ビン詰めの心臓

本当についていなかった。
ついていなかったで片づけていいのか、必死に足を動かしながらちらりと後ろを振り返り、ゾッと背筋を泡立たせながら慌てて足を進めることに専念する。
一つ、先ずは私がこの度引き取られた家のある場所が所謂都会だったと言うこと。
二つ、そんな街に寺のような場所がある筈もなく、コンクリートの背の高いビルが建ち並び逃げ場が無いこと。
三つ、そして最後に奴等、が多いこと。


『寄越せ、寄越せ。人間、喰う、喰う。寄越せ。』


これまで、あちこちを転々としていたが、都会が恐いというのは本当かもしれないなと少し距離のある前方の信号が点滅するのを確認しながら思う。只管コンクリートの地面を蹴り、家と家の間を縫う様に走っても、巻ける気がしない。
小さい頃から人には見えない妙な物が見えた。多分それは、妖なんて呼ばれる類の物。今後ろから追いかけてきているあの頭でっかちも、周りの人には見えないだろうから、私は1人でがむしゃらに走る変な子になってしまっているはずだ。私がたどり着くと同時に嫌味ったらしく点滅が終わり赤くなった信号を確認し、カクンと右に曲がる。足元にあったのであろう小石が弾ける様にとんだ音、自分の地を蹴るスニーカーの擦れる音が鼓膜を揺すり脳に伝わる。

昔からそうやって皆には見えない物に追いかけられたり構われたりする度に私は周りから、可笑しな子、不気味な子、嘘つきだなんて言われ、両親は物心ついた頃には居なかった為に親戚の家をたらい回しにされていた。
きっと気味が悪かったんだろうし、扱いにも困ったんだと思う。はたから見れば突然独りで騒ぎ出して、訳の分からないことをずっと言い続けるような他人の子、邪魔でしかない。だからこそなるべく、知らないふりをして見えないふりをする術も覚えたのに。この街の奴等は。


『夏目、夏目、夏目』


私を、知っていた。


「はぁ、はぁ…っ(しつこい、し。なんでまた…名前…)」


高校入学に合わせ、この街に来た為今は春休み。
流石に高校の転校は中々に面倒であるし、これ以上私に親戚なんているのかわからない。現にもう暫く夏目という性のお家にはお世話になっていなかった。だから、今いる家では本当に注意して過ごそうとしていた、のに。


『寄越せ、夏目、夏目』


「(やば、しんどい…)…っふ、はぁ、…っ!」


荒く呼吸を繰り返しているにも関わらず酷く苦しい、後ろの声も近くなって来た時、霞む視界に十字架が過ぎった。パッと顔を上げれば間違いない、教会だ、と走るスピードを上げる。


「(いや、でもダメかも)」


寺なら確実だが、教会。
アレが普通に入って来られる可能性の方が高い気もする。協会に逃げ込んだことなんてない。が、そんなこと以上に私は限界だった。途中転んだりぶつかったりで多分所々傷も痣もある。今は必死な為痛みは感じないがさっきまた躓きかけて何処だったか忘れたがヌメリとした感覚があったので確実に何処かから血が出ている気がする。これ以上服を汚したらなんて言われるか、わからない。

ごたごた考えるのをやめ、目的地を目指す。人がいるかもしれないが断りをいれる状態でも無い為、無断でその敷地に足を踏み入れる。流石に奥までズカズカ入れるほどの神経も持ち合わせていないので、あいつからは見えない様に近くの壁にへばりつく様にし息を潜める。酸素を求めていた肺を押さえつけたため、苦しさのせいで目の前が一瞬暗くなった。心臓だけがバクバクと煩い。


『夏目、夏目』


ひゅ、と可笑しな音が喉の奥からせりあがってきた。
やっぱりダメだったかと動こうとするも、一度止まってしまったからか走っていた時以上に酷い疲れと脱力感を感じてしまい何故だか上手く身体を動かせない。ひたすらに息を殺し、ギュっと手を握る。眼を瞑っているのにチカチカと視界が眩み始めたのがわかる。ああ、だめだ動けそうにはない。


『…夏目、何処、夏目夏目夏目……』


「(あ、れ…今何処っ、て……)」


そして案外あっさりと夏目夏目と呼ぶ声が遠のき、遂に消えた。


「…っは、っは…」


ズルズルとそのまま壁に体重を預けて座りこむ。足元に敷かれていた砂利が伴って音を奏で耳に響く。今回は久々に危なかった。ああいうのは話が通じないから、余計に質が悪いのが多く自分の主張だけを押してくる傾向がある。


「(喰われてたかな…)」


呑気にそんな恐ろしいことを考えられるくらいには、もう私も慣れてきているんだろう。カタカタと震える手を無視して収まれとグッと力を込める。慣れた、慣れたんだから震えるな。酸素を求めるのに、呼吸が乱暴だったせいか肺や喉が痛いと悲鳴をあげている。ふら、と立ち眩みのせいで寄りかかっていた壁にそのまま側頭部をぶつけ、申し訳ないがもう少しここで休ませて貰おうと動くことを諦める。ふうと大きく息を吸い込んだとき、私のすぐそば、即ち入り口から焦った声を掛けられた。


「だ、大丈夫ですか!?」


思わず息を飲む。億劫だがゆっくりと顔を上げ、ゆるりと瞼を持ち上げる。ジッと見つめるその先には眼鏡をかけた優しそうな男の人が腰を屈めながらこちらを伺っていた。眼鏡の奥のその目はとても澄んだ色をしていて、宝石みたいだなんて見たことも無いのに思う。でもきっとこんな色なんじゃないかな、とも思う。青いそれは空の色というよりも深い海のようだと思った。

ガサリ。
時間にすれば対した事の無い時間、私達は何故か見つめあっていたらしく、彼がビニール袋を落とした音がそれをやめさせた。その袋を認め、ああ、人だった。なんてやっと安堵をもらす。妖か人か、偶に区別が出来ないのだ、私は。何度も間違えて、過去に痛い目にあっているものだからこういう時にどうしても警戒してしまう。落ちたビニールに2人で目を落とし、彼は慌ててそれを拾う。が、またそれは地面に落とされた。


「……血…?」


グイッと視界が揺れ、同時に浮遊感が身体に走り思わずがしりとしがみつく。そして景色が後ろに流れだし、やっと彼に手を引かれているのだと気が付いた。半ば抱えるように背中に手を回され、思考が追いついた時にようやく抵抗しなければと慌てる。疲労のせいなのか、促されるままに足が進んでしまう。


「…っあ、…ま、っ…」


走ったせいで掠れきった声が制止を求めるがなかなか言葉が続かない。かわりにヒーヒーと空気の出る音が空気を震わせる。がくりと折れそうになる膝を察したのか肩を抱かれ軽々と支えられてしまう。力持ち…いやそうじゃなくて。


「無理に話さなくて大丈夫ですよ。」


辛いんでしょう?と半分私を持ち上げているのにも関わらずスタスタと歩みを進め、器用に修道院の扉を開き迷いもせずにまた奥へと進んでしまう。居間のような生活感のある空間に出て、一瞬彼が脚をとめたものだから離してもらえると思ったのだが、何を思ったのかくるりと回り、来た道を戻っていく。

誰かを探している、という訳ではなさそうだし一体どうしたんだと疑問符を飛ばすが、彼の進行方向が階段だと知り咄嗟にパシパシと彼の肩を叩き下ろしてと訴える。知ってか知らずが私を見向きもせず、一段目に脚を掛けた途端今迄の比じゃないほどに身体が揺れた。


「…っ」


その揺れに彼の服をギュっと掴んでしまいまたパッと離す。


「…掴まらないと落ちると思うよ。」


その言葉に渋々、彼の腕をつかむ。
何故か溜息をつかれ、楽々と階段を登る彼を横目にギュっと手に力を込めながら考える。言い訳は、どうすればいいんだろうか。















「まずその脚から、出して下さい。」


沢山の教典、棚に並ぶ薬のような陳列。
椅子に座らされながらそれ等をぼんやり見つめていると、そんな言葉をかけられた。ポカンとしているとしびれを切らした様に右足首を持ち上げられ、ほら、と指を向けられた部分に視線を向ける。
見れば靴下は血が染み込んで赤くなり、その上にはパックリと開いた口からダラダラと未だに血が流れ出ていた。身体は不思議なもので自分のそれに気が付くと途端に痛んだりする。例にもれず、ずきずきと痛みを訴えだしたそれに思わず顔を顰めてしまった。


「そこまで深くは無いけど…走ったんですか」


この傷で、といつ取り出したのか脱脂綿でそこを押さえながら問われ、ギュっと眼を瞑りコクコクと首を縦に振る。い、いたい。カチャカチャと何かをいじる音と布のすれる音が鼓膜を静かに揺するが、痛みのせいで実際の音よりもずっとうるさく感じた。


「ほらそっちも」


恐る恐る眼をあけると、あっという間だったのかきっちりと包帯の巻かれる足首にパチクリと瞬きをする。そっちといわれ、彼の綺麗な眼が向っているのは左腕。袖から一筋血が這っているのをみつけまたじくじくと痛んだのは肘より下の僅かな範囲。
自分でそでを捲ると足とは違い、擦ったような傷が顔を出し思ったより対したことがなくて安心する。奇跡的に袖に穴はあいておらず、血が少し付着している程度だった。捲ったときに自然と自分の顔の横にあった手をそっと掴まれ引き寄せられる。傷口に視線を落とした彼は手際良く消毒液を垂らした綿をそこに当てられ、傷口に沁みこむ消毒液の独特の痛みが脳まで駆け上がった。


「…っ」


「すみません、我慢してください」


砂でも入っているのか、少し強めに当てられる感覚に下唇を噛んで耐える。爪が手のひらに食い込ませるが、痛みを紛らわすどころか増しているようだ。それでも手の力を緩められずキリキリと爪が刺さる。長いようで一瞬で終わったのだろう処置の最後に大き目のガーゼをあてられ、今度はテープでクルクルとそれを固定させた。ぼう、と痛みの余韻が過ぎるのをまちながらその光景を眺めてしまう。


「…まだ痛みますか?」


ハッとした。私は人様になぜここまで世話をさせてしまっているのだろうか。


「ごめ、な…さ」


げほっと咳がもれあまりの痛みに微かにのどの奥から血の味までしてくる。満足にお礼も言えずに下に俯いてしまうと、彼が席を立ったのが分かった。


「少し待っててもらえますか?」


反応が出来ず固まっていると、彼はすぐに部屋を出ていってしまった。ぱたりと静かに閉められた扉を暫く見つめ、足音が聞こえなくなったところでようやっと肩から力が抜けていく。ふぅ、と溜息を零す。思えば歳の近いであろう人とここまで関わったのは久しぶりな気がする。

家の人に怪我のことなんて言おう。ああその前に彼にどうして勝手に家の敷地に入ったのか言い訳を、しなければならない。嘘ばかり上手くなってくなと今更なことを思う。言い訳を考える度にチクリチクリと痛む所があるのは確かだが、真実を言ったところで面倒が増えるだけなのは十分すぎるほど学んだ。本当のことを言うより、その嘘の方が簡単に受け入れて貰えるんだからしょうがない。
嫌にはなるが、慣れてはきていた。そう、慣れてきた。また小さくゴホっと咳をついた時、ガチャリと扉が開かれた。


× - return - 

投稿日:2017/1030
  更新日:2017/1030