サンタクロースもやぶさかではない




 夜の世界に白が散った。ふわりはらりと空中に揺蕩ったそれが降り始めた雪だと理解したのは、鼻先が何か冷たく濡れた感覚に襲われた瞬間のこと。12月24日の夜を彩るそれを待ち望んでいた人はきっと数多く存在するのだろう。
 そんな考えを裏付けるように沸き立った歓声を足元に聞きながら、城壁の上でガイアはひとり、賑わうモンドの街を見下ろしていた。
 きらきらちかちかと輝くイルミネーションと、その中を行き交う人々、高揚した子どもたちの声、赤い帽子にトナカイの角。広場に歌い踊る人々の中に見知った姿をいくつか見つけ、思わず口元が綻んでいく。

「──折角のクリスマス・イヴだってのに、何でこんなところにいるんだ? ディルックの旦那」

 あんたなら今日は色んなパーティに引っ張りだこだろうに。
 唇にそんな言葉を紡ぎながら、ガイアはおもむろにその視線を自らの背後へと向けた。夜の闇に包まれた世界の中に、ひとつの色彩がガイアの網膜を焼く。赤い色は闇の中では見えづらくなってしまうものだといつかどこかで聞いたことがあるのだけれど、彼の持つそれにはそんな法則など適用されはしないらしい。
 まるで夜に取り残された太陽のようだ。そんな言葉を頭の片隅に噛み砕いて、ガイアはそのかんばせに笑みをぺたりと張り付けた。

「……それは君にも言えたことだろう」
「はは、それもそうだな」

 眉を寄せてどこか不機嫌な様子の彼が何故ここにいるのかも、ガイアは最初から理解している。
 クリスマス・イヴと言えばやはりどうしても人々が浮足立ってしまうため、モンド全体の警備が疎かとなる。つまり、そんな今日もしも敵に攻め込まれてしまえば……、ということだ。
 その可能性を、まさかこの『闇夜の英雄』様が見過ごすはずもない。

「ああそうだ、旦那。あんたにこれをやろう」

 どうしてかその場に足を止め、どこかへ行く様子を見せない彼に、ふとガイアはそんな言葉をかける。同時に取り出されたのは、酷く可愛らしい手作りのメッセージカードだった。

「なんだ、それは」

 たどたどしい線で描かれたサンタとトナカイのイラストが印象的なそれの姿に、ディルックの首が傾く。訝し気なその様子にくすりと笑ったガイアは、指先にひらひらとそのカードを揺らしてみせた。

「いやな、実は少し前にクレーから『サンタさんへのプレゼントのお願いをここに書いて』と渡されたんだが……いかんせん、俺には誰かに願ってまで欲しいものはないからなぁ。旦那にその権利を譲ってやろうかと」

 今頃クリスマスツリーの下に靴下を用意し心を躍らせているだろう少女の姿を脳裏に描きながら、ガイアはそう言葉を紡ぐ。それを聞かされたディルックの表情がじわじわと呆れに染まっていく様を眺めるのは、少し面白いものがあった。まあ、予想通りの反応だ。もちろんガイアはサンタクロースの存在などもう信じてなどいないし、それは目の前の貴公子だって同じことだろう。
 つまりここまでの言動は、それを理解した上でのただの冗談にすぎなかった。ガイアにとって。


「……そうか。では有難く頂こう」


 だからこそ、ディルックから放たれたその言葉に、今度はガイアの方が首を傾げることになってしまったのだ。

「…………は?」
「譲ってくれると言うなら貰うと言った」
「……正気か?」
「僕は酒は好まない」
「いや、それは知っているが……」

 別に素面を疑ったわけではない、のだけれど。
 いや、酒を飲んでいると言われた方がガイアの精神衛生上は良かったのかもしれない。それぐらいに、今のディルックの言葉はガイアにとって予想外も予想外のものだった。

「……あんた、何か欲しいものでもあるのか?」

 いくら彼と言えども欲しいものぐらいはあるだろう。けれどもそれを誰かに、サンタクロースなどという架空の存在に願うなどという行動は、あまりにもガイア・アルベリヒの知るディルック・ラグヴィンドという存在からかけ離れていた。
 視界を不規則にちらつく白が煩わしく思えて目を細める。そうすればこちらを見据える赤い色彩がやけにその輪郭を強くするものだから、吸い込んだ冬の空気に凍てついていたはずの肺が焼けるような痛みに襲われてしまって。

「ああ」

 躊躇もなく落とされたその頷きに、心臓が奇妙な音を立てる。彼がそんなにも真っ直ぐに求めるものとは一体何なのか。知りたいと請う自分と、知りたくないと叫ぶ自分の声に、鼓膜が今にも破裂してしまいそうだった。
 貼り付けた笑みが引きつる感覚に焦りが滲む。ああ、早くこの話を終わらせてしまわなければ。そうでないと、そうでなければ、そうしなければ。

「僕は」

 俺は、


「──君と過ごすクリスマスが欲しい」


 は、と間の抜けた声がこぼれ落ちる。
 聞き間違いだろうかと思った。いいや、確実に聞き間違いだろうと思った。でなければきっとこれは自分の見ている夢に違いないと思った。
 けれど、頬に触れた雪のひとかけらがあまりにも冷たくて、吸い込んだ空気が酷く凍てついていて、肺が痛くて。痛くて。心臓が、──熱く、て。

「…………それ、は、サンタに願うようなものじゃあない、だろ」
「そうか。なら君に願おう」
「いや待て。それもおかし……くはない、のか……?」

 いや、いやいや。おかしい。おかしいだろう。だってそんなの、まるで。……まるで、
 普段はあんなにもすらすらと動くはずの口や頭が、今は凍り付いてしまったかのようにたどたどしくて。どこまでもままならない世界に、やっぱりこれは夢に違いない、と今すぐ現実逃避をしたくなった。
 しかし待てど暮らせど自らが夢から覚める様子はなく、頬に雪水が伝っていくばかり。その感覚に嫌でも自らの体温が上昇していることを知らしめられてしまって、言葉に言い表せない苛立ちがじりじりと胸を焼いた。


「……明日10時、アカツキワイナリーで」


 おい待て、俺は何も言っていないぞ。
 端的かつ一方的なその約束にガイアが文句を言う間もなく、こちらに背を向けたディルックは振り返ることもせず闇の中へと消えていく。
 城壁に残されたのは、未だ呆然としているガイアただひとりだけ。足元に聞こえる人々の賑わいも、今のガイアの耳には届かなかった。

「……俺のことを自分専属のサンタクロースだとでも思ってるのか? あいつは」

 ほろりとこぼしたそんな愚痴を聞き咎める者はいない。赤く染まったガイアの頬を見咎める者も、誰1人として。
 雪が降る。頬を濡らす。

 ──明日の天気はどうだろうか。

 雪も悪くはないけれど、折角ならば晴れがいい。
 そんなことを考えてしまった自分を、ガイアは脳内で勢いよく殴りつけた。


2020/12/24


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