06



いつも通りの朝に目が覚めた。遠くから聞こえるアラームの音も、今日で最後になるかもしれない。今までよりもはっきりと冴えた朝は、外気の寒さにぐずることもなく一息で布団を剥いで身支度を整えていた。今日は、決めていたことがある。ジャージに着替えてドアを開ければ一足先に洗面所へと向かう出久の背中を追いかける。隣で歯を磨き、朝ご飯のおにぎりを握り、今日はお味噌汁を即席で具も少ないけれど作り二人で飲み干した。


「私も、今日公園について行ってもいい?」
「えっ」


昨日までずっと、彼の外でのトレーニング姿を見たことはなかった。それは彼の気も散るのではということや、邪魔になることや、余計な一言を、言ってしまいそうになるのではないかという不安が、あったからで。それでも、今日が節目なのだと思うと、見届けると約束したからにはいかなければならないような気がしたのだ。
ダメかな、とまだ温もりの残るお椀を両手で包み込みながら問えば、にっとした笑い顔が返ってきた。


「何言ってんの、ダメなわけないだろ! 準備して行こう。あともう少しなんだ!」


生まれたときから、今までも、これからも。隣にいることが当たり前で、それでいいのだと。この時はそう思えた。大袈裟なことかもしれないけれど、今日はスタートラインなのだ。彼にとっても、彼女にとっても。

支度を整えて公園までは軽くジョギングをしながら向かった。朝陽がまだ昇り切らずに暗い中、出久の背中だけを追いかけて走っていると、潮の匂いが強く鼻腔を抜けた。――記憶にある海浜公園は、不法投棄の温床で、潮の匂いよりまず先に廃棄材の錆びた臭いや油の酸化した臭いが鼻についた筈だった。少なくともこんな、砂浜の白さが浮くように見えることなどあり得るわけがない。


「あとあの一区画、片せば終わるんだ」
「いず、これって……」
「あ! だめだよ、まだ終わってないんだから」


名前が継ごうとした言葉を遮る彼は、陽が出る前にと走り出していた。あの不法投棄の山など、今片しに行くのだと言った区画を除いてどこにもなかった。白んでいく水平線がよくわかる。日の出が、ここから見られるなど考えたこともなかった。
どこまでも、遠くに行ってしまったような、そんな気がした。
タイヤや家電製品など、様々な廃棄物を抱えて、入り口付近に固めて置いてを繰り返している出久を見た。毎朝、こんな風に過ごしていたのだろう。吐いた息が白くなるほど寒いというのに、汗を掻いて気持ち悪くなってきたのか、彼は上着を脱ぎ捨てた。相変わらずよく分からない文字を背負ったシャツを着ている。再び山を崩しに走り去った背中は、やはりもう見覚えなどなくなっていた。
ダッフルコートのポケットに入っていた携帯が一度だけ震えた。ロック画面には、母からメッセージが届いていることを報せている。暗証ロックを解除して続きを見れば、二人ともどこに居るのかという内容だった。名前が家を出る時はいつも出久が出ていき母が起きた後だったので、二人ともいなかったことに驚いたのだろう。すぐに、出久のトレーニングに付き合っている旨を返し終え、起動したカメラを、出久に向けた。自分の体の半分ほどの大きさのブロック塀を運んでいる姿を追いかけ、シャッターを押す。こんなものを運んでいたら、シャツも破れるだろうなと漸く納得した。もう一度ポケットに携帯をしまえばまた震えたが、今度は開かなかった。


「誰も、何も言えないよ」


遠いなあと、続いた言葉は無意識だった。

一時間ほどが経ち、最後の一つを運び終えた彼は汗だくで、身体に張り付いたシャツも脱ぎ捨てていた。太陽が水平線から半円を浮かべ、周囲がより一層眩しく、冬の空気が煌めいていた。
知らなかった。こんなにも、嬉しそうに泣くのだ。全てを終えた出久は声を張り上げた。その声は如何とも形容しがたく、そして、確かに、笑っていた。


「オーマイ、オーマイ……グッネス!!」
「オールマイト!」


公園の入り口で立ち竦む細い彼は、この光景を目の当たりにするといつの間にか筋骨隆々な姿になっていた。ふらりと倒れそうになる出久を瞬時に抱きかかえ、地上に下ろすとポケットからその手には小さすぎる携帯を取り出した。


「これは十ヶ月前の君さ。よく頑張ったよ本っっ当に!!」


その画面を覗き見ると、地面に這いずって泣き喚いている出久の姿だった。今よりもずっと細く弱弱しいその姿からは想像もできないほどに力強くなっている。ふるふると小刻みに震える彼の肩は段々と丸まり、堪えそびれた嗚咽が漏れた。


「オールマイトにここまでして貰えて……恵まれすぎてる」
「その泣き虫、治さないとな!」
「ヒーローは、すぐ泣かないからね」


そう言いながらも、どうしても涙を貰いそうになるのを必死にこらえた。ここで泣くことはお門違いだ。貰ってしまえば、彼のそれは安物になってしまう。


「これは受け売りだが、最初から運よく授かったものと認められ譲渡されたものではその本質が違う! 肝に銘じておきな。
これは君自身が勝ち取った力だ」


どれだけの人が、狡いと蔑もうとも、この力は絶対にそんなことを言わせない。彼の努力は、彼だけのもので、願いを叶えるものだ。
ぎゅうと、出久の空いていた左手を握る。硬い肉刺のできた、大きな手だった。


「いず、こっからだね」
「うん……!!」
「よし! さあ、食え!」


オールマイトはぷつんと今しがた抜いた髪を差し出して、いつもと変わらない笑顔を浮かべていた。
――兎にも角にも、こうして出久は無個性ではなくなった。ヒーローを堂々と目指し、公言していける大前提を、彼は手に入れたのだ。
雄英高校の入試まで、あと数時間。

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