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「ごめんな、ずっと繋いで」

一日に数回腕につけている革の手錠を確認する。
檻から抜け出して以来こうして確認をするようになった。檻はまだ新しいものを購入できていないから尚更だ。

「腕戻していいよ」

檻から出された腕から離れたくはなくて、微かに離して引っ込めるように促した。

「どうした?」

腕はかわらずに檻から出されたまま。檻の中の彼女は俯いていた。

「トーマ、ここはどこ?」
「お前の声久しぶりに聞いたな」
「トーマ」

質問に答えを急かすように呼ばれる。何日ぶりに名前を呼ばれただろう。ずっと俺の名前だけ口にしていればいいなんて考えが過ぎるが口にはしない。

「檻の中だよ。見ればわかるだろ?」
「今週になってトーマの部屋の物がなくなったから……」
「……処分しただけだよ」

指摘された通り、俺の部屋は家具もほとんどない状態になっていた。
気付かないわけがないけど指摘されていてやっぱり気付いていたのかと思う。
俺が見てない時に部屋を見渡していたんだろうか。抜け出して以来俺が見ている時はたいがい俯いているのに。

「嘘」

俺の言葉にゆっくりと顔を上げて視線が合う。明らかに困惑していて、わかっているはずだろうに何故そんな表情をしているのだろう。

「どうして?」
「あそこにいるとシンが来る。シンの事だからどこにも言わずに単独で乗り込んでくるだろうけどそれでもやっかいだからさ」

嫌がらせの証拠を掴み、まだネットの問題は残るけどあらかた終わらせた。もう少しじっとしてくれていたら檻から出していた。
だけどもう無理だった。どちらにしても全て終わったら遠くに行くつもりで準備もしていた。こんな事をしてそばにいれるはずがない。彼女があいつの元に行くのはわかってる。
わかっていたから抜け出してまで俺の元から離れた様を見てしまって堪えられなくなった。
だから彼女を連れて引っ越した。家具はいらない。だからこの部屋には最低限生活に必要なものがあるだけで殺風景だった。
彼女の両親には嫌がらせの件を説明して、恋人だと嘘をついて、精神的に傷ついた彼女を守りたいという理由で同居する旨を伝えた。
全て遮断した箱庭を作るのも大変だ。

「俺は答えたんだから、お前も俺の質問に答えてくれる?」

微かに距離のあった手を掴む。彼女は何も言わない。

「記憶全てないのか?」

ぴくりと手が揺れた。
久しぶりに会ったあの日から口数が極端に少なかったり、言動も不自然で記憶があやふやなのだとすぐにわかった。
それを利用したから俺の家に連れてこれたけど、どのあたりまで記憶がないのかまではわからなかった。
そう思いたくはなかったけど全ての思い出がなくなってしまったんではないだろうか。
彼女は何も言わずに視線を逸らす。たまに何もない宙を見ていたけど今もそうだ。
その様子から確信した。やっぱり全て失ったのだと。

「トーマ?」

檻の鍵を開けだすと何か直感のようなものがあるのか掴んでいた手を振り払おうとした。もしかしたら恐怖を感じたのかもしれない。

「出て」

もう片方の手を檻の中に差し出したけど後ずさるだけ。
仕方ないと無理矢理腕を掴んで檻の外へ引きずり出した。手錠から繋がっる鎖が檻に擦れて音がした。

「今までがなくても別に構わない。お前はお前だから」

床に倒れこんだ彼女に覆いかぶさってキスをした。嫌がるように逃れるように顔を振るから顎を掴んで何度もした。
荒れる互いの呼吸に今まで我慢してきたのが馬鹿馬鹿しくなる。こんなにも簡単なのにそれができなかった。

「トーマ、トーマ……ごめんなさ……」

泣きながら謝る彼女の頬を撫でて唇を塞ぐ。

「謝らなくていいよ。謝る必要なんてない。怒ってるわけじゃないんだ。嬉しいんだよ」
「……嬉しい?」
「今までの俺がお前の中にないなら我慢する必要なんてないんだよな。ごめんな、何も敷いてない床で」

嬉しくて笑ったのに組み敷かれた彼女が笑顔になる事はなかった。


また季節が変わった。
でもこの部屋には季節なんて関係ない。

「おはよう」

檻の中にいる彼女に告げながら手錠のついている手をとる。
口数が少なかった彼女は更に少なくなり、とうとう動く事も忘れたかのようになっていた。

「トーマ、だよ」
「トーマ……」

毎朝俺がそう言うと俺の名前だけを口にする。他は何を言っても覚えないし、反応も悪い。
でも俺の名前にだけは反応をする。

「シャワー昨日浴びてないから浴びようか」

ほとんど独り言のような事を口にしながら檻と手錠の鍵を開ける。
檻の中の手を掴んで引き寄せると彼女はゆっくりと立ち上がった。
一人ではもう何もできない。何もしない。
ずっと一緒にいるのだから問題はない。

「檻、結局壊れた物のままだな。今度はもう少し大きいのを買おうか。そしたら二人で眠れる」

手を引いてバスルームに向かいながら振り返って檻を見る。
視線を感じて彼女を見るとジッと俺を見つめていた。

「お前もそうしたいって思う?」

答えるわけがないのはわかってるけど聞いていた。
やっぱり返答はない。

二人で眠る檻を夢見て、バスルームに向かった。


H23.9.3

二人で眠る檻
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