饗宴の終わりに


空っぽな僕らの憂鬱


 一通り遺跡内の壁画を見終わったウォロさんは、大きくため息をついて地面に腰を下ろした。何か分かりましたか、と尋ねると「目新しいことは何も」と呆れた表情を浮かべる。
「……今でも思うんですが。アナタ、ホントに良かったんですか?」
 飲み物を受け取ると、ウォロさんは表情を変えずに私を見てそう尋ねた。
「何がです?」
「コトブキムラを――ギンガ団を離れたことですよ。アナタ、皆さんのお気に入りだったでしょう」
「私はいい決断だったと思ってますよ。ウォロさんと遺跡の研究をした方が早く家に帰れると思いますから」
「帰るつもり満々なのはいいですけどね、だからって相棒のポケモンたちまで置いて来てしまうのはどうかと思いますよ」
 ポケモンたちはみんなコトブキムラに置いてきてしまった。ラベン博士も、テルもいる。畑の手伝いをしている子もいるし、コトブキムラの人たちとも上手くやれるだろう。
「大丈夫です。いざと言うときはウォロさんがいますし」
「ジブンを盾にする気ですか?」
「アハハッ、違いますよ。ウォロさんのポケモン、強いじゃないですか」
「強いですよ。アナタにはすっかり負けましたけどね」
 ここ一帯のかなり広い範囲を占めているこの遺跡は、何故かポケモンが近寄らず、上空を鳥ポケモンたちが飛ぶこともない。
「トゲキッス、出てきてくれないんですか?」
「ええ、他のポケモンもすっかりボールに籠って出てきてくれません」
 遺跡はかなり風化しているもののやはり、ポケモンが入らない分損傷が少ない。ポケモンが恐怖の対象であるという認識はされているが、ポケモンが一切近づかない、近づくことを嫌がるので不気味がって人すらも寄り付かない。そうなると当たり前に管理も整備もされていない。
 ポケモンが近寄らないこの遺跡の壁画には、数種類のポケモンが描かれていた。アルセウスやギラティナによく似た姿もある。ただ、私は古代文字が読めないのでそこはウォロさんに任せるしかない。彼が「目新しいものはない」と言うならそうなのだろう。
「無駄な期待をして調査を続けるより、コトブキムラでポケモンの研究の手助けをしていた方が幾倍も有益だと思いますけどね。アナタなら、元の場所に帰れなくても上手くやれるでしょう」
 コトブキムラからはずいぶん離れてしまって、風の便りを聞くこともない。これで何個目の遺跡調査になるだろうか。一向に帰路へは近づかないものの、焦りはなかった。
「……私、ウォロさんのお気に入りにはなれなかったですか?」
「は?」
「ここに来て最初に一緒にいてくれたヒノアラシ――あ、今はバクフーンですけど。あの子を置いてきて、あの子と一緒に仲間にした他のポケモンたちも置いてきて、今の私にはウォロさんしか居ないけど、不思議と寂しいとは思わないんです。楽しいですよ」
「アナタ、やっぱり変わってますね。ジブンはやれ喧しいだ胡散臭いだなんだと文句を言われる方が多いですが」
 そう言うとカバンの袋から干し芋を出して食べ始める。私の話に興味はないと言わんばかりだ。
 私をここ――ヒスイに連れてきたアルセウスならば元の場所に帰してくれるだろうと思っていたのに、そうはならなかった。言う通りポケモン図鑑を完成させたが、それでは「すべてのポケモンとであえ」という条件を満たさなかったのか、それともそもそもそれが元の場所に戻る条件という訳ではなかったのか。私の願いは通じなかった。私がヒスイ地方に来たときと比べればキングやクイーンと呼ばれていたポケモンたちが暴走することもないし、異変らしい異変も最近は聞かない。平和にはなっただろう。どうすれば帰れるのか。
「いつまで経っても帰れなかったらどうしましょう。どう思います?」
「諦めてコトブキムラに帰ったらいかがです? 女子供が相棒のポケモンもなしに旅なんて危険過ぎます。アナタの居た場所はさぞ穏やかだったんでしょうね。本当に、頭に来るくらい呑気だ」
「一緒に行ったら邪魔ですか?」
「邪魔ですね。食料は二人分用意しなきゃならないし、ジブンより貧弱だからポケモンに襲われなくたって死にそうで気になって仕方ない。調査に集中できません」
 面倒事を指折り数えながら話す。まあ、ウォロさんから見てヒスイ地方での私の強みと言えばポケモン勝負が強いことと、アルセウスと繋がりがあること。何一つ持ち合わせていない今は、ただの邪魔な小娘でしかないだろう。アルセウスも今はすっかり姿を現さなくなった。
「やっぱり邪魔ですか……残念です」
「では帰っていただけますか? 多少遠いですが、今ならコトブキムラまで送って差し上げますよ。帰路の途中で野垂れ死にされても夢見が悪いので」
「え、何言ってるんですか? 私、帰りませんよ。邪魔でも、嫌いじゃないなら十分です。どうです? そんなに気になるってことはやっぱり私のこと、好きですか?」
 驚いた拍子で落ちた干し芋がちょうど袋に落ちた。貴重な食料なのだから丁寧に扱ってもらわないと困る。彼の表情を見ると、目を丸くして歪ませた口元をぴくぴくと痙攣させていた。ちょっと怒っているのだろうか。
 袋に手を伸ばすと、ウォロさんの食べかけを避けて別のものを手に取った。
「アナタのことはもう好きじゃありません……ポケモン勝負が強いアナタが好みだったので」
 わざわざ顔を背けて、ため息をつく。少しだけ期待してそっと顔を覗こうとすると、かなり力加減はしてあるものの拳で頭を殴られる。
「痛いです! 女子供に暴力だなんて!」
「普段嫌がるくせに都合がいいときだけ女子供を持ち出さないでください! ……ハァ、やはり、一度コトブキムラに戻りませんか? アナタのポケモンも一緒なら今後の同行も考えます。少なくともバクフーン一匹くらい連れてきてください。ジブンが常に傍に居られるとは限らないので」
 ウォロさんの提案に手が止まる。そんなことを考えてくれていたのか。邪魔だから、どう説得してコトブキムラに帰そうかと考えているものだとばかり思っていた。ふざけて聞いた「好きですか?」という言葉に、そんな真剣な顔をしてくれるとは思っていなかった。
「うーん、もう少し二人きりの旅を楽しんでからでいいですか? うちのバクフーン、ウォロさんのことあんまり好きじゃないみたいで」
「あの子ってオスでしたっけ? もしかして、だから置いてきたんですか?」
「もちろんそれだけじゃないですよ。あんまり長く一緒にいると別れが悲しいかなと思ったので」
 真剣な話が続いて照れが来た。古代文字こそ読めないが、絵であれば何となく分かる。顔を合わせて話すのは気まずい。反対側の壁画でも見ようかと立ち上がって少し歩くと、足元で何か大きな音がして身体が浮いたような感覚になる。足元の石が落ちたのだ。ヤバい。落ちたら死ぬかも、少なくとも怪我は免れない――
「ホンッッットに! 帰る前に死ぬのだけは勘弁してください!」
「……びっくりしたあ。いや、ほら、落ちるなんて思わなくて」
「トゲキッスの背中に括り付けてやろうか?! 油断も隙もあったもんじゃない! やっぱり早めに戻りましょう。ジブンを調査に集中させてください」
 アハハ、と乾いた笑いしか出ない。本当に死ぬかと思った。抱えられたままなのも心地が悪いので降ろしてもらうと、足場が再びズレる。私がさっき開けた穴から順に床が崩れた。

 身体が床に叩きつけられたのを覚えている。身体の節々が痛い。見上げれば、私たちが落ちてきた穴から微かに光が入ってきていた。
「目が覚めましたか。ポケモンたちがボールから出てきてくれればすぐなんですが、さすがにこの高さではロープをかけるのも難しいので階段かを探しましょう」
 わざわざ床下に空間があるのだから、ここに降りてくるための正規のルートがあるはずだろう。湿度が高くなく、風がないので火を焚くのには困らなさそうだ。
「フフ、二人旅、もう少しだけ続きますね」
「……アナタまさか、わざと落ちたんじゃないでしょうね?」
「え、私だって落ちて怪我してるんですよ?! 当たり前じゃないですか、違いますよ」
 ウォロさんは私の言葉を無視するようにさっさとリュックを背負うと、足早に進んでいく。ようやく追いつくと、歩くペースが緩んだのが分かった。
 暗い。光の入らない遺跡の奥へと、ゆっくり足を進める。
「ジブンも悲しむと思いますけどね、多少は」
「何がです?」
「ハァ、呑気なアナタには一生分かりませんよ」


END.

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