08
オールマイトが雄英高校の教師に就任してからというもの、マスコミが外壁を囲うように連日張り付いていた。昨日まではまだそこまで多くはなかったというのに、今日の人だかりは合間を縫っていくことさえ至難の業のように感じた。しかも、隣にいるのがあのヒーロー科であるのだから、人だかりを避けられるべくもなかった。出久を見捨てていけば、容易かったのだろうが。
「ヒーロー科の生徒ですね! オールマイトの授業はどうですか!?」
――身代わりにせずとも、彼らの視線は出久のただ一人に集まっている。制服の肩口の飾りボタンの数で見分けることができるため、元より二つボタンなど興味もないようだ。心の中で謝りながらそのまま素通りさせてもらえば、すぐに下駄箱へと辿り着いた。C組のそこには既に何人かが塊を成していて、話しかけられそうな集団に混ざりながら、他人事のように校門近くの喧騒を眺めていた。
「ヒーロー科にしか興味ありませんってか」
下駄箱にスニーカーを突っ込みながら、彼はぼそりと呟いていた。女子の集団の最後尾にいた名前にしか聞こえないような声量で、しかし声は刺々しく、人だかりを映す双眸は鋭かった。
――彼は普通科のC組でヒーローを目指し、ヒーロー科に敵対心を燃やすタイプのその人であり、名前は確か心操、だったと思う。話しかけられるような雰囲気を持つ人ではなく、入学してまだ数日ではあるが声をかけに行く勇気は持ち合わせていなかった。彼が振り向いて視線が合う前に、数歩出遅れた彼女たちの輪を追いかける。まるで、ヒーロー科以外はおまけのような扱いだ。それだけオールマイトが偉大であるということなのでもあるのだろうが。
彼の苛立ちの理由の一端だけは、なんとなく想像はできた。
午前の授業は理系基礎科目ばかりで頭が回り、既に内容に躓き始めることも多かったことから、昼食をとりながら復習をしていた。出席番号が近かった四人組で席を確保するなりトレーの横には教科書を広げ、先程の授業内容を反芻しあう。友達のノートを参考にしながら教科書で引きそびれた行列にマーカーを引き、空欄にメモを取る。コップの水が無くなっていたことに気づき、休憩がてらに給水機まで一人で席を立っていた時だった。
ゥウー!
けたたましい警報音が鳴り響く。一斉に騒めき始めた食堂に、これは緊急事態なのだと理解するより早くに人が出入り口に向かってなだれ込み始めた。給水機は出入口とは反対側にあり、そこまで酷くはないにしろ状況把握に遅れた分すぐさま慌てふためく生徒の流れに押し込まれてしまった。水の入ったコップが手元から滑り落ち、足元を濡らす。平均身長より大きくはない身体が前後左右の人に抑え込まれて完全に身動きなど取れなくなっていた。誰かの靴が思い切り足を踏みつけていく。今朝の満員電車の比ではない圧力に負けそうになった時、柔らかくはない手が腕をつかんで波から引きずり出された。
「大丈夫か!?」
食堂の端にいたらしい彼は、壁が僅かにせりあがった隙間にうまく逃げ込めていたようだ。そのまま体位を変えることもままならず顔面を彼の胸元に打ち付けた。ぶふ、とくぐもった声を上げれば悪いと焦った声が降ってくる。それでも先程よりは断然息はしやすくなっていた。
「だ、大丈夫…! ごめんね、有難う、えっと、」
切島くん、とうろ覚えの言葉を並べながら、そっと見上げれば印象的な赤が目に飛び込んできた。右目蓋にできていた小さな傷がはっきりと見えてしまうくらいには近い距離に、それ以上目を合わすことも耐え難く思わず下を向いてしまった。折角助けてもらったというのに目を背けるとは、と思いつつも、不可抗力である。
切島は腕をつかむ手を緩めども離さず、周囲を見渡していた。
「皆全然声が届かねえし、運よくここに流れ着いたら目の前に緑谷がいてさ」
その声に重なり、誰かの大丈夫と大きな声が響いた。非常口よろしく、その不恰好な形のままマスコミが侵入してきたのだと冷静になれと告げる彼の言葉に、漸く事態は収束し始めた。彼――出久のクラスで見覚えのある、飯田と名乗っていた――のよく通る声は訳も分からないまま流される生徒の混乱を解くには十分で、誰彼の間にやっと隙間が生まれた。酷い熱気のこもる空気を少し吐き出せば、腕を掴んでいた手のひらが離れていった。
「悪ぃ! ずっと掴みっぱなしで痛かったよな」
「ううん、全然。切島くんありがと――」
「お、いたいた! 切島、大丈夫だったか!」
隙間を縫うように現れたのは、先日いた上鳴とーー。
「切島くん、助けてくれてありがとう、また今度お礼させて! お昼休み、終わっちゃうから私もう戻るね」
「お、おう、またな緑谷」
背後に受けた困惑した視線に気づかないふりをして、同じ制服の群れに紛れ込むように逃げた。いまだ騒然とする食堂を横切り、先程まで一緒にいた彼女たちを探す。同じテーブルに、疲れ切った顔で椅子に座り突っ伏していた。
「あ名前ちゃん大丈夫だった? 水取りに行った後だったから、どこにも見つけられなくて心配したよ!」
「大丈夫だったよありがとうー」
みんなも大丈夫だったの、と散乱した教科書をまとめながら言えば、そのまま話題は膨らんでいく。ごちゃごちゃになったテーブルと椅子を直す気力もわかなかった。暫く椅子に座ったまま乱れた髪を整えていれば、午後の授業が十分ほど遅れることと今しがたの騒動の原因を報せる放送が流れる。
「ちょっとゆっくりしてから行こ、もう今のですっごい疲れたんだけど」
「まだ出入口団子になってるし、行ってもどうせ動けないしねー」
彼女たちの会話に相槌を打ちながら、もうすっかり彼の熱のなくなった腕をさすった。
出久の手とは違う、皮膚の硬いすれる感触が不思議だった。そういう特徴のある個性なのかもしれない。勢いお礼をなどと言ってしまったが、連絡先も知らなければ、クラスに行けばあの彼と共に行動している可能性が高い。それに何より、不自然だっただろう。昨日の事もそうだ。そういう態度は結局のところ同じクラスである出久に面倒をかけてしまっているかもしれない、どれも名前自身の整理しきれないこの宙ぶらりんの感情の所為だのに。もうかれこれ一年が経つというのに、当の本人はまるで気にも留めないように接しているのだ。本当は、こんな態度を取ること自体が独りよがりの自己満足なのだと、心のどこかで、気づいてはいたのだ。ただ、そうであったとしても、それがなかったことのようになってしまうことだけは、許せなかった。
← :
BACK INDEX :
→