「あああもう!そんなの、おれがだまってればいいんだろ、ヒミツにしておけばいい話じゃねーか!」

「…え…?」

何言ってんだ、おれ。脳が考えてないことを口先だけで喋っているのには途中で気がついたが、もうその勢いに任せざるを得なかった。涙どころか、まばたきまで止まってしまった彼女に、ふんとわざとらしいため息で虚勢を張る。てゆーか、事実、名案じゃねーか。他の奴らに知られなければ、彼女の言うようなことは何一つ起こらない。怖いことも、悲しいことも、何一つ。そうだ、そう、じゃん。虚勢をホンモノの勢いに変えて、おれは胸を張る。彼女はというと、逆にちいさく、おどおどと勢いを失った様子。さっきまでの怯えるのとはまた違った、おれを少しうかがうような、少し警戒心が薄れたような、そんな風な目で覗き込まれて、おれは慌ててまたぐいっと胸を張った。

「…ほ、ほんとう?」

「うそついて、どーすんだよ」

「だ、だって、あなたにとって、何にもいいことない、…よ…?私がただ、助かるだけで、」

「じゃあおれも、おまえに命令する!おれはおまえのヒミツを守る、おまえはおれの言うことを1こ聞く、それで、おあいこだ!」

だから、もう泣くな。

無理やりに、彼女の頬を左手で捕まえて、右手の親指で乱暴にその目元を拭った。触れられることに慣れていないのか、ちょっとでも気配が近づいただけで無意識に身体が反応しているようだったけれど、それすらも無視して、捕まえた。ほら、だから、泣き止めよ。おれを窺うように、徐々に瞼の隙間から彼女の瞳が見上げてくる。待ち構えるように、おれはふんと口をへの字にして威張りつけた。それがやっぱり怖いのか、じわりとまた瞳に涙を滲ませかけたけれど、おれの言葉を思い出してか、慌てて涙を引っ込めようとしていた。そんな風に、おれの言葉でぱたぱたと左右される彼女を、少しかわいいと思った。

「……えっと、あの、命令って…?私、あなたに、何をしたら、いいの…?」

そしてその加虐心や支配欲の芽生えとも言えるおれの感情を煽るように、彼女はおずおずとおれを覗き込んでくる。ちいさな手と手を胸のところで重ねて、まるでおれに祈るようにしながら。ぞわりと駆け上った感情を無意識に抑え、おれはなんとか平静を保つ。

「…ああ、そ、そうだな、」

命令だなんて、正直勢いで口走ったことだったから、おれも何も考えていなかったのだと思う。ただ、利用できるものは何でも利用するのがそのときからすでにおれの主義だったから、ない頭で必死に彼女への命令を考える。彼女に、何をしてほしいか。おれのゼニガメが何を言ってるか教えてほしいとか、そういうのを思いつかないわけではなかったけど、それよりもおれは、もっと、望むことがあった。おれは、彼女に何をしてほしいのか。おれの、何になってほしいのか。

でも、いちばんだいじなその言葉は、さいごのさいごの一瞬で、おれの弱虫が言わせてくれなかった。

「おれの、…ともだちに、なれ!」

今となっては、思う。このとき、おれの恋人になれと言っていたなら、おれの人生は百八十度変わっていただろうなと。でも、そんな勇気も度胸もなかったし、きっとどの世界のおれを見たって、同じセリフを言っていたんだろうと思う。とにかく、そんなおれの精一杯の命令に、彼女はこてんと首を傾げ、目を丸くする。不思議な彼女にとってのおれは、とことん不思議な人物らしい。

「私と、ともだちに?」

「そうだ、おまえとおれは、…ともだちだ」

「でもそんなの、あなたにとって何も、」

「いーんだよ!おれが命令してるんだ!なれって、おれと、…ともだちに!」

おれが威張り散らすのを、彼女はぱちぱちと何度もまばたきしながら見つめている。ああ、なんで恋人って言えなかったんだろう。そうしたらまだ無垢で無知な彼女の隣にずっといて、盲目なほどにおれを信じさせることだってできたかもしれないのに。でもそういうことは、全部後から思ったこと。当時のおれは、ただ、彼女とのつながりが出来た、ともだちになれた、それだけで心弾んでいた。あの一瞬の気の迷いなど、無理矢理塗り潰されて、なかったことにされていた。

「…とも、だち」

「なんだよ、むずかしいことじゃないだろ」

「…私、にんげんのともだち、はじめて」

「…おまえ、そんなにともだちいねーのかよ」

「ううん。ミニリュウは、ともだち。ほかにも、このあたりのポッポとか、コラッタとか、ともだちたくさん、いるよ」

おれの突っかかるような言葉が気に食わなかったのか、彼女はすこしムッとしたのか、静かにたくさんのポケモンの名前を列挙しはじめた。まあ確かに、学校でもどこでも「ポケモンはともだち」って言うけど。物静かな彼女の「ポケモンはともだち」という言葉は、親や先生たちの言うことより、なんだか迫力があった。

そんなとき、不意に、ぜにぜにぃなんて間抜けな鳴き声が騒ぎ出し、おれと彼女の視線は自然と下を向く。足元で大人しくしていたと思っていたゼニガメが、急に騒ぎ出したのだった。ちょっとおれを舐めてかかってはいるものの、なんだかんだもの聞きの良いこいつが、珍しい。 抱き上げてあやそうと手を伸ばしかけると、それより先に、真っ白なコートの袖がゼニガメを包み込んでいた。彼女の、腕の中だった。

「ぜに、ぜにぜにぜにに!」

「え、ほんとう?」

「ぜにぃ!ぜに、ぜにぜにぃ、ぜに?」

「みゅうみゅみゅ、みゅう?」

「ぜにい!?」

「で、でりかしー…?って、なに?」

「みゅみゅ、みゅう」

「もう、ミニリュウくんはそうやって、また私をのけものにするのね?」

「ぜにぃ〜!」

ああ、そういえば、本当に分かるんだったか。ぜにぜに、みゅうみゅうの中に何の違和感もなく紛れ込む、人間の言葉。改めてその姿を目にすると、不思議な光景だ。彼女を最初に見たときに感じた、あの異世界感とも言おうか。おれたちとは住む世界が違うのだと、彼女はポケモンの世界のにんげんなのだと、また線を引かれたようだった。ゼニガメは、今まで見たことのないような溌剌とした笑顔を見せているし、遠くに離れて警戒していたミニリュウも、そっとゼニガメに近寄りつつあった。彼女も、ずっとおどおどと怯えていたのに、ゼニガメと話しているときには違和感なく、自然だ。

そして、…笑っている。表情に変な力が入ってなくて、ふわりと口元の緩んだ、春の陽射しのようにたおやかな、微笑。なぜか、胸の内に熱いものが込み上げてくる。心臓の質量が重くなって、ドクドクと早鐘を鳴らし始める。それに、頬まで熱さが登り詰めてる。なのにその反面、グジャリと泥ついた液体みたいな感情も、感じていた。なんなんだよ、おれのゼニガメのくせに。そんなニヤけた顔しやがって。

へんだ。…へんだ。そのときのおれは、それが彼女への恋と、ゼニガメへの嫉妬というふたつの感情であることを、知らなかった。だから、そんな掴み所のない感情を、苛々にしかできなかったらしい。隔離されたポケモンとの世界にむかついて、おれは土足でずかずかと一人と二匹の隔離された世界に踏み込んでいった。

「おい、おまえ、名前はなんて言うんだよ」

ポケモンが彼女の名前を読んだって、彼女以外には、ぜにぜに、みゅうみゅうとしか聞こえない。にんげんだけが、彼女の名前を他の奴らにも聞こえるように呼ぶことができる。もっと大きな声で、みんなにわかるように、おまえのことを呼べる。だから、おまえの名前をよこせ。そんな言外の意図が込められていたからか、どうやらまた脅すような口調になっていたらしい。びくりと肩を震わせ、ゼニガメに宥められながら、彼女は言葉にならない言葉を呟いている。

「あ、あの…なまえ、」

「なんだよ、教えられないってのかよ、」

「う、ううん。あんまり、おぼえられちゃだめだって、おかあさんに言われてるの、ひとのきおくにのこるから…。でもあなたは、と、ともだちだから、いい、のかな…」

「いいに決まってんだろ。ともだちなんだから。てゆーか、おまえ自分の名前も言えなくてどーすんだよ」

はくはくと、白い息がいくつか空に浮かぶ。躊躇って、怖がっているようだった。自分の名前言うのも怖いって、どれだけそのおかあさんの言いなりなんだよ。情けねえな、と思う反面、そんな彼女をどうにか引っ張り出してみたいという思いも、湧き始めていたのだと思う。おかあさんの世界から、ポケモンの世界から、おれたちの世界へ。にんげんの、世界へ。来いよ、おれが、連れ出してみせるよ。

「おまえの、名前は?」

それが、幼いおれの、最初のあやまち。最初の、彼女に対する罪。名前なんて聞かないでおけば、おれは、彼女をあんなに苦しめることはなかった。おれの、一生の後悔。

彼女は、静かにその声を、冬の冴えた空気のなかに溶かしていった。


「――…ヒナリ。私の名前は、ヒナリ」

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