泣かないで、グレーテル


危ないから家から出るなと奥村君から何度も念を押され、用事があったらしく慌てて出ていった彼を見送って本当に大人しく吉備さんの家でぼんやりとしていたのが昨日。帰ってきたニャンコ先生に文句を言いながらとうとう入学式当日になって黒いセーラー服を身に纏って学校へときたはいいものの、時間になっても教室にいない生徒が数名、式が始まって早々先輩方の席の方から飛ばされる野次やそれに真っ向から向かっていこうとする同じ学年の生徒などに仰天しながらも圧倒的に少ない保護者の中に藤本さんの姿を探した。けれど何度そこに目を向けてもそこに彼はおらず、昨日も忙しそうだったのだから来れなかったのだろうと勝手に残念に思う自分の心の我儘加減に少し呆れた。来てくれると言ってくれた言葉だけで十分すぎるだろうに、なにを思っているのだか。生憎の雨となった今日の入学式は粛々とまではいかないがつつがなくとり行われて、すぐに終わりを迎えた。教室に移動しても特に誰と話すことも無く、窓際になった席で雨の弾ける校庭を眺めていたらすぐに帰るようにと締めくくった担任の言葉によって解散となってしまった。

携帯禁止と言う校則を無視して堂々とアドレスを交換しているクラスメイト達を横目に静かに席を立って教室から消える。廊下に出るとそれぞれの教室から聞こえる話し声がクリアに聞こえて、やっていけるのだろうかという不安が煽られる。奥村君の言った通りというか、なんというか。暴力沙汰にだけは関わらないようにしていないとなと決意し、昇降口で靴を履き替える。下駄箱の蓋が変に歪んでいるせいで開け閉めの時に妙な音がするも開けにくい訳でも無いそれを少し眺めて、傘立てに置いてある傘を取り出す。畳んでいないまま突っ込まれた傘も多くあり、自分が入れた時と様子が違ったそれに少し驚いたが、分かりやすいようにテープを張り付けてあった私のビニール傘はすぐに見つかった(とはいっても吉備さんの家の物だが)。校門付近には保護者達が出待ちの様に待っていて、恐らくは校門前に立て掛けてある入学式の看板と娘息子の写真をするのだろうと察した。どのクラスよりも早く終わったらしい私のクラスの担任に少し感謝しながらその間を進み、やっと一つ息をついた。一度振り返って黒い背中を探してみたけれど、式の時よりも少なくなった人影の中にそれがいないのがすぐにわかって、私も諦めが悪いなとまた呆れる。


「(大丈夫かな)」


忙しいのなら御礼は少し時間を空けた方が良いだろうか。そう思いながらも足が勝手に修道院の前を通る道に進んでいる。少し覗いてみて、もし入口に誰か人がいたら藤本さんがいつ時間があるか聞いてみようか。昨日のこともちゃんと説明したかったし、あの妖が奥村君を狙っていないとも限らない状況であることを、やはりきちんと謝りたい。昨日のうちに思った、ニャンコ先生にお願いして見張ってもらうという案も一言伝えておきたいのだ。珍妙な猫だと追い出されてしまっては元も子もない。
雨足が少し強くなる。折角真新しい制服なのに、横からふく風のせいでスカートがしっとりと濡れ始めていて不快感を覚える。別に雨が嫌いという訳ではないけれど、なぜだか今日は少しだけ曇り空が重たく思えて鬱蒼とした気分になる。配布されたプリントと新入生の胸元に付けられた造花だけが鞄の中に増えていて、大して重さも変わらない鞄がなんだか重たく思えた。雨粒が躍るコンクリートにぼやっとした自分の影が映りこんでいてまるで今の心がそのまま映っているようなそんな気味の悪さがあった。

たどり着いた修道院の入口は、なにやら人が多く集まっていて藤本さんが言っていた用事とはもしかしてここで行われるものだったのだろうかと不安になる。こっそりと前を通り過ぎて帰った方がよさそうだと思いなおしてビニール傘を少し後ろに傾けてその人垣を眺めながら歩みを進める。しかしそこに集まる人たちの様子がどうもおかしいことに気が付いて、思わず進む速度を落としてしまう。なんだ、なんだっけこの感じ。確かに知っている空気を漂わせて本当に静かに修道院へと出入りする彼らを見ているうちに、あ、と気が付いてしまった。


「(喪服、だ)」


親戚のそれには、なんどか参加したことがあった。だからこそその空気感を覚えていたのだが、まさに修道院のまえはあの独特な寂しい空気が漂っていてゾッとしてしまった。そう、だよね。元々裏にお墓だってあったのを見ていたのに、こういう光景があの場所の日常のはず、だよね。
今まで知る彼らのあの居場所はびっくりするくらい温かくて居心地のいい場所だったからそれと正反対の空気を纏っていて驚いてしまったのだ。身体に走る嫌な寒気も、太ももに纏わりついて不快感ばかりの制服のスカートも知らないふりをして、一歩ずつ足を進めていく。もう言い逃れが出来ないくらいに遅くなってしまった足を叱る様に一度下唇を噛んだけれど、その時にその人垣の中にいてはならないものを見つけてしまって遂に私の足は止まってしまった。
いたのだ、あの時、はじめてここに来た時に修道院の前でじっと佇んでいたあの妖が。あの時と変わらずのっぺりと突っ立っていたけれど、参列者あいだにまぎれるように立っているその姿は本当に異色で、人影にチラチラと隠れてしまいがちなガリガリな体をじろりと眺めてしまう。雨に降られてぐっしょりと濡れているせいで不気味さが増しているその全貌は明らかに恐怖を覚えるものでしかなく、けれどもなにか頭の中で警報が鳴り続けるものだから、目が離せなかった。相変わらず顔に張り付いた紙だったが雨のせいでしおれる様にへたっていて、けれどもやはり顔にべったりと張り付いていた。落ちくぼんだ目のあたりには水が溜まっていたのかまるで涙の様にそこから雨が落ちている。

そうして気が付いた。あいつ、手に持っていたあの紙を持っていない。
今までにないくらいに寒気が、恐怖が体を襲った。なんだ、この感じは、なんなんだ、この不安は。その不安を笑うかのようにゆっくりとこちらに顔を向けたそれが、初めて声を発したとき、耐えきれずに私は小さく悲鳴をあげてしまった。


『お悔やみ申し上げます』


茫然と立ちすくむ私に気が付いて、奥村君が「夏目さん」と声をかけてくれるまでの間、私はずっと恐怖で体が縛られて動くことが出来なかった。
そして彼の口から、藤本さんが亡くなったのだと知らされて、辛うじて肩にひっかけていた鞄と緩く持っていた傘を地面に落としてしまうのだ。


2017.4.20

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投稿日:2017/1126
  更新日:2017/1126