように見えて、逆光になっているだろう私の顔が出来れば彼から見えなければいいなとそんなことを薄らと思った。
「忘れてくださいね」
「……」
「あなたは、あの人の思い出を背負っていて、一生」
貴方の思い出としてこれから生きていくことは、耐えられそうにない。写真で見たあの笑顔を結局一度も見ることのできなかった私の事など、どうか気にせずにいてほしいと心底思いながら、だからこそ私は毒を吐く。呪いのような言葉と共に笑顔を向けて拒絶の線を引く。今にも潰れてしまいそうな、彼の大事な「ゼロ」。
病室から見える公園に、イチイの樹が覗いている。きゃらきゃらと高くはしゃいだ子供の声がその足元から響いていて、どんな形で合ってもあんな風に心底笑える先が「ゼロ」にあれと、信じたことも無かった神様とやらにちょっとだけ願ってしまった。
投稿日:2018/0527
更新日:2018/0527