| やがて、うららかなるあなた |
「あ?見ない顔だな、」 「ひ…っ、」 「おい、あんまりおどすなよ、女の子だぞ。…ほら、おまえもそんなびびんなよ。悪いやつじゃねーから、安心しろ」 「なんだお前、この子のコイビトみてーだな!」 「はあっ…!?ち、ちげーし!ほらヒナリ、名前!」 「もうお前が言ってんじゃねーか」 そんなことがあったのが、もう何週間か前。おれの紹介で、ヒナリのことは瞬く間にこのクチバの子供達に知れ渡った。とは言っても、もちろんヒミツは守っている。知れ渡ったのは、「ヒナリ」という大人しい少女がこの街に住んでいる、ということだけ。でも、同い年の見知らぬ子供が同じ街に住んでいるとあれば、"ヒミツ"なしでも気になってしまうものらしい。おれの男友達を中心に、彼女は少しずつこの町のコドモ社会に受け入れられつつあった。 今日も彼女はきっと、いつもの空き地にいるだろう。最初は、毎日遊びの約束を取り付けていた。でも、それがあまりにも習慣化してきてしまって、もう何も言わなくても彼女はおれたちの「いつもの場所」に来てくれるようになっていた。だから今日も俺は何の疑いもなく、いつも彼女が隠れている、岩の裏を覗き込んだ。 「おいヒナリ、今日もかくれんぼしに行く…って、よ、」 膝を抱え座り込んでいた彼女はおれの声にはっと顔を上げ、少し恥ずかしそうにはにかんでくれるいつもの姿を思い描いていた。しかし、そこに彼女の姿が、ない。寝坊でもしたのか…?と短絡的に思って、ふと辺りを見回すと、案の定彼女はあっさりと見つかった。声が、聞こえてきたのだった。彼女の声と、それから、他の女子の声が、たくさん。ヒナリを取り巻いていたのは、この街の五人の女子たち。ジョシの世界はよくわかんねーけど、多分、ジョシのグループの一つ、とかいうやつなんだろう。すぐに声をかけに行くのはなんとなく憚られて、おれは少しだけその会話に耳を傾けてみることにした。 「ねえヒナリちゃんで名前合ってる?ヒナリちゃんってどこから引っこしてきたの?」 「……あ、え、えっとね、」 「てかなんで引っこしてきたの?やっぱりお父さんのツゴウ?みたいな?」 「…あ、ううん、ちが…おとうさんは、」 「それよりさ、ポケモンもってないの?もしかして、ヒナリちゃんポケモンにがて?」 「えーっ、でもミニリュウもってるって聞いたことあるー!」 「ミニリュウー?すごい、めずらしいポケモンもってるんじゃん、」 「う、ううん…!ポケモン、は、ミニリュウくんは、」 …おれにはジョシの社会などさっぱり分からん。だが、ヒナリが完全に怯えていることだけは分かった。一斉に五人分の視線を差し向けられて、どこを見たらいいのか分からずただただ俯いてボソボソと呟いている。だから当然滑舌も普段より悪くなっていって、女子たちも彼女に何度も問いただしたり、聞こえないまま曖昧な返事しかできなくなっていた。 まあ、なんてゆーか、あれだ。お互いきっと悪意はゼロだ。ヒナリは元々名乗るのも上手くできないほどの人見知りだし、女子たちは単に新しい友達になれそうな子に興味を持っているだけ。ただその思いがかみ合わず、悪循環が発生してるんだなっていうのは、男のおれにでも分かった。そんなのを繰り返すくらいなら、おれが連れ出したほうがいいだろう。それに、友達と待ち合わせの時間ももうすぐだ。ずかずかと女子の輪の中に声を掛け、歩み寄って行く。 「ね、ねえヒナリちゃん、わたしたちこれからね、私の家でポケモン見せあいっこするんだ…私のピカチュウすごくかわいいの、だからもしこれから時間あったら、」 「おーいヒナリ!もうそろそろ時間だぞ、今日はクチバ全部使ってかくれんぼするんだろ。早く来いよ」 「……!――、くん、」 俯いていた顔がはっと上がる。ずっと前髪で隠されていた表情は、…やっぱり、泣きそうじゃねーか。ちょっと何よ、とかいう女子たちの声を無視して、彼女の震えていた手を奪い取る。今日こいつはおれたちと遊ぶから、と宣言すると、女子たちも引き下がるしかないらしい。取り囲んでいた輪を開き、彼女とおれを素直に通してくれた。おれが手を引いてさっさと立ち去ろうとする中、彼女は取り残された女子たちのほうを振り返り、何かを言おうと口を開きかける。 「あ…あの、また、……!」 「ヒナリ、行くぞ」 「……、う…うん」 消え入る彼女の声の意味を、おれはそのとき全く気にかけてすらいなかった。なぜならおれはそのとき、満足していたからだ。泣きそうだった彼女のピンチを、おれが救った。それで全てが上手くいったと思っていた。おれは、彼女のヒーローになれたのだと、思っていた。そしてこれからも、おれが彼女のヒーローをやるんだ。人見知りで頼りなくて、弱々しくて、誰にも言えない秘密を抱えた彼女を、おれが救う。そんな子供じみた英雄物語を、おれは脳内で作り上げて、完結していた。彼女のことを、女子たちのことを、無視していた。 それがおれの、ふたつめのあやまちである。おれは自分に、酔っていた。 *** 今日のかくれんぼのルールは、このクチバ中を使って、ということになった。ただし屋内は禁止、屋外だけというルールだ。そうなると、またクチバの港か、それかどこかの民家の裏か…。鬼が大声で数えはじめた瞬間、弾けるように駆け出しながらおれは思考を巡らせる。そういえば、ヒナリは?かくれんぼはヒナリ以外男子ばかりだ。当然のことながら、ヒナリにハンデがある。おれが何とかしてやらなくちゃ、と思うのは、純粋に彼女のことを思ってからか、さっきのヒーロー気分をもう一度味わいたかったからか。とにかく、見知らぬ街で右往左往しているに違いない、彼女を探さなければ。そう思って声をあげようとした瞬間だった。 「おーい、ひな、り、」 「…くん。――くん、こっち」 「おわっ!?」 呼ばれていたのは、おれのほうだった。飛び上がるおれに、物陰からふと現れた彼女は少しだけ微笑む。そしておれの服の端をちょんと摘んで、おれを引っ張って行く。…そっか、そういえば、ポケモンたちと隠れて話すために、彼女はどんな町に行っても隠れられる場所を最初に見つけるって、言ってたっけか…。そう思うと、おれより彼女のほうがかくれんぼの達人だ。女に負けるなんてと少し悔しくなったけれど、今はこのかくれんぼをやりきることのほうが重要だ。駆けるたび、彼女の淡い色の髪がふわふわ弾むのを眺めながら、おれは素直に彼女の向かう方向へと従った。 彼女がおれを案内したのは、とある民家の裏。きっとこの家の母親がガーデニングに凝っているに違いない、植樹や鉢植がいくつも並んでいて、周りから見ると確かに死角になっていた。こんないい場所、他の奴は絶対知らないだろう。これからも使えそうな場所だ…と思うのと同時に、おれはふと、気づいてしまった。ふたりで膝を抱え、息を潜める中で、おれは聞こえないほどの声で呟いた。 「…なあ、ヒナリ」 「……?うん、」 「こんないい場所、おれに教えてよかったのか?おれが鬼になった時だって、あるかもしれないだろ、お前だけの秘密の場所にしておけば…」 「…うん、でも、いいの」 「なんで?」 おれが真っ直ぐにその目を見つめすぎたせいか、彼女ははっと目を逸らす。また怖がらせた、思わず焦ったけれど、彼女の視線は静かにそのつま先へと向けられる。ぱた、ぱた、とおだやかなテンポで、交互にブーツの先を遊ばせながら、彼女は俯いてその目元を髪で隠す。そんなとき、唯一見える口元が、ふと緩む。 「…あなた、だから」 「え……」 「ヒミツ、守ってくれるから、――くんは。そう、でしょう?」 目元にかかる前髪を少し持ち上げて、彼女はおれに、微笑みかけた。隠れていた瞳は、おれの姿を映している。もしかしたら、彼女の方からおれをきちんと見て笑ってくれたのって、はじめてかも、しれない。…こんなに、かわいいんだ。それは紛れもない、率直な思いだった。こんな打ち解けた笑顔をポケモンに対して向けるところは何度も横から見ていて、そのたびに胸はどきりと音を立てていたけれど。こうして、正面から見つめられると、彼女の腕の中のポケモンたちの表情の理由がよく分かった。 てゆーか、これ、…やばい。こんなに近くにいたら、耳まで熱くなってるのとか、心臓の音とか、落ち着きなくしてることとか、全部ばれる。実際彼女は少し首を傾げて、おれを不思議そうに眺めている。今すぐにでも逃げ出したい、でも逃げ出したら、かくれんぼが、彼女にまでメーワクがかかる。どうにかこれをおさめないと、何か、何か来い…! そんな風におれが願ってしまったのが、悪かったんだろう。ふと飛び込んで来た声は、おれたちの気をまるっきり逸らしてくれた。だが、その代わり、彼女の心を凍らせることになったのだが。実際、その瞬間、彼女の表情もからだも、ぴきんと固まりつくのを、おれは見た。 「ふふ、いい天気だね!やっぱり外に出てもよかったのかも」 「あれ、ポケモンの毛づくろいより、男子に混じってかくれんぼのほうがいいの?"あの子"みたいに」 「えー、そういうわけじゃないよお」 「あはは、ジョーダンジョーダン」 隠れていた民家の住人が、窓を開けたのだろう。何人かの女の声。…だけどこの声に、おれたちはよく聞き覚えがあった。さっきの、女子のグループだ。この家は、あのグループの中の一人の家であり、例のポケモン見せあいっこをやっている場所らしかった。そして、"あの子"が指し示す人物は、言わずもがな。声は、止まらない。 「でもさあ、えいちゃんやさしいよねー。ちゃんとあの子をさそってあげるなんてさ」 「え、ええ…。だって、友達になれないかなって、思ったから…」 「そーゆーところがえいちゃんテンネンなんだよー、だってあたしもう友達なれないって思ったもん!」 「てかえいちゃんのやさしさムシするとかさ、ありえなくない?」 「だよねえ、すっごいわかるー」 布擦れの音がした。彼女が膝を抱きかかえ、顔を伏せていた。言葉は、なかった。おれはそれを見てまた、拳に力を込めた。 「あの子…さ。なんかキョリがあるっていうか、ノリが合わないっていうかさ」 「話すペースがおそいし、しょっちゅう詰まるじゃん?こっちが次の話したくても、あの子待たなきゃなんないじゃん、イラつくんだよねえ」 「あっでも、男子としゃべるときはそうでもないよ?あたし見たことある」 「あーそれ!あたしたちと話すときだけだよ、あんな顔固まっちゃうのって。他の男子といるときはあたしたちよりマシだよ、まだ笑ってるって」 「はあ?何それ、ただの男好きってこと?」 「えええ、もう、悪口はやめようよ…」 「あーそっか、えいちゃんはジュンスイだしテンネンだからねえー。聞いちゃだめだよー、こんな風にけがれたらだめだよー?」 「てかさ!あの子あの子って言うのもめんどくさいし、なんかあだ名でもつける?」 立ち上がろうとした。立ち上がって、殴り込みに行こうとした。こんな鉢植えなんか全部蹴っ飛ばして、あの女子を全員ぶっ飛ばそうとした。それでも彼女の苦痛なんか分からないに決まってる、あんな奴。全員まとめて、殴ってやる。おれは、ガキだ。男だ。そんな手段しか知らねえ。そうだろう、いつだってヒーローは悪の怪人たちを暴力で倒してる。おれは、彼女のヒーローだ。彼女を守らなきゃいけない。そして、彼女の笑顔を、もう一度。だから! 「やめて」 力を入れようと地面につけた手に、氷が触れたかのような冷たい感覚。俯いたまま、彼女の、指先。本当にこれが、生き物の温度なんだろうか。彼女の触れた指先から広がるように、冷たさがおれの熱くなりすぎた心へと伝わっていく。ばか、やめろ、そうしたらおれは、この感情をどこに捨てればいい。 「やめて…、おねがい」 「なんでだよ…っ!あいつら、お前のこと、」 「だって、ほんとうのことでしょう」 「……!ちがう、ちげーよ、」 「ううん、…ほんとうのこと。私が、にんげんのひととしゃべるの、なれてないから」 「それはお前が、……っ!」 お前が、ポケモンの言葉がわかるから。 お前が、ポケモンの言葉がわかるから、お前はにんげんとの関係に慣れてない。お前が、ポケモンの言葉がわかるから、お前は孤立してる。お前は、孤独。お前は、悲しい思いを。 おれが言葉の続きを言ったなら、そういうことになってしまう。でも言わなくても、きっと伝わってしまったんだろう。違う、お前を、否定したいわけじゃないんだ。ただおれは、おれは…。 彼女はゆっくりと、顔を上げる。ぐしゃぐしゃに濡れた目元を、あのときみたいに拭おうと、手を伸ばしかけた。でも、その手はぴたりと止まる。彼女が、自分の服の袖で目元の涙を拭ったから。そして、…笑ったから。頑張って笑ってるようなものではない。それはあまりにも自然で、慣れたことのように、彼女は泣きながら笑っていた。そして、ごめんなさい、とおれに向かって囁いたのだ。…何を、お前が謝るっていうんだよ。 「もういいかーい!……、よし、今から行くぞー!ここは…かくれるところねーよな。お前らどこ行ったー!おらー!」 腕の中の彼女と、息を殺す。鬼は案の定、おれたちの居場所を悟れなかったらしい。おれたちが見つかるのには、まだ時間の猶予がありそうだ。だからまだ、大丈夫。無理矢理に抱き締めていても、彼女の涙を拭い続けていても。 オレンジ色が、溶けきらない雪に映る。冬の西日が、まぶしかった。 → |