four




 一体どんなことをすれば、ディルックはガイアを心から憎むようになるのだろう。人の嫌がることをするということにそれなりに精通しているガイアではあるが、前回の罵詈雑言にも意味がなかったことを考えると、やはり相手は手強いのだと痛いほどに理解させられる。
 ひと時は兄弟として共に時間を過ごしたといえども、あの雨の日にその繋がりは立ち切れた。彼はモンドの守護者であり、ガイアはそのモンドを壊そうと企むカーンルイアからのスパイ。拾い育てられた恩も忘れ、義父の死を真剣に悲しむことも出来なかった薄情者。果てには再びモンドを裏切り、アビスたちとモンド攻め込みディルックに暴言を吐きといった邪知暴虐の限り。いやはや本当に、どうして前回の彼はそんな自分の死をあんなにも悲しんだのだろう。彼がお人好しな質であることは前々から十分に存じ上げてはいたけれど、まさかそれほどまでとは思ってもみなかった。
 馬鹿だなぁと思った。そして同時に、堪らなく愛しいと思った。たった十数年の「義弟」に、そこまでの情を抱いてくれているだなんて。神様の名がこの世界で一番に相応しいのは彼なのではないか、なんて、そんな馬鹿げたことを半ば本気で考えてしまうぐらい、彼はどこまでも「ディルック・ラグヴィンド」だった。

 彼の逆鱗は、一体どこにあるのだろう。

 そう考えた時一番に思い至ったのは、やはり彼の父、クリプスに関すること。ディルックがクリプスと同じ理想を、信念を、意志を何よりも大切にしていることを、ガイアは誰よりもよく知っていた。
 次に浮かんだのは、この国、モンドに関すること。それこそ、モンドを裏切り攻撃するというのは彼の逆鱗に触れるも同然のことだと思っていたのだけれど。前回を省みるに、どうやらそれだけでは足りないらしい。
 アカツキワイナリーのブドウ畑を荒らしてしまうか、それとも、義父の旧宅を燃やしてしまうか、はたまたモンドに攻め込んだ時にでも彼の前で邪眼の力を振りかざしてみせるか。
 悪だくみに長けたガイアの頭は、ぽんぽんと軽やかにディルックに対する数多の「いやがらせ」を弾き出す。けれど、その手段の選択には十分に注意しなければならない。確かにディルックに憎まれることがガイアの望みであり目的ではあるのだけれど、それだけが全てという訳ではないのだから。

 彼の愛するものを壊して、彼の大切にするものを踏みにじって、彼の全てを嘲笑う。何度も何度も繰り返してきたそれを、今更躊躇ったりはしない。

「──なあディルック」

 胸を割くような痛みにも、肺を侵す罪悪感の苦しさにも、噛みしめた奥歯に滲む苦々しさにも、もう慣れた。凍てついた心臓には、きっともう鼓動すら残されてはいないのかもしれない。

「俺はな、本当はずっとお前のことがこの世界の何よりも誰よりも嫌いで、大嫌いで、憎くて、憎くて、憎くて、疎ましくて、堪らなかったんだよ」

 ──なあ、それなのにどうしてお前は。

 今度は「父親」からの氷柱ではなく、崩れ落ちてきた瓦礫がガイアの身体を壊した。二度目の死という体験は、やはり生物としての本能にとってあまり良いものではないらしい。瓦礫がディルックの頭上に降り注ぐ様を目にした瞬間、ガイアを襲ったのは途方のない死への恐怖。しかし、それでもなおガイアの身体は意識とは関係なく彼の方へと駆け出していて。これでは彼のことを馬鹿だなんて言えはしないなと、そんなことを頭の片隅でぼんやりと考えた。
 瓦礫に押しつぶされた身体は最早動くことも叶わないけれど、それでも、寸前で突き飛ばしたディルックに怪我はないことだけは辛うじて理解出来た。きっと彼は、ガイアを置いてさっさとここから逃げ出したことだろう。朦朧とした視界と意識の中で、ガイアはそう考えくすりと笑みを浮かべる。けれどその瞬間、ふとした違和感がガイアを襲った。
 投げ出された指先に、何かが触れたのだ。それが一体何なのかは分からない。けれど、確かに何かがそこにはあった。
 嫌な予感を滲ませながら、ガイアは最後の力を振り絞って恐る恐る視線をそちらへと向けた。ぼやけた視界に色が踊る。輪郭がなくとも分かってしまったのは、そのコントラストがガイアにとって特別なものだったから。
 こぼれ落ちてきた雫が指先に跳ねる。
 またしても途端に鮮明になった視界が、願ってもいないというのに彼の涙を痛いほどガイアヘ突きつけた。

 ほろほろと流れ落ちていく涙を、自分は一体どうすれば止めてやることが出来るのだろう。どれだけ考えても答えにはたどり着けないまま、ただ意識だけが闇の中へ落ちていく。ろくな力も入らない指先では、彼の手を握り返してやることすら叶わなかった。
 瞼を閉ざせば、肌を刺すような冷たさが容赦なくガイアを包み込む。一度目と同じ「死」の感覚は、やはりとてつもなく恐ろしくて、けれども同時に、酷く穏やかなものだった。このまま永遠に眠ってしまいたいと切に願ってしまうほど。

 ──けれど、どうやらまだこの世界は終わらないらしい。

 消えたはずの意識が次の瞬間には再び呼び覚まされ、あっという間に味覚と嗅覚とが酒によって塗りつぶされていく。夜の酒場の賑わいは、やはり何度聞いても居心地のよいさざめきをガイアに与えた。
 空になったグラスを曖昧に揺らせば、近くのテーブルに座っていた部下から声が飛んでくる。それに答えを返して席を立てば、自然と爪先がカウンターを望んで歩き出した。
 あの日と同じ人が同じ場所に座っている客席を抜けて、あの日と同じように石階段を踏み、あの日と同じ光をこぼすシャンデリアを仰ぐ。左手へと揺らした視界に映る姿も、あの日と全く同じ輪郭を描いていて。それを認めると同時、言葉にはとても言い表すことなど出来はしない感情がガイアの喉を焼いた。
 震えそうになる声を必死に抑え込んで、ガイアは笑ってみせる。何も知らない「ガイア・アルベリヒ」を装って、何も知らない「ディルック・ラグヴィンド」に語りかける。
 これと罰と呼ぶべきなのか、それとも祝福と呼ぶべきなのかは分からない。それでも、それでも。これが紛うことなく現実であるということだけは痛いほどに理解させられた。

「──よう、ディルックの旦那。今日もいい夜だなぁ」

 なぜなら、4月15日の夜が、そこで静かにガイアを待っていたから。



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最果ての惑星