ビン詰めの心臓

「……あれ、兄さん?」


「お、おお…雪男…とジジイ…」


バクバクとうるさい心臓を左手と一緒に右手で握り押さえつける。
一体、さっきのはなんだったんだ。
なぜあんなことをされたのか。

チラリと横に立つ彼を見ると余計に理解できなくなる。私の手をぱっと離したと思ったらガラリと彼の雰囲気が変わった。
本当に意味がわからない…。
空気に触れて少し温度が下がっている薬指が先程までのやりとりは現実なんだと突きつける。
そして確かにある痛み。
そっと右手を緩め覗き込むようにそこを見やると、塞がりかけた真っ直ぐな傷と、引っ掛けて付いたような新しい傷。

そう、噛まれたのだ。
驚きで手を引いたせいでこんな痕になったのだろうが、誰だって突然そうなったら防衛本能で私と同じ行動をするはずだ。
彼自身も酷く自分の行動に驚いていたのがハッキリと分かったため、多分だが、彼は噛んだ事には気がついていない気がした。
そこまで考えがいたり、手を後ろに回した所でやっと痛い程煩かった心臓が落ち着く。


「………わぁったよ」


恐らく私が一人思考の海に沈んでいる間に会話があったのだろう。
やっと音を声として拾った私はそういって部屋を出て行く"噛んだ"彼の背中がドアの向こうに消える瞬間をギリギリ捉えた時だった。


「ったく、悪いな。バタバタしちまって」


「い、え…あの、」


大丈夫です、とボソボソと続けるとまた悪いなと繰り返され居心地が悪くなった。
謝罪されるということに慣れていないのだと今更ながらに思う。


「…私、そろそろ、」


帰ります、といい終わる前に察してくれたのか藤本さんは奥村君に目くばせを送り、奥村君もそれに頷く。


「それじゃあ行きましょうか」


「あ、お願い、します…」


「お前ら堅ぇな…」


こんなにお世話になってしまったのだがら後日改めてもう一度…と考え、はたと気がついた。


「あの、…」


「お、どした?」


「此処、って、その…私この街に来て日が浅くて…」


闇雲に慣れない街を走り回り自分がどの方向からどれぐらい来てしまったのか皆目検討がつかない。
相当走りはしたが、ぐるぐると回った気もする。
そんな大事なことに今更気がついたのだ。
うわあどうしよう、めちゃくちゃ迷惑じゃないか。


「…ぶふっ、にゃはははははは!!」


藤本さんはポカンとしたと思ったら吹き出しゲラゲラと笑だし、奥村君もそれを笑すぎだよといいながら口元が笑っている。


「(…確かにこの歳で迷子って…)」


「ぐふ、っ、悪ぃ悪ぃ…くく、深刻な顔するからなんだと思ったら…ぶっ。」


「いえ、その…」


「えっと…住所とかは…」


奥村君がすみません、と言いながらも質問をしてきたため、いえいえなんて言いながら願書に書き続けて覚えた新しい住処の住所を伝える。


「…え?」


「え?」


「いえ、2丁目の5番地ですよね…?」


驚いたように眼をパチクリさせて確認をされる。
…奥村君、眼が大きいななんて関係のないことを考えてしまいながらも間違いはないと伝える。


「神父さん、このあたりに夏目さんなんて引っ越してきてないですよね?」


「ん?んー…いないと思うがどうした?」


このあたりという言葉にもしかしてと思うが会話に割り込む勇気はない。


「2丁目の5番地、らしくて…」


「そこなら確か……吉備(きびの)さん家じゃねーか?ほら、確かお前らと同い年の坊主がいて…よく燐が喧嘩しやがって…」


「あ、あの…」


だがこのまま黙っていても埒があかないとおもい、吉備という苗字に確実だと思い切って声をだした。なかなか珍しい性だしきっとそうだ。


「そこです…」


「「は?」」


理解出来ないという表情で2人でこちらを見つめてくる。


「吉備、さんの御宅でお世話に、なってます」


イガイガする喉でそう告げると何か聞きたげな奥村君と、そうかそうかと納得してくれた藤本さん。


「こっからなら5分もしねぇで着くが、一応送られてくれな?」


ご、5分…
私は一体どんな道を走り回ったのだろうか。
ガックリとしながらももう一度お願いしますと伝え、席を立つ。
近いとはいえ正直迷いそうというのが本音でもある。
ああ、でも藤本さん達に迷惑をかけてしまってなんて言おう。
態々扉を開けてくれた藤本さんにぺこりと頭を下げながらまたそれを考える。
喉はもう殆ど痛みを感じないし、治療をしてくれた場所も同じく痛みはない。


「さっきは急に、その…何も説明せずに連れてきてしまってすみませんでした。」


私の一歩斜め前を歩いていた奥村君が、こちらを向きながら申し訳なさそうに眉を下げ、苦笑した。
一瞬なんだと思ったが視界に階段が入り、ここまで運ばれた事を思い出して恥ずかしくなった。


「いえ、!えっと…私の方こそ…」


「え、と…お幾つなんですか?」


彼が謝る必要は微塵もない。
見ず知らずの私にここまでよくしてくれたのだ。
私が謝る方だ。
お互い謝りあう状況になりそうだと思った所で奥村君は人の良い顔で笑い話題をかえてくれた。
気を使ってもらってばかりだなと考えながらそういえば歳は近いのではと思う。


「今年から、高校生で…」


「お?なんだお前ら同い年じゃないか。」


隣を歩いていた藤本さんが何処か嬉しそうに笑ってそういうので少し驚く。
…しっかりしていて何処となく大人っぽいからか、上だとばかり…。


「そ、そうだったんだ…」


前をみると奥村君も同い年とは考えていなかったらしく、少し驚いていた。


「あ、じゃあ敬語は要らない、ですね」


「ぶはっ!みことちゃんも取れてないぞ」


同い年に余りに丁寧に扱われるのもなんだか慣れなくてそう言えば、藤本さんに笑われ本当だと気がつく。
御近所さんだから、もしかしたら私の噂を耳にするかもしれない。
だから今後も宜しくお願いしますという様な意味で言った言葉ではないのだ。
ただ同い年の人に敬語を使わせているのはなんだか慣れないから。
それだけで言った言葉だった。所謂社交辞令。


「それもそうだね」


なのに。
フワリと、奥村君が年相応に笑ったりするから。
ズキズキと罪悪感に苛まれた。
そんな私の頭から"噛まれた"という事実はスッカリと忘れ去られていた。





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投稿日:2017/1030
  更新日:2017/1030