マートの咲いた日

「…降谷、最後に帰ったのっていつだ?」


「昨日帰りましたが」


「いえ帰って無いです」


上司に問われて答えれば横からすかさず風見が口を挟んできた。風見の言葉に上司が顔を顰めるが正直同じ顔をしたかった。告げ口の様に「一週間は帰っていないかと」と言って去っていた風見にそんなには経っていない筈だとカレンダーを確認したが確かに言われた通り一週間ほど家に帰れていなかった。呆れたようにため息を吐いた上司は窘めるように俺の手から資料を抜き取っていく。


「あのなぁ降谷、仕事もいいがお前には家庭もあるだろう」


「はあ」


「嫁さんに愛想付かされるぞ流石に」


あんたにいわれたくないと口に出なかったのはいくら徹夜明けの頭だとは言っても行っていいことと悪いことの分別が付いたからだ。まさしく嫁に逃げられバツイチである上司に向ける言葉ではない。反面教師で言ってくれているのだろうと分かり時計を確認するも夜も更け明朝といってもいい時間。帰ったところでいぶきが起きるころにはまたここにいなければならないというのにそれでも帰れと言うのか。しかし話は終わりだとばかりに資料を持っていかれてしまってはいまやれることはもうない。体が休息を求めていることも確かだし、まとめて寝る時間も必要か、と荷物をまとめ大人しく帰宅準備を始める俺を部署の人間がホッとした顔で見ていたことなんて全く気が付かず、心持早足で帰路へと立った。


「あの人嫁不足になるとどんどん機嫌悪くなってくるからな…」


「自覚ないのがまた厄介だよな…見ろよ風見さん、今に八つ当たりのせいで円形脱毛になるぞ」


「というか風見さんも帰してもらった方が良いよな、あの人さっき消しゴム喰ってたぞ」







家に着いたのが四時半、当たり前だがいぶきは寝ていた。寝室でベッドの隅に寄って寝ているのを見つけて思わず天を仰ぐ。真ん中で寝ろといつも言っているのに。帰宅してすぐにシャワーに直行してよかった。こんなの見た後にシャワーなんぞ浴びていられなかっただろう。起こさない様に静かにベッドに腰を下ろし、いぶきの顔を覗き込む。穏やかな顔で眠っている様子に勝手に口角が上がる。顔にかかっている髪を避けてもちっとも起きる気配のない彼女の潜っている布団に体を滑らせ慎重にいぶきの体を中央に引っ張って、次いでとばかりに枕を腕とすり替えた。小さい頭の重みがどうにもこうにもくすぐったくて誤魔化すように項のあたりに顔を埋める。そうしたらドッと安心感や幸福感が溢れてくるんだから凄い。残念な事に向こうを向いてしまっているので顔はもう見えないけれど、腕の内側に少し温い息がかかるのがまた堪らない。ああ生きてるなあと実感できて、それを捕まえるように右手でいぶきの右手を腕枕をしている左手に乗せて両手で挟んだ。小さい、どこもかしこも小さくて細くて頼りなくて、可愛いと思う。肺も俺よりずっと小さいんだろう、上下する体も僅かな動きで、なんとなくそれを目で捕えているとまるで揺り籠であやされているような気分になってくるから不思議だ。


「ん…」


挟んだ手が熱かったのか、むずかる様に手を抜く様な動きを見せたのでそうはさせるかと指を絡めてやる。その動きに少し意識が浮上したのか顔を擦りつけるように腕にすり寄られたのでつい自由な右手で顔を覆って落ち着かせるように息を吐いた。明らかに今口が腕にくっついた、寝ているくせになんだこいつ。少しイラッとしたので頬を軽くつねってやって、また嫌がる様に唸るのを見て満足してその温かいまどろみに意識を溶かした。




 - return - 

投稿日:2017/1005
  更新日:2017/1005