饗宴の終わりに


愛の詳細


 四人掛けのボックス席。ガタンゴトン、ガタンゴトン、と列車が線路をなぞる音が聞こえる。列車の揺れが僕の身体を揺らし、まるでゆりかごのように眠気を誘っていた。赤い布地の座席は案外柔らかくて心地がいい。瞼が重くなってきた。ダメだ、眠い。車内のなんともじんわりと暖かい空気が余計に眠気を呼び寄せる。
「寝るの?」
 その聞き慣れた声に慌てて顔を上げ、閉じかけた瞼を開く。正面に座ったシャルナークは僕の顔を覗いてからかうような表情でそう尋ねた。車窓から差し込む、熱を持った夕日が彼の顔を照らしている。彼は眠気を感じていないらしく、まるで悪いことをしているところを見られてしまったような気分だ。
「ごめん、寝そうだった」
「ま、寝てもいいけどね。目的の駅まではしばらくかかるし」
「うん」
 シャルナークが視線を送った車窓の外へ真似して顔を向けるが、夕日が眩しくてその景色ははっきりと見えない。時刻はすっかり夕方らしい。眩しくないのと尋ねると、彼はそりゃ眩しいよと言って笑った。目を細めたシャルナークと視線が合う。オレンジ色の夕日の中で、鮮やかな緑色がこちらを見ていた。
「……あと、どのくらいかかるかな」
「オレ調べてないや。ココ繋がんないし」
 そう言って起動したばかりの携帯電話を不満げに伏せる。見慣れた赤いフォルム。
「まあ乗ってれば駅に着くわけだし、いっか」
「でも急がないとだろ?」
 シャルナークは真剣な顔をしてそう言った。何を焦っているのだろう。電車の中で焦ったって目的地に着くのが早くなるわけではない。
「〇〇はこれからしたいことってある?」
「どうしたの急に。でもそうだなあ。美味しいものいっぱい食べたいな。旅行に行ったらその場所の一番美味しいものが食べたい。だから色んなところに行ってみたいよ。勇気がなくて一人で旅なんてできなかったけど、そろそろやってみてもいいかなって思うんだ。あとは、それから――なんだろう。えっと……色々、挑戦してみたいかな」
「○○は後悔しないようにね」
 そう言った声色が何故か寂しげで違和感を覚える。どうしてそんな声で話すのだろう。あ、一人旅がいけなかったか。わざわざ旅に付き合ってくれている奴が目の前にいるのに、これからやってみたいことが一人旅だなんて失礼だ。それに、シャルナークも誘ったほうがきっと楽しいだろうし、一緒に行ってくれるなら嬉しい。なんで僕は一人旅だなんて言い出したんだ。
「シャルナークは、何がしたい?」
「オレ? オレは……とりあえず寝たいかな。ずっと忙しかったし、結構色々頑張ったし」
「ハハッ、なんだそれ。つまんないなあ」
「やりたいことで一番最初に食欲が出てくる奴に言われたくないけど」
「でもまあ、食欲・性欲・睡眠欲で三大欲求って言うしね」
 寝ているだけの休日ってのも悪くない。案外たまにはそういうのも必要かもしれない。
 四人掛けのボックス席。列車が線路をなぞる音が聞こえる。シャルナークは眩しい車窓の外を眺めている。ガタンゴトン、ガタンゴトン、と列車が揺れる音だけが耳に残っていた。



――グルファ駅――

 どのくらい経っただろうか。眠気でうとうとしていると、列車が進むスピードが段々と落ちていっていることが分かった。どこかの駅に止まるのだろうか。
『次はグルファ駅。次はグルファ駅。お降りのお客様は――』
 次の停車駅を伝えるアナウンスが聞こえる。車窓の外を見ると、いつの間にか雨が降っていた。辺り一面鮮やかな青。まるで海のようで、建物はない。車窓から見える景色全てが、空を映した海の青で統一されている。景色は暗くもなく、空に雲がかかっているわけでもないのに雨が降っていた。水面を雨粒が弾いて、波紋があちらこちらに生まれている。こんな景色、初めて見た。
 すると、シャルが降りようと僕の手を引いた。慌てて立ち上がって、シャルに置いていかれないように足を進める。まるで僕らが降りるのを待っていたかのようにドアが閉まり、汽笛が鳴った。列車が再びゆっくりと走り出す。
「え、ここどこ? 列車は?」
「ここで乗り換えだよ」
「あ、そっか。ごめん。ぼーっとしてて」
「大丈夫。オレがちゃんと――」
 小さく呟いた言葉の続きが聞こえなくて、聞き返そうとすると僕の声が出る前にシャルナークが再び僕の手を引いた。無人の駅舎の中には見慣れた改札がある。どこかの駅とよく似ていた。どこだろう。ここに来たのは初めてなのに、何故か見覚えがある。乗り換えと言っていたから、まだ改札の向こうには行かないだろう。屋根の付いているホームに移動して、ベンチに腰掛けた。
「僕らが乗る列車、後どのくらいで来るのかな」
「しばらくしたら来ると思うよ」
「雨、凄いね。結構降ってる。でもなんか綺麗。雲見えないけど、風は吹いてないし、雨粒が飛んできてるって感じでもないね。不思議」
「昔さ、二人で出かけて大雨に降られたことあったじゃん」
「あー、あったあった! 近くに雨宿りできるような場所なくてびしょ濡れだったよね」
 何年前だっただろう。暇だから二人で旅行に行こう、なんて僕が言い出した。けれどどこかに行きたかったわけではなかったので、結局目を瞑って地図の中で指差した場所に行くことになった。僕もシャルナークも流星街から出てようやく慣れ、余裕が出てきた頃だ。とにかくどこでもいいから行ってみたかった。
 僕の指に選ばれたのは小さい島。海を指したからやり直しだと思ったのだが、よくよく調べて見たら島があった。
 島なら山も海もあるじゃないかと大興奮で行ったものの、二日目からは嵐。そこから三日間、船が出ないからと滞在期間を延長して島にいることになったのだ。
――〇〇がこんな場所選ぶからだろ!
――シャルナークだって賛成してたじゃん! それに日付決めたのはそっちだろ! 先週だったら晴れてたのに
――旅団の仕事の方が優先に決まってんだろ、バーカ!
――日付決めるんなら天気も確認すれば良かったじゃん! そんなの常識だろバーカ!
 実にくだらない喧嘩をした。そのせいで結局嵐が来ていた三日間は地獄のような日を過したのでよく覚えている。結局仲直りしたのは旅行から帰って二週間後だった。仲直りというか、くだらなかったなと話して終わっただけだけど。
「あの時さ、〇〇がこんなところ選ぶからだ〜って大喧嘩しただろ?」
「僕も選ぶの下手くそだったし、運任せじゃなくて最初からちゃんと決めれば良かったね。今度はさ、もっと観光地っぽいとこ行こうよ。いいホテルに泊まっちゃったりしてさ、豪遊してみたいな」
「オレさ、あれも楽しかったよ」
「え?」
「くだらないのってさ、計画してちゃできないし。悪くなかった」
「アハハ、シャルナークっぽくないね。あんなの二度と御免だって言ってたのに」
 楽しかった、悪くなかったと言って口元は笑っているのに何故かその顔は暗い――気がする。あくまで、気がするだけだ。どうしてなのか聞くほど分かりやすいものではなく、眉がほんの少し下がっている気がしたり、視線が定まらないようにフラフラしていたり、ずっと両の手を固く結んでいたり。何となくいつもと違う気がした。
「シャルナ――」
「馬鹿だな、オレ。大雨で全身びしょ濡れなんて流星街で雨が降れば日常茶飯事だったんだから、気にせず雨でも楽しめば良かったのにさ。あの頃はやたら『普通』に憧れてて」
 今まで座っていたベンチから勢いよく立ち上がったシャルナークが僕の手を引いた。そうかと思えばホームから線路上に飛び降りる。列車の影もないとはいえ危ないじゃないかと焦って引き止めるが、それにも構わずどんどんと足を進めるシャルナークにどうにか追いつこうと急ぎ歩く。線路を二本超えると、海のように深そうな色をした水面はただ十数センチメートルほど水が張ってあるだけの浅瀬だった。水深はたったの足首程度。あーあ、靴の中びしょ濡れ。降り続ける雨で上着もびしょ濡れ。なんならどんどん雨は強くなっている気がするけれど、景色は明るい青のままだ。あ、シャルナークが笑った。
「うわっ、ヤバ」
「アハハッ! ダッサ!」
「も〜! これじゃ全身びしょ濡れだよ。あのときより酷い」
 足首を覆う水で歩きにくく、水面の下に潜んでいた石に気付かないまま滑ってバランスを崩した。ズルいことにシャルナークは僕が転ぶ前に掴んでいた手を放し、すっころんで尻もちをついた僕を、ご丁寧に膝を折って屈むようにして笑っている。
「○○がしっかり歩かないからだろ」
「シャルナークが引っ張るから自分のペースで歩けなかったんだよ」
「ハハッ、ほんと鈍臭いね」
「うっさいな」
 手貸してよ、という僕の言葉を聞いて素直に手を差し出したシャルナークを思いっきり引っ張る。すると、僕よりも酷く顔面から転んで水に飛び込んだ。
「アハハッ! どんくさっ!」
「うわ、髪も濡れたじゃん。サイアク」
「髪なんて雨で元々濡れてるんだからさ、服の方気にしなよ」
「あー、もう服も髪もびしょ濡れでいいや」
 子どもの水遊びのように、全身びしょ濡れになったお互いの姿がおかしくて笑いが止まらない。流石にこれでは風邪を引く、とまだ収まらない笑いを零しながら駅のホームへと上がる。ホームの端に階段があって良かった。服が重くて動きづらい。
 シャルナークは僕に先程のベンチに座っているよう伝えると、少しして二枚のブランケットを持って戻ってきた。駅の中からくすねてきたらしい。
「ドライヤーとかなかったの?」
「無茶言うなよ。無人駅にそんなのないって」
「ねえシャルナーク。僕、気に――」
 ガタンゴトン、ガタンゴトン、と線路をなぞる音が聞こえる。列車が揺れる音だ。どこかからは遮断機が下りる音も聞こえていた。来たみたいだねと言ったシャルナークの声に頷いて、音が聞こえる方向へ振り返る。列車がゆっくりと目の前に止まった。
「行こっか」



――キリグ駅――

 ほかに乗客もなく、びしょ濡れの男二人が狭い場所に並んで座っているのも気持ち悪いので、四人掛けのボックス席で向かい合うようにして再び腰を下ろす。服に染み込んだ水分が自分の体温で温まってぬるい。座席にも染みてきた。しかし暖房でも効いているのか、温かい車内のおかげであれだけ濡れていた服や髪が段々と乾いて来たことが分かる。しかしいくら経っても生乾きだ。気持ち悪い。
「着替え持ってない?」
「オレが持ってるように見える?」
「いや、見えないです」
 僕たちを乗せた列車は、いつの間にか緑の中を走っていた。陽の光が葉に反射して車窓を過ぎて行く緑がキラキラと輝いている。
「ねえシャルナーク、ここどこ?」
「さあ」
「この列車ってさ」
『次はキリグ駅。次はキリグ駅。お降りのお客様は――』
「キリグ駅、だって。降りよっか」
 迷いなく立ち上がったシャルナークに着いて列車を降りる。僕らが降りるとドアが閉まり、汽笛が鳴って列車が走り出した。
 直後。
 赤、青、黄、紫、白。列車が走り去った目の前の景色は鮮やかに舞い上がった。列車に驚いたのだろうか。色鮮やかな蝶の大群が空に旅立つ瞬間だった。
「……びっ、くりした」
「ハハッ、オレも」
 シャルナークもびっくりして、笑う口元が引きつっている。
 先程車窓の外から見えた緑は、駅舎すらも覆っていた。辺りは碧々とした緑に囲まれていて、どこからか聞こえる(恐らく)鳥の声や、木の葉同士が風に揺られて擦れる木の葉の音が騒がしくも心地いい。先程のグルファ駅とは違い、空は晴天。太陽が強く主張していた。
「シャルナーク見て、綺麗な花。なんて名前だろう。知ってる?」
「さあ、オレも知らないや」
 綺麗に赤く咲いている。隣も同じ花だろうか。形はよく似ているけれど、色が違う。まるで熱帯地域のように色鮮やかな花があちらこちらに咲いていた。かといって太陽の光が暖かいくらいで、熱帯地域ほど暑くはない。行ったことないけど。
「アレ食べれるかな」
「どれ?」
「あの木の実」
「食い意地張りすぎだろ」
 少し離れたところにスラリと立った木に生っている木の実を指さすと、シャルナークは呆れた顔をした。キノコと違って木の実は毒が入っていることも少ないし、何となく美味しそうな色をしていると思ったのだがシャルナークのお眼鏡には適わなかったらしい。
「美味しそうだと思うけどね」
「オレ腹減ってないし。だいたい、あんな高いところの木の実どうやって取るんだよ」
「うーん、僕も別にお腹空いてないけどさ、登ったらいいじゃん。僕みんなより木登り得意だったろ?」
「ガキの頃の話じゃん。〇〇の体重で木の方が折れたらどーすんの? それに今は昔ほど運動神経良くないだろ」
 あまりにもシャルナークが否定的な分、何となく諦めきれず反抗のつもりで木によじ登る。思ったよりも行けそう、と思っていると急に身体が重くなった。
「バカ! 早く降りて来いって」
「これじゃ落ちるっ! ちょっ、引っ張るなって!」
 シャルナークとの攻防戦が続くと、さすがに勝てず木を掴んでいた手が離れる。ヤベ、と声を出した次の瞬間には身体を打っていた。シャルナークを下敷きにして。
「マジで重い」
「いやいや、賞金首の幻影旅団様が何を言いますか。僕なんて重くないでしょ」
「重くなくても痛いって。早く退いて」
「ごめんごめん」
 そう言ってシャルナークの上から降りる。大丈夫? と声をかけた時だった。上から何かが勢いよく降ってきて、シャルナークの頭に直撃する。
「痛っ! はあ?!」
「アハハッ! やば、直撃じゃんっ! ハハッ、アハハ、笑いとまんない。アハハッ」
 落ちて来たのは僕がよじ登ろうとした木に生っていた木の実だった。僕が思っていたよりも硬かったらしく、シャルナークの額は赤くなっている。相当痛かったのか、まだ額を抑えていた。
「うーん、食べられそうにないね。石で叩いても地面に叩きつけても全然割れないや」
「オレの頭が割れてないのが奇跡だよ」
 額を抑えているシャルナークの目元を拭う。思ったよりも痛そうだ。
「ごめんね。ハイ、元気だして……ハハッ、やっぱりシャルナークはカッコイイから花も似合っちゃうね」
 列車を降りてすぐに見つけた大振りの花を摘み取って、シャルナークの耳上に差す。成人男性にはかわいすぎるかとも思ったが、よく似合ってる。シャルナークの濡れた翠の瞳が陽の光を反射して、花の赤にも負けていない。
「……オレは大丈夫。〇〇のこと助けに来たんだから」
「どういう意味?」
 そのとき、列車の音に気づいた。ガタンゴトン、ガタンゴトン。自然と、僕らが乗る列車だと思った。
 二回も乗り換えたが、あとどのくらいで目的地に着くのだろう。ここはどこだ? キリグ駅だなんて聞いたことがない。さっきのグルファ駅もそうだ。シャルナークが降りようと言ったから降りたけれど、そもそも僕はどこに向かっているのだろう。そういえば、まず電車に乗った記憶もない。どこの駅から乗ったのだろう。最初は日暮れだった。シャルナークが見ていた車窓の外は眩しくて、シャルナークにかかる光は夕焼けの色をしていた。今は何時? 時計はない。太陽があるなら昼間だろうか。あれ、分からない。
「〇〇、乗らないと間に合わないよ」
「乗らなきゃダメ?」
「ダメ。帰れなくなるよ」
 シャルナークの手に引かれて列車に乗る。僕らが乗ると走り出した。まるで僕らを待っていたように。
「額、大丈夫?」
「〇〇も座りなよ」
「あ、うん」
 シャルナークの額を見ると、もう赤みは引いていた。そんなにすぐに引くような痛みだったのだろうか。先程は涙目になるほど痛がっていたのに。
「もう痛くないよ」
「そうなんだ」
 さっきの駅では明るかった車窓の外が、ゆっくりと暗くなっている。何となく、ずっと違和感があった。ただ、現実だとは思えないのに夢だとも思えなかった。ここは一体どこなのだろう。
『次はサマル駅。次はサマル駅。お降りのお客様は――』



――サマル駅――

 今までと違ってなんだか暗い。電車を降りてそう思い空を見上げると、世界は夜だった。近くに光がない分、夜空に並んでいる星が強く光っているように見える。月はないが不思議と不安になるような暗さではない。
「ここ、どこ?」
「列車のアナウンスでサマル駅だって言ってたよ」
「僕ら、どこまで行くの?」
「目的地まで」
「目的地ってどこ?」
 そう尋ねるとシャルナークは黙ってしまった。教えてよ、と再度尋ねても視線を逸らすだけで何も言わない。空の星が瞬くように、シャルナークの瞼が不安を訴えるようにぱたぱたとまばたきを繰り返していた。
「じゃあ僕ら、どの駅から乗った? 僕らの他に列車に人がいないのはどうして? これは夢? 現実? なんでシャルナークがいるの。どうして触れられるの……もしかして僕、死んじゃった?」
 シャルナークは死んだ。殺されたと聞いた。それ以上は教えてもらえなかった。
 死体は見た。顔が腫れ上がっていた。逆ナンされて「オレかっこいい顔してるからなあ」とふざけて言っていた顔が嘘みたいだった。
 墓参りもした。僕は元気にやってるよと、聞いてもらえなくてもいいから墓の前で言った。一方的でもいいから、シャルナークと話がしたかった。
「死んでないよ」
「じゃあこれは夢?」
「夢……かな。〇〇にはさ、死んでほしくないんだ」
 シャルナークの言ってることが分からなかった。死んでほしくないなんて、僕は周りで誰が死んでも、例えシャルナークが死んだときだって死のうと思ったことはない。今、僕はどうしてここにいるのだろう。
 これは、本当に僕の夢の中なのだろうか。夢は痛くないんじゃなかったのか。木から落ちたときの背中も、シャルナークが死んだことを思い出してしまった今の胸も、クソみたいに痛い。
「シャルナークも一緒に帰ろうよ」
「ハハッ、無理。オレ死んだし」
「僕は? シャルナークに触れられるよ。僕が生きてるなら――」
「〇〇は生きてるよ。オレは死んでる。ねえ〇〇。次の列車が最後だから、列車が来るまで、オレと話してよ」
 シャルナークは、駄々を捏ねた子供みたいに地べたに座り込んだままの僕に手を差し伸べた。デジャブ感。あ、思い出した。
――暇? 鬼ごっこ、人足りないんだけど来る?
 逆光で眩しかった。他の奴にも声をかけてたし、僕だけが特別だったわけじゃないことは分かってる。シャルナークにとっての特別は全然僕なんかじゃないって今も、あの時も分かっていた。けれどこれが僕の夢だから、都合良く会いに来てくれたんだよね。
「話したいこといっぱいあるよ。言いそびれてたことも、シャルナークが死んだあとのことも、いっぱい」
 ホームに置かれた椅子は列車の座席と違って座り心地は最悪だけど、シャルナークの隣に座って星空なんか眺めて昔話をするのは最高の気分だ。流星街の話も、今まで出掛けたときの話も、家の近くでよく見る猫の話も、美味しいご飯の話も、これからのことも、まだ尽きない。まだ終われない。
 列車はあとどのくらいで来るだろうか。シャルナークは次の列車が最後だと言った。僕は最後の列車に乗るとして、シャルナークはどうするのだろう。ここに残るのだろうか。それともどこか別の場所に行くのだろうか。そもそも、僕は目的地がどこなのかを知らない。
「〇〇? どうしたの?」
「……シャルナークも一緒に乗らない? これから来る列車」
「だから、オレは乗らないよ。オレが来れるのはここまで」
「なんで」
「なんでって言われても、オレは乗れないし」
「じゃあ僕も残る」
「バカ言うなよ。〇〇のためにここまで連れてきたのに」
「でも、乗ったらシャルナークと二度と会えない」
 僕がそう言うと、シャルナークは黙ってしまった。難しい顔をして、俯いて、小さく唸る。
「どうしたら帰ってくれる?」
「シャルナークと一緒なら」
 シャルナークは再び黙ってしまった。本当にどうにもできないのだろうか。シャルナークが、今こんなにも近くにいて、見ることも話すことも触れることもできるのに、生きていないなんて嘘に決まってる。そう思いたい。
「僕、もっとシャルナークと一緒にいたいよ」
「〇〇は生きてよ。元気でいてよ。クロロが来たらお疲れって言えるけどさ、〇〇には早いよ。オレ、〇〇にはもっとゆっくり生きて欲しいんだよね」
「生き急いでた奴が何言ってんだよ」
「オレたちには無理だったから、〇〇には『普通』に生きて欲しい。幻影旅団として生きたことは一切後悔はしてないし、本当は最後までやり遂げたかったけど、オレ結構憧れてたんだ。だから、〇〇といる時は『普通』が良かった」
 困った表情で、僕の手を取った。参ったな、なんてわざとらしく言って。
 遠くから、嫌な音が聞こえた。ガタンゴトン、ガタンゴトン。一定のリズムを刻む、聞き慣れた音。僕たちの時間が終わる音。
「イヤだ」
 シャルナークから離れたくないと、精一杯の力で抱きしめた。けれどシャルナークなら簡単に剥せるだろう。昔は僕の方が腕相撲が強かったが、今じゃまるで勝てない。
「〇〇、オレ、もう寝たいな。ずっと忙しかったし、結構色々頑張ったし」
「ヤダ」
「一人旅、してきなよ。次会った時はさ、どこに行って、何食べたか全部教えて」
 シャルナークはそう言うと、腕を力ずくで引き剥がして僕の腹に蹴りを入れた。後ろに飛ばされて、壁にぶつかって止まる。死にそうなくらい痛い。これが夢だなんて嘘だ。肋骨折れたんじゃないか。
「オレ、あんまり食に興味はないけど食い物の恨み忘れないタイプでさ。二年前、〇〇がオレの弁当の肉勝手に食べたのまだムカついてんだよね」
「はあ? 何それ。今言うこと? てかあれ僕じゃなくて」
「だから罰ゲームね。最後まで普通に生きてよ。あと、みんなに――」
 列車のドアが閉まった。外の音が聞こえない。汽笛の音がうるさい。何度名前を呼んでも、ドアを叩いても、シャルナークは笑顔でこちらに手を振るばかりだ。

 まだ言ってない。言えてない。
「      」


END.

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