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「どうしたんだよ、桐也」
「……いや、別に」

クラスメイトは訝しげに見つつ隣にいた女子の手を引いて教室を出ていった。
自分の席で帰り支度をしていただけだった。なのに二人のクラスメイトの声が聞こえて無意識に顔をあげてしまった。
いきなり顔を上げられればああいう反応もするだろう。

「桐也、これから彼女と練習だろ」
「そう、練習室で」

横にやってきたクラスメイトに顔を向けず応対する。
はじめは普通科で一学年上の彼女なんて珍しがられたりもしたけどもう一年も後半だと珍しがる奴は少なくなった。珍しがられてもどうもしないけど。

「練習室、今週は特に予約とりづらいらしいからよかったな」

そんな声に軽く相槌を返して教室を出た。


「ごめんね、衛藤くん。やっぱり冬の屋上って寒いよね……」
「別に謝んなくていいよ。お人よしなのは知ってたし」
「う……ごめん」

あのあと練習室へ向かうと入口で香穂子が待っていて会うなり頭を下げて謝ってきた。
話を聞いたら困っていた音楽科の女子に練習室を譲ってしまったらしい。その女子は体調が悪く試験を受けれずにいて明日再試験らしい。

「屋上に来たのは失敗だったかな」
「そう?」
「風吹いてなければいいけど多少は吹いてるから弾きにくい。指かじかむし」
「練習できないよね……」

俺の言葉に続くように香穂子は呟く。
練習ができる状態じゃないのに戻る事もせず屋上のベンチに座っていた。

「もう少しここにいてもいい?」
「いいけど、寒いだろ」
「うん、でももう少しだけ」

横を見ると香穂子は前を向いていてどこか懐かしむように見ているようだった。
先を見るとただ柵と空があるだけ。俺と香穂子が見ているものが違うのかと思ってしまうほど香穂子は嬉しそうにそれを見ていた。

「よくここで練習したなぁ……」

独り言のように、独り言だったんだろうけど香穂子は呟いた。
屋上は思い出の場所なんだろう。何の変哲もない空や柵が思い出を呼び起こす。その感覚を俺は知っている。
出会った練習室に行くとつい笑ってしまう。たまたまドアが少し開いていてうまくないヴァイオリンの音が聞こえて……。

「衛藤くん、嬉しそう」

いつのまにか俺を見ていたらしい香穂子に指摘されて香穂子に顔を向ける。

「衛藤くん?」

香穂子が話す度に白い息が吐き出される。
自然と手が香穂子に向かっていて香穂子は首を傾げる。

「衛藤くん、手冷たいね」
「香穂子もだろ」

膝の上に乗せられていた香穂子の手に重ねると冷たかった。だけど香穂子は嫌がるそぶりもなく笑う。冷たい手同士だけど不思議と重ねるとあたたかく感じた。

「衛藤くん、もうそろそろ帰……」

香穂子の目が俺をじっと見つめるのを感じたまま顔を近づけた。
不自然に途切れた言葉は唇を塞いだから。唇もやっぱり冷たくて、でも少し触れ合わせているとあたたかくなった。

「寒いけど香穂子に触れるとあたたかい」

唇を離して額をつける。少し驚いたように見開かれた目はすぐに戻って目を閉じた。

「……桐也くんもあったかい」

自然と呼ばれた名前に胸が高鳴った。呼んでほしいと思ってるのに呼ばれると顔が熱くなってくる。
先程の教室でのクラスメイトのカップルを思い出した。自然に名前で呼び合う二人。
気にするような事じゃない。でも自然にそうなれる事に少なからず憧れた。

「香穂子、行こう」
「え?うんっ」

重ねた手を握り屋上を後にする。
俺もいつか屋上に来た時に香穂子みたいに懐かしむんだろうか。あたたかい今を。



H23.1.28

あたたかい今を
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