05



照り付ける太陽が柔らかく、時折吹く風に震えるような、そんな季節になった。毎朝同じ時間に起きてトレーニングを繰り返す出久は、随分と体の線が太くなったと思う。ヘドロに呑まれた時の弱い彼は疾うに姿を消していた。今日も今日とて学校が終われば一日の後半のトレーニングをこなすべく早くに帰ってしまった出久に置いていかれ、一緒に帰る友だちも気づいたら居らず、一人不貞腐れながら枯葉をさくさくと踏みしめて歩いていた。出久はいいとして、最近帰る友達にまで置いていかれるとは、なんたる薄情だ。日直の仕事を最後に押し付けられたのがいけなかった。困っていたら断れないのは、出久と同じである。はあと盛大な溜息は空っ風と共に吹き飛ばされた。


「おい」


聞きたくない声が呼んでいる人は、恐らく彼女とは到底無関係な見知らぬ誰かだ。止まる素振りなど一切せず、もうすぐ校門を抜けようとした時だった。


「シカトこいてんじゃねぇぞオイ!!」


――全く以て、理解に苦しむ。あの日から彼と偶然だろうと鉢合わせない様全力で避けていた。勿論それはあの爆豪勝己をビンタした女という不名誉極まりない周囲の噂――事実だが――や、言葉も交わしたくない程に嫌いだという名前の感情からだ。後ろから今にも個性で吹き飛ばされるのではないかと内心はびくびくしながらも、呼びかけに答えて立ち止まるということをしたくはない。折衷案として、歩みを緩めるということくらいしか浮かばなかった。しかし、これはこれで彼の逆鱗に触れるらしい。それもそうかと、盛大な、それはもう爆豪に聞こえるほどに厭味ったらしい溜息を吐いてから、ゆっくりと振り返った。


「……何ですか」


青筋が幾本も浮いていた。一つも面白くもないが馬鹿みたいに笑えば気も晴れるだろうかと、そんなことも考えてはみたが晴れるわけがなかった。
精一杯、家系の所為で丸い目を鋭く尖らせてみれば、反対に彼に笑われた。


「ハッ! んなしょぼくせぇ面なんざどーとも思わねぇよ!」
「……要件は?」


これ以上会話をしたら脳の血管が切れそうだ。漸くこちらの不機嫌具合が伝わったのか、不愉快そうな顔面を隠そうともせずに、デクはと声を張り上げた。


「何やったって無駄だっていっとけ」
「雑魚キャラの台詞っぽい」


つい本音が零れてしまうと相変わらず凄んでくるが、昔に比べれば怖さなど微塵も感じない。こんな人のどこがあんなに怯える程怖いのかと思いそうになるが、過去を振り返っても確かに、出久と名前とでは受けた傷は全く違った。――ぎゅうと、拳を握る。


「いずが頑張ってることを、笑ってんなばーか!」


今どきの小学生でさえもう少しましな暴言を吐けるだろうに。もっと言ってやりたいことは沢山あったというのに。これ以上爆豪を目の前にしていると堪えきれなくなってしまいそうになる。右手で口元を覆いながら、見えないところで歯噛みする。喧嘩でもして勝てるのならばそうしたい。口でも力でも、どう頑張っても勝てる気はしない。それが一番悔しいのだ。こんなにも大切な兄妹が、こんな人に馬鹿にされてもそれを言い返すことの一つも真面に出来ないなんて。悔しい。


「もう話しかけてこないで!」


そうして逃げ出すことしか、出来ない。上手に庇うこともできない下手くそな自分が、大嫌いだ。


   *     *     *


短針と長針が二の当りを指している時計を見やる。あと二時間もしないうちに起きる準備をしなければならないと分かってはいるけれど、どうしても隣の部屋が気になって寝付けなかった。夜のランニングから帰ってきてから、様子がおかしいなとは思っていた。話しかけても上の空で、そのままお風呂に入ってそそくさと部屋に閉じこもってしまったのだ。今日置いていってしまったことを怒っているのだろうかとすぐに思いついたが、それは今に始まったことではなかった。思い当たる理由もなく、双子だけのテレパシーみたいな個性があったら便利だったのにとついないものねだりしてしまう。テレパシーなどなくたって、隣の部屋に入って聞いてみればいいのだ。出久が寝付けない夜は、大概名前も寝付けないのだから。
がばっと布団を剥いで、冷えたフローリングをぺたぺたと歩く。彼女の部屋の扉を、それでもやはり躊躇いがちにノックした。ノックしてから、メールをすればよかった事実に気づいて身悶えすれば、中から物音が聞こえてくる。がちゃ、と控えめに開いたドアの隙間から、眠くはなさそうな目で「どうしたの」と見上げてくる。廊下で話していれば母が起きてしまうので、一先ず名前の部屋にお邪魔することにした。家族といえど、個室は不可侵の領域だった。小さい頃の記憶より随分と変わってしまったような部屋の雰囲気に一瞬緊張したが、やはりいつもとは違う様子にそんな思いなど遠くに飛んで行く。


「ご、ごめん、夜遅く……」
「眠れなかったから。……もしかして、伝わっちゃった?」


寝れないの。
そう笑いながら、名前はベッドに腰かけ、クッションを抱きかかえた。――あれは、そういえば去年の誕生日にあげた彼女の好きなキャラクターのものだったなと、ふと思い出した。そのまま彼女はぽてんとベッドに転がり、もぞもぞと壁際に移動すると、ぼふっとベッドを叩く。ここに来いと、言いたいのだろう。兄弟仲はいいと自負しているが、この感じも久しぶりだなあと頭の隅で思いながらのろのろとベッドに移動した。二人で横になるには狭いベッドで、彼女は暫く無言を貫いている。


「……今日、何かあったの?」


時計の音だけが、いやに響いて聞こえた。その音に混じるように、名前の細い声が弾けた。


「出久が頑張ってるの、他の誰より知ってるのに、何の力にもなれないのが、悔しい」


ヒーローに固執していない彼女にとって、雄英に行くために頑張るべきは勉学である。だからこそ彼女が勉強に注力して頑張っていることは知っていて、その合間に些細な手助けをしてくれていることは十分わかっていた。自分の中でうまく折り合いをつけていくことが下手ではない彼女がこうも気落ちしている原因は、なんとなく想像ができた。前にも、似たようなことがあったから。


「――いつも、夜食有難う。どうしても勉強してるとお腹減っちゃうんだよね、だから名前が握ってくれるおにぎりがめちゃくちゃ嬉しいんだ」
「……お腹、すいてる音前聞いたから」
「え、嘘。…う、あ、あと! 朝起きてスープ用意してくれたりとか、破れたシャツ繕ってくれたりとか、あとは――」
「も、もう大丈夫だから、いいよ、そんな……っ」


まだあるんだけどと笑えば、十分と縮こまった彼女が壁側を向いて背を向けてしまった。その背中に自分の背中を合わせて、小さなベッドに丸くなる。もしかしたら、母の胎内でもこんなふうにしていた時があったのかもしれない。


「頑張れって名前が応援してくれて、そういう小さな一つ一つが、絶対雄英受かるんだって……ヒーローに、なるんだって気持ちにしてくれる」


ヒーローが嫌いな名前は、それでも、ヒーローになりたい出久を応援してくれる。その矛盾が、嬉しかった。


「いつもありがとう」


彼女はよく泣き虫だねと笑うけど、その実名前も泣き虫なのだということは、ずっと前から知っていることだ。だから、震えている肩がなんでなのかなど、わざわざ聞く必要などどこにもない。それでも分かり合えないことがあるときは、何度だって言葉を重ねていかなければ分かってあげられることも、分かってもらえることもないのだと、それだけは、二人が双子であったとしても、すれ違ってはいけない所なのだ。

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