食堂で緑谷と轟に偶然出会った日から二日が経った。サポート科の特性上、ヒーロー科の話題が上らない日はない。もっと別の言い方があったはずだというのにとこの二日間思考は堂々巡りをしていた。隠しておけばよかったとは思わなかったのは、ヒーローであるエンデヴァーに間違いはなかったからだと思っているからだ。
四限の物理の移動授業の後、空腹に鳴る腹の虫に耐えつつ教師から言い渡された教室清掃を終わらせてE組に戻ってくるなり、人集りができていた。
外周を取り囲んでいるのはE組の生徒で、男女関わらず何に一体興味を引かれているのだろうかと近づいてみれば、中心に立っていた生徒の髪が隙間から覗き見えた。――赤と白。
右足は、半歩引いていた。
「お、名字! 轟が用あるんだってよ!」
ツートンの――轟の髪よりもくすんだ色の赤茶の髪が揺れる。名前に向かって右手を大きく振っている彼につられて、轟がゆっくりと振り返った。
差し込んだ光によって色彩を放った左目が、まるで冬の湖を思い起こさせる。――エンデヴァーの瞳も同じ色だった。彼らを苛む熱の逃げ場を表す色だったのかもしれない。彼の視線は、矢張り名前の髪を見ているような気がした。
一向に足を動かす気配がない名前に轟は人集りから抜け出すと、思わず再び半歩引いてしまうような距離感にまで詰め寄ってきた。そして、鋭い目つきが振り落ちる。
「聞きてェことがあるんだが、昼飯まだだろ?」
「は、はい」
「食堂でいいか?」
「はい…」
拒否権は最初から準備されていない。教科書を置いてくると逃げるようにその場から離れたところで、轟は律儀に教室のドアの付近で名前が片付けを終えるまで待っていた。
混み合う食堂の片隅で、轟と向かい合わせになって座っていた。目の前の轟は呼び出した理由も言わないまま両手を合わせて蕎麦を啜っている。名前の前に置かれたトレーには何を選べばいいのか分からずに適当に押した親子丼が湯気を立ち上らせていて、ただただ動作を停止させていた。
――個性の性質上、温かすぎるものは苦手だった。さらに、この不可解な状況も相俟って次に行うべき行動が宙に浮いている。
ひとまず箸を持って中心を割るように差し込めば米粒の熱気で指先から溶けていくような気がした。
「? 食わねえのか」
不思議そうな顔をしている轟は、最後の一束をつゆに沈めると食べ終えてしまったようだった。
「…あ、あったかいのは、苦手で…」
自分で選んだのにか、と言外に含ませた雰囲気を感じたが、轟は何度か目を瞬かせてからすっと名前の頭を見やった。
彼のこの視線の意味は何であるのか、計りかねている。名前に気づかれていないと思っているのか特に考えてはいないのか――轟の場合おそらく後者であるような――兎にも角にも名前を見るときは大抵目ではなく頭を映している。
どうしたものかと箸を持ったまま視線を泳がせている名前に、彼は唐突に話を始めた。
「あんたの個性、俺の右手と同じなのか」
「え、ううん……氷結を出すよりは、空気を冷やす方が近い、かな」
喉が渇いていくような緊張に、今にもトレーを凍らせてしまいそうになる。それから一拍の間ののち、ピシャリと冷や水を浴びせられた気分にさせられた。
――轟の右手の個性は、母親のもののはずだ。“個性婚“。この二日間、脳内を巡り続けていた単語が頭を埋め尽くす。
身体的特徴は大抵、個性による。エンデヴァーの髪が赤みを帯びているように、彼の右側が白いように。名前の髪も瞳も、薄青がかっている。彼の視線が髪に向けられるのは、もしかしたらこの色に誰かを思い浮かべているのかもしれない。
「……この間は、ごめんなさい」
「何がだ?」
「…私の気持ちを、押し付けて、しまった、から…」
心臓が早鐘を打っている。
ぱきりと音がして、慌てて箸から手を離す。持ち手のあたりに霜が降りていた。
「…エンデヴァーが好きだなんて奴、お前以外に知らねェ。だから、なんで好きなのか、気になった」
轟の長い睫毛に隠れる双眸は、箸に降りた霜を見ていた。
『物好きな奴もいるんだな』
そんな言葉を選んだくらいには、彼はエンデヴァーを認めていない。彼の根底にあるのはおそらくエンデヴァーへの怒りだ。左半身を覆い隠す氷の鎧。轟焦凍の中に流れる半分の血を否定して否定して、そうして体育祭で見せた左の炎。
――エンデヴァーが選んだ選択を、名前には知り得ない。一生だって、彼の真意など図れない。
「……個性が発現したばかりの頃、家をね、凍らせちゃったの」
食堂で彼に吐き出した言葉は、矢張り間違っていた。
「急速に冷やされていく空気に、どんどん周りが凍りついて、気がついたら氷壁の中に閉じ込められてた。両親ともそういう個性だったから耐性はあったんだけど、それでも凍りついた家の中で、誰も救けてはくれなかった」
落ちた霜のせいでざらりとした箸を掴む。
親子丼から湯気は立っていない。鼻の奥がつんとして、箸で掬った米を口に放り込む。
かすかに、塩辛い味がした。
「エンデヴァーだけが、私の氷を溶かしてくれたの。閉じ込められて泣くしかなかった小さかった私を、エンデヴァーが救けてくれた。あの日から、エンデヴァーが私にとってのヒーローになった」
顔を上げた先で、轟と目が合った。ひどい火傷痕に浮かぶ、青の瞳。
「"ヒーローとしてのエンデヴァー"は、沢山を救ってくれたし、今も戦ってる。それだけは、本当のことだと思う」
青の瞳が揺れていた。顔が歪んでいくのが、分かった。
「……ヒーローとして完成するために、個性婚を選んだとしてもか」
「――え」
絞り出すような声だった。食堂の喧騒に紛れてしまうほどの掠れた声で、けれどはっきりと名前の耳には届いていた。
ガタリと立ち上がった彼は、急に呼び出して悪かったと呟いて、足早に立ち去っていってしまった。
その熱に苛まれている