マートの咲いた日

寝苦しくなって目が覚めれば体ががっちりとホールドされていて、ああ帰ってきたのだなと寝ぼけた頭の中で思った。少しでも動いたら起こしてしまいそうで時計も確認できないが薄らと零さんの指が私のそれに絡まっているのが目視できるので明け方だろう。いったいこの人はいつ帰ってきたのだろうとその顔を見て疲労具合を確かめたい気もするけれど動けば起こしてしまうし、なによりそこまで体の自由もない。ガッシリとした右腕が腰に回って背中に彼がぴったりとくっついているし、足の間にも彼の足が一本絡んでいる。知らぬうちに枕もすり替えられていたようでぬくぬくと体温が心地いいが、その左手で私の右手をしっかりと確保している。項のあたりに彼の息が当たっているので恐らく後頭部に当たっているのは彼のおでこであろう。寝苦しい訳である。それでも幸せな寝苦しさに思わずふふ、と息が漏れてしまう。久しぶりだなあ、良かった、消毒の匂いがしないから怪我もないみたいだ。


「、いぶき…」


しかしその些細な息だけの笑いで零さんの目覚めとなってしまったらしい。振り返っておかえりとおはようを言おうとしたが、どうにも拘束は緩まらない。あれ、と思って静かにしてみるとどうにも寝息といっていい深い呼吸音が聞こえてきて途端に顔がカッと熱くなった。ね、寝言…?今の寝言だったの…?昔は寝言で赤井さんという人の名前しか出てこなかったのに。チラッとそんな苗字の彼女がいたのかと聞いた時には烈火のごとく否定された(あれは本当に怖かった)が実は少しだけ不安だったのだ。夢とは深層心理である、そこにいつも登場しているのであろう赤井さんという人に私は一生勝てないのではないかと。別に勝ち負けだとか、そう言う話ではないのだとしてもなんだかそう思えてしまって心苦しかったのも事実だったのだ。
けれど、こうして初めて名前を呼ばれるとそんな気持ちがあったことすら嘘のように晴れていくのだからこの人は本当に凄い。寝言に返事をしてはいけないというけれど、つい返事をしたくなってしまった。
日本の為に、誰かのために頑張っている零さんの心に少しでも私の居場所があるのだと、そんな風に考えてしまうのは安直だろうか。我儘だろうか。傲慢だろうか。別にそうじゃなかったとしてもこうしてぐっすりと眠っている時に呼んでもらえる名前に私の名前があるだけでとても幸せなんだから怖いくらいだ。
すっかり目がさえてしまって、けれど温かい温度に体が沈むような、輪郭が惚けるようなそれに体だけが微睡んでいく。少し頭の位置をずらし、耳がぴったりと零さんの腕に付くようにする。と、と、と。小さいけれど確かに心臓の音が聞こえてきて、小さな可愛らしい音に目を細める。前までは痺れないのかなと心配していたのだが、毎度気が付いたらこうなっていてそれでも全く平気そうにされてしまえば本当に平気なんだろうなと知った。人の頭なんて重たいだろうに。夜に気が付いて頭を降ろしていた時もあったのだが結局朝には元の位置に戻されていたので諦めを覚えた。
きっとまたすぐに出かけてしまうんだろうなと思うとなんだかもったいなくて握られている手に力が入ってしまう。親指で撫でるように肌に触れればかさついた肌が感じられて相変わらずだなあと思った。私の手が少しでも乾燥していれば親の仇を見るかのような形相でクリームを塗りこんでくるのに自分の事にはとんと無頓着なのである。
朝日がハッキリとしてきて、窓のすぐ外に小鳥でも止まっているのか鳴き声が部屋の中まで聞こえてくる穏やかで優しくて柔らかい時間。あまりこの人を困らせたくないから言わないけれど、もう暫くはこうしていたいなとそう思った。


2017.7.4


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投稿日:2017/1005
  更新日:2017/1005